エピローグ
そよ風が恋仲の黒髪を撫でる。
隣を歩く恋仲は、柔らかな春の日差しを受けて淡く煌めいて見えた。
思う事はたくさんあったけど、あの笑顔の返事が、全ての答えだった気がした。
――恋仲が好きだ。
他人が聞いたらどう思うとか、いつもの思考に陥るけど、そうなったらなったでまた、思い切り背中を蹴飛ばせばいい。
そうやって進んでいく。それでいいんだ。俺はそのお陰で進んでこれたし、それを受け入れてくれる人がいる。励ましてくれて、大丈夫だよって声を掛けてくれて、一緒に歩いてくれる誰かがいればきっと救われる。
世の中には、それに気づいていない人が沢山いると思う。
孤独に耐えかねて、嘆いて、逃げて、世界を恨んでは苦しんで、人前では隠そうとする。俺もずっとそうだった。
もし、これからそんな人に出会うことがあったなら、俺はその人に手を差し伸べて、力になりたい。
一瞬、斎のことを思い出す。もう、忘れることはしない。
そう思えるようになったのは、きっと恋仲がそばにいてくれたからだ。
恋仲がなぜ喋れなくなったのか、俺は聞かない。
俺の過去に何があったかを、恋仲は聞かない。
前を見ている俺たちに、今はそんな話なんていらない。
いつか必ず、自分の口で話す日が来る。
そんな日が来たら、俺も恋仲も、きっと迷わず受け入れられる気がする。
みんな一緒だ。傷つきながら、それでも頑張って毎日を生きている。
伝えることは難しい。届かないかもって悲しくもなる。自分の弱さが悔しくて膝を丸めて泣くだけの夜もある。
それって、悪いことじゃない。自分で自分を押し殺してしまうよりずっといい。
やり方が間違っていたとしても、それに気づきさえすればいいんだ。
どんなに時間が掛かっても、気づいたならきっと変わっていける。
「恋仲」
数歩、先に進んでいた恋仲の足が止まる。
不意に話しかけられ、笑顔で振り返り首をかしげる。
「あの……さ、俺のどこが好きなの?」
日差しが明るすぎて、笑ってしまうほど心がくすぐったかった。
嬉しすぎて何もしていないのに顔が緩んできてしまう。ごまかそうとして、ついこんなことを聞いてみる。こういうとこはやっぱり、一生治らないな。
恋仲はノートを取り出して、すっと俺に見せてきた。
まるで初めからそこに書いてあったかのように、そのページだけを。
恋仲の文字は、木漏れ日の中で気持ちよさそうに泳いで見えた。
『おでこ』
そこには可愛らしい文字でそう書いてあった。
思わず吹き出した。
「――なんだよそれ!」
二人で顔を見合わせて笑う。
その笑い声は春風に乗って、
くるりと空で一回転して、
どこまでも広がる青空へ、声を乗せて羽ばたいていく。
新しい風が、俺たちの背中を優しく後押ししてくれる。
『おでこ』の三文字。
これだけで、恋仲の気持ちが全部伝わるから、やっぱり恋仲は凄いなって思う。
これまでの事が、光の道筋に沿って次々と駆け抜け、やがて胸の中に沈んでいく。
その全てを封せず、心にしっかりと留める。
道はまた大きな壁になって、俺たちの行く手を塞ぐかもしれない。
でも、乗り越えられる。越えられないものなんてないんだ。
淡い桃色の花びらたちが風に舞いながら軽やかに踊り、ゆっくりと俺たちの間を包むように通り抜けていった。
恋仲と一緒なら、どこにだって行ける。
どんな毎日でも、前を向いて歩き続ける。
――たとえ、この世界に、声がなくても。
(了)
『この世界に、声がなくても』
声をテーマとした物語。
単に喋ることができない恋仲を軸にしたお話ではなく、
善吉、凪、琴音、そして斎。
全員が持つそれぞれ違った声を、皆さまにお伝えできたのなら、
これほど嬉しいことはありません。
改めて、
この長い物語を最後まで読んで下さり感謝申し上げます。
もっと語りたいところではありますが、
そこはぜひ、皆さまのご感想のお返事などで私の熱量をぶつけられたらなと。
そう、ひそかに期待している私です。
それでは、私の文字という声で、
また皆さまと会えることを楽しみにしております。
本当にありがとうございました。
物語は完結としますが、
私の情緒が落ち着いたころ、こっそり後書きを残します。
ご興味がありましたら覗きにきてください。




