母の宅配
秋を通り越して冬か、と悪態をつきたくなるような朝晩の冷え込みに、ぶつぶつ言いながら私は冬物を引っ張り出す。日中はどうかすると汗ばむような陽気なのに、朝晩ときたら……。
天気のよい週末は貴重なので、洗濯をして冬の布団なども干してクロゼットの掃除も兼ねた衣替えもして……。
大学からの一人暮らしも年数を重ねると、寂しさもあまり感じない。
取り込んだ布団のほかほかとした感触を楽しみながらシーツにくるむ。
こたつも場所を取らないという上掛けに替えてから、ひと頃のように存在感を主張しすぎないのが嬉しい。なにせスペースは有限なのだから。
大して気を入れるでもなく、午後のテレビ番組を観ていてふと気付くと、空はオレンジ色に染まろうとしていた。
「日が落ちるのが早くなったなあ」
誰も返事をしない、独り言。今日は誰とも会話していない。明日になれば電車に揺られて会社勤めの一週間が始まる。
日曜の夕暮れから夜にかけての寂寥感は、有名なアニメの名前をとって症候群と名付けられているほどだ。
「明日は会社か」
私もご多分に漏れず、日曜日の憂鬱にとらわれている。
友人は結婚したり転職したりで忙しく、あまり遊んではくれない。
彼氏はこの間、あまりの生活力のなさに呆れた私が別れ話を切り出してそれっきり。
新しい出会いが都合良くあるわけでもなく、独り身に世間と季節の風が厳しくなる頃を迎えている。
「晩ご飯、どうしようかな。作るの、めんどくさいな」
わびしい気分で冷蔵庫を開けて、しまった日中に買い物に出ておくんだったと後悔してももう遅かった。
冷蔵庫内外に目を向けて食材の探索に赴けば、賞味期限が迫っている豆腐、しなびてはいないけれどなんとなくくったりした感じの青菜、一本だけ残った人参。
中途半端な量の豚の細切れ肉。冷凍庫には刻んだ油揚げとネギ、あとは塩鯖。
――しょぼい。彼氏がいた頃は週末にアパートに来ることが多かったからそれなりに頑張っていたけれど、一人になった途端食事を作る意欲が失せた結果がこれか。
「これで作るとなると、朝ご飯みたいなメニューになるなあ」
コンビニでお弁当を買って、冷蔵庫の食材は明日に回そうかと悩んでいるとインターフォンがふいに鳴る。一体誰だろうとどきどきしながら応対すれば明るい声で、宅配便だと告げられた。
ネット通販も今週は利用していないし、どこからの荷物だろう。そう思いながらドアを開けて宅配のお兄ちゃんが差し出した伝票にはんこを押し、荷物を受け取った。
段ボール全体に冷気があって、クール便だったのが分かる。
伝票の差出人は……。
「お母さん」
田舎の母からだった。それだけでもう中身がぱっとしないだろうと予想がつく。
こたつの天板の上に段ボールを置いて、ガムテープをはがす。中からはぎゅうぎゅうに詰め込んだであろう雑多な品が出てきた。
「わかめに干物、海苔にお味噌って、こっちでも買えるのに。何これ、スペース埋めるため? お菓子がバラで入っている。こんなのに送料使って、お母さんたら」
さして大きくもない段ボール箱なのに、たくさん詰め込まれた品にちょっと呆れながら品定めしていくと、底にずっしりとした袋が納められていた。手にとると細かいつぶつぶの感触。
一緒に手紙も入っている。
『急に寒くなりましたね。風邪を引いていませんか? 今年も親戚から新米をいただいたのでそちらにも送ります』
母は送料をかけて食材を送ってくる。今回は野菜が入っていないだけ、まだましかもしれない。一体ここを何人暮らしと思っているのかと質問したいほどに、畑でとれたという野菜が入っていたりする。
白菜が三つ入っていた日には、浅漬けにしたり豚バラと煮込んだりとしばらく白菜責めにあったものだ。ジャガイモが箱いっぱいだった時には、使い切る前に芽が出てしまってどうしようかと途方に暮れた。
田舎でパートと食べる分の畑をやりながら、母は父方の祖父母と同居して私と兄を育ててくれた。父は田舎の長男を地で行く人で、私は閉鎖的なそこがあまり好きではなく、頼み込んで大学に行かせてもらったのを機に就職して以来ずっと、いわゆる都会暮らしを続けている。
気の利いた内容のものだったら会社に持って行くこともできるのに、必殺こっちでも買えるよといった品と虫食いや不揃いな野菜がメインだから一人で処理するしかない。
いつまで経っても垢抜けない、田舎からの宅配はそんな私の象徴のようだった。
こじゃれたイタリアンやフレンチなんてとても作れない、地味すぎる内容。
旅館の朝食みたいな料理がせいぜいだ。やっぱりコンビニに行くしかないか、でも、もう外出したくないと私はうだうだし続けた。
そしてふいに田舎の日曜夕方を思い出す。
娯楽といっても何があるわけでもなく、自然だけは豊富だからこの季節はきれいな葉っぱを探しに行ったり、刈り入れの終わった田んぼで鬼ごっこをしたりしていた。遊び疲れてつるべ落としのような夕日に追い立てられるように家に戻る。
扉をあけた途端に、ふわりと温かい空気と香ばしい匂いが押し寄せる。
『お母さん、おかずはなあに?』
『煮物よ』
『ええー、ハンバーグが食べたい』
『また今度ね』
ぶすっとしながら、茶色の多い食卓を囲んだものだった。
パスタやグラタン、お母さんの手作りのアップルパイ、ローストビーフなんて夢のまた夢。いつだって歯の弱いお祖父ちゃんとお祖母ちゃんが最優先で、くったりと煮込まれた野菜を口に運ぶしかなかったのだ。
そんな母に好きな食べ物を聞いたことがある。
母はそうねえ、と視線を宙にさまよわせて笑って答えた。
『おにぎりとお味噌汁かな』
『そんなんじゃなくって、もっと特別なやつはないの?』
『お母さんはおにぎりとお味噌汁が世界で一番美味しいと思うの』
私は田舎に埋没して満足している母のようになりたくなかった。だからしぶる父を説得して、都会の大学を受験したんだ。
今の私は有名なレストランにも頑張ればいける。必死で都会で生きてきた。でもいつまで経っても亡霊のように、私の背後には田舎が張り付いている。
幾分か醒めた気分で品物を眺めていたが、ふと思い立ってキッチンに立つ。
前の宅配で送られた鰹節のパックを、これも無理矢理持たされただしポットに入れて熱湯をかける。簡単本格だしがとれるらしい。
送られてきた新米をといで水につける。しばらくはやることもないから、風呂掃除をやって時間を潰した。通常より気持ち少なめに水を張って炊飯器で炊く。
わかめは水で戻し、油揚げとネギは冷凍庫に待機させる。塩鯖は室内に放置して、解凍する。
ごはんが炊きあがったタイミングで、だしを鍋に入れて火にかける。人参を切り、一番に入れて火を通す。頃合いをみて塩鯖をフライパンで焼き、鍋に凍ったままの油揚げとネギ、刻んだ青菜を投入した。
熱気と湿気が上がってくる。同時にたべものの匂い。
具材に火が通ったら少し火を弱めて、味噌を溶く。とたんに家の匂いがよみがえる。
火をとめて木の椀に味噌汁をついで、焼けた塩鯖も皿に盛りつける。
コンロをあけてから着火して、届いたのりをさっとあぶった。
『半分こね』
そう言って母はぱりっと焼いた海苔を兄と私に食べさせてくれたものだった。
炊きあがって蒸らしたごはんを手に取り、塩をつけて握る。
熱い炊きたてのごはんを母はいくつも握ってくれて、その手は真っ赤だった。
平皿に何個もおにぎりが並び、それにあぶった海苔が巻かれる。
遠く離れたアパートで同じようにして作ったものをこたつにのせる。
いただきますと手を合わせてから、自作のおにぎりをほおばった。米が立ってる、艶めいてもちもちの食感のおにぎりと香ばしい海苔の相乗効果は思い出以上に美味しかった。
久しぶりにちゃんとだしから取ったお味噌汁を一口すする。家で使っていたのと同じ味噌は、しみじみと優しい味わいを伝えてきた。
だしと味噌の風味を十分に含んだ油揚げを口にし、人参をかみしめる。
塩鯖にも箸を伸ばしながら、なぜだか胸がつまるような気がした。
私が田舎くさい、と馬鹿にしていた母の好物は、こんなにも丁寧に手間暇かけて作られていたんだ。味噌も海苔も国産のもので、単品でもしっかりとした味わいを持っている。
家で収穫した野菜で作ったなら、もっと滋味の溢れる懐かしい味になるだろう。
「お母さん」
都会ぶって毎日を忙しく過ごしているつもりでも、根本がしっかりしていないから浮き草めいて頼りない。
比べて母はこんなに揺るぎない味を、なんでもないように出してみせるのだ。
鼻の奥がつんとするのをこらえながら、私はおにぎりをほおばり、味噌汁も全部飲みきった。
「ごちそうさまでした」
心からそう言って後片付けをする。
あと少しで母は日曜夜のドラマを観るためにテレビの前に座るはずだ。その前に、と私は携帯を手にした。
「もしもし、お母さん。荷物届いた、ありがとう。そっちも寒いでしょ? お父さんはどうしているの。うん、今年の年末は帰省しようかと思って……え、迎えなんていらないよ。子供じゃないんだから。いや、そういう意味じゃなくってね……」
こたつに入っている体とともに、心もじんわりとあたたまる。
会社帰りにこっちのお菓子を田舎に送ろうか。そんなたわいもない計画を巡らせながら、私は母と話し続けた。