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第十六話 沈んで染まる

 どうしてこんなに涙が出やすくなってしまったんだろう。

 どんな感動する映画を見たって、アニメを見たって、周りのように泣くのは真似できなかった。

 感動はする。いい話だとも感じる。

 けど、自分の内を晒してまで涙を見せるなんて、それこそ共感しているふりなんじゃないかと思っていた。


≪蔦森君を悪く言わないでください≫


 恋仲に謝った時、そんな自分を否定するように泣いた。

 朝だって、今だって、色んな感情で涙が出てくる。止められない。嬉しくて泣くなんて初めてだ。こんなにも胸が張り裂けそうになるなんて知らなかった。


 チャット欄が静まり返る頃、恋仲宛にありがとうとメッセージを送った。


『かっこよかった』


 と送ると恋仲から照れたデコグマスタンプが現れる。


『私もそう思います!』


 その後すぐに一言と、添えられる目が怪しく光るデコグマ。

 えへん、と胸を張るような気配が感じられた。たぶん、恋仲なりにふざけている。


『必ず戻るから。戻ったら……その、よかったらだけど一緒に遊びに行こう!』


 話題を変えようと打ち込んだ言葉は、想像以上に俺の恥ずかしい願望がにじみ出たものだった。

 そうだとしても恋仲をもっともっと知りたい。学校以外の恋仲も。普段どんなことに興味があって、どんな食べ物が好きで、どんなお店が好きなのかとか。


『はい。ぜひ!』


 と既読になってからの即レス。嬉しすぎる。


『私、普段は……遊びに行ったりとか、ほとんど経験がなくて。だから凄く楽しみです!』


 今はそんな状況じゃないというのは置いといて、俺は大きくガッツポーズをしていた。ああ、はやく戻りたい。今度こそ俺が恋仲を守るんだ。

 ベッドに転がりチャットの続きをしようとする。

 しかし、今日一日の疲労感で急激に体が重くなっていき、何度か会話を続けている途中で意識は一瞬で闇の中へ沈んでいった。


 ……。


 * * *


 ――俺はただ、見上げていた。


 何もできないでいた。

 こんなに周りには人がいるのに、音が一切聞こえてこない。

 いや、ただ俺が聞きたくないだけだ。


 手を繋いでいた。

 その手は自分の震えをごまかすように力強く、離さないでと伝わった。

 こんな毎日は嫌だ。

 怒られないように過ごし、嫌われないように笑う自分が大嫌いだ。


 ただ一つ、トンネルの向こうから伝わってくるように、涙声が反響する。

 耳をふさいでも、頭の中で延々と再生される。


 助けて、と――


 * * *


 朝起きると、寝汗で部屋着がぐっしょりと濡れていた。

 体が急に大きくなったような違和感を覚える。

 嫌な夢を見ていた気がする。思い出そうとすると後頭部が痛くなるのでやめた。

 スマホを見ると登校時間は過ぎていて飛び起きた。


「あれ……」


 制服に手を掛けた瞬間、意味がないことに気づく。

 たしか昨日は、手を繋ぎながら恋仲と話していて。

 違う。夢と現実の境目で意識が混濁している。


「昨日……どこまで話したんだっけ」


 誰もいないリビング。

 ラップに包まれた朝食と琴音のメモ。ぼんやりとした意識が戻ってくる。

 ふぬけた心を引き締めるように、両頬を掌で叩く。もう一度、強く。

 今日も俺が今できることをやるんだ。

 パンにかじりつきながら、片肘をついた手で無意識にスマホを覗く。

 昨夜のグループチャット、あれからどうなっているだろうか。色々と小言やら、連絡事項やら何事もなかったかのような流れになっている。


 その中でふと、


≪恋仲ひな緒がグループから退出しました≫


 スクロールする指が止まる。

 行き過ぎてしまい、何かの見間違いかともう一度戻るが、確かに書いてあった。


≪恋仲ひな緒がグループから退出しました≫


 退出……?

 どうして。

 その後に続く何事も無かったかのような会話。恋仲とのチャットを開く。


『おはよ! あのさ、クラスチャットなんだけど』


 少しして、既読がつく。


『おはようございます。グループ、追い出されちゃいました』


 追放……。

 返す言葉が出てこなかった。

 スタンプをタップしかけてやめる。そっか、と打っては消し、気にするなよと打っては、また消す。

 いっそ俺も抜けるか? それはだめだ、もっと悪いことが起きる。俺が追放されていないのは、もう一つの火種を楽しみにしているだけなのかもしれない。

 なら俺は俺で監視を続けて、必要なら恋仲に警告する。ここで安易に抜けてしまってはいけない。


 ……どうしてこいつらは中身を見ようとしないんだ。

 自分の番にならないようにだけ、それしか考えてない。

 腐った考えだけど、そうすることでしか自分を守れないんだ。一度味方してしまえば自分も晒され次の対象にされる。だから流れに身を任せ楽な方で生きる。

 それは分かるけど、そんなのもう認めたくない。


『そういえば。校門で本田さんから飴、貰ったんです。あげるってだけ。そのまま行っちゃいました』

『飴?』


 悩みに悩んで送った言葉は、とりとめのない、ただの相槌だった。

 でも、本田って……。凪のことか?


『不思議な人です。なんだか、誰かさんにそっくりな目だなって』

『もしかして……俺?』

『ごめんなさい、変なこと言っちゃいました』


 沈黙があったので、メッセージを続けた。


『全然! 分かる気がするよ。あ、言って後悔した』


 見えないけど、画面の向こうで小さく肩を上下する恋仲が思い浮かんだ。


『そろそろ授業が始まります。……クラスは、静かですよ。私は大丈夫です。今日も一日、がんばりましょうね、でこきちさん』


 食い気味で現れる燃え上がるデコグマ。

 それだけ残して会話が終わる。

 恋仲は今日も、変わらずに登校している。

 クラスは静かだと言っていたが、想像するに堪えなかった。


 * * *


 反省文とずっと向き合っていた。ある程度は形になってきた。反省していると言えば噓になる。けど俺がやったことは間違っていたのは理解している。

 恋仲が止めてくれたのに、三国に挑発されただけで記憶がフラッシュバックし、頭に血が上って止められなかった。


 ……そうだな。

 間違っていると思うなら嘘にならないくらい反省しなくちゃいけない。この一人の時間は、俺に与えられた最後のチャンスなのかもしれない。

 自分と向き合い、本当の意味で生まれ変わる為の。

 受け入れて、認めて、目を逸らさずに前を見るんだ。今まで逃げてきたことにも。

 向き合え。やれる。今度恋仲と会う時は、ちゃんと笑える俺を見せる。


 時計を見ると、そろそろ琴音が返ってくる時間だった。俺は決心をしていた。琴音と話す。情けないお兄ちゃんだったことを謝る。

 そして、琴音が抱えている辛さも全部受け止めて一緒に進むんだ。

 そうすることがきっと正しい道だって思った。


 がちゃん、とドアの金属音が聞こえる。

 咳払いをして、からからになっている喉を潤すために水を一口飲む。


「おかえりー!」


 玄関まで聞こえるような大声で琴音を出迎える。こんなことしたことない。きっとびっくりして、なになになに! とか言って走ってやってくるのが想像できた。

 しかし、数秒経っても琴音からの返事はない。

 もしかして父か? と冷や汗が出る。リビングから出て玄関へ向かい確認する。

 そこにいたのは琴音だったが、何か様子が変だった。靴を履いたまま、カバンも持ったまま、玄関の上で立ち止まっている。


「琴音……?」


 そっと近づき肩に触れる。

 一瞬、避けるような動きを見せたが、俺が肩に触れたことに気がついたようで、ゆっくりと顔が上がっていく。

 なんだか顔色が悪い。小さく何か喋っている。


「どうした? 具合でも悪いのか?」

「恋仲さん。階段から落ちたって」

「え……?」


 目を見開いたままの琴音は、そう同じことを何度も言っていた。

 言い終えるごとに、声量が上がっていく。


「恋仲さん。階段から落ちたって」


 ……落ちる……落ちた?


「な、何言ってんだよ……だって、さっき恋仲と……」


 ずっしりとした何かに頭が強打されたような衝撃が走る。

 チカチカと、琴音の立っている玄関は、真っ赤な閃光と共に点字ブロックで敷き詰められていく。波打つ地面に足元がすくわれ、転びそうになる。

 不規則に場面が入れ替わる。

 琴音の姿も小さくなったり、大きくなったりして、拡大と縮小を繰り返しているようだ。


「恋仲さんが階段から落ちたんだよ! あの時にみたいに……」


 頭を抱え叫ぶ琴音。


「ああ、あああ!!」


 琴音に伝えたかった言葉は、行く当てもなく、赤い世界に沈んで消えていった。

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