9話 誘い
事情を一通り聞き終え、小さく溜息を吐く。
彼女は依然として震えたままでずっと怯えている。
ベッドに腰掛ける彼女の背中をトントンと優しく叩く。
まるで子供をあやすように、ゆっくりと。
「話してくれてありがと。怖かったね」
声をかければ堰を切ったように彼女は泣いた。
彼女を宥めながら、このまま自分のものにならないだろうかなんて卑しい考えが頭を過ぎるも、弱みに漬け込むなんて真似はダサいよな、と自分を律した。
泣き止んだ彼女の顔は徐々に青ざめ、慌て始める。
「どうしよ......私、救急車も呼ばずにあのまま逃げてきちゃった......」
彼女は自身のスマホを取り出して警察に電話を掛けようとする。
その手を止めると、涙目で僕の顔を見つめてきた。
いち早く連絡した方がいいのはわかるが、彼女の精神面を考えれば今はそれどころじゃない。
「僕が後で現場を確認しに行ってから連絡するから」
「やだ、今日はもうどこにも行かないで」
お願い、と小さく呟きながら僕の服の裾をギュッと握りしめる。
じゃあ今日はもう寝よう、と彼女をベッドに寝かせた。
布団を掛けてやりトントンとお腹をリズム良く叩けばあっという間に眠りについてしまった。
余程疲れていたのだろう。
あんなことがあった後じゃ無理もない。
ベッドから離れ、日記帳を取り出す。
途中まで書いていた今日のページを開き、再び書き足していった。
そして翌朝、土曜日で幸いにも彼女は仕事が休みだ。
朝食の支度をしながらテレビをチラチラ見ていると、昨日の出来事が早速ニュースに取り上げられている。
結局あの後刺された男は搬送先の病院で死亡が確認されたそうだ。
無職、36歳の男らしい。
ひとまず、彼女が無事で何よりだと皿に焼けたトーストを乗せる。
サラダと一緒にリビングまで運ぶと彼女は起き上がってテレビを見ていた。
「いとちゃんおはよ。ご飯出来てるよ」
「......うん、ありがと」
テレビをボーッと見つめながらサラダを食べ始める。
今のところ昨日のようなパニック発作は起きていない。
だがこのニュースを見続けるのは酷だろうとテレビを消した。
「いとちゃん。今日お昼頃さ、カフェに行ってみたら?」
「......カフェ?」
「そう。駅から少し歩いたところにあるカフェがあって、すごく雰囲気が良くて落ち着くよ」
気晴らしに行っておいで、と言うと彼女は首を縦に振った。
黙々と食べる姿は何だかウサギのようで可愛いと思っていると、気付けば手が伸びて彼女の髪を指で掬っていた。