4. あなたのためだけの、私
4話目です。よろしくお願いします。
4/14 傍点崩れていたところ修正しました
「お前、誰」
入れ替わってしばらくは体調不良を理由に断り続けていたけれど、半月も経つとそうもいかなくなって渋々足を運んだ皇太子リエルディアヴァルシスとのお茶会。皇宮庭園の四阿で引き合わされ当たり障りのない挨拶を交わした直後、彼は人払いを命じ、ふたりきりになった途端に眼光鋭くこう言い放った。
私は私で、彼と顔を合わせた瞬間にユィンファリシアの記憶が雪崩れ込んできてちょっとしたパニックに陥っていたので、すぐには返事をする余裕がなかった。しかもその記憶の中に出て来た名前にめちゃくちゃ心当たりがあったのだ。ほら、就活って志望企業の取締役とか本部長の名前とか、絶対暗記するじゃん?
「聞いてるのか。お前、ユィンファリシアじゃないだろう」
「えと、」
自分が知っていることとユィンファリシアの経験してきたことを整理し、さてどう話そうかと視線を上げて改めて見た貌に、某経済新聞で見たモノクロの顔写真が重なった。
「……寶生、隆誠」
私が第一志望にしてるゲーム制作会社の創業者一族で、20代で本部長に異例の抜擢を受けた御曹司。確か、そういう記事だった。
リエルディアヴァルシスは……ああもうめんどくさいな長くて。ヴァルは、私が溢した名前を聞いて弾かれたように立ち上がった。
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ヴァルが見知らぬ世界--東京の寶生邸で目覚めたのは、7歳になったばかりの春だったそうだ。皇家の次代を担うものとして厳しく育てられてきた彼は、その年齢としては比較的落ち着いて事態を受け入れたつもりだった、と言う。
「と言ってもね、泣き叫んだり暴れたりはしなかった、程度だけど」
用意してもらった紅茶は、落ち着きを取り戻したふたりが手を伸ばした頃にはもうすっかり冷めていた。質の高いお茶はそれでも喉越しが良い。いろいろ喋って乾いた口には殊更に染みる。
「こっちに来た時のリュウセイも、そんな感じだったみたいだ」
皇国の第一皇位継承者と大企業の跡取り候補。立場が似ていたのが幸いしたのだろう。
「私は一般市民からお貴族さまですよ。ちょっとは優しくしてください」
「悪かったよ、睨んだりして」
私たちはあっという間に打ち解けた。お互い、この不可思議な現象に巻き込まれたのが自分だけではなかった、ということに安堵を覚えていたのだと思う。抱えていた不安は自分が思っていた以上に大きかったのだ。
「でも、リュウセイにはユィンファリシアが居たからね。戻ってきてそれを知って、ちょっと羨ましかったな」
そう言って微笑む。7歳からの10年なんて、人格形成の根底みたいな時期だ。それを本来生まれた場所とは違うところで過ごして、そして多感な時期にそこから引き戻された。よく歪まずに育ったものだとこのときは感心していたけれど、のちのち、それがそうでもなかったらしいと気付かされることになる。
スリーティアーズに似た形をした菓子籠から丸いお菓子を取った。マカロンコックだけ丸めたような味がする。同意を求めると、ヴァルも同じように指で摘んで口に放り込んだ。マナーの先生に見られたら速攻で鞭が飛んで来そうだ。
「甘いな」
「苦手です?」
「そうでもないけど」
進んでは食べないかな、と言いながら唇を引き結び眉根を寄せて紅茶を口に運ぶ。その表情と仕草がひどく子供っぽく、皇子さま然とした姿に似つかわしくなくて、思わず笑みが溢れてしまった。本人にも自覚があったんだろう、ヴァルはばつが悪そうにそっぽを向いた。
「笑うなら扇を使え。嗜みだろ似非公爵令嬢」
「今更ですよ、出戻り皇太子殿下」
言いながらも膝上に放り投げていた扇を取って芝居じみた動作で片手で広げ、口元に当てて見せる。真顔で見つめ合う間が数秒。どちらからともなく、こみ上げてきた笑いに肩を震わせ、やがて空を仰いで大声で笑った。こんなに笑ったのはひさしぶりだよと言いながら、ヴァルは笑いすぎて目尻に浮いた涙を拭う。それは私も同じだった。
たぶんもうこの時から、私たちは恋をしていた。
皇太子と婚約者候補筆頭令嬢の不仲が改善されたようだ、という情報はすぐ皇宮にもたらされたらしい。人払いしたとはいえ目の届く範囲に護衛は居たはずで、ふたりして馬鹿笑いしている様子は目撃されていただろう。令嬢が辞してすぐ皇太子から「菓子を贈れ」との下知があり、令嬢からはその日のうちに茶葉と信書が返された、となれば尚のことだ。
もともと、二人は子供の頃から仲睦まじいことで知られていた。16歳になって立太子が決まり婚約者をどうしますかと問われた際、「彼女がいい」と即答したリエルディアヴァルシスと、その隣で頬を染め恥じらいながら「お受けいたします」と肯いたユィンファリシアを見たからこそ、周囲はふたりが恋仲なのだと信じて疑わなかった。
実際、そのときはそうだった。けれど、ユィンファリシアが愛していたのは彼の中に居るリュウセイだったし、彼女を愛していたのもまた彼だったのだ。
入れ替わってすぐのリュウセイに、幼いユィンファリシアだけが気づいた。その孤独に寄り添い癒し、支え歩む未来を誓った。彼もまた同じく、生まれ持った重責を全うせんとする彼女を守り労り、そして彼女のためにこの国の皇帝となる決意をし研鑽に努めた。長い時間をかけて優しく温かくそして強く、育まれた愛だった。
けれど。
17歳になったある日、恋人たちは不意に引き裂かれたのだ。
ユィンファリシアは嘆き悲しみ、ヴァルを拒絶した。婚約を破棄したいと訴え続け、ついには皇宮が折れて婚約者候補を何人か見繕い、彼女はその一人に格下げされた。それでも家格や能力から筆頭候補であることは変わらない。何とか元通りになってほしいとあれこれお膳立てをしてくる周囲の心配りが、却って彼女を苦しめた。
ふたりきりになると、ユィンファリシアは泣いてヴァルを責めたという。わたくしのリュウセイを返して、と。謝ることしか出来ないヴァルを、彼女はいつまでも詰り泣き崩れた。そんな日々が続いて、やがてふたりの距離は修復不能なほど離れてしまったのだ。
「気持ちは判るからね。私に当たって気が晴れるならそれでもいいかなと」
執務室でゲームブックの出来を確かめながら、ヴァルが思い出したように話したのを憶えている。
「ヴァルの所為じゃないじゃん。ただの八つ当たり」
ふたりだけの時には「ヴァル」と呼ぶことにしていた。彼は「ユゥミ」と私を呼ぶ。
この国の名付けは全ての音節とその組み合わせにそれぞれ血統や地位、望まれる役割などの意味を持たせるので、親子の間柄でも略して呼ぶことはない。ちなみに高位の家に生まれるほど名付けに許される意味が増えて音節は多くなる。ヴァルのは『リ・エル・ディア・ヴァ・ル・シス』で音節のみでも6個。それに組み合わせが加わって全部で18個もの意味が入っているそうだ。さすが次代の皇帝、生まれてすぐに背負わされたものが重過ぎる。
「それでもさ。向こうで会えてるといいな、と思っているよ」
『リ』で始まり『ル・シス』で終わる、という音節の組み合わせは古語で綴られた神話が由来で、【仁恕を以て世を治める者】という意味になるそうだ。自分に咎のないことで罵倒してきた相手の幸せを願える、このひとに相応しい名前だと思う。だからってフルで呼ぶのは舌噛みそうだからお断りするけどね。
私の入れ替わりはユィンファリシアの仕業であるという方向で、私たちの意見はほぼ一致していた。彼女の魔術体系は【回帰】だ。『あるべきところにあるべきものをかえす』、その能力で彼女は『自分の在るべき場所』を強引に掴み取ったのだろう、と。
仁も恕もない私は、一発張り倒して「巻き込みやがって謝れコラ」くらいの仕返しなら、する権利があると思っている。
私の膝枕で片肘のソファに寝そべり、錬成した本をぱらぱら捲っては目についた文章を拾い読みして「うわ、えぐ」などと失礼な感想を呟く彼の顔を眺めていて、ふと、言うつもりのなかった問いが口をついて出た。
「ヴァルは、さ」
呼びかけに、本を開いたまま自分の胸元に伏せ、首を傾けてこちらを見上げる。
「私がね、もし、」
「追いかけるけど?」
訊くべきじゃなかった、と言い淀んだ一瞬の間に重ねるように、ヴァルは答えた。そのなんでもない口調とは裏腹の、強い光を孕んだ青紫の目が真っ直ぐに私を見ている。
「簡単に言う……」
言い捨てて横を向いた。泣きそうだった。数日前から、あの夢を見るようになっていたから。東京の会社で働いている夢。パソコンの画面に映り込んでいたのは、オフィスカジュアルに身を包んだユィンファリシアだった。ヴァルには言えなかった。けど、気付かれていたようにも思う。
逸らした私の頬に温かい掌が触れて、やさしく押し戻される。視線が合う。両掌で頬を挟まれ宥めるように撫でられた。喉元から涙が迫り上がってくるようで、苦しい。
「泣くからやめて」
「泣くならやめない」
払い除けようとした手を逆に掴まれて、そのまま唇に持っていかれる。指先に小さなキスを繰り返し、私を見つめたまま、ヴァルは優しい声音で言ってくれた。
「どんなに困難でも、必ず取り戻すよ。私の居場所はユゥミの傍だけだ」
私が東京の、専務の住むマンションの一室で目覚めたのは、その翌朝だった。
****
戻ってからの日々は、あっという間に過ぎた。知らないのに通える通勤経路、知らないのに出来る仕事、知らないのに仲のいい同期。時折フラッシュバックのかたちで甦る記憶だけでは対応しきれなかったと思う。なんとか食らいついていけたのは、ユィンファリシアの残した日記があったからだった。おそらく、入れ替わりにリミットがあることを彼女は予測していたんだろう。魔力量の限界か、何かのアイテムの枯渇か、それは私には判らないけれど。
専務、寶生隆誠には当初、泣かれるし怒鳴られるしで散々だった。私だって被害者だと何度言っても聞きゃしない。似たもの同士なんだね、あんたたちって。
「私には仁恕の心はないので、彼女のために何かしてあげる気持ちにはなれないです。誰かと違って」
何度目かの呼び出しに相変わらずの「何とかならないのか」の繰り返しで、さすがにブチギレて言ってやった。専務は虚を突かれた顔で押し黙り、たっぷり数十秒考えて、ようやく私の言葉の意味を理解したようだった。ひとこと「そうか」と呟いて、そのあとは呼び出しはなくなった。自分が称していた名の意味を忘れていなかったことは、褒めてやる。
でもたまに夜中に酔っ払って電話してくる。そして逢いたいと泣く。逢いたい、俺の愛しい花、と。たまに、っていうか、ほぼ週イチ。そしてそのあと社内ですれ違ったりすると気まずいのかめっちゃ睨まれる。理不尽。かつてのふたりの仲は隠していたようなので、結果、私には『なんかやらかして専務に嫌われた女子社員』というレッテルが貼られることとなった。風評被害にも程がある。
二度目の冬。朝から何となく社内がざわついていることには気づいていたけど、まぁ年末近いしなぁ、くらいに軽く考えていた、十二月十日。定時少し過ぎに席を立とうとしたら、廊下が何やら騒がしい。複数の男性の声で「待ってください」とか「お気を確かに」とか聴こえてきたかと思うと、課の扉が勢いよく開いた。
うわ専務だ、と誰かが言って、そして私を見た。ついに解雇を言い渡されるんじゃないかと危ぶむ視線で。私も、背後に退路を探りながら彼を見た。また因縁をつけに来たんだろうか、と警戒して。こちらへ真っ直ぐに歩いてくる専務から目は逸らさず、万が一のためにチェアを盾にすべく片手で背もたれを探る。
私のその強張った動きを見てだろうか、口端が片側だけ軽く上がった。こちらを見透かすような、不敵な笑み。まさか、と思う。その瞬きひとつの逡巡を逃さず、彼は私を深く抱きしめていた。
「ユゥミ」
耳元で囁かれる、声。
「今回はこれだけ。待っていて。必ず帰ってくるから」
体躯を離し、もう一度微笑む。頬を手の甲でふわりと撫でる。
いつもそうしていたように。
突然のことに硬直していた私をチェアに座らせ、またね、とひとこと。彼は身を翻して来た道を颯爽と戻っていった。呆気に取られていた部長連中が慌てて後を追う。息を呑んで見守っていたらしい同僚たちは、扉が閉じるのを呆然と見送り、それから私のデスクへ駆け寄ってきた。
「侑未!!」
「侑未ちゃん、大丈夫?!」
何が、と聞き返そうとして、自分が泣いていることに気づく。気づいたら、止まらなくなった。名前を呼びたい。でも呼んだらもっと泣いてしまう。ちゃんと説明しろばか、今回ってどういうこと、これだけって何よ。言いたいことは全部、自分の嗚咽に押し流されてしまった。
翌日、社内は昨日以上にざわついていた。まずは専務が辞めるらしい、という噂。昨日の朝、出社するや社長室に直行して辞表を叩きつけたという。まぁ、「叩きつけた」は尾鰭だろう。社長は専務の叔父に当たり関係も良好なので、そんなことをする意味がない。慰留されてちょっと言い合いになった、くらいが妥当と思われる。
もうひとつは「専務が、どうせ辞めるんだからと以前から気に入らなかった女子社員に嫌がらせでセクハラを働いて泣かせ、嘲笑って去っていった」というものだ。こちらの尾鰭は余りにもゴシップ色が強過ぎて、このまま放っておけばおそらく、いや確実に「専務が女子社員にセクハラで懲戒解雇」に捻じ曲がってしまう。考えた末に、口が軽めな同僚を選んでスマホに残っていた仲良さげなツーショットセルフィーをちら見せする策を取る。
午後には噂は「御曹司である専務が女子社員との身分違いの恋を社長に反対され、キレて辞表を叩きつけた」に変わっていた。そうか、みんな辞表は叩きつけたいものなんだな。
これ以降、専務から私へのうざ絡みはぱたりと止んだ。引き継ぎが忙しいのか社内でも殆ど見かけなくなり、辞職じゃなくて長期休暇ってことになったらしいよと瑛子から聞いたときには、季節は移り、2月も終わりに近づこうとしていた。
ポーシェリィル嬢がこちらで目覚めたのもちょうどその頃だったと言う。そして、それがヴァルとユィンファリシアが人為的に起こした入れ替わりだったのだと、私と彼女は聞かされることになる。
「角のコンビニでお土産買ってきたよ」とカップショートケーキ3つを剥き出しで抱えた、皇太子殿下に。
ここまでお読みいただきありがとうございました。評価、ブックマークなどいただけると励みになります。よしなに。