分岐点
テルスは頭の中を整理していた。あの碧眼に白髪。そして、それらを見られたと思ったライクの反応。もしかすると、ライクは――
「おいっ! テルス!」
声の聞こえる方を見ると、歩いて行ってしまったはずのライクが、こちらに向かって走ってきていた。
「ど、どうしたの?」
「いいから、来い!」
少し怖気づいた調子で訊く。しかし、答えは返ってこず、その代わり、ライクに腕を引っ張られて一緒に走らされる。
「な、なんなの!? ちゃんと説明しなさいよ!」
「向こうで、男の子が、川に落ちて溺れてたんだ!」
「えっ……!?」
途中途中詰まりながら答えるライク。息を切らしている。よほど必死に走ってきたのだろう。
「じ、じゃあ私をわざわざ呼ばずに、あんたが助けなさいよ!」
「ぐっ……それは……いいから、急ぐぞ!」
「あぁもうっ!」
座っていたベンチがあった所から百メートルほど離れている所から、男の子が川の中でもがいているのが見えた。周りには誰もいない。
「あっ、ホントだ!」
「なぁ、テルス。テレポートとか使えねえか!?」
立ち止まり、肩で息をしながら言うライク。
「だから、さっき言ったでしょ! 私は魔術が使えないの! 今は違う方法で、あの子を助けないと――」
「いいから! テレポートが使えるかどうかを聞いているんだ!」
ライクはすごい剣幕でそう言ったあと、ゴホゴホと咳き込む。テルスはむかむかする気持ちを吐き捨てるように「あぁもうっ!」と言い、「使えるかは別として、魔術式はわかるわ!」と答える。
「よしっ、それじゃあ、それで行くぞ」
「はぁ? だから、私は魔術が使えないんだってさっきから何度も言ってるでしょ!? それに、魔術を発動しようにもマナがないとできないし……」
テルスがグダグダ言っている間に、男の子が力尽きて沈み始める。
「っ……あぁくそっ、俺がマナだ! 早く俺を使って、あいつを助けろ!」
もう自棄になったライクが叫び、テルスに魔術発動を催促させる。テルスも自棄になり、「あぁもうっ!」と考えを捨て、頭の中に魔術式を揃える。
「いくわよ――《テレポーション》!」
右手を男の子がもがいていた辺りに定め、魔術名を言い放つ。
すると次の瞬間、川から男の子とその周辺の水が消え、テルスとライクの近くに、男の子を含めた川の水がドバッと落ちる。辺りが水浸しになる。それらが元あった場所には、空いた場所を埋めるように周りの水が流れ込む。
事の流れにポカンとしていたテルスは、はっと我に返り、急いで男の子のもとに駆けつける。男の子は息をしており、飲み込んだ水を自分から吐き出している。
つまり、魔術を発動して、男の子を助けることができたのだ。
「や、やった! やったわよ、ライク!」
嬉々とした表情でライクの方を見る。ライクはその場に倒れこんでいて、返事はできなかった。
「ど、どうしたの!? ライク!」
「やっぱりか……くそっ、腹ん中いってぇなぁ……っ!」
腹に手を当てて悶えるライク。今ここに、二人の患者がいる。自分では手が負えないと判断し、テルスは叫ぶ。
「誰か、救護術師を、救護術師を呼んでください! 誰かぁ!」
すると、近くの家の二階の窓が開き、中年の男性が顔を出す。
「どうかしたのかね?」
「男の子が川に溺れていたんです! 救護術師を呼んでください!」
「な、なんだって!? わかった!」
そう言って男性は顔を引っ込める。連絡を入れてくれているのだろう。
水を吐き続ける男の子の背中をさすりながら、チラッとライクを見る。ローブが脱げて、さっきまで必死になってひた隠ししていた顔と髪が露出している。
この碧眼と白髪に、先程のライクの発言、魔術が発動したこと。――ライクはマナスレイヴに違いない。あの碧眼と白髪は、マナスレイヴと呼ばれるとある民族特有の容貌だ。
男の子から離れ、そっとフードを頭にかぶせ、頭と顔を隠す。離れようとすると、フードを動かした手を、ライクに掴まれる。
「あ、あんた、大丈夫なの?」
「なあ、テルス……今から俺を、どうする気なんだ?」
その質問の答えに、テルスは悩む。特に考えていなかったのだ。
マナスレイヴ条例その四――国家公認の契りを交わしたマナスレイヴを、主は連れ回すことを許す。また、それを満たさない状態での連れ回しを禁止とする。
そのようなルールがあるため、迂闊にライクを連れ回すことはできない。それに、マナスレイヴ自体、契約者同伴無しでの外出を一切禁止されているはず。普段彼らは、とある施設に収容されているのだから。つまり、ライクには今、契約者がいるはずだ。しかし、そのような者の姿は見当たらない。
「ねぇ、ライク。あなたの主はどこにいるの?」
「……死んだよ」
「えっ!? ど、どうして――」
「聞いてくれ、テルス!」
テルスの言葉を遮って、ライクは痛みによる苦悶の表情を浮かべながら言う。
「テルスがどちらの選択を選んでも、俺は絶対に、テルスを恨んだりはしねぇ。……だから、テルスは自分自身の事を考えて答えてくれ」
「……わかったわ」
ライクは、すぅっと深呼吸を一度する。その際に痛みが走ったのか、顔を歪ませるが、構わず続ける。
「もう気づいているだろうが、俺はマナスレイヴだ。そして今、俺は逃亡中の身だ。とある計画のためにな。そこで、俺はテルスに協力を要請したい。救護術師は絶対、俺も気にかけるだろう。ここで、テルスに選んで欲しいんだ。俺を救護術師に渡してあの場所に送り返すか、それとも、渡さず逃がすかを」
あの場所、つまり例の施設だろう。
とある計画とは何なのだろうか。それは、自分たちに危害を与えるようなものなのだろうか。それを聞こうにも、ライクはさっきので限界が来たようで、さっきから荒い息遣いを繰り返している。
「おーいっ! 救護、すぐ来るそうだ!」
家からパタパタと手を振りながら走ってくる中年の男性。救護術師がまもなく来る。つまり、もう考える猶予はない。
「……あんたはマナスレイヴ。でも、私の友達。心優しい、たった一人の友達」
ライクになのか、自分になのかも分からず、そう語りかけ、テルスは決めた。
ライクの逃亡の、計画の片棒を担ぐことを。