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第八話 わすれもの

「ただいま!」


 世界の輪郭が瞬く間に明るくなった。よく体が軽くなったって言うけど、これ、本当にあるんだな。

 俺の歩く道は、雨も残暑も、湿気も何も残らない。歩くだけでこんなにも歩幅が広がるなんて、思っても見なかった。

 勢いよく帰宅すると、開けっ放しのリビングで、琴音がちょうど髪を後ろに束ねようとしていた。俺は自分でも分かるくらい満面の笑みだ。


「どなたですかー」


 何やら呆れた顔で、棒読みの反応だった。

 小躍りしながらソファにカバンを投げる。そのまま動きの止まった琴音を横目に、冷蔵庫を漁る。適当な炭酸を取り出して、キャップを開ける。飛沫が跳ねるだけで、なんか嬉しい。

 それにしても恋仲の部屋、いい匂いしたよな。琴音の部屋は生活臭。いや、別に悪い意味じゃなくて、やっぱどこか家族の匂いなんだよな。女の子の部屋って、なんか違う。

 借りた兄の私服のまま帰ってきた。濡れた制服は乾燥機で乾かしてくれて、しかも丁寧に畳んでくれて紙袋に入ってる。カバンは投げても紙袋だけは手放さなかった。

 靴はどうしようもなかったけど、小さな問題だ。

 おっと、ハンドタオルまた返しそこねたな。まあいいか、明日も会えるしな!


「せ、生活臭ってなに!」


 琴音が真っ赤になって突っ込んだ気がしたが、俺の心の声なんて聞こえるはずがない。


 * * *


 翌朝。


「……よし」


 靴を履きながら、小さく息を吐いた。

 今日は晴天。当たり前だろ。

 兄の服は、思い切り叩きつけるようにして洗濯機に放り込んだが、ちゃんと琴音に畳んでもらった。紙袋に入ってる。


「お兄ちゃんっ、一緒にいこ!」


 家を出るとすぐに琴音に声を掛けられ、久しぶりに一緒に登校した。少しずつ弱まる陽の光を浴び、肺の空気を入れ替える。琴音の笑顔は遠く感じられない。

 すごく気持ちがいい朝だ。こんな気分、初めてかもしれない。途中、バズってる間抜けなクマの動画みせてくれて二人で笑った。なんだか、小学生の時に戻った気分だった。


「今日も行くの? 恋仲さんち」

「うん、行くよ。休みみたいだからさ」


 ふと、琴音の笑顔が止み、影が落ちたように見えた。

 校舎の中、雲が太陽を隠したのでそう見えただけなのだが。


「……そっか。じゃあね、お兄ちゃん!」


 昇降口で別れ、琴音の背中を見送ってから教室へ向かう。

 早いから数人しかいない。

 早朝組は基本、机に突っ伏して寝ている。恋仲がいないのを確認してから、校門へ引き返す。


「よー、善吉。お前、また居るのかよ。奉仕活動でもしてんの?」


 登校してきた三国らと鉢合わせる。


「ん? いや、人待ってるだけだよ。最近つれなくてごめんな! 今度バッセン行こうぜ!」


 三国たちは眉をひそめながら顔を見合わせ、


「じゃーな、おじぞーさん」


 と、イヤミったらしく友人らと校内にはいっていく。

 しばらくして、全速力少女が通り過ぎる。

 無視すればよかったけど、目が合ってしまった。 


 * * *


 予鈴が鳴って教室に戻ると、ざわめきがいつも通りに響いていた。

 無防備な座り方で喋りこむ女子グループ。それを意識する男子グループ。スマホを見て笑うやつ。音楽を聴いてノリノリで首を振るやつ。

 いいね、俺も聞くか。

 席に着いてイヤホンをつけようとすると、隣の女子の机の上からプリントが落ちるのが見えた。何も考えずに体が反応し、キャッチ。渡してあげる。


「あ……ありがと」

「おう」


 他のクラスメイトの顔もよく見たことがなかったな。

 そっか。俺はネットの繋がりしか気にしてなくて、現実なんて何にも見てこなかったんだ。


 ……さて、何を聞こうかな。


 昼休み。久しぶりに三国たちと飯を食べた。

 向こうも普通に話しかけてくれて、俺も作り笑いで返す。距離が元通りになった気がした。でも、それはたぶん気がしただけかもしれない。今の俺はどこか受け入れられていない、そんな空気を感じる。

 飲み終えた紙パックを捨てようとすると、気の弱そうな男子がつまずいて、ごみ箱に足を引っかけてバラまいてしまった。片付けるのを手伝うと、後ろから笑い声が聞こえる。


「ご、ごめん……」


 と、消え入りそうな声だった。昨日の俺が一瞬よぎったが、


「全然! いいよ!」


 とだけ、笑い声にも負けない声量で返した。

 ──そんな、ささいなやりとり。

 ちょっとしたことの気遣い。こういうのが、きっと大事なんだ。


 三国たちの所へ戻ると、三国の顔が少し真顔になっていた。

 どうにも腑に落ちない、そんな顔。


「お前、なにしてんの?」


 手伝っただけだけど、と返すと「そーかよ」だけで会話が終わる。

 周りの友人たちも肩をすくめていた。そのままの空気の中、またスマホに目を戻す。 みんな俺と一緒だ。相手の顔なんてまともに見やしない。

 俺たちの世界は画面の向こう側にあるのだから。


* * *


 あっという間に放課後になる。

 書き終えたノートをカバンにしまい、意気揚々と飛び出す。


 バス停で待っていると、隣に見知った気配を感じた。


「せっかくお気にのはいてきたのになー」


 近くまで寄ってこないが、耳元でささやかれたようにぞくりとする。……少し、寒気がした。


「あ、いま、ごくんってなった。あは」

「なんなんだよ、お前っ、自転車じゃなかったのかよ。なんで隣にいんだよ……」

「えっ、自転車で来たの見てくれてたの、うれしー。べっつにぃ、ただバスでかえろって思っただけだよ。隣はたまたまじゃん。だって、他にならんでないもん、へんなの」

「変なのはそっちだろ……」


 一歩離れる。その分だけ、こいつもぴたりと寄ってくる。

 ちらりと一瞥すると、肩まで内巻きになっている茶髪と、漫画キャラのような横顔、弾力がありそうな唇がなんか際立っていて大人っぽい雰囲気を醸し出していた。

 なんでだろう、どうしても視線が女の瞳に吸い寄せられる。俺の混乱を見透かすような笑みが、余計に背中を寒くする。

 視線に気づくと、髪を耳にかけ、にやっとする。


「ううん。へんなのは、ぜんきち。君だよ。あの子の家いくんでしょー?」


 電源が入っていないスマホを振って見せる。動画を見たってことは分かった。


 ……っ!? 今なんて言った?


「あっ、その反応。当たっちゃった」


 カマをかけられたみたいだ。返事はしなかったが表情だけで悟られてしまう。


「毎日校門でこない彼女待って、放課後になったらおみまい、行くんでしょ? なんかさ、そういうの、特別だよね? どうしてそこまでするの?」

「お前に関係ないだろ」


 知り合い以下のはずなのに。

 この慣れ慣れしいにも関わらず、無造作に詰めてくる距離感と話し方は、何かを早とちりさせる。ペースに吞まれれば、見知った仲になってそうな、錯覚を覚える。


「ねえ、どーして? すっごい気になるんだ」


 何かヤバい気配を感じる。

 なんで名前って、動画見たのなら誰でも分かるか。

 とにかく、土足で踏み込んでくるこいつの距離感に戸惑う。


「……なんか、いいなぁ。そういうの」


 距離を離しても同じだけ詰めてくる。

 今度は目線に合わせるように顔を落とし、上目遣いで見つめてくる。


「ねえ。うち、本田凪ほんだなぎっていうの、キミは、つたもり、ぜんきち。名前は聞かなくてもわかってるんだ。だって、ほら。ぜんきち、有名人だし!うちのこと、なぎって呼んでいいよ?」

「近づいてくるなよ……暑苦しいんだよ」


 しっしと手で追い払おうとするが、意図を介さない羽虫のようにまとわりついてくる。


「向き合うって、どんな気分?」


 急にトーンを落とし、視線は外さないままつぶやいた。

 俺は聞こえないふりをして時間を確認する。


「ぜんきち。うちのことも、見てくれる?」


 どくんと心臓が大きく脈打つ。直感が関わるなと命じた。

 呼応するように俺は走り出していた。

 ああもう! バスに乗ってられるか、道は覚えてる、走っていくしかない。


「くそっ、自転車で帰れよ! あいつ!」


 あいつちょっとおかしいぞ、言ってる意味がわかんない。

 最後の、あのぎこちない引きつった笑顔はなんだ。本人はそんな顔をしてるつもりないのかもしれないが、俺には違和感しか感じられない。

 見たことがある顔だった。俺みたいな、そんな顔……。いや、そんな訳がない。


 時間をスマホで確認すると、いつもよりだいぶ遅い。

 相変わらずのキモさはおいといて、アプリで登録しているから、道も間違えずに恋仲の家に到着できた。玄関の前で呼吸を整える。

 どっと、忘れていた大量の汗が染みだしてくる。臭いがなんて気にしてしまう。

 家から持参したタオルで顔から頭まで、ついでに背中と胸も脇もタオルを突っ込み、手が届くとこだけ汗を拭う。


 深呼吸して、息を整えてからインターホンを押す。

 はあはあしてる姿なんて、見せられない。


「こんにちは善吉君。……ちょっと待っててね」


 恋仲の母に確認してもらい、お邪魔することができた。

 そしてこうして、今度は緊張の汗でだらだらになりながら、恋仲と会っている。


『汗、すごいです。そんなに暑かったですか?』


 目線で大丈夫? って聞いてくるのが分かる。


「ちょっと走ってきただけ、大丈夫」


 と苦し紛れに笑う。またタオルを差し出され、慌てて返しそびれたハンドタオルを返す。

 都合、交換しただけ。そんなやりとりをした後、口元に丸めた手を当て少しだけ笑う恋仲。


『今日もノートうれしいです。でも、無理しなくていいんですよ?』


 恋仲の文字はとてもきれいだ。角は少し丸みを帯びていて、それでいて可愛い。そんな文字だ。


「いやっ、俺がしたいだけだから! 迷惑じゃなければ、また持ってくる! ……その、きれいな字じゃないけど……もっとこう書いてほしいとかあったら! 言って!」


 冷静に考えてはいるが、声に出してみると想像以上にちぐはぐだ。

 ノートを受け取った恋仲は、ほわっと笑った後、ほんの一瞬視線をおろす。

 ぎゅっと、ノートの角を握る手にぎゅっと力が入っていた。その握り方が、あの日の恋仲と同じに見え、思わず声をつぐむ。


 俺の声、大きすぎたかもしれない。

 友達になってくれるなら許す――あの言葉は、恋仲にとってきっと、すごく勇気のいる言葉だった。

 自分より他人を優先して、俺を苦しませない優しさを選んだのかもしれない。

 だとしたら、俺はまた勝手に喜んで、調子に乗って近づいて……それでいいのか?

 恋仲の気持ちを、ちゃんと考えなきゃいけないのに。


「ご、ごめん。体調悪いのに、えっと……無理させちゃってるかも」


 口ごもる俺。

 テーブルの上に置いていた手の甲にとん、とノートの感触がする。

 ううん、と小さく首を振る恋仲。もう一度、ううん、とゆっくりと首を左右にひねる。


『線は、まっすぐ、引いてくれるとうれしいです』

「あぁっ、ごめん! 定規なくて! ……ははっ」


 そんなのは杞憂だ。ただ、ちょっと怖いだけだ。

 変に受けるな。きっと俺と同じ気持ちのはず。もっと喋りたい、けど、どうやったらいいのかな、って距離感を計ってるだけなんだ。

 ──きっと、友達ってやつに、慣れてないだけなんだ、俺と同じで。


 そこから、他愛のない話をした。

 友達の話、今バズってるクマの動画をみせると、ベッドにあるぬいぐるみだよ、と教えてくれてまた笑う。


 また明日と別れ、目を細め、小さく手を振る恋仲。

 帰り道。日は暮れ、暗くなってきたけど視界は良好だ。


 また明日も、これからも。

 恋仲と喋りたい。知りたいなって、ずっと考えながら帰る。


 あの日は最低最悪な俺だったけど、反省してる。今楽しいことしか考えてなかった俺を変えていきたい。


 変われるかな、うん……きっと変われるはず!


 そう思って、今日も一日が始まる。

 靴を履き替える為、靴箱を開ける。


 ひらり、と落ちるちぎれた紙切れ。


 追うように目玉が動いていく。


 ≪ゴロシ≫


 ……ゴロシ?


 それ以上見るなと、内側の俺が視界を赤くする。


 なんだ、こんな紙き、れ。


 ≪ヒトゴロシ≫


 その太く乱雑に書かれた文字を見た瞬間――


 視界が歪み、いろんな景色が矢継ぎ早に再生され、そして暗転する。

 世界がじわじわと赤く染まっていく。


 文字を認識した瞬間、目玉の奥に力を込めていた。

 脳が拒絶しているのに、どうしても目だけは離せなかった。


 ……奥歯が、ガチガチと震えている。

 その音だけが、遠くの方で鳴っていた。

ここまで読んでくださり、ありございました。

謝って和解するだけではない、それを周りがどう見るか。

二人はどのように行動していくのか。ここからが中盤となります。


よろしければ最後までお付き合いください!

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一気に駆け抜けました……あまりにも惹き込まれすぎてうまく言葉にできずすいません…… 最後の紙が何を意味してるのか、学生独特のノリと呪縛……残酷さと無邪気さなど色んな物が渦巻いてるように感じました…… …
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