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第一話 それ......何ですか?

ごめんなさい改稿中です

結構長く眠っていたみたいだ。

体中が痛い。そして床が硬くて冷たい。


ゆっくり目を開けると、そこには“人間”が居た。若い男で、二十歳前後くらいかしら。しゃがみ込んで、こちらを覗き込んでいる。

空は真っ暗だった。


「……誰……?」


長く眠っていたせいで、声がかすれた。


「おっ、ようやく起きたか。こんな細道で寝てると轢かれるぞ」


男は透明な筒を差し出してきた。

中には水のようなものが入っている。


「水、飲みな?」


——まずい。

タダはダメだ。タダが一番高い。後で何を言われるか分からないからだ。


私は息を整え、丁寧に言葉を選んだ。


男は少しだけ表情を曇らせ、視線をあたりに走らせた。落ち着きがない。焦っている。


「……名前、言える? 警察呼ぶべきか迷ってんだ」


“けいさつ”。知らない単語。

でも今のは脅しじゃないだろう。“迷い”だ。

私の勘がそう言っている。

主導権を取れるチャンスだ。


「……交渉しましょう」

「は?」

「あなたの質問に三つ答えます。その代わり、私も三つ質問します」


男がきょとんとした。


「……なんだそれ」

「タダで受け取れば、あなたに“貸し”を作ることになります。私はそれが嫌なんです」


少し間が空いた。男は笑った。薄い笑い。目が笑っていない。


「……変な子だな。普通は『ありがとう』って受け取るだろ」

「私はそうしません。価値観が違うなら尚更、条件を話合いましょう」


男は肩をすくめた。


この時、男の指先がわずかに震えているのが見えた。

でもこの気温なら寒さの震えじゃない。なんでだろう。


「いいよ。……じゃあ三つ。けど先に飲め。倒れられたら困る」


私は透明な筒を受け取り、言われた通りに蓋をひねった。仕掛けだ。魔法じゃない。

一口飲む。冷たくて喉にしみる。生き返る。


「……ありがとうございます」


礼は言う。礼は安い。信頼を買うには必要だ。


男が腕を組んだ。


「じゃあ質問その一。名前」

「アリス・ヴェールです」

「その二。どこから来た」


私は一拍置いた。いきなり全てを話すのは危険だ。

けれど取引を破れば即座に敵になる。情報は小出しでいい。


「……ムルバードです。私の地元です」


男が眉をひそめる。


「聞いたことねえ。海外か? ……てか日本語うまいな」

「問題がありますか?」

「いや。……その三。親、いるのか。帰る場所」


(帰る、場所……)


胸の奥が、ほんの少しだけ沈む。答えはある。だが、それを口にするにはまだ早い。


「います。……ただ、今はここに居ません」


男は口を尖らせた。


「それ、説明になってねえけど……まあいい。次、お前の番」


契約通り。優先順位を守る。

私はすぐに質問を並べた。生存のための情報だ。


「第一の質問です。ここはどこですか」

「千葉」

「ち、ば……?」


聞いたことがない。ムルバードでも王都でもない。

地面の硬さ、白い光、整いすぎた建物。確かに私の知る場所とは違う。


男は軽く顎で示した。


「東京の近くだよ。ほら、日本の首都の」

「首都……王都みたいなものですか?」

「そんな言い方するんだな。ま、東京がこっちでの王都だね。」

「では第二の質問です。あなたは誰ですか」


男は一瞬言葉を詰まらせてから、短く名乗った。


(たちばな)(ゆう)。大学生」


“学生”。身分がはっきりしているなら信用の裏付けになる。

——今の私には、身分も信用もない。


「第三の質問です。あなたは、なぜ私を助けたのですか」


優は視線を逸らした。

その癖が答えだ。恥か、後ろめたさか、打算か。


「……見捨てると、後味悪いだろ」

「分かりました。では、追加の交渉を」

「え、まだ?」

「はい。私には安全な場所が必要です」


優が眉をひそめる。


「……いや、無理だろ。俺、実家じゃないし」

「では“案内”を。人目が少なく、食べ物が買えて、暖が取れて、安全な場所」


優は困った顔をして、ため息をついた。


「……コンビニ。そこなら、とりあえず何でもある」


“こんびに”。未知の単語。でも“何でもある”という言い方は気になる。

誇張ではなく、事実なのだろうか。


「案内をお願いします」


立ち上がろうとして足が痺れ、ふらつく。

優がとっさに腕を掴んだ。


「大丈夫か」

「……大丈夫です」


手を突き放そうとしたが、やめた。今は庇護が武器になる。

それに、彼の腕は温かかった。生きている温度。


歩き出す。チバの夜は異様に明るい。

光が途切れない。遠くの音が途切れない。

世界全体が、休まず稼働しているみたいだった。


(この世界は、どれだけの物流と契約で回っているの?)


胸が少しだけ高鳴る。恐怖より、好奇心が勝ってしまう。

商会の血だ。


コンビニに着く。扉が勝手に開いた。

私は思わず足を止める。


「……魔法?」

「自動ドア。勝手に開くやつ」


優が短く言った。


店内は白い光で満ちていた。棚が整然と並び、商品が山ほど積まれ、値札が一つずつ付いている。

叫び声も、呼び込みも、値切りの声もない。


(交渉のない市場……? 価格が固定……? この品揃えで価格が固定なんて面白いわね)


私は棚の前で立ち尽くした。

優は慣れた様子でカゴを手に取り、パンのようなものと温かい飲み物を入れる。


「腹減ってるだろ」


その言い方が妙に自然で腹立たしかった。

まるで私が“保護される側”だと、最初から決めているみたいで。


けれど今は否定しない。状況は弱い。弱い時は受け取る。


優が棚の端にぶら下がっている細長い袋を取り、カゴに入れた。中に小さな包みがいくつも入っている。


「あと……寒そうだし、これ」

「これは?」

「カイロ。貼るやつ。すぐ温かくなる」


温かくなる? 火も魔法もなしに?

私は包みを指でつまみ、薄い膜の感触を確かめた。


(熱を運ぶ道具……。魔道具じゃない。おそらく量産品で誰でも使える……)


——すごい。

こんなものが庶民に行き渡る世界なら、庶民の生活はどれほど豊かなのだろうか?

とても興味深いわ。


「ありがとうございます」


会計をする場所に並ぶ。

店員が淡々と商品の白黒の縞模様の印に赤い光を当てて読み取っていく。

人間の手間を削れる仕組みは、利益向上につながる。

(私のところにも導入したいわね)


そんな事を考えていると、優が財布を出した。

その瞬間、私は目を奪われた。


硬貨じゃない。

金属の音もしない。


優は財布の中から、薄い紙を一枚引き抜いた。

色が付いていて、模様があって、数字が印刷されている。


紙だ。

ただの紙。


優はそれを当たり前のように店員へ差し出した。


(なんでただの紙が……?)


声が漏れた。


「優さん、それ……何ですか」

「ん? お札」

「……さつ?」

「紙の金」


紙の金、と言うのに理解が追いつかない。


私の世界では、貨幣は金属だ。重さが価値で、手触りが信用で、音が証明になる。

紙は燃える。破れる。水に弱い。そんなものが、どうして“金”になれる?


私は見つめたまま固まってしまった。


優が苦笑する。


「……アリスの世界、硬貨だけ?」


私はゆっくり頷いた。


「はい。硬貨だけです。価値のある金属。偽物は重さで分かります」


「へぇ……」


優はお釣りの硬貨と、細い紙片を受け取った。取引の証跡……そういう類のもの。

そして私に袋を渡す。


店を出ながら、私は疑問をぶつけた。


「さっきの紙は、どうして価値があるのですか?」


優は少し困った顔をする。


「うーん……当たり前すぎて説明むずいな。国がそう決めてて、みんなが信じてる、って感じ」

「国が決めて……みんなが信じる。つまり“信用”ですか」

「まあ……そうだな」

「誰が保証しているのです?」

「国、って言いたいけど……結局は、みんなが『それで通る』って思ってるから回ってんだと思う」


——面白い。

この世界は、実際の価値じゃなく“信用”で回っている。


商会の令嬢として、こんな事を知らないのは致命傷だ。

逆に言えば、学べば武器になる。


私は袋を抱え直し、優を見上げた。


「優さん。交渉を追加します」

「え、また?」

「あなたが私に協力する条件。明確にしましょう」


優が眉をひそめる。


「私はこの“信用”で経済が成り立っている世界を学びたい。

そしてあなたは、なにかしら困っている。

——そうでしょう?」


優の喉が鳴った。


「……困ってるって、そうだけどさ」


夜の冷気が頬を刺す。

でも袋の中のカイロは、確かに温かい。小さな熱が、命を少しだけ元気にしてくれる。


優が小さく呟いた。


「……アリス、マジで……お前、何者なんだ」


私は答える代わりに、さっきの紙の手触りを思い出した。

軽くて、脆くて、なのに世界を動かしているもの。


(信用が価値になる世界。……面白い)


「その前に、今後のための契約から始めましょう」


私がそう言うと、優は困ったように笑って夜道を指さした。


「……とりあえず、歩きながらでいい? ここ、あんま居たくない」


“居たくない”。

その言葉の重さは、彼の事情をはっきり匂わせた。


私は頷く。


「構いません。条件は歩きながら詰めましょう」

「で、先ほどの“安全な場所”の件ですが」


私がそう言いかけた瞬間、優は気まずそうに頭をかいた。


「……先に言っとく。安全なとこって、基本金かかるんだよね」

「金……」

「ホテルとかさ。カプセルでもタダじゃない。あと——」


優の視線が私の顔と耳のあたりに一瞬だけ寄って、すぐ逸れた。

“目立つ”と言いかけたのを飲み込んだのが分かる。


安全は資源。資源は対価と交換される。

商売の規則は世界が違っても同じらしい。


「では……あなたの家はダメですか……?」


優がぴたりと足を止めた。


「え、家?」

「も、もちろんタダでとは言いません」


慌てて付け足す。

私は貸しを作らない。作らせない。弱い時ほどなおさらだ。


優は口を開けたまま、しばらく固まっていた。

やがて、困ったように笑う。


「……いや、そういう問題じゃ……」

「問題は何ですか。条件を提示してください。私が合わせます」

「合わせるって……」


優は言葉を探すみたいに視線を泳がせた。

目の下の隈。乾いた笑い。指先の小さな震え。——余裕がない。


「俺ん家、ワンルームだし狭い。布団もちゃんとしてないし。あと……」

「あと?」

「……いや。なんでもない」


なんでもない、で済ませるタイプの“事情”だ。

なら私は踏み込まない。代わりに、踏み込めないように契約で守る。


「期限を決めましょう。今週だけでもお願いします」

「今週だけ?」

「その代わり、あなたの負担を、契約で私がします」


優が眉を寄せた。


「……お前さ、なんでそんなに契約契約って」

「曖昧さは喧嘩の元です。私は喧嘩が嫌いです」

「……はぁ」


優はため息をついた。

でもそのため息は、拒絶ではなく、諦めに近い。


「……金があるならホテルでもいいだろ?」

「私に金はありません」

「ないのに、タダじゃないって言ったのかよ」

「対価は金だけではありません」

「……じゃあ何で払うんだ」


私は少しだけ息を吸って、言葉を選ぶ。

ここで出す対価は、重すぎても軽すぎてもだめだ。相手が拒否できない程度に、しかし誠実に。


「労働です」

「労働?」


勢いで口が滑った。


「そ、その......家事とかなんでもしますので!」


言った瞬間、優の足が止まった。

そして、妙に真面目な顔でこちらを見る。


「……ん? 今、なんでもって言った?」


「……え?」


頬に熱が集まる。

今の取り方……この世界の“なんでも”って、そういう意味もあるの?


「ち、違います……! その、えっと……」


優の口元が、ほんの少しだけ上がった。

からかってる。絶対に。


「あ、あの……その……エッ……なのはダメですからね!」


声が勝手に小さくなる。恥ずかしくて、耳まで熱い。

私は髪で耳を隠し直して、睨むように優を見た。


優は肩を揺らして笑った。


「はは。冗談冗談。……でも、お前そういうの、普通に言うんだな」


「普通ではありません。契約の対価としての労働を提示しただけです」

「はいはい。家事な。家事」


優はまだ笑いを堪えていて、さっきより声が少し柔らかくなっていた。


私はむっとしながらも、逃げ道を塞ぐ。

恥ずかしさは、条件で誤魔化す。


「改めて条件を提示します。私は今夜以降、あなたの家で休ませてもらいます。その対価として——」

「家事」

「はい。掃除、洗濯、食事の準備。あなたが指定してください。範囲も時間も、契約で明確に」


優は少しだけ目を丸くした。


「……範囲まで決めんのかよ」

「曖昧はトラブルの元です」

「……お前、ほんとゲームの商人みてぇだな」

「本職商人ですので」


優は前を向いて、再び歩き出した。


「分かった。じゃあ——一週間だけな。一週間後になったら、次の手考えろよ」

「はい。期限付き契約、成立です」

「……めんどくせぇ」

「安全はタダじゃないので」


私がそう言うと、優は小さく息を吐いて——少しだけ、気が抜けた顔をした。


夜のチバは、相変わらず眩しい。

光が途切れない。音が途切れない。

この世界は、眠らない。


(なら私も、眠っていられない。学ぶべきことが多すぎる)


優の背中を追いながら、私はカイロを握りしめた。

温かい。小さい。でも確かな熱。


——契約は成立した。

これでこの世界を学べる準備ができた。


さて、何を学ぼうか。


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