2. 私になりたくなかった、私
2話目です。6話前後で完結の予定です。
「まず、貴女に謝らないといけないことが2つあるの」
内線で談話室の予約を取り、秘書課と営業統括課に面談の連絡をし、産業医を呼ぼうかという上司の申し出をやんわり断って、ようやく彼女と話をする準備が整った。
私が電話でやりとりしている間に、彼女--ポーシェリィル・アントラ子爵令嬢は紅茶を淹れてくれていた。
ベージュのパーティションと黒のパイプ椅子しかない無機質な談話室だけれど、丁寧に淹れられた紅茶の香りが満ちて、皇宮の書庫での秘密のお茶会が思い出される。ポーシェリィル嬢もあの会合の一員だった。
「妃殿下が、わたくし如きに謝罪など!」
もったいないことですとぺこぺこ頭を下げられてしまう。そもそも、こうして向かい合って座ることすら「畏れ多い」と拒絶され、説得に難儀したのだ。
「だから、まずそれ」
人差し指を立てて、ひとつめ、と示して見せる。
「私は、厳密な意味では、ユィンファリシアではないのよ」
ポーシェリィル嬢は私の指先から顔へと目線を移し、しばらく見つめてから、納得していない風に頭を振った。
「確かにお顔立ちに少し違うところはおありですけれど、でも、その……」
自分が抱えている感覚をどう表現するべきか迷っているようだ。言葉に詰まった彼女に助け舟を出す。
「面影がある、のよね」
「はい! 左様でございます、さすが妃殿下!」
満面の笑顔から流れるようにお追従が紡がれる。これは貴族階級の子女には脊髄反射レベルで躾けられてるものだからもう仕方ない。諦めて話を進める。
「私もそうよ。こうして見ていると心の裡に、ポーシェリィル嬢のお顔が浮かぶの」
まだ扇代わりにしているバインダーで彼女の頬に軽く触れる。この顔、と念押しくらいのつもりだったのだけど、ひさしぶりの令嬢ムーブで加減を間違えただろうか。ポーシェリィル嬢は頬どころか耳から首まで真っ赤になって、バインダーを両掌で押しいただきうっとりと見上げてきた。
「わたくしもです……妃殿下の尊いお姿が、今もはっきりと」
あ、違うな。この子ユィンファリシアを崇拝してる一団の構成員だったわ。何だっけ、【お慕いする僕の会】? おふざけでやってるんならと放置してたら50人超に膨れ上がって、政略的な団体と勘違いされるから解散しなさいって言ったら涙ながらに嘆願してきた集団の中にこの子も居たっけ。
あの当時のユィンファリシア、大量の狂信者居たもんなぁ……主に私の所為だけど。
距離感気をつけよう、と咳払いをひとつ、バインダーを引いて取り戻す。残念そうな顔をしないでほしい。
「貴女、この世界で田中貴美恵さんとして目覚める前に、皇国で何度もこちらの夢を見たわよね?」
「あ、はい」
ポーシェリィル嬢は背筋をすっと正した。よし、ちゃんと切り替えて偉い。
「10日ほどだと思います。断片的なものからだんだん長くなって……ですのでこちらで目覚めたあとも部屋のどこに何があるとか、そういったことは判っていて」
「でも夢で見ていないのに誰にも教わらなくても出来たことって多くなくて? 例えばクレカの使い方とか」
「……仰有る通りです。そういえば、会社への道順って夢では見たことなかったのに、どうして判っていたのかしら、わたくし」
眉根を寄せ口元に指先を当てて考え込む落ち着いた姿は、さっきのやらかし状態とはまた別人のようだ。これなら私の、自分ですら納得の行っていない説明もちゃんと聞いて自分で考えてくれるだろう。
「これは、あくまでも私の仮説としてお聞きになってね」
令嬢ムーブが抜けなくて言葉がちょっと変だけど、ここはこのまま通そう。
「侑未とユィンファリシアは、ひとつの魂を共有するふたりの人間だと思っているの」
****
4年前だ。新卒で入社した年。最初は、おかしな夢を続けて見るなぁストレスかなぁ、と軽く思っていた。そもそもゲームクリエイター志望で配属願いも制作部で出したのに、下った辞令は営業統括。ポートフォリオ自信あったのに! まぁちょっと? 逆ハー乙女ゲーム企画の舞台が弊社に似過ぎていたのはアレだったかもだけど、遊び心じゃん! と、鬱憤を感じていたのは確かだったから。
一晩の夢で何週間もユィンファリシアの中から皇国の生活を眺めることもあった。彼女は皇太子の幼馴染かつ婚約者候補の1人という立場で、度々その候補から外してほしいと父親や皇妃に直訴してはすげなく却下されていた。そのときは私は自分自身でこの世界観を思い描いているのだと、つまりはこの夢が創作の天啓的なものだと思っていたので(これ企画にして配置換え直訴したらワンチャンあるのでは?!)なんて呑気に考えていたのだ。
あの朝、薄く透けるレースが何重にもあしらわれた天蓋付きの美しい寝台の上で目覚めるまでは。
飛び起きて、混乱したまま自分の手て顔と髪、着ている寝衣に触れて確かめる。ここ、え、夢の? なんで? そう自問していると、控えめなノックの音がした。続けて「お嬢さま?」と心配げな声が扉の向こうから聞こえる。
その声がメイドのエーデだと判る。扉の向こうでわたくしの許可を待っている、のも判る。メイド長や執事ならともかく一介の下働きでしかないエーデが、主人の許可なく私室に踏み込めるはずがないのだ、と。
少し浅くなっていた呼吸を整える。仮にもゲームクリエイターを目指す身、転生ものも悪役令嬢ものもそれこそ売るほど通って来てるんだから。出来る、大丈夫。迂闊な言動をして正気を疑われでもしたらまずい。気を引き締め、令嬢のロールプレイを脳内で必死に組み立てる。
「よくてよ、エーデ」
ユィンファリシアの口調をちゃんとなぞれているだろうか。緊張と不安で震える手は、背後に回して枕の下に隠した。
垂れ絹の向こうで扉の開く気配がした。エーデが数歩だけ進んで、適切な距離を取って礼をする。きっちり編み込んだ赤髪にくりくりの緑の目が可愛いエーデ。子供の頃に雇い入れた、よく気の利くわたくしのお気に入りのメイドの1人。基本データは問題ない。いける。たぶん。
「失礼いたしますお嬢さま。まだお目覚めのお時間ではございませんが、お声が聞こえましたものですから」
あー、起きた瞬間叫んだな、そういえば。初手から大丈夫じゃなかったよ私。
決意が一気に台無しになったけれど、それで逆に肩の力が抜けたらしい。怖い夢を見たのよお母さまには内緒にしてね、とちょっと弱々しく言ってみせればエーデは「お珍しい」と微笑んで、何か温かいものを用意しますと部屋を辞した。
去っていく足音に耳を澄ませ充分に遠ざかるまで待ってから、私は寝台に倒れ込んだ。声が漏れないように枕に顔を押し付けて、溜息のかたちで大きく息を吐く。
ユィンファリシアの記憶はある。でも、それだけだ。転生や転移でないならあちらの自分はどうなっているんだろう。もしかしてユィンファリシアが私の体に入ってるのかな。これが入れ替わりなら無意識が繋がっていて交信できるとか便利機能ついてたりしないだろうか。おーい。お嬢さまー。聞こえるー? 無理かー。
現実逃避に近い自問自答を繰り返していると、エーデがニラムの葉で香りをつけた紅茶を持ってきてくれた。ちょっと強めのアールグレイみたいなお茶だ。
「ありがとう。わたくし好きよこの香り」
何ひとつ気負わず、するりと言葉が出た。存じております、とエーデは得意そうに微笑んだ。
****
「4年、前」
そうおうむ返しをしたポーシェリィル嬢の声は、少しうわずっていた。
「それで、ユィン……いえ、侑未さまはいつ、こちらへお戻りに」
「一昨年の夏。ちょうどお盆休みだったかな。だから、皇国には2年ちょっと居たことになるわね」
にねん、と彼女がまた呟く。
そう、2年だ。その間、私の身体にはやはりユィンファリシアが居た。完全ではないけれど、記憶は残っている。
入れ替わりなのは確かだ。入れ替わっているのが『人格』なのか『意識』なのか、別の何かなのかを知ることは出来なかった。言語・生活知識・習慣や癖が残っているので、中身がまるごと取り替えられているのではないらしいけれど。
自分とユィンファリシアの記憶を擦り合わせてみて判っていることをポーシェリィル嬢にも話しておく。
皇都と東京で時間の流れはほぼ同じであること。一日は24時間で一週間は7日。太陽は巡り月は満ち欠け、四季もおそらく同じ周期だと思う。私が最後に過ごした皇国の夜も、暑い盛りだった。
血縁などは連動していないこと。私は母子家庭で育ったけれどユィンファリシアは三世代同居の大家族だった。
入れ替わっている間の記憶や経験はお互いに引き継がれること。咄嗟の動作などに無意識に表れることもあるし、遡ろうとすれば完全ではないにせよ思い出すことが出来る。
「わたくしも、いつか、戻れるのでしょうか……どのくらい、待てば」
不安を隠せない、震える声。私への問いかけではなかった。胸元で握りしめた自分の両手を見下ろすほど俯いて、ふと漏れた独り言のようだった。どこまで話していいものか、少し迷う。
「どうかしら。3日で帰ってしまった方もおいでになるし、10年戻らなかったと聞いたこともあってよ」
殊更明朗に、なんでもないことのように聞こえるように、言う。その言葉に、ポーシェリィル嬢が驚いて顔を上げた。
「他にも皇国の方が居られるのですか?!」
「ええ。それもね、私が先ほどお話しした、『魂がひとつ』という仮説を立てた根拠ですの」
皇国の記憶を持った人物が、この社内にもう一人居る。と言っても入れ替わりは20年も前、7歳の時のことだったそうだ。こちらで10年強を過ごし、17歳で元の人格に戻ったという。
実はその人物は、昨年末にまた入れ替わりを起こしたのだ。そして3日間、実質的には中一日で戻っていった。
瑛子が田中貴美恵さんのキャラ変を「今度は」と評したのは、あの事件があったからだ。
社内に大恐慌を巻き起こした事件だったけれど、私には僥倖だった。得た情報も有益なものが多く、特に入れ替わりを起こしたことがある者はお互いに相手を認識できることを知れたのは大きかった。それらを踏まえてこの事象を解析するなら、ふたつの世界はひとつのサーバの中にあるデータで、とか、人的存在個々に紐づけられている共用データベースにバグが起きて、みたいに現代技術に当て嵌めることは出来るだろう。
でも、『データベースは共用』と言うより『魂がひとつ』の方がしっくりくるのだ。どうしても。スピリチュアルなワードは好きじゃない。それでも、理屈ではない何処かで判っているのだ。私とユィンファリシアはそれぞれが独立した人間で、ただ魂を、共有しているのだと。
「ポーシェリィルさま。いつかは判りませんけれど、いずれ、こちらに来た時と同じようにあちらの夢を見るようになりますわ。貴美恵さんが貴女として皇国で生きている様子を。その時が来れば」
「戻れ、るのですね……」
うっすら涙ぐむポーシェリィル嬢を見ていると、胸が痛む。私も向こうで目覚めて何日かはつらくて不安で、戻りたい帰りたいと独りで泣いたものだった。でも、それは彼女のように寂しいとか誰かに会いたいとかそういうものではなく、まだやりたいことがたくさんあるのにという我欲の方が大きかった気もする。
と、かつての自分を思い出したことで、彼女に言わなければならないことがあったのも思い出してしまった。これはちゃんと理解してもらわないと。彼女がこのあとどのくらいこちらに居るにせよ、そして、いつか戻ってくる田中貴美恵さんのためにも。
「それでね、ポーシェリィルさま」
とっても言いにくい。が、言わなければならない。指を2本立てて見せる。
「貴女に謝らないといけないことが2つあると申し上げましたでしょう?」
左様でございました、と彼女は頷いて、指先で目尻に残った涙を拭い微笑む。罪悪感で喉が詰まりそう。
「もうお気づきでしょうけれど……こちらは、『たそやみ』の世界ではないのよ」
ポーシェリィル嬢の表情が固まった。数秒、まるで意識が途切れたかのように動かず、開いたままの目にまた涙が溢れてくる。色を失った唇が震えて、喉がひくりと痙攣をひとつ、それから机に突っ伏して赤ん坊のように泣き出してしまった。
ごめん。ほんとうにごめん。貴女のあのやらかしは、そもそも全部私の所為だよね。
ようやく異世界っぽくなってきた(当社比)
ラブはもうちょっと先です。気長にお付き合いください。
ここまでお読みいただきありがとうございました。評価、ブックマークなどいただけると励みになります。よしなに。