11話 SNS
「じゃあいってきます」
「いってらっしゃい。今日は講義ないから、ずっと家にいるよ」
「ん、帰る時間わかったらまた連絡する」
「気をつけてね」
彼が寝泊まりするようになってから、彼の私へ向ける目が少し変わったような気がする。
気のせいかと思ったが、彼はやたらと私の髪を指で梳くようになった。
それが少し気恥ずかしいが特段悪い気もしない。
あの事件があってからも変わらず会社には行っている。
嫌がらせの数が減ることはなく気が滅入ることもあるが、生活の為には仕方ない。
そして今日も。
「っ、!」
鞄の中には誰かの爪が入っている。
恐ろしくて触るのも嫌だが、状況証拠として仕方なく爪を鞄に入れたままにしておいた。
ただ警察に提出したところで誰がやったかまでは調べられないだろうと、先入観から相談せずにいた。
昼休憩、決まって私は彼が紹介してくれたカフェに出向くのが習慣となっている。
ちせちゃんはいつも笑顔で出迎えてくれ、他愛もない話で気を紛らわせてくれていた。
偶然にも彼女は凪くんと知り合いなようで、彼の話も何度かしたこともあった。
「最近久住くんとどんな感じです?」
「どんなって、ただの幼馴染だよ」
「えぇ〜。でも久住くんやたらといとさんのこと気にかけてるし、てっきり彼はいとさんのこと好きなんだと思ってたんですけど」
「ないない。幼馴染だから色々と気を利かせてくれてるんだよ」
彼女はつまらなさそうな様子だ。
恋バナでもしたかったのだろうと思ったが、生憎私は彼とそんな関係ではない。
そろそろ仕事に戻らなくては、と会計を済ませ店を出た。
午後は何事も無かったが、帰り道に再び異変は起きた。
「雛笠いとさんですか?」
「......どちら様ですか」
家まであともう少しだというのに、目の前には見知らぬ男が立ちはだかっている。
手にはキラリと光るものが見え、あの日の記憶が蘇った。
「すみませんが、大人しくそこで立っていてくださいませんか」
「な、何でですか......!」
「クエストなんです、お金の為なんです」
「言ってる意味が、わかりません.....!警察呼びますよ......!」
律儀にも声を掛けながらゆっくりと近付いてくる様は狂気とも取れた。
話している内容も一つも理解出来ず、この人はどこかおかしい人なのだとすぐにわかった。
男は手に持ったハサミを私へと向ける。
情けないことに私は恐怖でその場から一歩も動けずにいると、私の名前を呼ぶ声がした。
「いとちゃん!」
「な、凪くん......!」
彼が来るなり男はチッと舌打ちをして立ち去っていった。
腰が抜けその場にへたり込む私を彼は支えてくれる。
「全然帰って来ないから心配になって......家を出てみて正解だった」
彼は私を家まで運び、あの日のように温かい飲み物を淹れてくれる。
刃物を向けられる感覚、血の気が引くあの感覚がまだずっと身に残っているままだ。
あの男が言っていたクエストとやらは一体何の話だったのだろうか。
飲み物を一口飲んで気が休まった時、突然窓ガラスが割れる音がした。
風が部屋の中を駆け、一気に部屋の温度が下がったことで自分の部屋の窓ガラスが割れたのだと理解した。
「誰が、こんなこと......」
恐ろしくも窓の外を覗いてみることを決意し、ゆっくりと窓に近付く。
部屋は二階にある為、必然と視線は下へと向く。
するとそこには先程私の目の前に立っていた男がこちらを見上げていた。
何かモゴモゴと口を動かしたあと微かに口角が上がったように見えた。
恐怖で声すら出なかったのを覚えている。
「いとちゃん、どうして覗いたの......!」
後退りするとガラスの破片が踵にチクリと刺さり血を滲ませる。
彼がカーテンをサッと閉め、私を抱きかかえてベッドまで運んでは足の怪我を手当してくれた。
それから私は外に出ることすら出来ず、それどころか自分の家に居ることすら怖くなってしまった。
彼の家で私が寝泊まりするようになり、会社も彼が必ず送迎をしてくれた。
シフト休の日、最悪なことに彼は講義の為家を空けなければならなかった。
「誰かが来ても玄関は開けなくていいからね」
「うん、ごめんね」
「謝らなくていいよ。講義が終わったらすぐ帰ってくるから、家で待ってて」
そう言ってまた私の髪を掬って家を出ていってしまった。
誰も居ない部屋は閑静としていて不安を煽られるようだった。
カーテンは閉め切っており光すら差さない。
それが安心するようでどこか落ち着かない気持ちもあった。
彼の部屋は意外と生活感があって、物もそれなりに多い。
本棚には参考書や彼が好んで読む書籍などが並んでいて、とても博識な印象を持つ。
「あれ、これ持っていかなくて良かったのかな......」
テーブルの上にはノートパソコンが置きっぱなしになっていた。
もし大学で使う物ならきっと取りに帰ってくるだろうとそのままにしておいた。
ベッドに寝そべってスマホを触る。
時間を潰す為に最近始めたSNSのアプリを開いた。
タイムラインには小動物の動画や写真が流れてきて、束の間の癒しを得ることが出来る為気に入っている。
だが今日は何か違うポストがタイムラインに流れてきた。
「カフネ......?」
"カフネ"という名前のユーザーが投稿したポストには、"クエスト"と書かれていた。
私に刃物を向けた男もそんなことを言っていたことを思い出す。
何か関係があるのかと探ってみたかったが、あの日の恐怖が私の欲求を抑え込んだ。
何か知ってはいけないような、そんな気がしてならなかったのだ。
結局その日は詮索することなく彼が帰ってくるのを待った。