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1. 誰かになれなかった、彼女

「今度は秘書課の地味恵がキャラ変した、って聞いた?」


 毎週金曜に提供されるスペシャルランチのおかげでごった返す社員食堂の、窓際の席。向かいから同期の瑛子が噂話を振ってきた。

 安いのに豪華で品数も多いスペシャルランチは、ソシャゲ幾つもヒットして名の売れたゲーム制作会社ですから社員の福利厚生にちゃんと還元してますよ、という経営陣からのアピールだ。確かに美味しいんだけど、私にはちょっと量が多い。

「……そのコンプラ(さわ)りまくりの仇名はどうなのよ、法務でしょ仮にも」

「しゃーないっしょ、秘書課にタナカは3人キミエは2人いるんだもん」

 瑛子の方はすっかり完食だ。このサーモンの煮物みたいな、メニューにはポシェって書いてあるやつ、引き取ってくれないかな。

「ねぇこれ食べない…」

「先月無断欠勤が続いたあとにさ」

 あ、駄目だ。喋りたいモードに入ったら瑛子は止まらない。私がトレイから持ち上げた小鉢には目もくれず、身を乗り出して小声で話を続けてくる。

「体調不良の連絡あって1週間休んで、出てきたらまるで別人だったって」

 秘書課の田中貴美恵さん、と記憶を浚う。確か入社3年目。総務に居る同期が何度か書類を取り違えて謝りに行ったと話していたのを憶えている。瑛子が言ったように同姓と同名が多い所為もあるだろうけど、良くも悪くも印象に残らないひとなんだろう。それが。

「髪くるくる化粧ばっちり私服ゆるふわ、香水ベタ甘フローラル」

 瑛子が、ここぞとばかりに声を一段落とし、口角を上げて続ける。

「男子社員にだけ、舌っ足らず語尾伸ばしのハート付き上目遣いでドジっ子アピール」

 確かに、ちょっと想像が追いつかないな。

侑未(ゆみ)のとこ、午後に秘書課と意見交換会でしょ。たぶんトラブるから教えとかなきゃと思ってね」

「情報共有はありがたいけど、営業統括(うち)と何がトラブりそうなの?」

 聞き返してから、しまった、と思ったけどもう遅かった。瑛子の目がそれこそキラリと効果音がしそうなほど輝く。よくぞ訊いてくれました!と心の声も漏れ聞こえてくるようだ。

「じゃなくて上層部(うえ)。内線の取り方がエグいらしくて、常務は完スルーで専務のは秒キャッチ。で、……」

 ランチタイムはそのまま、瑛子の『地味恵改めキメ恵のトンデモ活動記』で消化されてしまった。相槌を適宜入れつつ、息継ぎにサーモンの小鉢とピクルスを食べてもらうことには成功した。フードロスだめ、ゼッタイ。



 ****



 定例の意見交換会は、秘書課・経理課・営業統括課・業務管理課の合同で四半期の終わり月第三金曜に行われている。あとはお目付役としてお偉いさんが取締役から1名、持ち回りで参加する。今回は専務の順番だけど、先週まで体調不良でお休みだったはずだ。来ない方がいいんじゃないだろうか。こっちも気が楽だ。

 私は発表の担当があるので、早めに会議室のフロアへ移動した。せめて髪はまとめ直したい。切る踏ん切りがつかないまま伸ばし続けて腰に近い長さになっているので、バレッタ1個では数時間で崩れてきてしまう。化粧はマスクあるし時間あればでいいけど、ほつれた髪で業務報告はいただけない。

 パウダールームへ向かいながらふと、そういえば瑛子はああ言ってたけど田中貴美恵さんはそもそも出席しないよね、と気がついた。

 今回は年度末の月末なので超繁忙期の経理課は不参加。とはいえ当社は従業員一万人規模、残り3課だけでも総勢100人は越える。そのため基本は主任以上が出席して各課に内容を持ち帰ることになっている。

 田中貴美恵さんは役付ではない。参加しないならトラブルも起こりようが無いじゃんと胸を撫で下ろした矢先、フロアの給湯室から何やら女性同士が言い争う声が聞こえてきた。

「だから!自分の仕事に戻りなさいったら!」

「ええ〜だいじょぶですよぅ〜雑用はあたしがやりますからぁ〜みなさんこそご自分のお仕事されてくださぁい」

 瑛子の情報は一部訂正かな。『舌っ足らず語尾伸ばし』は性別問わず発動してるようだ。

 覗くつもりはないけど前を通らないとパウダールームに行かれないんだから、仕方ない。横目で見やると開けっ放しの入り口から見える室内には人影が4、5人。シンクの前でお茶出し用のトレイをおなかの辺りに抱き、肩を竦めて首を傾げているのが田中貴美恵さんだろうか。確かに、瑛子に聞いてた通りの見た目だった。ふわふわ巻いた肩までの髪が頬にかかり、きらきらアイシャドウとうるつやリップ。ふさふさの睫毛は自前っぽい。

 その彼女が、トレイを大袈裟に抱え直した。豊かな胸部がトレイと二の腕の圧力で更に盛り上がる。ちょっとくねっと上体を捻って見上げた先には、業務管理課若手いちのイケメンと評判の高い沢井くんが居た。そうだ、お茶出しは出席しない課員から男女問わずで選抜されるんだっけ。瑛子ごめん、あんたの情報正確だったわ。

「いいから!課に!戻りなさい!」

 スタッカートで怒鳴って彼女を給湯室から押し出したのは、秘書課社長担当チームリーダーの江峰さんだろうか。間髪入れず扉がわりのアコーディオンカーテンが引かれ、ぱちん、とロックがかかる音がした。

 彼女はトレイを抱えたまま動こうとしない。俯いて床を見つめる目がガンギマリだ。

 なるべく関わらないで済ませたいので、そおっっと後ろを通り過ぎようとした、が。彼女の呟きが切れ切れに耳に入る。

「これじゃ…なのよ…この…で発言して好感度上げないと、…ルートに入れないじゃない…」

 なにそれこわいこわいこわい!聞かなかった、私何も聞かなかったからね!



 ****



 結果として、彼女は派手にやらかした。意見交換会という名前はついているものの最近は実質ただのお偉いさんへの報告会なので、各課の現状報告があって他課から質問があってそれに答えて、と淡々と進み、いつもだいたい2時間くらいで終わる。専務はしっかり出席だったので、今回もそうなるはずだった、のだが。

 私が今期の進捗をざっくり話し終えて着席した辺りでいきなり、奥側の扉から彼女が突撃してきたのだ。スライドドアを両手で押し開けたのはもしかしてかよわいアピールだったんだろうか。

 奥側、つまり上座である。プロジェクターを正面に見る長机に並んでいるのは各部本部長と専務だ。その長机の前に回り込み、真ん中に座っている専務の正面を陣取って【あたしのかんがえたさいこうのぎょうむかいかく】を滔々と述べ始めたのだ。

 みんなびっくりしすぎて初動が遅れた。彼女は鼻息荒く4、5分は語っていただろうか。最初に正気に戻ったのは専務だった。さすが、若くして偉くなってるだけはある。何せ私の3つ上であの役職だ。

 彼女の熱弁が続く中、それを遮るように専務は書類の束を大きく振り上げ、ぱん、と机を叩いた。

 それほど大きな音ではなかったけれど、会議室に居る全員の注意を引くには充分だったようだ。もちろん、興奮して捲し立てていた彼女も、言葉を止めた。

 専務はほんの一瞬、眼鏡の向こうの目を眇め彼女を見つめた。見定めるような、何かを探すような、そんな気配。すぐに逸らされてしまったので気付いたひとは殆どいなかっただろう。少なくとも彼女は判っていなかったようで、頬を染め口元に両拳を当て、ハートマーク盛り盛りで「きゃ」と言ってみせた。

 もちろん専務はそんなもの見てもいないし聞いてもいない。

「誰か仕切り直してくれないか、このあとの予定はずらせない」

 抑揚なく言い放って、さっきハリセンの代わりにして握ったままだった資料に目を落とした。彼女はまだいろいろ、あなたのためにとかこの先の危機がとか専務に言い募っていたけど、一瞥もしないところが凛々しい。

 業務管理課のガタイのいいおっさん2人に両腕を掴まれ会議室から引きずり出されても彼女は諦めなかった。ロックされてしまったスライドドアを外から、たぶん両拳でガンガン叩きながらこのままじゃ会社がとか改革を急いでとか喚き続け、最終的には

「どぉしてわかってくれないんですかぁぁ!」

 と、泣き叫び始めてしまった。

 嗚咽の合間に時々、『ナントカさまぁぁ』と男性の名前のようなものが聞こえてくる、気がする。気がするだけだ、と心の耳を塞いだ。

 議事進行的には私の質疑応答なのだがとても普通に話ができる状態ではない。皆一様に顔を見合わせ、それからまた一様に、専務の方を窺い見た。

 専務はその視線に気づいて端正な顔を心底嫌そうに歪め、目を閉じて大きく息を吐き、立ち上がった。ロックを外し引き手に指を掛け、勢いよく開く。引き戸が反対側に叩きつけられて派手な音を立てた。

 廊下にへたり込んで天を仰ぎ号泣していた彼女は、目の前に現れた専務に目を輝かせた。涙は秒で引っ込んだようだ。ついでに(はなみず)も。両手を祈りのかたちに胸元で組み合わせ、おまけに二の腕で胸をぐいっと押し上げて、うっとりと専務を見上げた。

「ああショウマさま、やっぱりあた…」

「誰だそれは」

 甘えるような声を専務の容赦ない低音がぶった斬る。彼女は口をぽかんと開けて固まってしまった。

「私の名前は『隆誠(りゅうせい)』だ。人違いだから他所でやれ」

 専務は上着の隠しから名刺入れを取り出し、1枚抜いて面倒くさげに彼女へ投げた。ひらひらと舞い自分の膝元に落ちていくそれを追う彼女の目は、光を失っていくように見える。

 うそ、うそ、うそ、と呟きながら彼女が名刺に震える手を伸ばした。それを拾ったのかどうかは判らない。専務が強めに扉を閉めたので。



 ****



 議事はめっちゃ巻いて終わった。何なら予定より早いくらいだった。お偉いさんたちが退出しようと奥側の扉を開けると、そこにはまだ、彼女が俯きへたり込んでいた。

 先頭は総務本部長だったので、振り返って手で小さくバツを作った。あとに続いていた営業統括本部長が察して専務を手前側、フロア構造で言うとエレベーターに近い方の扉へ誘導し、社員たちもそれに倣った。

 廊下の彼女には誰も近付かず、会議室は空になった。皆、彼女の方を見ないように足早に去って行く。気味の悪いものから目を逸らしたい気持ちからなのか、必要のない雑談を交わしているひとが多い。

 足音と声が廊下に虚に響き、何度かエレベーターの開いて閉じる音が鳴り、そして静寂が訪れる。彼女はそのままだった。鍵当番に名乗り出て1人残った私が歩み寄っても、気づく様子もない。へたり込んだ姿勢で両手をつき、虚な目で床上の、名刺だっただろう握り潰された紙屑を見つめている。唇は微かに動いているけれど声を発してはいない。

 まるで地に投げ出された瀕死の金魚のようだと、思う。

 傍に片膝をつき、カールが崩れたふわふわ髪の向こうの彼女の横顔を覗き込んだ。目を凝らし、面影を探る(・・・・・)

「……ギルス=カザン皇国アントラ子爵家の、ポーシェリィルさま」

 彼女の肩がまるで背を叩かれたように大きく跳ねた。瞬きをはっきりとふたつ、ぎこちなくこちらを見上げてくる。

「わたくしの、……なまえ」

 初めて目が合った。

 自分の後頭に手を回して、バレッタを外した。するりと解け落ちてゆく髪が目の端を掠める。無駄かもしれないと思っていてもどうしても切れなかった、髪。

 彼女はしばらく私を見つめ、それから何かに気づいて泣き腫らした大きな目を更に見開いた。両手を這うかたちについて、座り込んだままこちらへ身を乗り出す。

「……ユィンファリシア、皇太子妃殿下……?!」

 おや、そう呼ばれているということはご成婚遊ばされたのねわたくし(・・・・)

 肯定の代わりに微笑んでしまってから、慌てて持っていたバインダーで口元を隠す。生憎と扇はもう常備していない。

 立ち上がる私の顔を、彼女の不安げな目が追ってきた。ゆっくりと手を差し伸べる。肩と顎を引き背を張り、腕から指先までを『夜露に撓う蔓薔薇のように優雅に』形作るよう意識して。

 ……ああこれ、ダンスの先生の決め台詞だ。『夜露にィーしーィなぁうーぅっ!』って、あのひと(・・・・)とこっそり真似して笑ったっけ。

 不意に湧き上がってきた追憶を瞬きひとつで振り払って、もう一度、彼女にバインダー越しの微笑みを向ける。

「さぁ、お立ちになって。淑女(レディ)のなさるお姿ではなくてよ」


異世界展開はもう少し先です。恋愛は更にもうちょっとだけ先。そこまでお付き合いいただけましたら幸いです


ここまでお読みいただきありがとうございました。評価、ブックマークなどいただけると励みになります。よしなに。

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