男女って何? 特別なひとりとふたり
男女って何?
第一話 ひとつだけ残した卵
大学一年生の教養課程には、生物学の講義があった。
専門課程へ進む前の学生を相手にする授業なので、難しい遺伝子名や反応経路を暗記させるような内容ではない。担当教員は黒板に「XX・XY」「ZZ・ZW」と書き、人間と鳥類では性染色体の組み合わせが違うところから話を始めた。
「人間では、女性がXX、男性がXYですね。鳥類では逆の組み合わせになって、雌がZW、雄がZZです。ここまでは高校までに聞いたことがある方も多いでしょう」
鳥人の女子学生も、ノートへそのまま書き写した。
「今日は、もう少し変わった話をします。鳥類では、未受精卵が発生を始めることがあります。単為発生と呼ばれる現象です」
教室の空気が少しだけ変わった。
「もちろん、卵を温めれば何でも雛になるという話ではありません。たとえばヒメウズラの仲間を調べた研究では、およそ四千個の未受精卵のうち、約四・八パーセントに発生の痕跡が確認されています。ただし、そのほとんどは途中で止まります。四・八パーセントが孵化するという意味ではありません」
教員は数字の横に大きく「発生の痕跡」と書いた。
「七面鳥やニワトリでも単為発生は知られています。鳥類の単為発生では、雄、つまりZZの個体が生じる例があります。珍しい現象ですが、未受精だから発生する可能性が完全にゼロ、とまでは言えないわけです」
鳥人の女子学生は、その話を少し面白いと思った。
ただ、それだけだった。
◇ ◇ ◇
彼女は姉と二人でマンションに住んでいた。
鳥人なので卵を産むこと自体は珍しくない。受精していない卵は食用品として扱われ、彼女も普段は決められたところへ出荷している。
その日も一個の卵があった。
いつもなら出荷するところだったが、教養課程の生物学で聞いた話を思い出した。特別な予感があったわけでも、何かを期待したわけでもない。今回は一個だけ残してみようと思った。
姉の部屋には、ベビーベッド型のインキュベーターがある。
「お姉ちゃん、インキュベーター、しばらく借りていい?」
「いいけど、何に使うの?」
「今日の卵。生物の授業で、未受精卵でもすごくまれに単為発生するって聞いたから、一度入れてみようと思って」
「いつもは出荷してるでしょう?」
「うん。今回は一個だけ残してみる」
「分かった。使っていいよ」
彼女は卵をインキュベーターへ入れた。
この世界では、子どもとして成立した命には神様の守りがある。
そして今回、その一個は当たりだった。
◇ ◇ ◇
しばらくして、彼女は大学の学生課を訪れた。
「相談があるんですけど」
「はい。どうされましたか」
「子どもが生まれました」
職員は手元の書類から顔を上げた。
「おめでとうございます。どのようなご相談でしょう」
「授業は続けたいんです。ママさん学生枠を使えますか?」
「使えますよ。学生証をお願いします」
必要な書類が出され、授業時間と利用できる制度について確認が進んだ。休学する必要はなく、子どもを育てながら通学できるようにママさん学生枠が確保された。
「これで大丈夫です」
「ありがとうございます。これで安心してママも学生もできます」
手続きを終えてマンションへ戻ると、ベビーベッドには男の子がいる。未受精卵から生まれた、ZZの息子だった。
ベビーベッドの中で眠っている男の子を見て、彼女はにこにこと笑いながら、その頭をさっとなでた。
第二話 人魚姫
王子は軍人だった。
王位継承者だから宮殿で暮らしているだけの王子ではなく、海軍将校として帆船に乗り組み、航海にも出る。その航海で、船は暖かい海に面した港へ入った。
寄港中の王子が人魚姫を見かけたのは、港に面した水路だった。
デンマークに伝わる有名な人魚姫の物語とは違い、彼女は声を失うこともなく、健康な人魚の姿のまま王子と話していた。腰から下には長い尾があり、水の中を自在に泳いでいた。
長い髪が水面へ広がり、その下には丸みのある胸があり、細い腰ははっきりとくびれていた。肩や腕はすらりとしていて、尾へ続く身体の線はなめらかだった。王子が美しいと思ったのは顔だけではない。水の中で身体全体が動くたび、女性らしい輪郭がそのまま泳ぎの動きになって見えた。
王子は港にいる間、何度も彼女と会った。いつしか王子は人魚の彼女に恋をして、当直中も、食事のときも、寝台に入ってからも、彼女のことを思わない日は一日もなくなっていた。
帆船には当直があり、王子にも将校としての仕事がある。朝から晩まで人魚姫と一緒にいられるわけではなかったが、仕事を終えて時間ができると港へ向かい、人魚姫も王子の船が停泊する岸壁へ来るようになった。
「もうすぐ、この港を離れてしまうのですね」
「明後日の予定です。明日はまだここにいますから、仕事が終わったら会いに来ます」
「ええ。ここで待っています」
限られた寄港期間の中で、二人の距離は急速に縮まり、出航の日が近づくころには、王子も人魚姫も、もう互いに別れることができなくなっていた。人魚姫は王子と一緒に帆船へ乗り、そのまま王子の国へ帰国し、二人は帰国するとすぐに結婚式を挙げた。
◇ ◇ ◇
それから一か月ほどたった。
王子の国の海は、人魚姫が育った海よりかなり冷たかった。
人魚の性別は、人間とは決まり方が違う。人間では男女で性染色体の組み合わせが異なるが、人魚は同じ染色体を持ったまま、暮らす海域の水温によって性が変わる。暖かい海で育った彼女は大きな配偶子、つまり卵を作る雌だったが、王子の国の低い水温で暮らすうちに、小さな配偶子を作る雄へと変わっていた。
王宮に設けられた競泳用プールで、王子と人魚は隣り合ってスタート位置についた。
「今日は負けませんよ」
「この前もそう言っていただろう」
「今日は本当に負けません」
「では、始めよう」
二人は同時に壁を蹴った。
水の中を進む人魚の身体は、暖かい港で王子が初めて見たころとはすっかり違っていた。肩幅は広く、上半身はがっしりとして、腕をかくたびに背中と肩の筋肉が大きく動く。以前はふくらんでいた胸も、細くくびれていた腰の線も、今の身体にはない。太くなった腕が水をつかみ、長い尾が強く水を押すたび、人魚の身体は勢いよく前へ伸びた。
「速い!」
王子も速度を上げた。
二人はほとんど並んだまま反対側の壁へ着き、すぐに折り返した。最後は人魚がわずかに先に手を着いた。
「勝ちました」
「本当に速くなったな」
「もう一回しますか?」
「少し休ませてくれ」
人魚は笑いながらプールから上がった。長い髪は以前のままで、水を含んだ髪が背中へ張りついていた。王子は大きなタオルを取り、人魚のそばへ回ると、その長い髪をやさしく拭いてあげた。




