第五話 不動産と株式
レシートは、私の枕元に置いた。
紙は軽い。けれど“会計内容”が刻まれた紙は、商会の帳簿と同じ重さを持つ。
優は机に突っ伏したまま、スマホを指で転がしていた。
昼食の包み紙が小さく山になっている。片付けたくなる。けれど今は、言葉の方が先だ。
「……優さん」
「んー……」
「もう一つだけ、教えてください」
優の肩がぴくりと動く。嫌な予感がしたときの反応だ。
「……“もう一つだけ”って言いながら増えるやつだろ」
「今回は本当に一つです」
「信用ならねえ……」
私は帽子のつばを押さえ、机の上のメモに視線を落とした。
インフレ、デフレ、財政出動、国債、金利、税金。
仕組みは見えた。次は——私が金を増やす手段だ。
「この世界で、人はどうやって“金を増やす”のですか」
優が顔を上げた。目が少し冴える。
その冴え方が、嫌な種類の冴え方だ。
「……増やす、ね」
「商会では、仕入れて売る。船を出す。店を増やす。貸付をする。土地を持つ。そういうものです」
「まあ……こっちも似てるよ。商売もあるし、あと“金融商品”ってのがある」
「金融……商品」
「金の価値に頼らず価値を維持することがしやすい物。
代表が、不動産と株」
不動産、株。
どちらも聞いたことがない。けれど“想像”はできる。
土地と——なにかの権利だろう。
「順番に。まず“不動産”とは?」
優は本棚を探って、薄い冊子を引っ張り出した。
住宅広告みたいな紙だ。写真だらけで、数字と間取りが踊っている。
「土地とか建物。家とかマンションとか。買って持っておく。貸して家賃をもらう。値上がりしたら売って儲ける」
「……土地と建物を“貸す”」
それなら分かる。私の世界でも店を貸す、倉庫を貸す、土地を貸すはある。
「不動産は“逃げない”のですね」
「そう。土地は逃げない」
私は頷いた。
商会の感覚でも、土地は強い。税を取られても、土地は残る。
だが優は続けて、嫌なことを言う。
「でも、代わりに現金は逃げる」
「現金が?」
「固定資産税とか、修繕費とか、ローン......借金とか。持ってるだけで金が出ていく」
固定資産税。
“資産にかかる税”か。王国の地租に似ている。
修繕費は当然。ローンは——借金。
「買うために借金をするのですか」
「普通する。家なんて現金一括で買える人少ないし」
「借金して土地を買い、家賃で返す」
私の頭の中で、盤面が組み上がる。
金利という“借り入れの値段”がここにも刺さる。
「金利が上がれば、不動産は苦しくなる」
「そう。ローンの負担が増えるから」
私は一息吐いた。
「では、不動産は“堅いが重い”。管理が必要で、税もかかり、借金の影響を受ける」
「だいたいそんな感じ」
優はスマホを持ち上げて、画面を私に向けた。
数字とグラフが並んでいる。私は当然読めないが、“上下している”のは分かる。
「で、もう一つが株」
「株とは?」
優が少しだけ姿勢を正した。
この単語は、彼にとっても“現実”っぽい。
「会社を小さく分けた“持ち分”。株を買うって、その会社の一部を持つってこと」
持ち分。
私の世界で言うなら、商会の出資証文。船の共同出資。採掘権の分割。
「……では、株を持つ者は、その会社の利益を受け取れる?」
「そう。配当っていう形で金が出ることもあるし、株価が上がったら売って儲けることもある」
「株価?」
「株の値段。人気が出たら上がるし、嫌われたら下がる」
嫌われたら下がる。
信用が価値になる世界の、もっと露骨な顔。
「なぜ、値段が変わるのです」
「会社の成績とか、将来性とか、景気とか、金利とか、ニュースとか……いろいろ。で、みんなが売ったり買ったりして決まる」
需要と供給。
市場経済。
“国の熱”も“金利”も、全部ここに繋がっている。
「株は……速いのですね」
「速い。土地より全然速い」
私は少しだけ背筋が冷えた。
速い市場は儲かる。だが同時に、命取りになる。
「危険では?」
優は肩をすくめた。
「危険。上がるけど下がる。簡単に言うと、“儲かる可能性”の裏に“損する可能性”がある」
私は頷いた。
王国の商売も同じだ。船は儲かるが沈む。
「不動産と株。違いは?」
優が指を折る。
「不動産は、家賃で“じわじわ”稼げるけど、すぐ売れないし管理が面倒。株は、すぐ売れるし小口で買えるけど、値動きが激しい」
すぐ売れる。
それは武器だ。
だが優の目が一瞬だけ泳いだ。
(……“すぐ売れる”に弱い人間だ)
私はあえて踏み込まず、別の角度から問う。
「では、商会としては“分ける”べきですね」
「分ける?」
「金を一つの船に全て積まない。複数の船に分ける。航路も分ける」
優が少し驚いた顔をする。
「それ、分散投資って言う」
「分散投資......」
言葉が増える。武器が増える。
「一つが沈んでも、全部は沈まない」
「そう。で、もう一つ大事なのが“長期”」
「長期?」
「短い目で上がった下がったに振り回されると、負けやすい。長く持つと、ブレがならされやすい」
優は言いながら、少しだけ言葉を選んだ。
“負け”という言葉が、彼の口から自然に出たのが分かる。
私は頷いた。
「短期は賭けに近い。長期は商いに近い」
優が苦笑した。
「……お前、たぶん向いてる。性格がギャンブルに向いてない」
「褒め言葉として受け取ります」
「褒めてねえけど」
私はメモに書く。
・不動産:土地・建物。貸して収入。売って利益。管理と税。金利に弱い
・株:会社の持ち分。配当・値上がり益。売買が速い。値動き大
・分散投資:投資対象を分けて危険性を減らす
・長期投資:賭けではなく商い
「優さん」
「ん?」
「株は“会社の一部”なら、会社が潰れたら?」
優が短く答える。
「ほぼ無価値になる」
「では、会社を選ぶ目が必要ということですか」
「そう。だから勉強するか、まとめて買う」
「まとめて買う?」
優は本棚から別の冊子を引っ張った。
“投資信託入門”と書かれている。
「投資信託。いろんな株を詰め合わせたパック。プロが運用して、みんなで持つ感じ」
「共同出資の船団といったところでしょうか?」
「まあ、違うけどそう思ってくれればいい」
なるほど。
個別の船ではなく、船団に出資する。沈む船もあるが、全部は沈みにくい。
「手数料などは?」
「取られる。運用してる会社の取り分」
「取られる、は雑です」
「お前それ好きだな……。まあ、コストは見るべき」
私は頷く。
商会でも、運送費と手数料が利益を削る。
“見えない取り分”は常に敵だ。
「優さん。重要なことを聞きます」
「なに」
「私は——それを買えるのですか」
優の視線が一瞬止まった。
現実に戻る瞬間の目。
「……無理」
「なぜ」
「口座が必要。銀行口座。あと証券口座。身分証。住所。名前。いろいろ」
身分。
また壁だ。
この世界は、信用を売り買いするくせに、入口は狭い。
私は帽子のつばを押さえたまま、静かに言った。
「なら、順番は決まりました。まず“身分証”。次に“口座”。それから投資」
優がため息をついた。
「まあ、そうなる」
私は優の顔を見る。
逃げが混じる。けれど今日は、少し違う。
逃げたいのに、逃げきれない目。
「優さん」
「ん……」
「あなたは、この世界で“金を増やす方法”を知っている。なのに困っている」
優の喉が小さく鳴った。
「……それ、今言う?」
「交渉の材料です」
「お前、ほんと……」
優は言いかけて、黙った。
そして、私のメモをちらりと見た。
「……株とか不動産とかさ。結局、増やすには“我慢”が要るんだよ。短期で取り返そうとすると、だいたい死ぬ」
私は頷いた。
「我慢は得意です」
「それができるなら、勝てる可能性はある」
優の言葉が、珍しく真っ直ぐだった。
そしてその真っ直ぐさが、彼自身を刺しているのが分かる。
私はメモを閉じ、レシートをもう一度触った。
国の取り分。市場の熱。借り入れの値段。
そして、株と不動産——人が信用を“増やす”ための道具。
(このような情報をたくさん持ち帰れたら、ムルバードの市場は変わる)
その想像だけで、胸が熱くなる。
怖さではない。興奮だ。
「優さん」
「……なに」
「次は“身分証”の取り方を教えてください」
優は小さく笑った。諦め笑いだ。
「……はいはい、お嬢様。次の講義は“現代制度入門”な」
「あっ、でもその前に働いてみたいです!“こんびに”で!」
「えっ!?!?」
——何だかんだ働いた方が勉強するのに手っ取り早いと思うのよね。




