外道の震殲組
攻之介が幕府によって送られた五人の刺客から逃れて三日が経過していた。時は兵世四十五年七の月、灼熱の太陽の下で攻之介の逃避の旅は続いていた。
腹の虫が鳴り出した頃、攻之介は道中で地に座り込んだ籠を背負った一人の農民の男を発見した。男も攻之介に気づいた模様であった。攻之介は男に声をかけた。
「如何なされた・・・」
「こりゃどうもお侍さん。これから村へ戻るところにありましたが、道中の石につまづきその折にどうやら足をくじいてしまったようです。いやあ何ともお恥ずかしき話にございます」
「成る程・・・それは大事にござる。しからば」
攻之介はそう言うと男に背を向けその場にしゃがみ込んだ。
「拙者が貴殿をおぶって村までお運びいたす」
「そんな!とんでもございませぬ!あたしのような者がお侍さんのお世話になるなどと」
男は慌てて攻之介の情けを断った。
「遠慮召さるな。この先はどのみち拙者も通る道。それにその足で歩いても村に着く前に日が暮れようぞ」
攻之介の言う通りだった。日が暮れればこの辺りは山賊が出る危険な地でもあった。男は迷った挙句、侍の情けを受ける事にした。
「申し訳ありませぬ」
「何のこれしき、良き鍛錬にござる」
実際は男一人おぶったところで強化改造人間の攻之介には何の枷にもならない。攻之介は歩きながら己の背中に乗る男に話しかけた。
「名はなんと申す」
「へぇ、一兵衛と申します。お侍さんはどちらの方からおいでなすったのですか」
「江戸にござる」
「なんと江戸にございましたか。江戸はさぞかし良き所でありましょう。あたしも死ぬ前に一度は行ってみたいものですな」
当然ではあるが一兵衛は江戸の実状を知らない。
要塞都市江戸、そこは幕府の超封建体制を体現する世界最大規模の都市である。市民は全員が全ての個人情報を戸籍に登録され、居住する場所は一方的に幕府によって定められる。市民はあらゆる場所で小銃で武装した奉行人に監視され、さらには全国の藩より召集された藩士が年中江戸の防衛に就いている故に江戸を出る事はほとんど不可能に近い所業であった。つまるところ今の江戸は市民からしてみれば監獄なのである
「左様に・・・ござるか」
その様な江戸の姿を知る攻之介の一兵衛に対する返事は曖昧なものとなってしまった。
その後二人は攻之介の力強き脚力によって、半刻を待たずして一兵衛の村へ到着した。
幕府の行政の手も山奥にあるこの村には届いてはおらず、住民達はのどかに暮らしていた。幼い子供が走り回り、村人の笑い声が響くこの村で江戸とは明らかに違う空気を攻之介は歩きながら感じていた。
「あそこがあたしの家でございます」
村中を歩いている途中、一兵衛が攻之介の肩越しに一軒の家を指差した。茅葺屋根の小さな一軒家である。攻之介がそこに向かおうとした矢先二人の頭上を一羽の鳩が通過した。
「こんな山奥に鳩とは珍しいこともあるもんだ」
一兵衛が天を見上げながら言った。
攻之介はその家の前に着くと一兵衛をゆっくりと降ろした。すると家の中から一兵衛の女房と思われる者が顔を出し、攻之介の顔を見るや深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れませぬ」
「これからは道中の石に用心して歩かれよ」
「もちろんです。何かお礼に差し上げられる者があれば・・・」
「左様なものは結構にござる。この程度の事にて見返りを頂戴する訳には参りませぬ。では拙者はこれにて失敬する」
一兵衛とその女房は改めて攻之介に頭を下げた。
「達者で暮らされよ」
一兵衛と別れを告げた攻之介はその後村中にそば処を見つけ、そこで三杯のかけそばを平らげた。その後、のどかな村の風景に後ろ髪を引かれながらも侍は村を去り再び旅路についた。
攻之介が村を去った後、間も無くして新たに村を訪れる者達がいた。震殲組である。深紅色の新世具足を身に付けた隊士十二名の中に一人だけ具足の上に陣羽織を羽織った隊士がいた。どうやらその隊士はその集団の長らしく、他の隊士達の先頭に立って道の中央を堂々と歩いていた。
長らしき者は名を西條豪一郎と言った。今までに斬った幕敵の数は千人を超える剣豪である。
村人達は豪一郎達の姿を見るや各々の家の中に身を潜めてしまった。豪一郎が隊士を率いて向かった先には一兵衛の家があった。
豪一郎は家の前に着くや否や、どかどかと中に上がり込み一兵衛に歩みよって話しかけた。
「ここへ侍が一人来たであろう。彼奴はどこだ」
「お、お侍さんなら少し前にこの村を出て行かれました」
一兵衛がそう答えた直後、豪一郎は一兵衛の首を右の手でがしりと掴んだ。
「うぐぐ・・・」
「虚言を弄すまいぞ!我ら震殲組の放った伝哨鳩がこの家の前にて尋人の姿を捉えておるのだ!」
伝哨鳩とは震殲組が偵察活動に用いる手段の一つである。伝送機能を備えた小型の映写機を鳩の足に括り付けて空に放ち、上空から地上を監視するというものである。この時震殲組により複数放たれていた鳩の一羽が攻之介の姿を最後に捉えたのは一兵衛の家の前だった。
「ググ・・本当にございまする。お尋ねのお侍さんはこの村にはもうおりませぬ」
「貴様ぁ、まさか尋人を匿っているのかぁ?俺が最後に彼奴の姿を認めたのはこの家の前であると言っておるのだ!」
「だ・・断じてその様ななことはありませぬ・・・どうか信じてくだせえ!」
豪一郎は一兵衛の言葉が信用に足らぬものであると判断した。
「おのれぇ悪しき逆徒め!よかろう!左様な虚言を吐くのであれば幕府の名においてこの場にて成敗してくれるぅっ!」
豪一郎はそう言うと首を掴んでいた手を放して刀を抜き、一兵衛の首をその場にてはねた。悲鳴をあげて逃げようとした女房もその場にいた他の隊士の剣によって斬り捨てられた。
豪一郎は家を出るなり隊士達と共に具足腕部に仕込まれた炸裂焼夷弾を家へ向けて発射した。焼夷弾が命中した一兵衛の家は炎に包まれ崩れ落ちた。当然ながら豪一郎は攻之介の姿を家の中に見つけることはできなかった。しかしこの男は諦めを知らぬ侍である。豪一郎は刀を振るいながら隊士に向かって叫んだ。
「彼奴は他の家にて身を潜めているやもしれん!全て燃やせぇ!」
豪一郎の命に従い隊士達は村中の家屋に向けて次々と、しかも見境なく焼夷弾を発射した。燃え盛る家屋の中より住民が悲鳴と共に慌てて表へ飛び出した。それを見た豪一郎は再び隊士へ向けて叫んだ。
「彼奴は卑劣にも村人に扮して村より逃れようとしているやもしれん!全て斬れぇい!」
例のごとく隊士達は命に従い老若男女問わず村人に斬りかかった。隊士の剣により村人達は一人また一人と倒れていった。
燃え盛る家屋より立ち上がる煙は、村から遠く離れていた攻之介の眼にも飛び込んだ。煙を見るや攻之介は村へ向かって走り出した。人工筋繊維の身体を持つ攻之介の走りは駿馬を容易く上回る速度である。
しかし時は既に遅し、攻之介が到着した時には村は地獄へと化していた。燃え盛る炎に包まれた家屋と死屍累々。怒りに心を煮えたぎらせた攻之介の姿を豪一郎が発見した。
「ようやく姿を現したなぁ!長谷川攻之介ェ!」
その声を聞いた攻之介も豪一郎に気が付いた。攻之介が豪一郎を睨みつける。
「外道・・・め!」
「何を言う!この様な事になったのもさっさと姿を現さぬ貴様のせいであるぞぉ!」
攻之介が刀を抜き、鞘を放り投げた。豪一郎と隊士は攻之介を囲み刀を構えた。
「されども村人の命を殺めしは貴様達である・・・!」
「ぬかせぇ!」
豪一郎は叫んだ直後、隊士と共に攻之介へ焼夷弾を発射した。攻之介の周辺に幾多の焼夷弾が着弾し、たちまち烈火の海と化した。
「フフフ、この炎は鉄をも焼き焦がす高温よ!この炎に焼かれ生き残った者なぞ未だかつて一人として居らぬ!呆気なきや攻之介!」
豪一郎は勝利を確信した。しかし攻之介の姿は既に炎の中には無かった。
「ムッ!」
豪一郎が次に攻之介の姿を認めたのは、燃え盛る烈火の上空であった。焼夷弾着弾の瞬間、攻之介は空に跳躍する事により炎を回避していた。この時の攻之介の跳躍は天をも掴む勢いであった。
「死に損ないめがぁ!」
豪一郎は上空の侍へ向けて再び焼夷弾を発射。攻之介は自身に向かって翔んできたその焼夷弾を素手で掴み取り一回転、刀を逆手に持って切先を下に向け、豪一郎めがけて落下した。豪一郎は直ぐに刀を上に構えたが間に合わなかった。重量十貫の攻之介の刀は具足の頬当てを貫通、口腔から豪一郎の体内を一直線に突き進んだ。
刀を豪一郎に突き刺した後、無傷で着地した攻之介はそのまま刀を持ち上げた。豪一郎が突き刺さったその刀を攻之介は周りの隊士に向けて力一杯に振った。それにより遠心力が発生し、豪一郎の屍は刀から離れて隊士のめがけて飛んでいった。屍は数名の隊士と衝突、隊士は衝撃に耐え切れず尻餅をついた。
すかさずそこへ攻之介は先程掌握していた豪一郎の発射した焼夷弾を投擲した。焼夷弾は屍に見事命中、数名の隊士を巻き込んで豪一郎の屍を炎で包んだ。さらにその炎は巻き込まれた隊士の具足の焼夷弾に引火、誘爆を起こし巨大な火柱にまで発展した。
後ずさる他の隊士達を尻目に業火の如き炎は新世具足をも焼き、たちまち豪一郎と巻き添えの隊士の火葬を終了した。
「臆するなかれ!彼奴を首を獲れば空前の手柄となるぞ!かかれぇぇ!」
生き残った隊士の一人が皆を奮い立たせ残り八名の隊士達は一斉に攻之介に斬りかかった。しかし怒りを込めた攻之介の剣は新世具足を身に付けた武士八名を前にしても天下無双である。攻之介の剣は一太刀目で三名の隊士の首を宙にはね飛ばし、二太刀目で四名の腸はらわたを舞い散らせ、最後の剣で一名の心の臓を貫いた。
「う・・・恨めし・・や」
最後の隊士が攻之介の剣によって力尽き、村を襲撃した震殲組は全滅した。豪一郎以下総員十二名内、重軽傷〇名、行方不明〇名、死亡十二名。壮絶な最期である。
「罪無き者を斬る鬼に、現世に留まる資格無し」
攻之介は刀を納めると未だ燃え盛る村に対して手を合わせ黙祷した。涙ひとつ流さぬ身体ではあるが、攻之介の心中は悲しみに満ちていた。攻之介は炎が完全に消え去るまで黙祷を続けた。
その後黙祷を終えた攻之介はひっそりと村を去っていった。彼の向かう先を知る者は未だ誰一人としていない・・・。