第四話 レシートは情報の宝庫
「……腹減った」
優がスマホを置き、机に突っ伏すように言った。
「昨日からほぼ何も食ってないだろ。俺もだけど」
私は帽子のつばを指で押さえた。
耳が隠れているのは心細いが、同時に安心する。世界の目から一歩遠ざかれる。
「昼食を買いに行くのですね」
「うん。コンビニでいい?」
「“とりあえず何でもある”場所ですね」
「その言い方、やめろ。なんか試されてる気になる」
優は苦笑して、黒いマスクを投げてよこした。
「それ。顔半分隠れるやつ。帽子と合わせたら、まあ……なんとかなる」
私は受け取り、素材を確かめた。薄い布。息が通る。
けれど、顔を覆う行為自体が、私の世界では異様だ。盗賊か、病人か、秘密の商人くらいしかやらない。
「……これは、平時に使うものなのですか」
「平時でも使う。花粉とか、風邪とか、まあ色々」
平時でも隠す。
この世界は、顔すら情報なのだ。
「分かりました」
私は帽子を深くかぶり、マスクを付けた。視界が少し狭くなる。
優が少しだけ安心した顔をするのが見えた。
「行くぞ。目立つことするなよ」
「努力します」
「努力でどうにかなる見た目じゃ……いや、もういい。行く」
⸻
外は昼間だった。
夜でも明るいと思ったのに、昼はさらに明るい。空の色が違う。
人が多い。歩く速さが速い。視線が鋭い。
私は優の半歩後ろを歩く。
“護衛”ではない。“隠れ蓑”だ。
この世界では、彼の方が価値がある。——人間の顔は、ここでは自然だから。
コンビニの扉が勝手に開く。
ここは昨日来た場所。なのに昼の顔はまた別だ。
棚の補充、忙しそうな店員、鳴る音、流れる宣伝。
優がカゴを取る。
「何食いたい?」
「……この世界の“昼食”が何か分かりません」
「おにぎりとか、パンとか、弁当とか」
私は棚の前で立ち止まる。
“値札が固定された市場”に、まだ慣れない。
交渉できない市場は、速い。速すぎて怖い。
優が棚から三角形の包みを手に取った。
「これ、おにぎり。米」
米で主食。
包みを持つと軽い。けれど、情報量が多い。
背面には産地、成分、保存期限などが書かれている。
商品が自分で喋っているようだ。
「この包みに、情報が書かれている……」
「普通そうだろ」
「普通ではありません。情報は通常、口で交渉して出させます」
優が笑いかけて、途中で口を閉じた。
笑う余裕がない。そういう日だ。
「じゃあ、これ。あと温かいの欲しい?」
「はい。昨日の……温かい飲み物は、とても効きました」
優は紙のカップの飲み物と、揚げ物らしいものを追加した。
「あとこれ。スープ。寒いだろ」
「……ありがとうございます」
礼は言う。礼は安い。
だが、安い礼でも、積み重ねれば信用になる。
会計へ向かう。
私はレジの前で足が止まった。
昨日も見た光景なのに、まだ理解が追いつかない。
店員が商品を“読み取る”。
音が鳴り、数字が増える。
優が財布を出し、紙を出し、支払いが終わる。
私は袋を受け取った瞬間、店員が細い紙片を差し出してきたのに気付いた。
「こちらレシートです」
「……れしーと?」
優が受け取り、その紙片を雑に折りたたもうとした。
「捨てないでください」
「え? 別にいらないだろ」
「欲しいです」
「なんで」
「契約の証跡です。取引の記録」
優は一拍置いて、折るのをやめた。
そして私に渡した。
「はいはい、商人の令嬢様」
私はレシートを広げて、目を走らせた。
数字と文字。品名。単価。合計。——そして。
「……税」
思わず声が漏れた。
優が歩きながら言う。
「消費税な。買い物すると取られるやつ」
「買う側からも取るのですか」
「取る。店が国に納める形(間接税)だけど、実質は買う側が払ってる」
私は紙片を指で押さえた。
「この『税』という行は、国の取り分ということですか」
「そう」
「つまり……この世界では、取引そのものが“課税の機会”になるってことですか」
優がちらっと私を見る。
「……なんか言い方が怖いんだよな」
「怖くても正しければいいんですよ」
「そういうとこ」
私はレシートの数字をもう一度確認した。
合計の下に、確かに“税”が紛れ込んでいる。
目立たない。だが、逃げられない。
(王国の関所税に似ている。でも、取引に税金をかけてもみんな取引をするもんなのかねぇ)
「ところで、優さん」
「ん?」
「消費税は、誰が決めるのです?」
「国。法律で決まってる」
「上げ下げは?」
「政治の話になる。景気が悪いときは下げた方がいいって意見もあるし、国の借金が多いから上げるべきって意見もある」
借金、国、税。
レシート一枚で、経済のいろんな物が見えた。
私は歩きながら、レシートを丁寧に折りたたんでしまった。
捨てるには惜しい。情報が詰まっている。
⸻
部屋に戻ると、優は靴を脱ぎながら言った。
「で、アリス。昼食。食ってからやる?」
私は首を振った。
「食べながらで構いません。私は“熱い学び”を逃したくない」
「熱い学びってなんだよ」
優は苦笑しつつ、机に教科書を置いた。
私はおにぎりを一口かじる。
味が濃い。塩味がはっきりしている。保存のためか。
加工が前提の食だ。
優がレシートを指でトントン叩いた。
「じゃあ、税の話から入ろう。今見た消費税。これが“税金”の一種」
「税は理解できます。王国にもあります」
「じゃあ話早い。税金ってのは、国が金を集める仕組み。道路とか治安とか、あと借金返すためとかに使う」
「借金?」
私はレシートを握った。
「国は、なぜ借金をするのです?」
優がパンの袋を開けながら言う。
「景気が悪いときとか、災害とか、戦争とか、いろいろ。で、“国が金を使う”ってやつがある」
パンを机に置いて優は教科書を開き、指で線を引く。
「インフレとデフレ」
⸻
「インフレは、物の値段が上がって、金の価値が下がる状態」
「金の価値が下がる?」
「千円で買えたものが千円じゃ買えなくなる。買える量が減る」
私は頷く。
「戦争の時とかに王国で硬貨の純度を落とすのと同じ仕組みでしょうか?量が増えすぎれば価値は薄まる」
「そう。それ。逆がデフレ」
「物価が下がり、金の価値が上がるんですよね」
「でもデフレはヤバい。みんな買わなくなる。“もっと安くなるまで待とう”ってなる」
「取引が止まるということでしょうか?」
「そう。だから国はデフレを嫌う」
私はおにぎりを置き、真剣に問う。
「国はどうやって止めるのです?」
「財政出動をするの。国が金を使う。支援金とか公共事業とかで、無理やり需要を作る」
「国が最大の買い手になる」
「そう。で、問題は国の金は無限じゃない」
「そこで借金をするのですね。」
「そう。国債って言って国が借金する証文」
私は指を折る。
「国が借りる。誰が貸すのかと言ったら銀行、投資家、国民といったところでしょうか?」
優が頷いた。
「で、貸す側の得になるのが——金利」
「金利」
この単語は、私にも分かる。貸付には利が付く。
だが現代の“金利”は、もっと大きい匂いがする。
「金利は、誰が決めるのです?」
「基本、市場。買いたい人が多いと金利は下がる。少ないと上がる。ただし、最終決定をするのは日本銀行、つまり国だ。」
「買われないなら、より高い“お礼”を付ける」
「そう。金利は感謝の値段、って感じ」
借り入れの値段。
言葉が綺麗に刺さった。
「金利が上がると、国は困るのですね」
「利払いが増えるし、国だけじゃなく世の中も変わる。金利が上がると借りるのが高くなる」
「家や会社の借金」
「そう。みんな金を使いにくくなる。景気が冷える」
私は頷く。
「金利は、市場の熱を冷ます」
「逆に金利が低いと借りやすい。金が動きやすい」
「熱が入る」
優は少しだけ眉をひそめた。
「……お前、理解はやいけど、声に出すと怖い」
「仕組みを見たら、恐怖は減ります。敵が見えるから」
「敵って言うな」
私は続ける。
「国が金を使う(財政出動)と国債で借りる、そして金利を払う、最後は税で回収する」
優が軽く拍手をした。
「まあだいたい合ってる。で、税にも種類がある。さっきの消費税とか、給料にかかる所得税とか」
「所得税……」
「稼いだ金から取るやつ」
「取引からも、所得からも取る」
「そう。で、税を上げ下げして景気を調整したりもする」
私はレシートを取り出して机に置いた。
「この消費税を上げれば、買う側の負担が増え、需要が減る。熱が冷える」
「その通り」
「下げれば、買いやすくなる」
「ただ国の税収は減る。だから簡単じゃない」
簡単ではない。
だが、構造は見えた。
私は少し黙って、盤面を頭に描く。
・熱(インフレ/デフレ)
・国の買い(財政出動)
・国の借り(国債)
・借り入れの値段(金利)
・国の回収(税)
・取引に紛れる取り分(消費税)
(国は市場の外ではない。市場の中の最大の顧客ということか)
「優さん」
「ん?」
「この世界の商売は、国を無視できない。国が“熱”を動かし、金利で流れを変え、税で取り分を確保する」
優がため息混じりに笑った。
「……飲み込み早いな」
「私は商会の令嬢ですから」
「はいはい」
優はメモに書き足した。
・消費税:取引に上乗せされる国の取り分
・金利:借り入れの値段(景気と為替にも影響)
「……とりあえず今日はここまで」
優がペンを置いた。
終わらせたい顔だ。けれど——私は終わらせない。
私はレシートを指で押さえたまま、言った。
「もう少しだけ」
「えぇ……」
「優さん。今の話は“国”の動き。では“私”はどう動けばいい」
優は口を開きかけて閉じた。
逃げではない。考えている目だ。
「……実務に落とすの早いな」
「商売です」
「わかった。超ざっくりな」
優は指を折った。
「インフレなら、金は早めに使った方が得になりやすい。デフレなら、持ってた方が得になりやすい」
「持つか、使うかは、熱で変わる」
「そう。金利が高いと借りるのが損。低いと借りやすい。税は……必ず取られる」
「取られる、は雑です」
「雑に言わないと心が死ぬ」
私は小さく息を吐いた。
優の“心が死ぬ”という言い方は、冗談に見せた本音だ。
(彼の事情は、数字の中にある)
私は声を少し柔らかくする。
「分かりました。熱を読み、借り入れの値段を読み、国の取り分を読む」
優は帽子とマスクをちらりと見た。
「で、お前が今すぐ必要なのは、目立たないことと……身分っぽいもの。あと、金」
金。
結局ここに戻る。現物。泥臭い一歩。
私は頷いた。
「では次は、交渉です。ですが——」
「まだ言う?」
「はい。今日買ったものの“代金”は、あなたが払いました。これは貸しになります」
優が目を丸くする。
「え、そこ?」
「そこです。貸しは条件です。条件は——」
私は帽子のつばを押さえ、真正面から言った。
「対価を決めましょう。私が返せる形で」
優は一瞬固まって、そして苦笑した。
「……お前、ほんとに面倒くさい」
「褒め言葉として受け取ります」
「違うわ」
でも、優の口元は少し緩んでいた。
レシート一枚。昼飯一つ。
それだけで、私たちの契約はまた一段深くなる。
私はレシートを丁寧に折りたたむ。
この紙は、国の取り分を記録している。
そして同時に——私の次の交渉材料でもある。
(学ぶ。仕組みを盗む。そして交渉に落とす)
改めて実感した。
———私の故郷より経済が進んでいるのね。




