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第六話 濁音

 湿気と曇り空がまとわりついて、爽やかな風はまだ吹かない。

 灰色が空一面に広がっていたけれど――その向こうには、かすかに晴れ間が見えた。ここだけ世間と隔離されてるみたいだ。

 俺は昨日と同じ時間に、校門の前に立っている。イヤホンもスマホも封印だ。校門を通る生徒たちをチェックしながら、近づいてくる人影にも気を配る。


 朝早く登校し、教室に居ないことを確認したら校門に行く。

 それが俺の今のルーチン。うん、そうだよ。恋仲を待ってるんだ。


「……来ないな」


 ざらっとする後頭部をさする。2、3回繰り返すと、心なしか落ち着く。

 今日も、来ない。……当たり前だ。わかってる。

 恋仲の後ろの席の女子に聞いた。普段から休みが多くて体が弱いらしい。

 先生にも聞いた。体調不良で休みで、いつ来るか分からないって。


 今日は来るかもしれないって、どこかで期待してる。

 別に教室で待ってたっていい。でも、それじゃ足りない気がした。待たなきゃダメなんだと、自分に言い聞かせてる。

 通りすがりの女子グループが、俺を見て小さく笑った。スマホのシャッター音が鳴った気がして、俺は少し移動する。


 坊主にした次の日は、三国を中心に、クラス中に笑われながら写真を撮られた。それには何も言わず、受け入れた。まあ、俺だって自分を見て笑ったし、覚悟はしてた。動画の時もそうだったけど、実際にやられるとこんな気分になるんだな。2割ノリ、8割悪意でからかわれるのって、思ったよりきつい。


「善吉よお、お前最近なにしてんの? 孤立してっぞ」


 と、登校してきた三国達が絡んでくる。愛想笑いでごまかす俺。お互いに距離が離れてしまっているのは、言わなくても気づいてる。

 つまらなそうに、言葉もすれ違わないまま、三国達は去っていった。


 校門脇には、日替わりで見回りの先生が巡回している。門衛の存在にも初めて気づいた。たまに目が合う。始業前には戻るので特に何も言われることはなかったが、ただ面倒なので常に距離は離すようにしている。

 しばらくすると、背中で予鈴がなる。……戻る時間だ。


「ふう……」


 肺に溜まった緊張感を、深い息とともに吐く。

 戻ろうとすると、真横を猛スピードで自転車が横切っていく。もう覚えた。昨日もギリギリの時間に全速力で登校してきた女子。下着が見えていても、おかまいなしに立ちこぎなんてするから一発で覚えた。

 それに、なぜか俺の視界を通る。


 * * *


 インターホンの音が、静かな住宅街に吸い込まれていく。少し間をおいて、引き戸が開いた。


「……あら善吉君。また来てくれたのね」


 優しげな声と一緒に出てきたのは、彼女の母親だった。

 この人の笑顔は、どこか困ったように見える。それは、今日も変わらない。


「すみません……あの」

「ごめんなさいね。あの子、まだ体調がすぐれないみたいで、今は寝ているの」


 この人はどこか遠回しな言い方をする。

 言い方は丁寧だけど、何か含んでいるような。

 まあ、別に俺がどうこういうことでもないけど。


「あ、いえ! これ……今日の分のノートです。よかったら」

「ふふ、いつもありがとう」


 俺は今日一日分の授業のノートを手渡す。

 そしてすぐに頭を下げ、その場を後にする。


 ノートなんて、ちゃんと書いたのも初めてかもしれない。黒板の文字を書き写しただけ。それでも、何か俺が出来ることって考えたら、恋仲の家まで持っていくことだった。

 恋仲は本当に具合が悪いようだった。ずっと寝込んでしまっているらしい。だから、ここでは会う目的で来ていない。

 いや、それは嘘か。ほんの少し、もしかしてとは思ってる。

 ……毎日押しかけられるのはウザい行動だってのは捨て置いて。


 * * *


 次の日の朝。予鈴が鳴ると全速力女子が横切る。

 あの、下着見えてますけど。心の中で声を掛け、教室に戻る。


 授業中、出来るだけきれいな字を心がけてノートに書き込んでいく。そして、また恋仲の家にいく。

 いやこれ、ストーカーになってないか。大丈夫だよな?

 インターホンを鳴らすと、今日は恋仲の兄だった。鋭い眼光が深く突き刺さる。地面にくし刺しにされ動けなくなる前に、ノートだけ置く。もう一礼もそこそこに、ダッシュで逃げた。

 ……苦手だ。


 * * *


 そんな繰り返しが一週間続いた。

 土日は遊びに行く気もせず、琴音と家でゲームしたり、友達の話を聞いたりして過ごした。琴音も外に出ない俺に気をつかってくれていたのか、ずっと家にいた。


 週明けの月曜。俺の朝は早い。

 いつものように校門で恋仲を待っている。今日は小雨が降っているので、透明のビニール傘を広げ待機している。


「あのさ、そんなにうちのパンツ見たいわけ?」


 予鈴が鳴るよりはやく、背中から声が聞こえた。


「今日はねぇ、何色だとおもう?」

「は?」

「へへ、雨降ってるし、チャリで来るわけないじゃん」


 振り返ると、小雨なんて気にせず傘も差さずに立っている女子がいた。少し日焼けした肌に短いスカート。茶髪の跳ねた髪、どこか馴染みのある雰囲気。


「……は?」


 誰? と思ったが、すぐに思い出す。もう覚えちゃってるんだから仕方ない。


「うち、雨はバスだから。ねぇ、ざんねん?」


 顔を下げ、挑発するように上目遣いで見てきた。脳内で立ちこぎ姿が浮かんできたので放り投げる。


「お前なんか待ってねーし! 関係ねーし! べっ、別に見てねーし!」


 脳内再生されているのが見透かされそうな目つきだった。

 にやりとした顔で見られると、急に恥ずかしくなり、その日はそのまま教室に戻った。


 * * *


 放課後、しぶとい雨はパラパラと降り続けており、俺はバスを経由していつものように恋仲の家へ向かう。もう慣れたもんだ。……我ながらキモい。

 そして信じられないことに、あの茶髪の女子も同じバスに乗っていた。こっちを見ては笑ったり、にやついたり、視線だけでからかってくる。チラチラ見てしまう俺も俺だ。

 直接会話はなく、途中で降りて行った時は、ほんとに気が抜けた。


 恋仲の家を視界に入れながら進んでいく。雨空だからか、なんだか気分も重くなる。それはきっと気のせいだと、カバンを握り直して迷うことなく歩く。

 雨そのもののような雰囲気をまとった兄が出迎えてくれた。重たい気分はこれか、と心だけで悪態をつき、頭を下げ、立ち去る。


「恋仲……大丈夫なのかな」


 距離が離れた公園で振り返り、恋仲宅の方を見る。他の家と趣きというか、存在感そのものが違うから、もっと離れていても見えるくらい大きい。

 ちょうどいい位置に公園があり、その中心に立つ。公園と言っても、小さな滑り台一つに、ベンチが一つのあるだけ。申し訳程度に植木がある、小さな公園だ。


 肌に冷たい感触がして、傘をさそうとするが、手元になかった。

 あいつの圧力に負けて、玄関の前に置いてきたままだった。

 取りに行こうと思ったけど、足は動かなかった。


「……」


 あれから一週間、か。きっと役立つんじゃないかって思って始めたけど、受け取ってるのかも分からない。

 別に、それは恋仲の意思だから、俺だって恩を売るわけでやってるわけじゃないけど……。


 雨は勢いを増して、水漏れを起こしたかのように土砂降りになる。

 雨宿りする間もなく、あっという間にびしょ濡れに。体に打ち付ける強い雨の感触と雨音が、俺を問いただしているように感じた。


 バチバチと、顔に当たる感触に混ざる。

 耳に入り込んできた雨が語りかけてきた。


(お前の汚いノート、持ってこられても処分に困るんだけど?)

(──ただの自己満足の延長線じゃないの?)


 それは男の声でもあったし、女の声でもあった。

 歪曲したテンポで、早送りにも巻き戻しのような声にも聞こえた。


「……そうだとしても、やるって決めた……」


 誰に向かって言うでもなく、自分の決意を確かめるように呟いた。


 俺の決意を笑うようだった。

 容赦のない雨音が、俺の意思を揺らそうと、全方向から責め続けてくる。

 その勢いに押されるがまま、俺はベンチに腰を下ろす。

 両手で顔から頭まで水滴をかき上げる。髪はちょっと伸びてきた。


(都合よく進むと思ってた?)

(自分が変われば世界も変わる、って?)

(そういうの、なんて言うか知ってる?)


 頭に直接囁かれているようだった。


「言うなよ……言うな。分かってる……」


(――って言うんだよ?)


「分かってんだよ! そんなこと!」


(誰も、キミのことなんて見てないよ)


 雨音にすら負ける俺の力の無い声。いやな感情に流されてしまう。


(もう、頑張った。そういった何かが欲しいだけだろう?)


 ここで納得しとけばいい。やれるだけはやった。もう十分だ。なんて甘い囁きに、心が揺れてしまう。


 うるさい……うるさい!


 言葉が作れず、ただ、自分自身に黙ってくれと叫ぼうとした瞬間。


 ――世界から音が一つだけ消えた。


 そこには最初から、何もなかったかのように。

 音も、感覚も、シャツの気持ち悪さも、なにもかもが無くなる。

 顔を伝い垂れ落ちた雨粒が一つ。水たまりに沈むと、静かに広がった。


 返せてないハンドタオルと同じような香りがした。


 ほんの一瞬の後――


 身震いするような轟音が鳴り響くと、現実に引き戻される。

 濡れた体の感覚も、靴下の気持ち悪さも引き連れて戻ってくる。雨音が上の方で弾いている。体を打ち付ける音ではない、別の何かを叩く音。


 ……傘?


 感覚は戻ってきたけれど、雨の匂いだけはなぜか戻ってこなかった。


 その優しい匂いだけが、夢と現実の間で残っていた。

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