第十七話 無音の慟哭 中編
『今向かってる!』
『ごめんなさい。心配させてしまうこと言っちゃいました。私は大丈夫ですから』
ちょうどバスが滑り込むように到着していた。スマホをかざして駆け込み車内へ。
息を切らしてつり革にしがみ付くように体を預ける。
近くにいた乗客が少し離れていく。
大丈夫なわけがない。
恋仲は滑ったんじゃない。クラスチャットの異様さ。琴音の取り乱し方。
恋仲の発言からして十中八九、故意によるものだ。
大丈夫と強がっているだけで、本当は怪我をしているかもしれない。
『着いた。部屋の番号分かる?』
『本当に来ちゃったんですか。ええと……602号室です。看護師さんがそう言っていたので、たぶん……』
病院に着くと、受付は面会の対応で混み合っていた。
何度か来たことがあるので、昔の記憶を呼び覚ましながら地形を一致させていく。
ズキンと痛む後頭部を抑えながら、入院病棟への動線を目で追う。
本当は受付に寄るべきなんだろうけど時間がない。迷っている暇なんてない。
息を殺し、人ごみの中をすり抜けていく。
エレベーター前では、車いすのお爺さんと付き添いの看護師。
それと、お見舞いに来たと思われる荷物を持った男性が並んでいた。
後ろの影に隠れるようにして息を潜める。
――こんなことして見つかってしまったら。
なんて、無駄なことを考えてしまうと、息が漏れて気づかれてしまいそうだ。
平静を装って、今はただ恋仲の元へ行くことだけを考えろ。
エレベーターに乗る。
六階のボタンを押し、顔を伏せながら後ろの角へ移動する。
上昇していくとともに、スマホのアンテナが一本、また一本と消えていく。
「……恋仲」
電波の状況が、恋仲の状態と重なって見え、心拍数がどんどん上がってくるのを感じる。左胸がさっきから苦しいくらい痛い。
六階はしんと静まり返っており、人の気配は少なかった。
ナースステーションには一人の看護師がいたが、作業をしているのか背を向けており、俺の存在に気づいていない。
ナースステーションのすぐ近く、死角になりそうな壁に背を付けて様子を伺う。
汗が止まらないが呼吸は最小限にする。そっと奥を覗く。
部屋があるのはわかるけど、602号室がどれかまでは分からない。
看護師はまだ背を向けたままだ。他に人のいる様子は見える限りではない。
音を立てないよう、滑るように通り抜ける。
目の前には601号室、その右手に602号室が見えた。
変に止まるな。このまま行け!
はやる気持ちを抑えながら扉を両手でゆっくりと開く。
室内は暗かった。
薄くなる西日だけが、部屋の金属類をぼんやりと橙色に照らしている。
個室だった。
真っ白なベッド。ツンと鼻に残る消毒液の匂いと点滴。
そして――
他に誰も居ない病室で、恋仲は眠っていた。
小さく上下する胸は、薄いシーツ越しでも分かる。
純白の生地の上に、恋仲の黒い長髪は光を吸い込むことなく僅かな夕日を波のように反射している。
俺はまたあの時みたいに息が止まり、体が動けなくなった。
シーツの上にある包帯に巻かれた腕と繋がっている点滴の管が、恋仲の状況を物語っている。
ここに倒れて運ばれてきたんだ。そのリアルな現実が受け入れられない。
代わりに、切ないほど痛々しく、でもどこか幻想的な姿に目を奪われている。
たった数日会わなかっただけなのに、もう何か月も会ってなかったかのようだった。チャットでは毎日会話しているはずなのに。
一歩ずつ踏みしめるように近づいていく。
恋仲の呼吸音が聞こえてきそうなくらい室内は静寂に包まれている。
ベッドの近くにある丸椅子に座る。
寝顔は本当に無防備で、恋仲の素顔なんだってハッキリ分かる。
いつまでも見ていられそうだ。
そんなことを思うと、悪いことをしている気分と恥ずかしさが混ざる。
俺自身をごまかすように、ざっと室内を見回した。
ベッドの横の棚にはタブレットと、ノートとペン。
そのノートが気になり、表紙を覗こうと身を乗り出す。
真ん中に小さく恋仲の字でこう書かれていた。
『でこきちさんノート』
引き寄せられるように手を伸ばして触れる。
心臓とは違う場所で、ひとつ、透明な音が鳴った気がした。
それだけで俺を覆っていた黒い感情は、漂白されていくように広がっていく。
導かれるままノートをめくる。
そこには、授業の内容が綺麗に並べられ彩られて踊っていた。
『※ここ先生が大事って!』
『この漢字ちょっと好き』
と、所々に恋仲の注釈が淡々とした授業の内容を引き立てている。
届いてないのかもと挫折しそうになったノート。
ありがとうと受け取ってくれた恋仲。
少しでも恋仲の訳に立てればと思っていた俺の気持ちは、確かに受け取られていたんだと実感する。
今度は、恋仲が俺の為に――
こんなの見たら……嬉しいに決まってる。
迷惑? そんなの思うわけがない。
一文字一文字から恋仲の優しさが伝わってくる。
かかとが椅子の足にぶつかって少し音が鳴る。
シーツが揺れる音がして、思わず恋仲を見る。
目をこすりながら目覚めようとしていた。
恋仲の顔は涙で滲んでよく見えない。
「――おはよう。恋仲」
「……っっ! っっ!?」
突然ベッドの上が騒がしくなる。
ぴんと伸ばしたきった手からノートがひったくられ、そのままシーツの中に隠される。
ガタガタと音を鳴らしながらタブレットを取り出し、不規則なリズムで何かを打ち込み始める恋仲。
思ったより元気だなって安心している自分がいた。
うん、俺もどうしていいかわからない。
『どうして!?』
「ど、どうしてって階段から落ちたって聞いたから! その……怪我は? 大丈夫なのか!?」
タタタタ。
『停学中です! 外に出たら駄目です!!』
「そ、そうだけど心配で! 一人は怖いって……!」
腕の包帯以外、見た限り大きな怪我はしてなさそうだった。シーツの中は確かめられないけど。
タブレットを操作する動きが軽快なので、それを見られただけでホッとした。
それにしても、不謹慎と自覚しているが、クリーム色の無地の病衣は制服みたいに大きくだぼっとしていて、やっぱり人形のように見える。
つい観察していると、恋仲はシーツで全身を隠すように身を包む。眉が上がり抗議の視線を感じた。
心配しに来たはずなのに俺は何してるんだ。
多分、俺の顔は西日よりも赤くなっていたと思う。顔面だけが熱を発しているようだった。
「あ、ははは。……えっと、とにかく。大丈夫そうでよかった。ほんとに……よかった」
「……」
睨んではいるけど、怒っている気配は感じない。シーツに包まれた恋仲は鼻まで隠れていて、僅かに眉が下がり落ち着こうとしているようだった。
気まずくなってしまい、額を掻くと汗でべっとりと濡れていた。
もぞもぞとシーツの中で恋仲が動いている。
すると、隙間からタブレットが顔を出し、ベッドの上から落ちそうになった。
咄嗟に手で押さえると、恋仲の手と重なる。
冷えきった指先が、俺の熱をすこしずつ奪っていくようだった。
俺の火照った指先と触れ条件反射で手を引く。滑り落ちるタブレットを寸前の所で捕まえた。
そっと恋仲に渡すと、両手でタブレットを受け取る。
シーツがはだけたので、再びタブレットと一緒にくるまった。
胸の動悸がおさまらない。
飛び出してきそうになる心臓をその都度飲み込んで、今日ここにきたこと、その理由を改めて脳内に叩きつける。
つい安心して元気な姿を見て嬉しくて、ここに来た本当の理由を忘れてしまっていた。
確かめなくちゃいけない。滑ったのか――それとも誰かに押されたのか。
恋仲も言いたいことがありそうだ。
口が小刻みに動いていたので、何かを伝えようとしているみたいだった。
俺への視線を外さないってことは、俺の言葉を待っている。そう感じた。
恋仲の目が僅かに湿っていて、光を反射するように揺れている。
だから俺は、そんなこと全部ひっくるめて一呼吸で想いを乗せる。
「俺も。恋仲をちゃんと見てるよ。……どんなことがあっても、大丈夫」
自分で改めて言うと、クサイ台詞だなって思った。
けど、これは恋仲から貰った力のある言葉だったから。恋仲にも返したい。そう思ったんだ。
恋仲は黙ったまま下を向いている。
やっぱり、俺みたいなやつが言うセリフじゃないなって笑ってごまかそうとしたけど、この雰囲気はそれとはまた違っているように思えた。
恋仲の下唇が震えていたんだ。
恋仲が言葉を繋ぎやすくなればと続きを言う。
「だから、つらい時、悲しい時は我慢しなくていいんだ。言ってもいいんだよ」
そう。吐き出していいんだ。我慢なんてする必要がない。
だからといって、誰にでも吐き出していいわけじゃないとも思う。
ネットには、いろんな人たちの現実では決して吐き出せない言葉で溢れている。
正論も愚痴も、暴言も癒しも、心を抉る攻撃もある。
現実では人に見せたくないもんな。そんな本当の自分なんて。俺だってそうだ。
でも――
「……」
恋仲の大きな瞳は、俺の胸の方から顔まで時間をかけてなぞる様に動く。
俺の目と重なると今度は捉えて離さない。
瞳の中が小刻みに震え、潤んでいた。
「俺も恋仲を守る。どんなことがあっても俺は恋仲の味方だよ」
自分の顔が赤いのは夕日のせいにした。
「……っ、ん……」
恋仲の口から声にもならない熱い感情が、細い喉を通り吐息となる。
空気の変化が、恋仲の気持ちを代弁しているみたいだった。
ここまで読んで下さりありがとうございました。
次回、第十七話 無音の慟哭 後編に続きます。
言葉にならない、それぞれの叫びが、ここから世界に響き渡ります。
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