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とあるヒロイン(?)の憂鬱

作者: 沙伊

 あらすじにも書いた通り、大学祭で配布した部誌に掲載した小説を転載したものです。

 少女であれば、誰もが夢に見ることがある。すなわち「王子様との恋愛」だ。だが、少女全てが見る夢は、同時に少女全てが打ち砕かれる夢である。

 少女は早々に夢と現実に区別を付け、分相応の恋人を見付けるか、自らに磨きをかけ、自分から王子様を見付けに行くぐらいの気概を見せる。そこに貴族と平民の区別は無い。存外少女――ひいては女というものは現実的であり、男よりずっと冷めた恋愛観を持つものである。

 中流貴族の娘であるリシュカもまた、そんな少女のひとりだった。

 王子様の夢はとうに遠くへ消え去り、身分相応の恋人、もとい婚約者を得て、平凡な日々を送っていた。そこに多少の不満はあれど、特に文句があるわけでもなく、現状を変える気も一切無い。彼女なりに幸せな日常だったのである。刺激を求めていないわけではないが、少なくとも平和を乱す気は無かった。

 無かった、のだが。


「僕の妃になってくれ!」


 望みもしなかったのに、意識すらしていなかったのに。

 “王子様”は唐突に現れた。


    ―――


「まず最初に謝っておきます。もう何度目か解りませんが、何度でも言いたい気分ですわ。私の婚約者(あのばか)が申しわけありませんでした」

「ねぇ、アリジェール、今私の婚約者にどんなルビ振ったの? 婚約者とかそれ以前に一国の王子様に何てルビ振ったの?」

「あら、失礼。では言い直しますわ。あのばかが申しわけありませんでした」

「はっきり言った!」

 貴族の子女のみが通うことを許された学園。リシュカはこの学園の中心部に位置するテラスにて、親友にして公爵家令嬢のアリジェールと午後のお茶をしていた。目の前の丸い机にには白いテーブルクロスがしかれ、その上には一目で高級と解るティーセットと、宝石のように輝くケーキが並べられている。ティーセットとその中を満たす紅茶、そしてこの場をセッティングしたのはアリジェール、ケーキはリシュカが用意したものだ。ふたりのお茶会では、自然とそれが決まりごとになっていた。

 しかし今回は、楽しくお喋りするために用意されたのではない。

「だって言いたくもなりますわ。前々からねじが十本も二十本も抜けている方だと思っていましたが、まさかねじが一本も残っていなかったなんて……あまつさえリシュカに――(わたくし)の親友に迷惑をかけるなんて……うふふ、どうしてやりましょうかあの男」

「ねぇ私喜べばいいの照れればいいの青ざめればいいのわけが解らないよ、ていうか王子様のねじゼロなんですか、アリジェール様」

「そんな今更ですわ、リシュカ。あの方のねじが皆無なのは。彼と初めて会った時、この国終わったと悟ったのはいい思い出です」

「それ思い出にしちゃ駄目だよねぇ⁉」

 そう、王子。

 このふたりが楽しいお喋りをできずに頭を悩ませている原因は、この国の王子、ガゼリオである。

 金髪碧眼、美麗な容姿。この国において理想の王子様の姿をした正真正銘の王子様。のちに王となることが確定しているまさしく頂点に立つべきお方。

 しかし、そんな美点を帳消しにしてしまいたくなるほど――彼は、馬鹿である。

 勉強ができないわけではない。国王になるための教育を物心つく前から施されているだけあって、この学園でもトップクラスの学力をしている。

 だが、それらが全て疑わしくなるほど、実生活では阿呆なのである。

 いちいち例をあげつらったりしないが、とにかく騙されやすく、直情的で、視野が異様に狭く、突飛な発想しかしない。百年の恋も凍りつくあり様だ。アリジェールの苦労がしのばれる。

 その王子が。

 喋れば問題発言しかせず、動けば騒動しか巻き起こさない奇人ならぬ貴人が。

「どうしてよりにもよってリシュカに求婚しちゃったんですの?」

「本当にそれ」

 立場を超えた親友同士であるふたりの淑女は肘を着き、組んだ両手で頭を抱えた。


    ―――


 ガゼリオ王子は、アリジェールの婚約者である。それは多くの国民が知るところであり、この学園においては周知の事実だ。公爵家令嬢であるアリジェールに対抗できる淑女はこの学園内にはおらず、よってふたりの仲に波風が立つことはなかったのだが、よりにもよってガゼリオ自身のせいで無意味な混乱を呼んでいた。

 無関係であるはずのリシュカを巻き込んで、である。

 ことの発端は一週間前。リシュカはその時、自分の婚約者であるカイルとの約束が反故にされたことに腹を立てていた。

 別に理由も無く破棄されたわけではない。カイルには正当な理由があり、その埋め合わせのための約束もちゃんとした。だが、それとこれとは話が別だ。婚約者との甘い時間が邪魔された事実は変わらない。

 リシュカにとってカイルは理想の相手ではないが、身の丈に合った恋人だった。お互い喧嘩したりもするが、日常を穏やかに、いずれ来る結婚生活を夢想しながら日々の義務を果たしていくのは幸せなことだった。自分より立場が上で、あらゆることが思いのままのはずのアリジェールがうらやましいと言うほどに、ふたりの仲は良好だったのだ。

 だから、この怒りも一時のものであると、リシュカも理解していた。理解していたが、現行の感情はどうしようもない。学園の中庭にある東屋、そこの椅子に腰を下ろしながら、リシュカは感情のままに瞳を潤ませていた。

 さすがに泣くほど切羽詰まってはいないが、にじむ涙を止める気も無い。耐えるほどの涙ではないのだ。ただ、人前に出るのはいささかまずいと思われるから、こうして東屋でひとり、感情に身を任せているのだ。

 約束が守られなかったぐらいでおおげさな、と笑うものはここにはいない。そういうものから逃れるためにここに来たのだから、当然であろう。

 リシュカは、少しばかり自分の感情に忠実過ぎるきらいがあった。その上感覚が貴族より庶民寄りで、それがよりいいそう体面を保つという行為から彼女を遠ざけている。

 それを自覚できるからこそ、リシュカはこうして人目のつかないところにいるのである。顔に出てしまうのは目に見えているし、それをほかの淑女に見られたらどんなことを言われるか解ったものではない。淑女――というより貴族の関係は、体面を保って初めてコミュニケーションの基礎ができるのである。

 大丈夫、あの人もこの学校に通っているのだ、明日会えるのだからいつまでも落ち込んではいられないわ――そう自分に言い聞かせてどれほどたっただろうか。

 授業が全て終わった放課後。日は傾きかけ、夕日に照らされた庭は鮮やかな茜色に染め上げられている。儚いまでに幻想的な情景を眺めていると、だんだん心が落ち着いてきた。

 リシュカは小さくため息をつくと立ち上がろうとした。した、のだが。

「…………」

「…………」

 目が合った。青い瞳と、視線が合った。それはもうばっちりぶつかった。

 リシュカは唖然とする。この時間に生徒が残っていたことや人があまりこないこの場所を訪れたこともびっくりだが、何よりその人物が。

「お、王子様っ⁉」

 リシュカは悲鳴を上げた。上げざるをえなかった。

 現れたのがよりにもよって、この国の王子であるガゼリオだったのである。これは彼女でなくとも悲鳴を上げるだろう。否、悲鳴どころか吐息すら洩らせないかもしれない。何しろ同じ学園内に通っていながら、この王子の周囲は常に近臣達に周りを固められており、近付けるのは婚約者であるアリジェールとそのお付きの者ぐらいである。

 そんな彼が、たったひとりでどうしてこんなところにいるのだろうか。

「お、王子様……どう、して、ここに……?」

「う、うん。何となくふらふら歩いていたら、ここにたどり着いてしまって……」

「…………」

 仮にも一国の王子がたったひとりでなぜふらふらしているのか。この王子というか周りの従者達は大丈夫なのか。

 リシュカは自分に関係無いことながら、頭が痛くなった。さんざんアリジェールに愚痴られていた内容の意味が、今更ながら重くのしかかる。

 一方のガゼリオは、リシュカの頭痛に気付いていない様子だった。それどころか、彼女が僅かによろめいたのを別の方向にとらえたようだった。

「ど、どうしたんだ。もしや何か辛いことがあったのか? 泣いていたようだが」

「ええ……まあ……」

 泣いていたうんぬんはともかく、確かに辛いできごとはあった。現在進行形で、目の前で起こっている。

 リシュカは内心頭を抱えた。きっとこれはまだ序の口なのだろう。アリジェールの話が本当ならば、きっとここから突飛な方向に話が飛ぶに違いない。

 身構えるリシュカの目の前で、ガゼリオはぽやんとした表情をしていた。王子というにはあまりにも間抜けが過ぎる顔である。整った顔が無ければ誰もこの国でトップに立つべき人物だとは思わないだろう。

 リシュカはその顔にどんどん警戒心を強めた。高まった警戒心は当然彼女の顔に表れており、その姿は小動物のようである。

 ガゼリオはしばしリシュカを無遠慮なほど見つめていたが、突如ズボンのポケットをごそごそ探り始めた。

 何が来るかとびくびくしていたリシュカの目に映ったのは、ガゼリオの差し出したハンカチだった。

「……え?」

「こ、これで涙をふくといい。ではっ」

 ガゼリオは無理矢理ハンカチを押し付けると、脱兎のごとく走り去った。その姿は生垣の向こうに消えて、すぐ見えなくなる。

「……ていうか、泣いてないんですけど」

 涙目になっていただけだと、リシュカは届かない訂正をする。実に無意味である。

「何だったのよ、あれ」

 呟きつつも、リシュカは嵐が去ったことを純粋に喜んでいた。騒動の塊みたいな彼と相対して、平穏無事に済んだことは喜ばしい。先ほどまでの陰鬱な気分が吹き飛ぶようだ。

 この時は、ガゼリオに感謝していたのである。本人というより、彼を前にして何ごとも無く終わった幸運に、であるが。

 しかしそれが一時の幸運であり、どちらかと言えば不運の類であったことを知るのは、次の日であった。



 次の日の早朝、すっかり機嫌もよくなり、カイルに会えるのをうきうきしながら中庭で待っていたリシュカの前に現れたのは、カイルではなくガゼリオだった。

 その時点で、嫌な予感はしていたのだ。この王子様がまたぞろ妙な勘違いをして、自分を騒動の渦に巻き込むのではないかと警戒したのだ。

 冗談じゃない、たかが中流貴族令嬢の私が、どうして王子の暴走被害を受けねばならないのか――そう思っていた時だった。

「一目見た時から感じていた。そしてこうして改めて向かい合って確信した。君は僕の運命だ!」

「……は?」

「どうか、どうか、僕の妃になってくれ!」

 とんでもない規模の爆弾を、この馬鹿王子は投下したのである。


    ―――


 彼のこの思いもよらぬ求婚は、たちまち学園内に広まった。まず余波を喰らったのは当然リシュカだった。ただの中流貴族出身の娘が、たちまち王妃候補に持ち上がったのである。彼女に取り入ろうとする人間がいれば、酷い嫉妬を向けてくる者もいた。ちなみに嫉妬を向けてきたのは、ガゼリオがどういった人物かを知らず、ただ憧れを抱いているだけの者達である。

 次に余波をもらったのは、アリジェールとカイルだった。ガゼリオの婚約者であるアリジェールは、当然その地位が揺らいだために(周りが)混乱し、中にはリシュカに近付こうとする人間まで現れた。カイルの方はわけの解らないうちに自分の婚約者が上位者に奪われるかもしれないという危機にみまわれ、立ち尽くす羽目になった。

 そんな、学園中を巻き込んだ混乱の渦の中心に、リシュカはいた。ちなみにもうひとりの中心であるはずのガゼリオは全くのノーダメージであり、リシュカ達三人の殺意を一身に受けているが、一向に気付いた様子が無かった。

「まさかリシュカに一目惚れするなんて……予想外にもほどがありますわ」

「それ、私が一番思ってる……」

 こんな美人の婚約者がいるのに、とはリシュカの弁だ。

 アリジェールは黄金に輝く長い髪とエメラルドの大きな瞳を持つ、学園一の美少女である。頭に脳味噌以外のものが詰まっているのでは、と疑われているガゼリオと違ってあらゆる意味で頭もよく、まさしく王妃候補にふさわしい人物である。

 それをふってどうして自分のところに、とリシュカは思っていた。

「まあ大方、泣いているところを見て、自分が守らねばなどと思ったのでしょう」

「それだけで初対面の人に求婚する? あと泣いてないから」

「するんです。あの人は。だって馬鹿ですもの」

 婚約者にこうも馬鹿馬鹿言われる王子も珍しいのではないだろうか――リシュカは思わず遠い目になった。

 しかし、言いたくなる気持ちも解る。この一週間、ガゼリオはリシュカを追い回しては求婚を繰り返し、周りの人間に迷惑しかかけていない事実はゆるぎないのである。リシュカも本当なら口にしたい。何しろあの王子のせいでカイルとまともに会話もできていないのだ。アリジェールがたびたび助けてくれているが、それでも納まる気配が無い。

「臣下の妻を王が奪う。国が乱れるゆえんを今から実践するなんて、頭が痛いですわ」

「奪われてないっ」

「事実ではそうでも、周りはそうは思わないでしょう。本格的に、私も彼との関係を考えねばなりませんわね。何しろあの人、私や臣下の話を全く聞こうとしないのですもの」

 アリジェールは空を睨み付けながら呻いた。

 まさかその言葉を実行するべき時がすぐに訪れるとは、彼女も思わなかっただろうが。


    ―――


 お茶会を終え、ふたりで廊下を歩いていると、向こうからガゼリオがほかの臣下達と共に歩いてきた。

 リシュカは反射的に足を止め、アリジェールも彼女をかばう位置に移動する。その様子に臣下達は微妙な顔をするが、ガゼリオは明確に表情を歪めた。

「アリジェール」

「ごきげんよう、ガゼリオ様。何かご用でしょうか?」

「ああ。アリジェール、君に用がある」

「……私に?」

 アリジェールは首を傾げた。彼女の予想ではリシュカに用があると思ったのだ。それを理由を付けて断ろうとしたのだが、どうも違ったようである。

 眉をひそめるアリジェールに、ガゼリオは言った。


「アリジェール、君に婚約破棄を申し付ける!」


 場が静まった。

 周囲にはリシュカ達のほかに何人か生徒がいたのだが、彼らも含めて誰もが口を閉ざした。リシュカやアリジェールは勿論、ガゼリオの臣下達すら沈黙しているところを見ると、誰も何も聞かされていなかったらしい。

「……理由を聞きましょうか」

 アリジェールが口を開いた。震えてはいないものの、声は硬い。

「君がリシュカと僕の仲を邪魔しているのは解っているんだ」

 対してガゼリオが返したのは、実にとんちんかんなものだった。

「君は僕の婚約者だが、僕の恋路を邪魔する権利は無い。リシュカを傷付ける理由も無い。これ以上彼女を追いつめないためにも――」

「なっ」

 酷い勘違いだった。的外れにもほどがあった。

 アリジェールは、リシュカを守ってくれたのだ。わけの解らない求婚から、無意味な嫉妬から、不用意な取り巻きから。

 なのに、こんなことを言うなんて――!

「もういいです。もう結構ですわ」

 激昂し、声を荒げようとしたリシュカを押しとどめるように、アリジェールが声を上げた。

 リシュカは親友にかけられたあらぬ誤解を解きたかったが、アリジェールの背中を改めて見て黙り込んだ。

 やばい、アリジェール怒ってる――リシュカは一転、冷や汗をかいて硬直した。

「ええ、了解しました。婚約破棄、受け給いましょう。どうぞご自由に相手探しをなさいませ」

「言われずとも――」

「ただし、リシュカにこれ以上迷惑はかけないでくださいませ」

 ここで初めて、ガゼリオが困惑の表情を浮かべた。

「な、何を」

「リシュカを貴方の行動に巻き込まないでくださいと申しているのです。彼女は私の親友。立場を超えた、立場を考えずにすむ、貴重な友達なのです。彼女と、彼女の婚約者にこれ以上負担をかけるというのであれば、私はたとえ貴方でも容赦はしません。まあどちらにせよ、貴方の立場など無くなるでしょうけど」

「な、何で」

「だってそうでしょう? 婚約者のいる娘に無理矢理迫ったあげく、公爵家の娘に自分勝手な理由で婚約破棄――まあ口だけの破棄など、国王陛下がお許しにはならないでしょうけど――しかもこんな、公衆の面前で、です。誇りに泥を塗りたくられたあげくどぶの中に落とされた気分ですわ。このことは、私からお父様と陛下に通しましょう。その結果、貴方がどのような処遇を受けるかは、私は知りません」

「え、え」

「ガゼリオ様、貴方はご自分の立場というものをご理解していない。貴方の発言がいかに無責任であるか、ちっとも考えておりません。こうなっては、私が身をもって貴方にご理解していただく以外無いでしょう」

 アリジェールは淡々と言いつのった後、実に優雅な所作で一礼した。まさしく淑女と呼ぶにふさわしい動きだった。

「今までありがとうございました。新たな婚約者が見つかった際には、その方に同情申し上げますわ」

 ただし口にしたのは、実に皮肉に満ちた言葉だった。


    ―――


 そこからぱったり、リシュカに対するガゼリオの猛攻――リシュカにとっては文字通りの攻撃だった――はぴったりやんだ。

 というのも、ガゼリオ自身がこの学園にいることが少なくなったからである。

 アリジェールから婚約破棄の件を聞いた彼女の父たる公爵、およびガゼリオの父たる国王が、ガゼリオに怒りを見せたからである。

 国のことを思っての婚姻を勝手に口約束で破棄し、その原因が彼の一方的な恋愛となれば、ふたりの怒りももっともである。

 ガゼリオは当然のように罰を受け、そのせいで学園を休みがちになっているという。

 罰の内容はリシュカも聞き及んではいないが、アリジェール曰く、空っぽの脳みそにねじを入れなおして締めるためのものらしい。

「まあようは、再教育ですわ」

 ガゼリオが学園でめっきり姿を見かけなくなってから半月後、授業後のアリジェールはリシュカとともに学園の廊下を歩きながら言った。

「ここで教えるのは基本的な勉学だけで、本来の目的は社交の場に出るための前準備の場所ですからね。学園では至らぬ部分も多いでしょう。学び直しをするのであれば、城で学者達に囲まれた方がよろしいですから」

「つまり勉強を詰め込むってこと? それって罰になるの? いや、確かに嫌だけど」

「ただの勉強であればそうですわね。ですがあの方のやっていることは、知らない人間には想像もつかない代物。人物の矯正とまではいかずとも、多少はましな方になっているかと思いますわ」

「一体どんな内容――いやいい、聞きたくない」

 そういえば、と、リシュカは話題を変えた。あまり気が進まないが、聞きたいことがあったのだ。

「ガゼリオ様、どうして私なんかに一目惚れしたの? アリジェールがいたのに」

「それは――まあなんと言いますか、あの方は私を嫌っておりまして」

 実に言いにくそうに、アリジェールは口を開いた。

「親同士が決めた婚約者というのもありましたが、彼は私の言うことに反感を持っていたようなのです。理由は定かではありませんが、周りがあの人より私の言うことを支持しますから、余計に」

「うん、まあそうだよね」

 あの性格が昔からなのだとしたら、王子よりもアリジェールの言葉に重きが置かれていたのは当然だろう。それを理解していなかったのが王子だけという話である。

「つまり、私って本当に巻き込まれただけなのね……」

「それに関しては何度謝罪しても足りませんわ。いずれ形ある方法で――あら」

 アリジェールが声をあげた。リシュカは顔を上げて、息を飲む。

 向こうから、ガゼリオが歩いてきたのだ。お付きの者はひとりもおらず、たったひとりで。

 しかし、僅かな間でこうも変化があるのかとリシュカは目を丸くした。

 ついこの間まであった、どこか浮ついた雰囲気が無い。見た目だけがきらきらしたはりぼてのようだったのに、今は中身があるのがはっきりと解る。

 ただ、その中身が疲労と寝不足のそれでなければきっと格好よかったのであろうが。

 ガゼリオはアリジェールとリシュカとの距離を早足で縮めた。あまりに性急な動きに、リシュカは声の無い悲鳴を上げてアリジェールにしがみつく。一方のアリジェールは堂々としたもので、身じろぎすらせずガゼリオを待ち構えていた。

 そして、前面に立ったガゼリオに、言い放つ。

「多少は自分の置かれた立場をご理解しましたか?」

「……多分」

 ガゼリオは力無く囁いた。心なしか美貌が翳って見える。もっとも、先に言った疲労と寝不足のせいですでに減じているのだが。

 そんな王子にも、アリジェールは容赦が無かった。

「多分? 随分と情けない発言ですこと。国王陛下の叱責も、効果がおありでなかったのでしょうか」

「ち、違う! ――ただ、僕には何を間違っていたか全く解らなくて……」

「あきれましたわ。この後に及んでそんなこと――」

 アリジェールはあからさまなため息をついた。王子を前にしてこの態度は、いっそ尊敬に値する。

「よろしいですか。貴方がしたのは他者の迷惑になることです。たとえ王子であってもそのような行為が許されるはずもありません。まずそこから解っていただけねば」

「うん……父にも同じことを言われた」

 ガゼリオは消沈した様子で頷いた後、ふと顔を上げた。

「アリジェール」

「何でしょう」

「僕は、君と、君の友達を傷付けた。君に事実無根な罪をなすりつけようとしたし、君の友達に自分勝手な感情をぶつけてしまった。その償いがいつになるか解らないが――それが終わったら、改めて僕と婚約してほしい!」

 もしこの場にギャラリーがいれば、一瞬にして色めきたったことだろう。しかし今、ここにいるのはリシュカ達三人だけであり、聞く者は誰もいない。

 ここからも、ガゼリオが変化したのが読み取れる。経過はどうあれ、彼なりに変化したのだ。前のままなら、公衆の面前でまた的外れな発言をしたであろう。

 アリジェールはそれに、満足したように微笑んだ。少なくともリシュカにはそう見えた。

 そんな彼女の返答は――


「無理です」


 否、だった。

「ええぇぇぇぇぇぇ」

 悲鳴は二つ上がった。リシュカとガゼリオのものである。

「な、なんっ、なんっ」

「何で? この流れは、はいでしょ? はいor YESでしょ⁉」

 驚きのあまり言葉がつむげないらしいガゼリオに代わり、リシュカがアリジェールを問いただした。

 対し、アリジェールの回答は単純明快である。

「だって、もともと婚約は解消されてませんもの」

「……へ?」

 間抜けな声はまたもや二つだった。当然、リシュカとガゼリオである。

「いや、だって王子様が婚約解消って」

「あんな口約束で一国の王子の婚約が無くなるわけないでしょう? それそのものが国事なのですから、王子ひとりの独断で破棄できるものではありませんわ」

 つまり。

 ガゼリオとアリジェールはこの半月の間ずっと婚約者であり、その事実はずっと覆されておらず、現在に至るわけで。

「……ぼ、僕の苦労って何だったんだ?」

 思わず、といった風情でガゼリオは呟く。彼としては勝手にアリジェールとの婚約を解消した償いのつもりで今日まで過ごしていたので、それらが徒労だったと知って脱力してしまった。

 その呟きを、アリジェールは聞き逃さなかった。

「ガゼリオ様」

「ふぁい⁉」

「貴方が上位者として欠けている部分が多すぎます。今回のことは貴方にそれを自覚させるためのよい機会だと思っておりましたが、どうやら足りなかったようですわね?」

「あ、アリジェール? あの」

「言い訳を聞く気はありませんわ。貴方への再教育、私も参加させていただきます。未来の王妃であるこの身にかえても、貴方をきちんとした王子に――否、王に仕立て上げてみせます」

 あ、いらいらしてるな、アリジェール――混乱が一周回って冷静になったリシュカは、親友の様子を静かに受け止めた。

 アリジェールは前々からガゼリオに苦労させられていた。ここでガゼリオをまともにすることができなければ、彼女の苦労はこの先ずっと続くだろう。

 リシュカはしばし考え込む。

 彼女の中に、親友を見捨てるという選択肢は無い。可能なら彼女をサポートしたいとも思っている。

 つまりリシュカもまた、このとんでもな王子としばし顔を突き合わせねばならないということである。

 リシュカとアリジェールは、青い顔で肩を落とす王子の前で顔を見合わせる。

 ――顔を青くしたり肩を落としたいのはこっちなのですけど。

 ――本当にね。

 ふたりはこれから待ち受けるであろう王子の言動に、憂鬱なため息をついた。

―了―

 初めましての人もそうじゃない人も、こんにちは、沙伊です。

 今回、ラブコメ(と呼ぶにはおこがましい全く別の何か)を書かせていただきました。

 もともと、ちまたで流行っているという悪役令嬢小説を知って自分も書いてみよう! と書き始めたのですが、気付けば完全な別物になっていました(ドウシテコウナッタ

 お目汚しですが、皆さんの暇潰しになれば幸いです。

 では。

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― 新着の感想 ―
[一言] アリジェールさんが王子の頭のネジ穴にネジ切ってネジ穴に合わせた特注の雄ネジ作って締めてくれると信じることにしました 緩まないナットを開発する必要がないことを祈りながら
[一言] きっと王子の頭のネジ穴にネジは入っているよ… ネジ穴にネジが全く切れていなくて簡単にすっぽぬけて締めることが全く出来ないだけで!
[一言] いまさらだけど難削材料の深穴加工でもタップは50はネジ穴にネジを切れたはず ところで王子様の頭にネジ穴は用意されていたのでしょうか 自信が持てなくなってきました
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