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第十二話 瞳の向こう側

 ピンポーン。


 ピンポーン。


 何度も何度も鳴る。

 部屋の中の誰もが動けずにいた。明らかに異様な雰囲気に飲み込まれている。

 なぜ俺が応答しないのか不思議でならないのだろう。無感情に生地を焦がす音だけが、夏の終わりに鳴く虫の声のようだった。


「帰れよ!」


 何回目かもわからない呼び出し音を遮断するように、スイッチに拳を叩きつけてモニターに向かって叫ぶ。映る茶髪の女、本田凪とかいう女は、そんな声にも動じずにこにこと手を振っている。

 俺の叫び声が部屋の中に反響していた。琴音たちの文字通り肩を潜める仕草が視界の片隅に入る。ついカッとなると大声が出てしまうのは俺の悪い癖だ。

 つばを飲み込み、次の言葉が冷静になるよう一呼吸置く。


「帰ってくれよ……」

「やーだ、いれてよ。ねえ聞いて? うちえらいんだよ。何人か後ろ通ったけど、勝手に入らないで、ちゃんとここで、ぜんきちに入っていいよって言われるまで待ってるんだ」


 こっちの事は気にせず琴音たちには騒いでいてほしかった。

 こんな話聞かれたくもない。細い針が肌にねじ込まれてくるような、突き刺す視線が痛かった。

 場の空気を和ませようとしたのか、琴音が困ったように笑ってみせるがその声も空気に呑まれて消えていった。


「ねー! 聞いてる? ぜんきちー! 入ってもいい? ぜんきちーー!」

「静かにしてくれ……待ってろ。そこを動くなよ……」


 そう言って通話を切断すると、インターホンは鳴らなくなった。琴音たちを振り返りもせず、俺は飛び出した。

 階段を飛び越えるように降り、出入り口へ転げ落ちるように向かっていく。ざらざらした壁に爪を引っかける。血がにじむような痛みを感じたが、その勢いすら利用して下へ急ぐ。


「ぜんきち! わざわざ迎えにきてくれたの? うれしー」


 玄関ホール、外からの眩しい光で影しか見えない。けど、その目元と口元だけは湾曲を描いているようにはっきりと見えた。


「……帰れよ。せっかく忘れてやってんのに、出てくるなよ……っ」

「なにそれ? うち、何もわるいことしてないじゃん」

「お、お前がなにもかも!」


 自動ドアが開き、子供と追いかける母親が入ってくる。顔を背け、言い出した言葉を引っ込める。顔見知りかもしれない。親子に顔を見られたくなかった。

 こいつは……何かがズレてる。

 通り過ぎるまでの数秒の間、じんじんと引っかけた指先が痛みで熱を帯びてくる。


「ねえ、ここでしたいの? やだー、ここ、全然とくべつじゃないもん」


 体裁を気にする俺は情けなかった。

 親子が通り過ぎるのを待ってからこいつの腕を掴み、ひっぱって自動ドアを抜けて外へ連れ出す。

 まだ明るい外の強い日差しが、目を焼いて一瞬何も見えなくなる。外の空気がやけに冷たく感じた。

 たぶん、俺の体がそれ以上の熱を持っていたんだ。


「入れてくれないならさ、うちにいこーよ」

「俺は帰れって、言ってんだよ!」


 考えるより先に出た大声は、喉が焼けるような痛さを伴う。


「うん。だから帰ろ? いっしょに」


 何を言っても通じない。どうしてそうなるのかも理解できない。無意識に一歩後ずさる。

 こいつの表情はさっきから無邪気な笑みを浮かべ、子供のような声色をしているが、目の奥は夕日を反射していないように見えた。その馴れ馴れしさが反面恐ろしく感じる。


「はやく帰ろ? じゃないとまた──」


 俺がさっきまで掴んでいた腕をぎゅっと握りながら、身もだえるようにして首をもたげる。はらりと耳にかかっていた髪の毛が垂れた。


「どーにかなっちゃうかも」


 ──その一言で。

 あの昼休みの光景が鮮明に浮かび上がる。

 何をしでかすかわからない。そう思うと何も言い返すことができなくなった。

 こいつに手を引かれるまま、どこかもわからない道を歩く。

 いくら押し問答をしても意味がないし、何より、家の前で面倒事になるのは避けたかった。


 気がつけば錆びた鉄の階段を上っていて、古いドアノブが歪んだ音を立てて回っていた。


 ドアが開くと、中から香水や化粧やら強い臭いがして余計に頭が回らなくなってくる。

 女は靴を放り投げるように脱ぎ捨て、何やらはしゃぎながら室内に入っていった。


「ぜんきち、入って」


 湿ったような床、散乱する缶の山。積まれたコンビニ袋の山に、タバコの吸い殻。おおよそ、汚いと思えるようなものは全部揃っているように見える。

 ここまで来たんだ。……もう終わりにしなくちゃいけない。

 居間では、時折点滅するぼやけた蛍光灯の下で、散らばった化粧品や服や雑誌やらを蹴飛ばしながら、俺の空間を作ろうとしている女がいた。

 その姿や行動はどこか狂気じみていて、とても痛々しく感じた。


「あっ、なんかのむ? チューハイしかないけど、いいよね。えっと、ほら! タバコもあるよ! すわって! へへ……ここ、キレイにしたから」


 明らかに派手で、似つかわしくないバッグの中をひっくり返す。出てきたものを乱雑にテーブルの上に並べていく。足ががたついているのか、物が置かれるたびに軋んだ悲鳴をあげていた。


「なあ、聞けよ。言う通り来た。……だから、今度は俺の話を聞け」

「すわれば?」


 ピッと、エアコンがうなりを上げて動き出すと、かび臭い風が広がっていく。

 有無を言わさない笑顔。俺には無理やり頬を上げているだけにしか見えなかった。煮えくり返りそうな怒りしか沸いてなかったはずなのに、今は見ていてすごく辛かった。

 そして、どこか見覚えがある姿だと感じると、胸が萎んでしまったかのように息苦しくなる。言われるがまま畳に座り、顔を見てこいつを真正面に捉える。


「お前が俺に対してどう思ってるかは知らないけど、俺はお前に興味がない。だから、二度と俺と恋仲に近づかないでくれ」


 見たことあるよなこの光景。

 あははと一笑し、パタパタと胸元を仰ぐ。足を延ばしては曲げ、日焼けした太ももが蛍光灯の光を受けて怪しく照らされる。


「お前の目的は何なんだよ。からかうだけならもう十分だろ?」

「目的?」


 俺の問いに女の顔の笑顔が一瞬消えたように見えた。


「ただ、ぜんきちととくべつな関係になりたいだけだよ」


 女は中指でくるくるとテーブルの上を撫でる。


「……うちならこうやって、しゃべられるし色んなことできるよ? あの子とは違うよ」


 急に前のめりになって、俺の顔に近づいてくる。胸元から下着が見える。

 人の感情を無視して、自分の好きなことを押し付けて今だけを楽しむ。見覚えは確証に変わりつつあった。


「ね、あの子がしてあげられないこと、ぜんぶ、してあげよっか?」


 テーブルを乗り越えて、体を押し付けるように密着してくる。吐息が首元に吹きかけられる。


「うちはちゃんと見てたよ? ほんとは、ぜんきちもうちのこと気にしてるんでしょ? 隠さなくていいよ、ここまで来たんだもん。いいよ。ぜんきちが気になるとこ、ぜんぶ見ても」


 このまま終わりにしたくない。引き留めたい。引き込みたい。そういう自己満足の押し付けはまるで俺のようだった。

 艶のある唇をわざとらしく舐めながら俺を見つめてくる。瞳にはやっぱり、何も反射していないように見えた。

 だから彼女の本音、根っこのところは、


「ほら……うちのことも見て……」


 ──自分自身に向き合えるのを、手伝って欲しいんだ。


 彼女がどういう境遇で、どういった環境で育って、何を感じて、どう思って生きているのか。俺には分からないし、それは知らなくてもいいことだ。でも、


「俺は──」


 一度目を閉じる。

 瞼の裏に、目の前にいる彼女のどこか一つだけでも灯るように想いを込める。そして、彼女の瞳の奥、薄暗い奥の方を真っすぐに見つめ返した。

 期待に満ちた、でもそうじゃないっていう、彼女自身気づいていない虚勢に似た笑顔が俺と重なる。あの時、殴られた顔の感触が蘇ってくる。

 喉まで上がった言葉をつい呑み込もうとしてしまう。

 俺が言うセリフか? と、及び腰になる自分に喝を入れる。

 ……だめだ。ここでちゃんと伝えなければいけない。


「俺は恋仲が好きだ。お前を見ることはない」


 ぐっと、両肩をつかんで押し戻す。彼女が後ろへ倒れこまないよう、ゆっくりと。


「知ってるか? それは、自分だけが傷つくやり方なんだよ……」


 ぺたんと座り込んだ女は、前髪を垂らしたまま俯いている。

 力の抜けたようにだらんとした格好で黙ったままだ。


「……凪」


 女……凪の肩に置いていた俺の手が払われる。

 エアコンの風の音だけが、沈黙の間を持たせてくれているようだった。凪の口元は不規則に震えていた。


「名前で呼ばないでよ……。うち、嫌いなんだよね。自分の名前」


 その声はさっきまでの弾んだような、子供っぽい声色じゃなくなっていた。どこにも無邪気さの欠片なんかなくて、ひどく静かで、低くて、淡々としたものだった。


 凪は俺と同じだ。

 きっとそうやって、いつも孤独を抑え込んでいたんだと思う。

 その手段が俺とは違うってだけで、求めている結果はきっと同じなんだ。


「冷めた。つまんない。帰っていいよ」


 凪は立ち上がると、俺の腕を持ち上げ無理やり立たせる。

 力に合わせるように立つと、そのまま押されるように玄関に戻される。途中、声を掛けそうになるが寸前のところで堪える。

 俺は拒んだ。これ以上は傷を抉るだけになる。そう思った。


「あーあ、普通落ちるよ。なんで落ちないかな、自信なくすわ」


 ドアが開かれ、靴を履く間もなく外に追い出される。


「ほんとに……変なやつ。むかつく」


 振り向きざまに凪と目が合う。微かにだが、俺の顔が反射したように見えた。

 凪の顔は笑みの形を作ったが、それは凪自身を笑っているかのような乾いた表情だった。


「……ばいばい」


 そう言って、ぎこちなく薄い笑みを作ったまま、静かにドアが閉まる。消音になっていた環境音が突然耳の中に流れてくる。

 こんなに外はうるさかったのか。


 薄暗くなる道を、俺は振り返らずに戻っていった。

 名前とは反対で、台風みたいなやつだったな。なんてしょうもないことを思いながら帰る。

 だからどこか、憎み切れない俺もしょうもないよなと考えながら。


 そうだろ? と同意を求めるように俺は空を見上げた。


ここまで読んで下さりありがとうございました!


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― 新着の感想 ―
待望の続き読めました! 嵐のような新キャラ登場で、雰囲気がガラリと変わりましたね。 恋仲さんとの穏やかな日常を願うばかりですが、嫌な予感しかしません……
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