保健室令嬢の秘密の魔法レッスン ~初恋の幼馴染に見下された私は、王弟殿下に溺愛されながら魔術を極めます~
私、伯爵令嬢アイリス・アーロンには幼馴染がいる。遠戚の公爵令息カーティスだ。同い年の彼とは、小さい頃からよく一緒に遊んだ。努力家で魔法が得意。美しい赤髪に緑の瞳が印象的で、私の憧れ、初恋の人だった。
でも魔法学園入学前に、カーティスと隣国マウントバッテン王国の王女・カトリーナの縁談が決まった。しかもその王女が結婚前に、こちらに留学するとあって、カーティスの実家であるグリーンフィールド家はその準備に大忙し。――私の初恋は儚く散り、カーティスと会うこともなくなった。
カーティスと私は所詮幼馴染だ。初恋は実らないと気を取り直して、魔法学園に入学したはずだった。けれど、私は全く学園に馴染めなかった。
なぜか、少し仲良くなった子がすぐに自分の傍から離れてしまう。どうやら王女・カトリーナとその取り巻きたちが、私の悪口を言いふらしているらしい。
唯一の知り合い、カーティスもかつてのように微笑みかけてはくれなかった。挨拶をしても無視。いつも彼は集団の中心にいて、隣国の王女カトリーナ様と仲が良さそうだった。
いじめは日に日にエスカレートした。通りがかりに地味だの、貧乏貴族だのと罵られるのはまだかわいいもので、教科書を隠されたり、水を掛けられたりもした。決して安くはない学費を払ってくれている両親には申し訳ないが、もう限界だった。
「練習したって大した魔法も使えないし、こんな学園もう辞めたい。」
私は魔法が得意ではない。実家も目立った産業がなく、いわゆる貧乏貴族だ。輿入れの持参金すら期待できない。学園を卒業したって、こんな私の行く先は、どこかの貴族の後妻か。はたまた商家のお飾り夫人か。どちらも抵抗があった。それならいっそ神に仕えた方が良い。
そんなことを考えながら、とぼとぼ図書館に向かって歩いていると、あの目立つ一団がいた。カーティスたちだ。今の彼と顔を合わせたくない。思わず物影に隠れる。
「アイリス嬢のこと、正直どう思っているんだ?昔はよく一緒にいたじゃないか。」
「カトリーナが気にするから、余計なことを言うな。遠戚の子ってだけだよ。」
「それもそうだな。カトリーナ様の言う通り、魔力の才もないのに、この学園に入学するなんて。」
「そうさ。この俺があの地味で能無しに惚れる訳がないだろう。」
「実家もあれじゃ、嫁ぎ先も見つからないだろうし、遠縁なら面倒をみてやれよ、カーティス。お前のことが好きなんだろう彼女。」
「そうだな……。カトリーナが許すなら、愛人として囲ってやってもいい。」
「ははは、さすが公爵令息様だ。」
――地味で能無し、愛人として囲ってやってもいい。
カーティスにそう言われたのは堪えた。昔はお嫁さんにしてくれるって言ってたのに。
でも痛いほど分かっている。私は貧乏伯爵令嬢。見た目だって地味なブルネット、瞳も真っ黒。蝶よ花よと育てられた華やかな王女様と比べ物になるはずがない。
心の奥底まで真っ黒になって、彼のことを思っていた自分に対しても猛烈な怒りがこみ上げた。そして怒りと共に、不思議な感覚が全身を駆け巡った。自分の激情に呼応するように魔力があふれ出す。まるでタガが外れたように。
「え、何これおかしい……。え?どうしよう。止まらない。」
今まで魔力無しと罵られるほど、小さな魔力しかなかったのに。一体自分のどこにこんな魔力が隠れていたんだろう。膨大な魔力が全身を駆け巡る。とにかく何とか、抑え込まなければ。だけど、焦れば焦るほど魔力の制御ができない。やがて意識は遠のいていった。
***
重い瞼をこじ開けると、私は保健室のベッドに横たわっていた。
「――気がつきましたか?アーロン伯爵令嬢。」
声の主は白衣をまとったエイデン先生。保健室の養護教員だ。
「先生……。私どうしちゃったんですか?」
「ああ、もう大変だったんですよ。君の魔力が暴走して。」
「――魔力が暴走?」
まさかと思ったけど、本当に魔力を暴走させてしまったのか。
子どものうちは自分の魔力を上手く操れない子がいて、暴走させてしまうこともある。でもそれはおねしょみたいなもので、年齢と共に落ち着いていくのが普通だ。
この歳になって、しかも学園で魔力暴走なんて。とんだ赤っ恥だ。
「私、物とか壊しませんでした?」
「すぐ近くにあった木が一本丸焦げになりましたけど、それ以外は簡単な魔法で修繕済みです。」
「す、すみません。本当にごめんなさい。」
「謝らなくていいですよ。誰も怪我をしませんでしたし、君も元気そうですから。ただ申し訳ないですが、しばらくは私の管理下に置かせてもらいます。保健室に登校してください。教室で魔力を暴発させたら、困りますからね。」
「――お恥ずかしい限りですが、よろしくお願いします。」
「アーロン伯爵令嬢。別に恥ずかしいことではないですよ。稀ですが思春期に急に扱える魔力量が増える人がいるんです。」
「え、私の魔力が増えたんですか!?私、魔力は一生、同じなのかと思っていました。」
「総量という意味ではその認識で合っています。でももう少し丁寧に言うと、持っている魔力の総量は変わらないけど、使える魔力の量が増えたんです。眠っていた力が目覚めるようにね。つまり今日君は、いきなり使える魔力量が増えたから、その力を暴走させてしまった。ただそれだけのことです。落ち着いたら、魔力の再測定もしましょう。あの規模の暴走ですからね。きっとすごい結果になりますよ。ふふ。」
さっきまでの恥ずかしさが消え去って、うれしくなった。今まで他の貴族の子息より魔力が少なくて、魔力無しとまで馬鹿にされたのに。私にもちゃんと魔力があったんだ。
ふと金髪で眼鏡の青年が、カーテンの隙間からこちらを凝視しているのに気づいた。見たことがない顔だった。
「……あの魔力暴走すごかったね。びっくりしたよ。でも僕も似たようなものだから安心して。これからよろしく。」
「あの方は?」
「彼は王弟のレイ殿下です。あなたと同じように魔力が上手くコントロールできないので、こちらに通ってもらっています。」
レイ殿下か。私も一応貴族令嬢の端くれとして、その名前を聞いたことがある。確か先王の側妃が産んだ子で、異母兄である現王とは二十歳近く年が離れている。私の一つ年上だが、病弱で学園にもまともに通えていないと聞いた。お姿を見るのはこれが初めてだ。
「アイリス・アーロンと申します。どうぞ、アイリスとお呼びください。こちらこそよろしくお願いします。」
深々と頭を下げると、眼鏡の奥の青空のような瞳が楽しそうに弧を描いた。
ベッドから起き上がると、窓から夕陽が差し込んでいた。随分長く寝ていたようだ。
「今日は私が家まで送ります。あなたのご両親にもこの状況を説明しないといけませんからね。」
「はい、エイデン先生ありがとうございます。」
「エイデン卿、僕も行く。その方が話が早いだろう?」
「確かに、それもそうですね。」
「え、レイ殿下もうちに来られるんですか!?」
たまたま両親ともに王都にいるが、いきなり王族を招いて、まともなおもてなしができる家ではない。なんと言って断ろうかと考えていると、それを察したレイ殿下が笑いながら言った。
「気にしなくていいよ。僕は王族と言っても末端も末端だから。君の学友として紹介してもらえれば良いから。」
「と、言われましても……。」
「とにかく行こう。君のご両親も魔力暴走の知らせを受けて心配しているはずだ。」
「分かりました。」
最後は、レイ殿下に押し切られる形で、三人で我がタウンハウスに向かうことになった。廊下を一緒に歩くレイ殿下は、至ってお元気そう。魔力暴走というと外聞が悪いから、病弱と噂を流して、保健室に登校しているらしい。
「ア、アイリス、大丈夫だったか?」
校門付近で、思わぬ人物が心配そうに駆け寄ってきた。――カーティスだ。まるで仲が良かったころみたい。昨日までの自分なら、無邪気に喜んだかも知れない。でも今は彼の本音を知っている。
「これはこれは、グリーンフィールド小公爵。私はこの通り、怪我もなく、体調も問題ございません。ご心配ありがとうございます。」
恐ろしく低い声が出た。狼狽えたようにカーティスがこちらを見た。
「……ど、どうしたんだ、アイリス?君と俺の仲だろう?随分と他人行儀だな。」
「そんな他人様の、しかも隣国の王女様の婚約者に馴れ馴れしくはできないですよ。あと、私はあなたの愛人にはなりませんから。それならばいっそ修道院に入り、神に仕えます。」
「まさかさっきの会話を聞いていたのか……?ご、誤解だ。アイリス。」
「どこが誤解なんでしょうか?私は疲れているんです。帰らせてください。」
「……アーロン伯爵令嬢、実はグリーンフィールド小公爵が君を保健室まで運んでくれたんだ。」
エイデン先生が、少し申し訳なさそうにカーティスのフォローを入れた。
「あら、そうでしたの。放っておいてくださればよかったのに。」
「グリーンフィールド小公爵、二度とこういうことはしないで欲しい。魔力暴走は意図せず人を傷つける。君は死んでいたかもしれないんだよ。では失礼する。早く彼女をご実家に送り届け、事情を説明しなければならないんだ。」
エイデン先生が優しくカーティスから引きはがした。
「なぜ、レイ殿下がご一緒なんですか?」
「やあカーティス、久しぶりだね。やっと『いい子』が見つかったから、僕もアイリス嬢のご両親に挨拶しておこうかと思って。」
カーティスの表情がひきつり、レイ殿下を睨みつけた。でも目上の彼に何も言えないのか、カーティスは押し黙った。
帰りの馬車ではレイ殿下から根掘り葉掘り質問攻めにあった。仕方がないので、全て包み隠さず話した。
――実家が貧乏伯爵家であること
――学校で無能令嬢と馬鹿にされていること
――カーティスは遠戚で仲が良かったが、彼に婚約者ができて、すっかり距離が生まれてしまったこと
「……彼は私の初恋の人ですし、仲良しだと思っていたんですけどね。まあ、もともと小公爵と伯爵令嬢ですから、幼馴染と思っていたのがおこがましいんですよ、きっと。」
「そうか。じゃあ、今の君とは『無関係』ってことだね。そうと分かれば、話が早い。」
「……は、はい。」
短い時間のはずなのに、緊張で心臓がバクバクいって今にも張り裂けそう。こっちは、また魔力が暴走するんじゃないかとハラハラしているのに、エイデン先生は何故か隣で終始ニコニコしていた。
案の定アーロン伯爵家は、学校で倒れた娘が、王族を連れて帰ってきたということで大騒ぎだった。まずは殿下たちを客間にお通しする。母に廊下に連れ出された。
「アイリス。あなたいつの間に王族と知り合いになったの?一言も言ってなかったじゃない。」
「今日たまたま彼も保健室にいたんです。向こうからお邪魔したいと言われたら、断れないじゃないですか。」
「それはそうだけど……。とにかく失礼のないようにしないと。うちは貴族と言っても吹けば飛ぶような伯爵家なんだから。」
「分かっています。」
まずは殿下たちに、最近自領で栽培を始めた茶葉で作った紅茶を出す。栽培自体は順調だ。後は売り出し方の問題。うちの領に特産ができれば、貴族社会での立ち位置も変わってくるはずだ。
「おいしい紅茶だね。ありがとう。」
「自領で採れたものですの。いずれは大きな産業に繋げられればいいんですけどね。」
「殿下、それにアーロン伯爵家の皆様。あまり長居する訳にもいかないので、早速本題に入ってもよろしいでしょうか?」
エイデン先生が切り出す。
「もちろんです。この度は娘がとんだご迷惑をおかけしました。小さい頃も魔力暴走なんて起こしたことはなかったのに。」
「迷惑なんてことはないですよ。実は私、殿下をサポートをするため、養護教員として学園に勤務していますが、本来の専門は魔力動態とその制御でしてね。」
エイデン先生が先程、保健室で私にした説明と同じ話を始める。思春期になって扱える魔力量が増えて、それが暴走して――。
「そして、ここからが本題です。通常、魔力の解放は段階を追って進みます。つまり、今日、娘さんのすべての魔力が解放された訳ではない。」
ごくりと息を呑む。あれで、まだ全部じゃないなんて。
「今回の暴走ですら、建物を一棟飛ばしかねない勢いでした。ここから推定される魔力総量はとんでもないものです。この大きな魔力を扱うためには、器としての力も磨かなければなりません。」
「建物をですか……?」
両親は魔力暴走と言っても子どもが起こす小規模なものを想像していたのだろう。声色が変わった。
「こちらにおられるレイ殿下も生まれつき魔力が極めて高く、それ故に制御が難しい方です。そして娘さんの魔力はそれを凌駕する可能性すらある。次の魔力解放で今日と同じように魔力を暴発させた場合、大惨事につながる可能性があります。」
「――私たちはどうすれば?」
「ご安心ください。魔力が制御できるまで、レイ殿下の住まわれている王宮の離宮に居を移してもらいます。王宮には私以外にも専門の魔法研究員がおりますし、生まれつき魔力が不安定な殿下のために、万全の態勢が敷かれています。」
「学園にはそのまま通わせて頂けるのでしょうか?」
「学園の教育水準は、諸外国の魔法教育と比べても、極めて高いものです。先王陛下もレイ殿下に、ぜひ学園で学んで欲しいとおっしゃり、現在の保健室登校の態勢を整えました。アイリス嬢にも他の生徒と別れて保健室で授業を受けて頂きます。実は保健室には何重にも防護魔法がかけられているのです。それにいざとなったら私が対応します。」
「お申し出ありがとうございます。しかしながら、うちは伯爵家と言っても、娘の教育に十分なお金をかけられない家なんです。もう学費だけで手いっぱいで、特別授業に出せるお金なんて……。」
事実だ。母が申し訳なさそうに伝える。
「お金のことは気になさらないでください。魔力制御に関する研究に協力して頂けるのなら、学費、生活費の全てをこちらで負担します。」
「え、学費、生活費を全てですか!?……失礼ですが、うちの娘に何をさせる気ですか?」
「研究協力と言っても、殿下にもご協力頂いていることなので、危険なことは一切ないです。むしろ娘さんの役に立つと思います。」
「はい。」
両親も私も困惑しきりだ。レイ殿下が呆れたように言った。
「エイデン卿は回りくどいな。そんなもん、ここに置いておくと死人が出るから王宮で預かるでいいだろう。」
「殿下、説明は大事ですよ。伯爵夫妻、アイリス嬢、他に何かご質問はありますか?」
私は恐る恐る手を上げた。
「あの私からも、一つ質問いいですか?私はいつごろまでその……離宮に住めばいいのでしょうか?」
「いい質問ですね。実は殿下のご協力でだいぶ高魔力の制御法について確立されてきました。ですのであなたがそれを身につけるまで……そうですね。もしかすると年単位になるかも知れませんね。でも、もし王宮暮らしがお好みなら、いつまで居て頂いても構いません。とても貴重な研究材料、いえ人材ですから。」
研究材料か……。でも無能令嬢、魔力暴走令嬢であり続けるよりは良い気がした。
「分かりました。私に選択権はないのですよね?父上、母上、私、王宮に発ちます。」
「……ア、アイリス。それでいいのかい?」
「はい。」
「お前がそう言うなら分かった。私たちもたまに王宮に顔を出すから。」
「では、決まりですね。アイリス嬢。まずはこれを。一時的に魔力を抑える薬です。身体に負担があるので、本当はあまり使いたくはないのですが……。一晩ならこれで魔力を抑えつけることができるでしょう。明日、王宮から迎えが参りますので、それまでに身支度をお願いします。」
「はい。」
殿下たちが帰った後、慌てて荷物をまとめ、必要なものだけを鞄に詰める。
「あ、これ……。」
昔、カーティスに誕生日にもらった白百合を模した髪飾り。自分の黒い髪にも映えるから宝物だった。でも学園に入学してから一度も使っていない。
「もう、いらないわね。」
少しもったいない気もしたけれど、暖炉に投げた。
――そしてこの日を境に、私の学園生活は180度反転した。
王宮に着くと、まず手始めに魔法研究員たちから"尋問"を受けた。
「つまり、初恋のグリーンフィールド公爵令息に『愛人として囲ってやってもいい』と言われたのがショックで魔力が暴走したと。」
鼻息荒く研究員が言う。
「ええ、そうです。で、でも恥ずかしいので、何度も大声で復唱しないでください。」
「すみません。つい熱くなりすぎて。おそらく強い感情の発露が開きかけていた魔力の箱を押し開けたのでしょう。なにか前兆……例えば魔力絡みのトラブルはありませんでしたか?」
「魔力絡みですか?特に。貴族令嬢にしては魔力が少ないと周りをがっかりさせたくらいです。」
「魔法を使う時に体調が悪くなったとか、魔力の制御が乱れたとか。」
「一切ないですね。」
一連の"取り調べ"が終わると、私の話を元に、エイデン先生が私に合ったプログラムを組んでくれた。まずは先生と手をつなぎ、魔力が流れる回路を意識する。そして魔力を一点に集中させて魔法に変換する。
一見簡単そうなのに、魔力がまるで自分のものじゃないみたいに、途中で暴発したり、上手く魔法にならなかったり、慣れるまでは本当に大変だった。しかもやっとその扱いを覚えても、魔力が増えるとまたその感覚が変わってしまう。三歩進んで二歩下がる。そんな毎日だった。
「焦らなくていいよ、僕だって、まだ完全にコントロールできていないし。今は魔力回路だけに集中して。そのうち無意識でもできるようになるから。」
「はい。」
レイ殿下は魔力暴走の先輩として、たくさんアドバイスをくれた。
全魔力が解放され、それを上手く制御できるようになると、今まで考えられなかった規模の魔法――広範囲の攻撃魔法や精霊召喚、さらには転移魔法を次々に習得した。再測定した魔力量も当代随一と呼ばれるレイ殿下に次ぐもので、エイデン先生やレイ殿下が手放しに褒めてくれた。
「すごいよ、アイリス!君は本当に努力家だね。こんな短期に魔力制御を習得するなんて。」
「いえ、レイ殿下や魔法研究員の皆様のおかげです。」
レイ殿下がよしよしと頭をなでてくれる。こんな幸せあっていいんだろうか。
王宮での暮らしも快適だった。料理はおいしいし、頑張っているご褒美だと言ってドレスやアクセサリーも殿下がたくさん用意してくれる。
学園も保健室に直行するので、カーティスやカトリーナと顔を合わせなくていい。先生たちも、殿下と一緒だからか、とても丁寧に教えてくれる。高難度の魔法を練習するのに、校庭や講堂を貸し切りにしてもらえるのも、ありがたかった。
そして、この王宮と保健室を行き来する生活の中で、私に新たな目標が生まれた。学園卒業後、王立魔法研究所の所長になるレイ殿下を傍で支え、この恩に報いたい。魔法研究員になりたい。
でも、魔法研究員はこの国のエリート職だ。選ばれるためには、魔法以外にも難しい試験を突破しないといけない。だから私も、レイ殿下が受ける特別な授業を一緒に受けさせてもらうようにした。
保健室では、政治に経済、外国語の勉強、王宮に戻れば、マナーにダンス、果ては楽器演奏、絵画まで。一日のほとんどを何らかのレッスンに追われるようになった。
「何かを学ぶって大変ですけど、楽しいですね。うちは貧乏で、貴族として必要最低限の教育しか受けてこなかったので、とってもとってもありがたいです。」
「よく頑張っているね。スポンジのように吸収がいいと講師陣も感心している。僕も一人で授業を受けても張り合いがなかったから、君がいてくれるのはうれしいんだ。」
そう言ってもらえると、俄然やる気が出る。
「本当ですか!?私、さらに精進します。」
「ああ。分からないところは、何でも僕に聞いてくれ。」
こうして私は魔力が安定した後も、王宮に住み、保健室に通い続けた。
***
レイ殿下は普段、問題なく魔法を操るのだが、その繊細な性格故か、なかなか完全な魔力制御が難しく、今でも感情が昂るとその制御に乱れが出る。
それでも学園に入学してから、大きな魔力暴走を起こしたことはないが、本人の希望もあり、結局卒業まで他の生徒に交じって授業を受けることはなかった。つまり、彼の学友は私だけということになる。
「――今、ちょっといいか?大事な話がある。」
「レイ殿下、どうなさいました?」
殿下の卒業が迫ったある日、私は王宮で彼の私室に呼び出された。
「君は前に、魔法研究員になって僕らの恩に報いたいと言ったね。」
「はい!あの魔力を暴走させた日、私は人生のどん底にいました。それを救ってくださったのが殿下とエイデン先生たちです。魔法研究員になれた暁には、私の生涯を捧げ、殿下にお仕えします。」
「ありがとう、アイリス。それで相談というのはね、君には魔法研究員としてではなく、別の形で僕を支えてもらいたいんだ。」
「別の形ですか?」
この国で、男性王族の側仕えは男性の役割だ。別の形とはなんだろう?レイ殿下が柔らかく微笑む。
「……僕の妃になって欲しい。」
「私が殿下に嫁ぐのですか!?」
「いやか?」
「いえ、決してそんなことはないです。ただ今まで考えたこともなくて、恐れ多いのです。」
思えば、王族には幼いころから決められた婚約者がいるのが普通なのに、殿下にはそれがいない。
「実はね。僕の母は、僕を産んで亡くなった。僕が大きな魔力を持ち過ぎていたせいだ。僕の子も大きな魔力を持つ可能性がある。そうなると妃選びは慎重にならざるを得ない。」
一拍おいて殿下が続ける。
「エイデン卿の話では、この国に僕の魔力と釣り合う令嬢はいなかった。だから、君の魔力が覚醒した時は本当に奇跡だと思ったよ。そしてあっという間に王弟妃として十分な教養を身につけた。」
「身に余るお言葉です。」
「でもそれ以上に、僕は初めて会った時から、アイリス、君の全てがかわいくてかわいくて仕方ないんだ。それが結婚を申し込む一番の理由かな。」
意外なことを言われて思わず目をぱちくりさせた。
「そんな訳ないって顔しているね。その顔もかわいいよ。誰に言われたのか知らないけど、黒髪に黒い瞳だから地味なんてことはない。艶やかな黒髪、透きとおるような白い肌、薔薇の花びらみたいな唇、どこをとっても美しい。」
憧れていた殿下にそんなことを言われて、胸が高鳴る。
「ありがとうございます、レイ殿下。求婚お受けいたします。不束者ですが、よろしくお願いします。」
「……実はね、今日この話をしたのには訳があるんだ。数年前に退位した先王、わが父の体調がいよいよ芳しくない。もって一週間と侍医に言われた。父上には心配をかけたから、せめて生きているうちに婚約者の顔を見せたい。」
「分かりました。」
「正式な婚約発表は父の喪が明けてからになるが良いか?」
「もちろんです。」
翌日レイ殿下は、私の実家に求婚を申し出、挨拶を済ませた。私が王宮に住み始めた時はとても心配そうだった両親も、突然のことに驚きつつ祝福してくれた。
その足で先王の見舞いに出向く。王宮の奥の一室、静かな部屋だった。
「父上、体調はいかがですか?」
「よく来たな。レイ。体調は……お前の顔を見て少し良くなった。隣の令嬢は?」
「今日は卒業の報告と、婚約の許可を得に参りました。こちらの女性は、アイリス・アーロン伯爵令嬢です。」
「ただいま、ご紹介に預かりました。アイリス・アーロンです。」
「利発そうな子じゃ。ようやく、お前も運命の女性に出会えたか。レイをよろしく頼む。最期にいい報告をありがとう。」
「父上、最期だなんて……。また伺います。」
「ワシの身体のことは自分が一番よく分かっておる。もう長くない。互いに助け合って添い遂げるのじゃぞ。」
私たちが挨拶を済ませた晩、先王の容態は悪化し、そのまま息を引き取った。
婚約発表は、レイ殿下に言われた通り、先王の喪中を考慮し、私の卒業を待つことになった。私は妃教育のため、そのまま王宮に住み続けることになったが、レイ殿下が公の場に姿を見せないせいか、私たちの婚約は周りに知られず、私の日常も大きく変わることはなかった。
ただ殿下が卒業してから、私は保健室登校をやめた。魔力制御は完璧だとエイデン先生からお墨付きを得ているし、私だけのために学園の講師たちを保健室に呼んで特別授業をしてもらうのは悪いと思った。
久しぶりの教室は、不思議な感覚だった。
私はこの二年で変わった。見た目はレイ殿下が用意してくれた専属侍女が毎日磨きあげてくれるし、魔法だって以前と違って巧みに扱える。けれど不思議なもので、プライドの高い貴族の子弟はその事実を認めたがらない。だから保健室令嬢と笑いながらも、どこか遠巻きで、どこか腫れ物に触るような、そんな空気感があった。――彼らの記憶にある地味で無能な私はもうどこにもいないのに。
「今日の授業は精霊召喚です。それぞれ契約した精霊を呼び出し、ペアを組んだ相手と、召喚した精霊を使役して戦闘させなさい。ではまずペアを組んで。」
私は炎の最高位精霊フェニクスとの契約に成功している。だから私に見合うペアは、この中にはいない。講師もそれを知っているから、私だけ見学になった。校庭の端のベンチに腰掛け、他の学友たちの様子を眺める。
「あら、やっと授業に出るようになったと思ったら、またサボリ?」
「アイリス様だけ見学というのは、精霊との契約がお済みではないのかしら?」
「精霊と契約できないなんて。体たらくにもほどがあるわ。だって魔法の基本中の基本じゃない。」
銀髪に紫色の瞳の令嬢とその取り巻きが話しかけてきた。紫の瞳は、隣国・マウントバッテンの王族の証。カトリーナ様だ。
「何の御用でしょう?カトリーナ様。」
「能力がないだけなら分かるけど、やる気がないのはこの学園の生徒としてどうかと思って。授業を受ける気がないなら、退学なさい。本当に目障りよ。」
「精霊を召喚するなというのは、先生の指示ですが。」
「何その生意気な目?いいわ、私が思い知らせてあげる。カトリーナ・マウントバッテンの名のもと、精霊を召喚する。出でよ、シルフ。」
風の高位精霊が召喚され、いくつものかまいたちが勢いよく、私に向かって放たれる。まずい。不意打ちだったから、簡単な防護壁しか構築できない。
けれど、いとも容易く全ての攻撃を弾くことができた。シルフは高位精霊だ。本来の力はこんなものではないはず。おそらくカトリーナとはまだ仮契約で、シルフの力を存分に活かしきれていないのだろう。
「カトリーナ、やめろ!」
カーティスが止めに入った。
「カーティス、あなたは黙ってなさい。あなたが執心のご令嬢がいるって聞いて、どんな娘かと思ったら、とんだ無能よね。」
取り巻きたちが同調する。先生も騒ぎを聞きつけてやってきた。
「先生、私に精霊召喚の許可を。」
「怪我人が出るからダメです。カトリーナ様もおやめください。あなたたち、指示に従わなければ処分対象ですよ。」
「私は王女よ。あなたに処分できるとでも思っているの?」
「……戦況が芳しくないと噂の、マウントバッテンの王女様ですね。」
この二年でカトリーナを取り巻く環境も大きく変わった。それを指摘すると、彼女は大きく眉間にしわを寄せて叫んだ。
「あなた!!いい加減になさい。シルフ、コイツを叩きつぶして。」
「もうやめなさいと言っているでしょ!」
先生が叫び、防御壁を張るが、シルフが先にこちらに襲い掛かろうとした。私は告げた。
「――シルフよ、アイリス・アーロンの名のもと、お前に告ぐ。直ちにカトリーナ・マウントバッテンとの仮契約を終了し、私、アイリス・アーロンと契約せよ。」
シルフは私を襲うのをやめ、私が差し出した手の甲に口づけを落とした。――これこそ本契約の証だ。
「……う、うそでしょ。私はずっと本契約できなかったのに。」
「精霊だって魔力量をみて主人を選ぶんですよ、カトリーナ様。」
「……ひどい、ひどすぎる。人の精霊を横取りするなんて!シルフは本国から一緒に連れて来た私の親友だったのよ!!」
言葉は強気だが、さっきまで勢いはない。涙目で、シルフと私を見つめている。
「仮契約のまま使役するからでしょ。その言葉をそっくりそのままカトリーナ様にお返しします。」
カトリーナは成すすべなく泣き出した。王女とは名ばかりの幼稚な人だ。
「アイリス嬢、精霊を召喚してはならないと、あれほど!」
「先生の指示には従いました。私はフェニクスを召喚していません。既に召喚されていた精霊と新たに契約を結んだだけです。それに私に指示を出すのであれば、最低限私の身の安全を守ってください。」
私の使役精霊がフェニクスと聞いて、周りの生徒たちがざわめく。
「……とにかくこの件は、私から校長にお伝えします。皆さん、今日の授業は中止です。自習にしてください。」
先生は頭を抱えながら言った。ああ最悪だ。今、みんなと一緒に教室に戻ったらなんて言われるか分からない。私はエイデン先生に話を聞いてもらいたくて、足早に保健室に向かった。
「おい、待て。アイリス。」
なぜかカーティスが追いかけてきた。
「なんであんな真似をした?また君の評判が悪くなるだろう。」
「あら、グリーンフィールド小公爵、ごきげんよう。遠戚の私の評判が落ちれば、あなたにも迷惑がかかりますものね。ご忠告ありがとうございます。」
「違う。そういうことを言っているんじゃない。彼女は曲がりなりにも王女だ。あまり言いたくはないが、今まで君の良くない噂をあることないこと流し続けたのは、彼女とその取り巻きだ。報復に何をされるか分からないぞ。」
「マウントバッテン王国が皇国との戦争でいよいよ降伏寸前なんて、外国語が少し読めれば分かる話です。もうすぐ滅びる国の王女にどれほどの価値があるか、付き合う意味があるのか、あの取り巻きの令嬢たちこそ、よく分かっているんじゃないですか?私に構うより、婚約者の心配をしたらどうですか?」
「俺は今、君の心配をしているんだ。」
「では、言い方を改めます。あの方はあなたの婚約者です。あなたが責任をもってこの国のルールを教えてあげてください。授業中に先生の指示を無視して攻撃を仕掛けるなんて言語道断です。」
「君を危険な目に遭わせて、すまなかった。もちろん彼女には強く言っておく。」
「そういえば、グリーンフィールド公爵がうちにまで援助を頼んできたって両親が驚いてましたよ。一体総額いくらマウントバッテンにむしり取られたんですか?もともと王族に来ていた縁談を、隣国と縁づきたいグリーンフィールド公爵が横取りしたそうですから、経済支援も断れないんでしょうけど。」
「……君には関係ない話だ。それにじきに彼女との縁は切れる。」
「もしかして利用価値が無くなったから、お払い箱ですか。いかにもグリーンフィールド家らしい判断ですね。」
「違う!!俺はあんな女のこと、一度も好いたことはない。あの忌々しい婚約が破棄されたら、今度こそ君に……。」
カーティスの声をかき消すように、後ろから、快活な声が聞こえた。
「あーいたいた、アイリス嬢。随分派手にやってくれたみたいですね。」
エイデン先生だ。
「エイデン先生!でも攻撃されているのに、精霊を召喚するなって言われたら、ああするしかないじゃないですか。そうだ!先生とお話したいので、これから保健室にお邪魔してもいいですか。」
「もちろん。レイ殿下も一仕事を終えたら、こちらに向かわれると。」
「では、グリーンフィールド小公爵、失礼します。」
「まだ話の途中だ。待てアイリス。」
カーティスの呼ぶ声を無視し、今度は振り返らなかった。
保健室では、エイデン先生が気分も魔力も落ち着くお茶を淹れてくれた。
「あ、おいしいです。これ先生のオリジナルブレンドなんですよね?」
「ええ。良かったら今度レシピを教えますよ。」
「実は自領の茶葉の売り方に悩んでおりまして、先生のブレンドを商品化できないでしょうか?」
「面白いですね。ぜひ一度ご両親、アーロン伯爵夫妻にもお会いして、ご相談したいです。」
エイデン先生とお茶の話で盛り上がっていると、転移陣が開き、慌てた様子のレイ殿下が現れた。
「アイリス、大丈夫だったか?」
「レイ様!結果的に風の高位精霊と契約できたので、私としては良かったですけど。」
「これから校長と担当教官に会ってくる。君を危ない目に遭わせるなんて絶対に許せない。」
レイ殿下からの抗議を受け、校長は責任者である実技講師を解雇した。さらに授業中、教師の指示を聞かず、他の生徒を攻撃したということで、カトリーナにも無期限の停学処分が下った。
精霊事件の後、カトリーナの取り巻きたちは彼女のことを口にしなくなった。そして私のことを意図的に避ける雰囲気もなくなり、新しい友達もできた。
「アイリス様!遂に国のマウントバッテンへの支援が打ち切りになりましたわね。首都も陥落寸前ですわ。」
学友の一人がうれしそうに話す。実は彼女、うっかり実習でカーティスと話したことがきっかけで、カトリーナに虐げられていた。精霊事件でスカっとしたと満足げに言われ、すぐに仲良くなった。
「ええ。今日の新聞の一面に載ってましたわね。」
「この前、父が王宮に顔を出した時に聞いてきたんですけど、実はあの精霊事件が、打ち切りの一番の理由なんですって。留学中の王女が、先生の指示を無視して、貴族令嬢を攻撃したんだから、然るべき対応ですわね。」
内密だが王家からマウントバッテン側には、カトリーナが王族の婚約者を襲撃したと伝えられた。だから向こうはそれはもう平謝りだった。この件でカトリーナはグリーンフィールド家からも不興を買った。
「いい気味だけど、カトリーナ様ったら、今後どうするのかしらね。公爵家との婚約の話もなくなりそうって聞きましたわ。」
「私たちが知ったことではないわ。だって自業自得ですもの。」
「うふふ。アイリス様の言う通りね。」
卒業を前にマウントバッテンは滅び、その領土は皇国のものとなった。カーティスとカトリーナの婚約も破棄、彼女は停学後一度も登校せず学園を自主退学した。皇国に引き渡せば、カトリーナは打ち首だが、王家の温情で辺境の修道院に送られた。
カトリーナとの婚約が破棄されてからというもの、カーティスは私に付きまとうようになった。私とレイ殿下の婚約は正式な発表前だが、あの事件をきっかけに、グリーンフィールド家やカーティスの耳には入っているはずだ。
なのに今さら「君のことをずっと思っていた」「愛している」「どうか考え直してほしい」と話しかけてくる。もう心に響く訳がないのに、どうして分かってくれないのか。
そんな話をしたせいか、普段人前に出たがらないレイ殿下が卒業パーティーのエスコートをしてくれると約束してくれた。
「自分の卒業式にも出なかったのに、君の卒業パーティーに出るなんて不思議な気分だよ。」
「本当に大丈夫なんですか?難しければ、一人で参加します。」
「いや、僕が行きたいんだ。せっかくの君の晴れ舞台だし。それに表に全く顔を出さないのも、王族としての責務を十分に果たせていない気がして、これからはこういう場にもっと慣れていこうと思う。アイリスも付き合ってくれるかい?」
「うれしいです。レイ様、よろしくお願いします。」
殿下から贈られた卒業パーティー用の青いドレスは大人っぽくて上品でとても素敵なデザインだった。
――卒業式当日
王家の礼服を着たレイ殿下にエスコートされる私を見て、卒業生たちがざわめく。カトリーナのかつての取り巻きたちはどこかやりづらそうな顔をしているし、カーティスは捨てられた仔犬のような顔でこちらを見つめていた。
婚約者らしく二曲連続でダンスを舞い終えると、申し訳なさそうにレイ殿下が言った。
「アイリス、きれいだったよ。すまないが少し人に酔って、魔力が落ち着かない。エイデン卿に薬をもらってくる。」
「殿下どうかご無理をなさらずに。」
私も少し夜風にあたるか。そう思ってバルコニーに出ると、一番話したくない人が近づいてきた。
「まさかとは思ったけど、アイリスがレイ殿下と婚約したって本当だったんだね。」
「ええ。そうですけど、あなたには関係のないことです。グリーンフィールド小公爵。」
「――悪いことは言わない。あの男だけはやめておけ。」
「他人の縁談に口を挟まないでください。」
「アイリス!君はアイツが何人、人を殺したのか知っているのか?」
事あるごとに、魔法研究員たちが死人死人というから、薄々は勘づいてはいた。殿下の魔力暴走で命を落としたのが、彼の母親だけではないことを。
「まずアイツは生みの親を殺した。それに乳母を三人。侍従も入れたらもっとだ。俺は直接この目で見た。自分の魔力暴走で誰かが死んでもアイツは無表情だった。――あの男は、生まれながらにバケモノなんだよ。」
「私は自分が見たもの聞いたものだけを信じます。殿下は優しく、誠実な方です。あなたとは違って。」
「俺だって君と結ばれたかった。でも……君は引っ込み思案で、社交が必要とされる公爵家の嫁に向いてないと、両親に言われた。それでカトリーナ様との婚約を勧められて、受け入れるしかなかった。愛人という立場なら、君は公爵夫人としての責任を負う必要がない。気兼ねなく君を愛すことができると思った。でもそうこうしているうちに、カトリーナが君のことを敵視し始めて、彼女の気を逸らすために、君に冷たくした。」
「随分と身勝手ですね。」
「違う。全部君のためを思ってのことだ。今だって……バケモノに殺されるお前を見たくない。」
殿下のことを悪く言われるのは、自分のことを悪く言われるより腹が立った。だから、思いっきり平手打ちにしようと手を挙げた。
「アイリス、よせ。」
振り向くと、私の振り上げた手をレイ殿下が掴んでいた。
「カーティス、その節は申し訳なかった。せっかく茶会に集まってもらったのに、ろくなもてなしもできず、魔力を暴走させてしまった。――でも僕は人が死んで心が痛まない人間ではないよ。君はそういう経験をしていないから分からないかも知れないけど、本当にショックなことが起きると、人間はうまく感情を外に出せなくなるんだ。」
「どうして、どうしてよりによって、アイリスをなんだよ!魔力量か?アイリスの魔力が急に増えたからか?」
「初めはそれもあった。でも今は違う。彼女は僕にとっての唯一無二だ。」
「俺が先に好きだったのに……。」
「レイ様、行きましょう。グリーンフィールド小公爵、昔は私もあなたのことが好きだった。けれど、あなたが私を『愛人として囲ってやってもいい』と言ったあの日、全てが変わったの。今はあなたのことが大嫌い。もう二度と私に話しかけてこないで。」
そのままレイ殿下に手を握り、会場には戻らず、中庭に移動した。ここからは殿下と一緒に学んだ保健室が見える。
「アイリス、さっきカーティスの言っていた話は残念ながら本当だ。僕は僕と関わった人間をたくさん不幸にし、あの離宮に閉じ込められた。」
「でも、殿下は人の痛みが分かる人間です。グリーンフィールド小公爵がいうようなバケモノではありません。」
「ある程度、魔力は制御できるようになったけど、それでも今日君を見つめる男子生徒らの視線に苛立ち、また魔力が乱れてしまった。今後君を傷つけることがあるんじゃないかと思うと怖くてたまらない。」
「レイ様……。」
「あの男の言う通り、僕から離れた方が君は幸せな人生を歩めるかも知れない。でも、君という存在を知ってしまった今、絶対に手放したくないんだ。」
「慣れないことをすれば、誰だって緊張しますし、魔力だって乱れますよ。それに今度魔力が暴走しそうになったら、私が全力で止めるのでご安心ください。私そんなに柔じゃないです。」
「アイリス……。」
「レイ様は一人じゃありません。エイデン先生や魔法研究員たちだっています。もう一人で抱え込むことはないんです。」
「ありがとう、本当に愛している。アイリス。」
私たちはそのまま初めての口づけを交わした。
保健室の薄明かりが見える。人は私を『保健室令嬢』と馬鹿にしたけれど、恋も魔法も、あそこからすべてが始まった。彼の孤独も、私の痛みも、二人なら乗り越えていける気がした。
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