第84話 妹のためにできること 【★】
暗渠街は汚染された煙が漂っていることが多く、雑然とした建物も相俟って日光が届きにくいが、決して常に薄暗いわけではない。
この日、柚良は実験に使用したタオルを万化亭の中庭に干していた。
美しく整えられた庭に色とりどりのタオルがぶら下っている。これらは元からこんなにもカラフルだったのではなく、柚良の調薬実験で染まったものたちだ。
特殊な薬剤を用いたものは色が落ちにくい。
これは専用の洗剤を開発する必要もあるな、と柚良がすべて干し終えたところで通りがかったヘルがぎょっとした。
「洗濯は私たちがしますが……」
「薬が染み込んでましたからね、万一のことを考えて自分で洗おうと思いまして!」
「なるほど、……」
タオルを眺めながら物言いたげな顔をしているヘルに柚良は「どうしました?」と問う。
ヘルはしばし迷った後、おずおずと申し出た。
「まだ魔法を究められていない身で贅沢なことかもしれませんが……私も薬作りを学べるでしょうか?」
「わあ、もちろんですよ!」
意欲的な生徒に柚良は好意的である。
ヘルの申し出に浮かれるほど喜んだものの、自分の調薬技術をまだまだだと感じている柚良はハッとして動きを止めた。このまま一緒に学ぶ形で教えることは可能だが、まだ芽の出ていないヘルに変な癖を付けてしまうかもしれない。
そう危惧した柚良はある提案をした。
「私、調薬はまだ不得意な分野なので、まず基礎はもっとしっかりした人から学んだ方がいいと思うんですよ」
「もっとしっかりした人……?」
「はい、仄さんです!」
天業党の跡取り娘、仄。
彼女は薬草作りに長けており、加えてそれを用いた薬の調薬技術も高かった。
基礎はバッチリだ。ヘルは学校では柚良の補佐新入生だが、共に学ぶ場面もあるため仄の存在は認識している。ただ親しい会話はしたことがないため、こんな申し出を受けてくれるでしょうかとヘルは不安に思っていた。
それを感じ取った柚良がにっこりと笑う。
「もちろん仄さんと相談した結果次第ですが、良い案だと思うんですよ。それにヘルさんとお友達になってくれるかもしれませんよ!」
「おともだち……それは同級生や同僚とは違うんですか」
ヘルは奴隷屋で相応の教育を受けてきたが、そのせいか友達という概念が上手く理解できないでいた。
柚良は「違いますとも」と胸を張る。
「もっと気軽で気楽なものです、……たぶん!」
「た、たぶん」
「いや~、考えてみたら暗渠街に来てから同性の友達って出来てないんですよね。そして表の学校では素の自分をさらけ出してなかったので、真なる意味で友達と言えるのか怪しくて……」
魔導師ユリアだとバレないように柚良は常に気を使いながら学校生活を送っていた。
そのため浅い関係の友達はいたものの、果たしてそれを本物の友達と呼んでもいいのだろうかと柚良の中に疑問があったのだ。
それでも楽しかった。
ヘルにもその楽しさの一端に触れてもらいながら、調薬について学んでほしい。そう柚良は願っていた。
「……わかりました。期待に応えられるかわかりませんが、試してみます」
「あはは、そんなにお固く考えなくていいですよ。けどヘルさん、どうして急にそんな申し出を……?」
学ぶ意欲があるのは良いことだ。
しかしヘルが自ら言っていたように、まだ学んでいる真っ最中の事柄がある。
ヘルの性格上、それを中途半端にしたまま次の物事に手を出すことは珍しいと言えた。そこに何か理由があるのだろうか、と柚良は思ったのだ。
ヘルは長い睫毛を伏せると自身の手元を見た。
「……柚良さまがおかしな組織に狙われていると聞きました。そこで私も少しでもできることを増やしておきたいと思ったんです」
「私のために? わぁ、ありがとうございますヘルさんっ!」
ヘルさんは良い子ですね~! と柚良はヘルの頭をよしよしと撫でる。
撫でられたヘルはきょとんとしていたが、一拍置いて嬉しそうに頬を染めた。
妹みたいで可愛いなと柚良は目を細め、そして実の妹のことを思い出す。小さな頃は同じように接したことがあったが、大きくなってからはさっぱりだ。
今どうしているのかはわからない。
柚良には妹の柚雨がお尋ね者の妹として酷い目に遭っていないことを祈ることしかできなかった。両親はすでに他界しているため、下手をすると柚雨には頼れる人間がいない可能性さえある。
(解決するには私の濡れ衣を晴らすのが一番だけど……)
いくら多種多様な魔法を使えても柚良は犯行現場すら見せてもらうことができなかったのだ。無理やり侵入し調べ、何かしら痕跡を見つけたところで不法侵入という罪まで重ねた柚良の言葉は信頼性を失う。
清く正しく真正面から堂々と身の潔白を証明しようにも、皇子殺しという大罪はこの帝国では即死刑に値するため弁護の場すら持たれない。
あとは柚良が全力を出して国の頭を威圧し、話を聞かせるしかないが――加減を間違えれば帝国を滅ぼしかねないだろう。
(それに本当の罪人になっちゃう。やっぱり万化亭に貢献しつつ蒼蓉くんに相談させてもらうのがいいのかなぁ)
その選択も正解かはわからない。
そう柚良が悩んでいるとヘルが顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか? 何かお悩みが……?」
「あっ、すみません、ちょっとボーッとしてましたね」
「若旦那との夜伽でお悩みでしたら話を聞くくらいならできます。いつでもどうぞ」
「とんでもない誤解されてる!?」
実技はありませんが知識は沢山教え込まれましたから、とやる気を漲らせるヘルを宥めながら柚良は「追加のタオルも持ってきて洗いますね!」と洗濯カゴを持ち上げて強引に話題を変える。
その洗濯カゴに何かが勢いよく飛び込んだ。
あまりにも早いスピードによりポスッではなくパァンッ! という高い音がしたくらいだ。よろけた柚良はヘルに支えられながらカゴの中を見る。
結界は張ってあるが、反応するのは人間と召喚獣だけのはず。
とすれば野生の鳥でも突っ込んできたのだろうか、と予想していた柚良は目を丸くする。
洗濯カゴの中に突っ込んで目を回していたのは――手のひらサイズのボールに似た、もっちりとしたオタマジャクシのような謎の生物だった。
ヘル(絵:縁代まと)
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