第89話 大事な大事な家族を
「なるほど、お酒をしこたま飲んで眠りこけていたのも幻覚だったわけですね」
「いや、特に問題ねぇと思ってしこたま飲んで寝てた」
けどこんなに大勢で押し掛けられちゃな、とクメスフォリカは笑いながら柚良たちを見る。
そしてヘルに視線が向いた瞬間、片眉を上げると異様な目つきをしたが――すぐに真っ黒な白目ごと瞼で覆い隠し、次に目を開けた時には柚良を真っすぐ見ていた。
「こないだ勧誘されただろ。隠世堂だってバレたついでにもう一度訊くが、このままウチに来ねぇ? 浩然が欲しがってて煩いんだよ」
「そんな理由で誘われたのは初めてですね……! あの時も答えましたがNOですよ」
「やっぱし?」
しつこい勧誘って萎えるよなァ、と言いながらクメスフォリカは腰に手を当てる。
「じゃァこれはアタシ個人のお誘いだ。アタシにも目的があってさ、そのために隠世堂に所属してるワケ。それを満たしてくれたら諦めるように浩然を説得してやってもいいぞ」
「目的ですか?」
劉乾の目的は柚良との再戦、そして勝利を掴み取り柚良を殺すことだった。
隠世堂に所属している人間が何らかの忠誠心を組織やボスに向けている可能性はあるが、新興組織であるため安定していない今は烏合の衆に近い。
そんな者たちを纏めて留めているのは浩然が勧誘の際に口にしたように『魅力的な環境の提供』もしくは『他とは比べ物にならない報酬』や『個々の目的達成に対する都合の良さの提示』である。
クメスフォリカにもそんな目的があるのだ。
紫色の目を翳らせながらクメスフォリカは半月のような口元で笑った。
「アタシは兄貴とその子供を探してンだよ。――で、その子供ってのがそいつだ」
すっと伸ばされた人差し指の先にいたのは、柚良を守らんと構えたままのヘルだった。
ヘルは目をまん丸にしたが、どこか納得したような様子で視線をクメスフォリカへと向ける。
その目はクメスフォリカとはまったく異なる色をしていたが、艶やかな長い黒髪はどこか似た雰囲気を持っていた。この場にソルがいたなら寝癖についても言及しただろう。
「……私はベルゴの里で生まれました。そして母も売られるまでしばらく一緒に過ごしていたんです」
「もしかして、そのお母様に父親の話を聞いたことが?」
「はい、愚痴でしたが。ただ素性はわからず、私が覚えているのは母づてに聞いた最悪な性格と……クメスレツカという名、そして真っ黒な白目という特徴だけでした」
ヘルはオルタマリアからクメスフォリカの名前と身体的特徴を聞いた時、父親のことが脳裏を過り「関係があるのかもしれない」と同行を申し出たのだと説明した。
納得した柚良はクメスフォリカを見遣る。
「人違いではないんですね? ……念のため訊きますけど、探している目的は何ですか?」
「あァ、クメスレツカは兄貴の名前だ。目的はそりゃァ決まってるだろ、大事な大事な家族を暗渠街なんかに置いておけるかよ」
しかし暗渠街は広く、そして危険であり足を踏み入れることすら苦労する区画も存在している。
そんな場所で兄と姪を探し出すことはクメスフォリカにとっても容易ではなく、そのため隠世堂のスウカトに乗って所属することになったのだという。
「兄貴は親父と不仲でな、ウチを飛び出して放浪したのちに暗渠街に流れ着いて、そこで出会った女とねんごろになった。でもそこでアタシらの追跡も上手くできなくなっちまってよ」
次にわかったのはクメスレツカの妻が奴隷屋の商品となり、そこで子供を生んだという事実だった。
肝心のクメスレツカは雲隠れしており、クメスフォリカはそちらを優先し暗渠街を探し回ったが見つからず――その間にヘルはすくすくと育ち、気がつけば柚良に買われていた。
そうつらつらと説明したクメスフォリカは肩を竦める。
「こりゃアタシの落ち度さ、判断ミスってやつだね。姪っ子は居場所がはっきりしてるし、売られてもその情報はベルゴの里に残る。それを追えばいつでも見つけられると思ったんだ」
「しかし売られた先がまさかの万化亭だった、と」
「そ。普通そんな奇跡起こると思うか?」
その頃のクメスフォリカの年齢は十三、四だった。
若くて考えが足らなかったと悔いる仕草をするクメスフォリカに柚良は迷う。
家族という言葉で妹のことを思い出し心が揺れた。しかしクメスフォリカは隠世堂の命令とはいえオルタマリアに危害を加え、人の姿を捨てるきっかけを作ったのだ。
柚良がそう返答に窮していると蒼蓉が己の顎に触れながら口を開く。
「ここでボク抜きで交渉を進めるのも考えが足らないと思うな、クメスフォリカ」
「万化亭の若旦那か。モチロン話を聞いてくれるならお前と交渉するさ、どうなんだ?」
「君は今まさにウチの取引相手を潰そうとしているし、すでに大きな損害ももたらした。これじゃヘルを渡すにしても柚良さんへの勧誘を止めることだけじゃ足りないだろう? 交渉したいなら相応の価値あるものを差し出すべきだ」
万化亭にとっての価値あるもの。
それは即ち隠世堂の情報を売り渡せということである。
ここで無理やりクメスフォリカを捕まえて吐かせることが最短ルートではあるが、柚良の目をも欺いた幻覚魔法を相手にした場合、また大きな犠牲が出るのは目に見えている。
今この部屋で行なわれているのはだらだらとした会話ではなく、一種の膠着状態における探り合いと話し合いだ。
蒼蓉はクメスフォリカから目を離さない。
肩を揺らしたクメスフォリカは「そりゃそうだな」と頷いた。
「だがアタシもそれなりの地位にいるが、お前らの望むレベルの情報を一気に渡すことはできねぇんだわ。三日もらえるなら考えるが、許容できる範囲か?」
「その理由の明度をもう少し上げてくれ」
「隠世堂の隠れ家の位置と入り方、施設の位置と規模、詳しい構成メンバーのリスト、こっちで把握しているお前らの情報を纏めるにゃ時間がかかンだよ。若旦那は簡単に覚えられるだろうが、アタシは馬鹿だから必要なこと以外ぜーんぜん覚えてねぇからな」
蒼蓉は三秒ほど黙った後「それで手を打とう」と言った。
その言葉にヘルの肩がびくりと揺れたが、気にせず話を進める。
「三日後にこちらが指定した場所――两百龍のパグナーメンツ・ホテルという名前の廃ビルに来てもらおうか。出入り口に案内を置いておくから指示に従って中へ入ってくれ」
「虎の胃袋に入ってこいって言ってるようなモンじゃねぇか、罠くせぇ~!」
「信頼関係がない交渉なんてこんなものだろ? しかしクメスフォリカ、そちらもここからさっさと逃げないということは、一戦交えるのは避けたいということだ。……柚良さんやウチの影の目を欺くほどの幻覚魔法を持っているのに、だ」
ああそれと、と蒼蓉は指で口元を隠しながら言った。
しかしその指の隙間からはいやらしいとさえ言われかねない笑みが覗いている。
「エリオンの連中におかしな魔法をかけただろう。それを解いてくれないか」
「そいつぁ欲深すぎるだろ」
「なら契約をしよう」
クメスフォリカの返答をわかっていた顔で蒼蓉は懐から一枚の紙を取り出した。
イェルハルドが僅かに動揺を見せたが、当の本人である蒼蓉はまったく揺らいでいない。そのまま黒い爪を鈍く光らせ、紙――契約書を指さす。
「先ほどの条件を飲むならこちらもヘルを渡し、クメスレツカを探し出すと約束をしよう。相応の情報料も渡す。もちろん万化亭の契約だ、その契約を破れば……」
ボクの首が飛ぶ、と蒼蓉は己の首元を晒してみせた。




