第75話 クメスフォリカの面倒事 【★】
その日もクメスフォリカはロビーのソファでだらしなく足を放り出して熟睡していた。
両手両足に加え腹まで露出した姿であり、放り出された両足もすらりと長い。
一見して下品なほど艶めかしく見えかねない光景だったが、彼女の周りに散乱する酒瓶がそんな雰囲気を完膚なきまでに壊している。もちろん全て空瓶だ。
しかし無防備な様子を見せていたクメスフォリカは小さな物音でぱちりと目を覚ました。
少し重い靴の音である。
ややあって扉を開いて入ってきたのは浩然と、小脇に抱えられた劉乾だった。
「うげぇ、なんてモン持ち帰ってんですか。餌用?」
「劉乾様はまだ死んでいませんよ」
「あー、それ劉乾か」
流血と火傷で酷い状態だが、ようやくそれを死体ではなく劉乾だと認識したクメスフォリカは大きく伸びをして立ち上がる。
「回復要員は出払ってますよ、闇医者に診せます?」
「そうですね、あとはまあ……研究施設の方も呼びましょうか。あちらで行なっていることも医療と紙一重、技術も知識も役立つでしょう」
「絵面エグそ」
そう口角を下げたクメスフォリカはあることに気がついて劉乾を――正確には劉乾のケープをまじまじと見た。
「鈴、一個ないっすね」
「おや」
「なんだよ、折角幻覚で『主人は生きてる』って思い込ませてたのに無くしたのか? あれ面倒くさかったのに」
レイラー・エリヴァイの召喚獣は彼の肉体に刻まれた契約の証に宿り、レイラー本人にしか使役できない代物だ。
レイラーは万化亭とは別ルートから隠世堂の存在を察知し、明確な敵意を向けていた。隠世堂の正体までは掴めていなかったようだが、それでも巧みに調査を続けていたため無視するには難がある目障りな存在だったのである。
万化亭ほど大きな脅威ではない。
とはいえ組織ごと勧誘を仕掛けるには大きすぎる。
なら排除しましょうか、と浩然は判断した。
加えてレイラーの召喚獣は粒揃いだったため、排除ついでにそれを頂こうということになったわけだ。メリットとデメリットを秤にかけ、その傾きによりレイラーは命と召喚獣を奪われた。
そんな召喚獣の対処を担当したのがクメスフォリカである。
当初、召喚獣は契約の書き換えに強く抵抗した。
拠点の半分が吹き飛びかねない抵抗だったが、そこでクメスフォリカが強力な幻覚魔法とレイラーの一部を用いて『主人は生きてそこにいる』と誤認させて従わせることに成功したのだ。
ただし契約者も劉乾に書き換えたものの、不安定なためレイラーの一部をそのまま内包した鈴を持っていなくてはならないという制約がある。
もしそんなものを必要とせずに契約の更新が出来るとすれば相当の手練れだろう、とクメスフォリカは思う。
そして劉乾は銀の鈴をケープに縫い付けて常に身に着けていたものの、そのうちの一つを落としてきた、ということだ。
おつかいを失敗した小さな子供を見るようにクメスフォリカは肩を竦めた。
「この様子だと万化亭と天業党の頭を殺すのにゃ失敗したんですよね? そんな場所に落っことしてきたならヤバくないっすか」
「まあ致し方ありません、取りに戻っても目敏い方が多くいらっしゃったので既に拾われた後でしょう」
「ウチのことバレません?」
「バラしてきました」
えー! とクメスフォリカは大声を出す。
散々尻尾を掴まれるなと必死に隠しながら酒の確保に出ていたのに、という心境がありありと反映された叫びだ。――ここにメタリーナがいたなら「そういうことは酒の確保を我慢してからじゃないの?」と半眼になったことだろう。
浩然は研究施設の方へ歩きながら笑った。
「糀寺柚良様の興味を引くならこの方が良いと思いまして。そもそも駆けつけた段階でそこそこの情報を得られていましたし、加えて劉乾様を回収するために姿を晒す必要もありましたしね」
「まあ、うーん、どうせ姿を見せるなら結局向こうは相当の情報を得ちまうわけですけど……。あ! なら今後はアタシも堂々と酒を買いに行っても――」
「クメスフォリカ様はまだ顔が割れていないので、引き続きそのままでいてくださいませ」
「ええー! クソッ、今度またメタリーナ引っ張ってくか」
実際には隠世堂側でクメスフォリカの顔が割れていると判断できる状況ではないから、と表現するのが正しいが、浩然はそんな補足はせずに「では宜しくお願い致します」と言い残して去っていく。
点々と残された劉乾の血痕を眺めながらクメスフォリカは「面倒くせぇな~」とボヤき、中身の残った酒瓶はないかと探ったが一本たりとも見当たらなかった。
仕方なく再びソファに横になって欠伸を噛み殺す。
「……しかし糀寺柚良、か」
帝国のお抱え魔導師ユリアでありながら、高校生の糀寺柚良としての面も持ち合わせていた天才中の天才だ。
クメスフォリカも直に見たことはないが、必要最低限の情報は浩然から与えられていた。
劉乾が隠世堂へ入ったのも彼女が要因である。
「故郷にも天才はいたが、聞いてる話が全部ホンモノだとすると対比すら出来ねーやつだな。引き込んだら引き込んだで面倒クセェぞ~……」
しかし浩然は随分とご執心なようだ。
彼の目的である反魂楽土を見つけるのに便利な道具になるからこそだが、果たしてそんな道具を使いこなせるものなのかとクメスフォリカは疑っている。だがクメスフォリカにも目的があるのだ。
それを達成するのに便利だからこそ隠世堂に身を寄せていた。
なら面倒なことでも従えることには従わなくてはならない。
「まぁ、もし糀寺柚良を引き込めれば――アイツもくっついて来るかもしれねぇしな」
ならアタシの目的も楽に達成できる。
そう肩を揺らして笑い、クメスフォリカは再び微睡みの中へと意識を投じた。
クメスフォリカ(絵:縁代まと)
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