第78話 夏休み中にやりたいこと!
呻きつつも作成した宿題は無事に間に合い、今度は生徒たちに新鮮な呻きをもたらした。
特に柚良の宿題は格別で、大半の生徒が表情筋をこれでもかと駆使して感情を表現したのは言うまでもない。例外はヴェイネルなど生真面目な生徒くらいである。
紙束を配り終えた柚良はパンッと手を叩いた。
表情は明るい笑顔である。
「他の先生方にも口酸っぱく言われているかもしれませんが、目一杯気をつけながら目一杯夏休みを楽しんでくださいね!」
暗渠街には海も山もないが、ペルテネオン通りのように娯楽になる場所は点在している。
学生には宜しくない場所ばかりなものの、暗渠街に居る時点で『宜しくない』どころではないため言っても栓のないことだろう。
夏休みなのに夏ではないが、羽を伸ばすことはできるはずだ。
「皆さんも感じてらっしゃると思いますが、最近キナ臭いことが山盛りです。バーニアル代理校長からも説明がありましたが、夏休みの前倒しもその一環になりますね。ですが!」
「な、なんか糀寺先生、テンションがいつにも増して高……」
「ストレス発散や休養目的の長期休暇です! キナ臭くてもしっかり! 楽しみましょう! 羽目を外しすぎない感じで!!」
「テンションも言ってることの難度も高い……!」
苦笑いを浮かべる幽に柚良は親指を立てる。
「素敵な学校イベントのひとつですからね!!」
――柚良が学校という空間に憧れを抱いた時、真っ先に心奪われたのが長期休暇とその最中のイベントだった。
幼稚園にも休みはあったものの趣きが異なる。
それ以降は才能を買われて学校へ通えない日も多く、身分を隠して無理やり高校へ入学してからようやく味わえたのだ。
漫画や小説の知識でしか知らない世界であり、現実とは隔たりがあったものの柚良は楽しかった。
しかし自分が魔導師ユリアであることを隠している都合上、柚良はほとんど自分らしさを出せず、心から信頼し合える友人を作ることは出来ずじまいだった。
折角の素敵なイベントの半分は取りこぼしている。
そう柚良自身は思っており、故に現在も憧れは継続中。テンションも高くなるというものだ。
(暗渠街に来て素を出せるようになったし、能力を活かした職にも就けた。ついに真なる夏休みを楽しめる! ……と思った矢先に隠世堂騒動でこんなことになっちゃったわけだけど)
それでも生徒には夏休みを楽しんでほしい。
そう柚良は思っている。もちろん、宿題の作成には手を抜かなかったが。
様々な表情を浮かべながら帰る準備をし始めた生徒たちを見回し、柚良はその中で浮かない顔をしているトールに目をとめた。
宿題が憂鬱すぎる――という理由ではなく、きっと兄の行方を今も心配しているのだろうと柚良は思う。
(トールくんのお兄さんは、……)
今ならわかる。
状況から見て隠世堂のスカウトを受けたのだろう、と。
(でも抜きん出た才能があるわけじゃなかった。つまり隠世堂の本当の目的は魔剣か……)
持ち出された魔剣はなかなかの質のものだ。
しかしそれを得た後、果たして隠世堂はトールの兄を仲間として受け入れ続けるのか。敵対者に対しては手を抜かない組織だということは柚良にもわかるが、身内に対してはどうなのか未だに測りかねている。
(ひとまず、現状を考えるとトールくんにこの話はまだしない方がいいかな)
下手をすれば単身で隠世堂について調べ始めかねない。
それは先生として心配だ、と思ったところで柚良は心の中で苦笑した。
きっと、蒼蓉も柚良に対して同じような心境だったのだろう。
***
「やあ、お疲れさま、糀寺さん。宿題は無事に完成したそうだね」
着替えを終え、夕飯の席に現れた蒼蓉は柚良をそう労いながら席についた。
エビチリを頬張っていた柚良はそれを飲み下すと「バッチリです!」と親指を立てる。
「まあアルノスさんや他の先生はぐったりしてましたが……!」
「それは致し方ないさ、特に魔法歴史学はね」
「後任の先生はまだ見つからないんですか?」
見つからない、と言ってから蒼蓉は箸を持つ。
「申し出はあったんだ。しかし『あっただけ』だ」
「あー……下心もりもりの怪しい申し出でしたか」
「ああ。万化亭の所有している学校なんだから、もう少し演技力だけでなくそれなりの情報を偽装してほしいところだ。あんなの侮辱もいいところだよ」
無理やりにでも万化亭の傘下に入りたい者や、スパイとして潜り込みたい者。
そんな人間が無害で有用な先生候補を名乗ってやってくるのである。
万化亭の敵は隠世堂だけではない。そういった有象無象の人間や組織も日々相手をしていかなくてはならないのだ。
その判断はすべて蒼蓉ひとりに任されている。
「それはそれとして、夏休み中にこちらの戦力強化もしようと思っているんだ」
「戦力強化ですか?」
「そう。そのために新規の戦闘員や護衛、店員、影の奴らの候補をふるいにかけている。これも骨が折れるが――その中に魔法歴史学に長けている者がいたら、教員として雇ってもいいかもしれないね」
蒼蓉にとってアルノスの苦労はどうでもいい。
しかしそれで学校としての機能が麻痺してはならないのだ。
つまり教員不足という問題にまったく何の対策も取らないというわけではない、ということである。柚良は笑みを浮かべて「良い人が見つかりますように!」と手を叩いた。
「糀寺さんも隠世堂が動くまで何かするんだろう? 調薬以外にも」
「あっ、しますします! 学校がないぶん割けるリソースがありますからね」
考えてみれば蒼蓉は表の世界の学校があるため、増えた仕事を捌くリソースはどこから捻出されているのだろうか。柚良はそう気になったものの、今までのあれこれを思い出して口を噤んだ。
訊ねて心配したところでやめはしないだろう。
片付けなくてはならないことがあるからこそ、この早い夏休みが作られたのだから。
なら今まで通り自分なりに気遣いながら色々と作ろう、と考えながら柚良はもうひとつの目標を口にした。
「私、次の邂逅に備えて――召喚獣を増やしたいと考えてるんです!」




