第77話 がんばれ、夏休みの宿題作り!
人にものを教えるのが難しいように、知識を問題という形にして纏めることもまた難しい。
問題文は簡潔にわかりやすく、答えが明瞭に決まっているもので。
各クラスの平均を出し、そのレベルに見合った難度で。
それを何問分も繰り返し作り出すべし。
加えて柚良の授業は希望者のみの特別授業という形だったが、宿題は全校生徒に出るものだ。
各担任はそれぞれの教科にスポットを当てた宿題を作り、柚良はその範囲と被らない問題をまんべんなく作る手筈になっていた。つまり他の教員が問題を作らないことにはなかなか方向性が決まらない。
柚良はまだ内容が確定していなくても大雑把に「この範囲を使います」という予約を聞き込み、授業までの間に宿題の範囲候補をもりもりと纏めていた。
「糀寺先生、大丈夫ですか? 授業の準備もあるんじゃ……」
「エドモリア先生! 大丈夫ですよ、やっとコツを掴んできたところです!」
柚良は自信満々でそう答えたが、エドモリアは心配げに柚良の手元を見る。
少しばかり難度の高い問題候補がずらずらと並んでいた。柚良基準での『丁度いい問題』たちである。
真に心配すべきは生徒たちの方かもしれない。そうエドモリアが考えていると柚良が「そういえば」と口を開いた。
「あれから闘犬型一角獣の様子はどうですか?」
柚良もたびたび世話に行っていたが、ここしばらくは隠世堂の件もあり様子を見ることが叶わなかったのが闘犬型一角獣だ。
エドモリアの飼育している魔種の一種で、もふもふの体と額の長い角が特徴的な犬に似た生き物である。
闘犬型一角獣は柚良が学校へ来た初日から脱走を繰り返しており、その原因はヤンチャな性格――ではなく、何かに怯えているからではないかというのが柚良の予想だった。
柚良の質問にエドモリアは情けなさそうな表情で頬を掻く。
「相変わらずですよ、もうお手上げ状態です。普段はこんなことないんですが……いや、随分と長い間あんな様子なんで、その、やっぱり飼育方法が悪いのかな……」
「エドモリア先生!」
「は、はいぃ!」
「エドモリア先生の生物知識は卓越したものです、飼育方法も間違っていません。自信持ってくださいね!」
エドモリアは目をぱちくりさせた後、安堵した様子ではにかんだ。
闘犬型一角獣は何度も逃げる。原因はわからない。その結果、蒼蓉の期待を裏切ることになるかもしれない。そうずっとプレッシャーに感じていたんだなと柚良は察する。
(エドモリア先生のためにも、闘犬型一角獣のおかしな挙動について早く明らかにしたいところだけど……)
今はとにかくやるべきことが多い。
それでも他の作業中にヒントを拾えるよう、ちゃんと心の隅に置いておこう。
そう決めながら柚良は再び問題を纏めるべくペンを走らせた。
***
エドモリアは他の教科よりも専門性が高いため、宿題作りを一番に終えている。その後は普段通り過ごしていた。
同じように魔法歴史学を受け持っているアルノスも専門性は高いが、範囲がとにかく広い。
他国の言語も入り混じっており、加えて途中から通説が覆された等の古い情報も山ほどあるため裏取りを入念にする必要がある。資料の資料の資料まで普段から確認しているくらいだ。
そして今年は何といっても同じ教科を受け持っていたメタリーナがいない。
メタリーナは失踪したままであり、時期と状況を照らし合わせて隠世堂が関わっているのではないかとアルノスは考え始めていた。
蒼蓉は明言していないが、アルノスにもある程度は察する力がある。
(あのババア……ぜってぇ心配してやんねぇぞ……)
心の中で毒づきながらアルノスは一心不乱に問題を作っていた。
歴史学をメタリーナと分担していたのもこの作業量の多さ故だ。勝手に抜けたせいで全部自分ひとりでやるはめになった、死にそう、とアルノスは疲れ目を何度も瞬かせる。
メタリーナの失踪は気になっているものの、目下の心配事第二位は宿題作りだ。
第一位はもちろん隠世堂――の件で巻き込まれる形で口外法度の契約をさせられた我が身のことである。
アルノスはボロボロになりながら泥のようなコーヒーを飲む。
そこへゆっくりと近づいてきた足音は柚良のものだった。
陰鬱とした表情をしていたアルノスは足音の主に気がつくなり今できる一番の笑みを浮かべる。
「やあ、柚良ちゃん」
「こんにちは、アルノスさん! 魔法歴史学の宿題の範囲についてなんですが……」
できてる分はそこだよ、とアルノスは机の端に積んだ紙の束を指した。
柚良はお礼を言いながらホクホクとそれを確認する。
「しかしこの範囲をひとりで纏めるのは大変ですね……、……メタリーナ先生は、その」
「柚良ちゃんも若旦那から聞いてない? やっぱアレ絡みでしょ」
「あの組織の情報整理中に聞きました」
柚良は僅かに視線を落とす。
多発している行方不明者は魔導師としての才能が高い者か、有用な武器や道具を持った者ばかり。その中にメタリーナが含まれていても何らおかしくはない。しかも痕跡から察するに自らの意思で出ていったなら尚更だ。
浩然の行動を見るに、隠世堂は高い確率で『スカウト』という形で対象を勧誘する方法を好んでいるのだから。
アルノスはペンを動かしたまま言う。
「この環境を捨ててまで行くようなところとは思えないけどね。……そりゃ若旦那は怖いけどさ」
「ふふ、それ、蒼蓉くんに直接言ってあげたら喜びますよ」
「笑みは浮かべるだろうけど好意的なものじゃないと思うなぁ……!」
想像したのかぶるりと震えながらアルノスは柚良を見上げた。
「どうせ変にライバル心燃やしてた柚良ちゃんが想像以上に大物だったから居づらくなったんだよ。でもそれで柚良ちゃんが気にすることはないからね、マジで」
「ライバル心? わ……! それならもっとちゃんと正面から受け止めてれば良かったですね……!」
思ってたのと別のところを気にしてるな、とアルノスは苦笑いをする。
柚良は何とかしてもう一度メタリーナと話せないものかと思案していたが、不意に何かを思い出したように「あっ、そうだ」と呟くとポケットから小さなものを取り出してアルノスに差し出した。
飴でもくれるのだろうか。なら嬉しいな、などとアルノスが思っていると、彼の手の平に置かれたのは小袋に入った錠剤だった。
サイズは指先に乗る程度。
枯草色をしており、その中に蛍光ピンクの粒が入っている。
形状から薬だということはすぐに感じ取れたが、効果や用途についてはまったく予想がつかない。
しかしあの柚良のポケットから現れた薬である。
冷や汗を垂らしたアルノスは様々な想像を巡らせながら声を絞り出した。
「……ど、毒薬?」
「あはは、その逆ですよ! 回復薬です!」
「この見た目で!? い、いや、良薬口に苦しって言うくらいだから見た目がグロい良薬もありえるか……」
「固めた時は五種類の蛍光色がマーブル模様になってたんですが、一晩経ったら落ち着いちゃいました。あ、でも臭いが凄いんで使用時以外は開けちゃダメですよ」
良薬目に痛し、良薬鼻に臭しでもあったわけだ。
しかしそんな短所を補うほどの効果がある、と柚良は如何ともし難い表情を浮かべているアルノスに説明する。
「最近疲れることが多いし、物騒なことも多いですからね。アルノスさんも持っててください」
「あ、あはは、何か凄そうな薬だけど、心配してくれてのことなら嬉しいよ。貰っとくね」
「アルノスさんにはお世話になってるので、むしろこんなことしか出来なくて申し訳ないくらいです。改良版が出来たらまた持ってきますね!」
そう言って柚良は自分の机へと戻っていった。
アルノスは錠剤を見下ろす。禍々しい見た目だが、片思いの相手から貰ったものということで多少は輝いて見えた。多少は。
(あの感じだと疲労回復にも使えるんだろうけど――)
今飲むのは少しもったいない。
アルノスはそう心の中で頷くと、錠剤を丁寧にポケットへとしまって再び濃いコーヒーを口に含んだ。




