第71話 そうであってたまるもんか 【★】
朱の一撃は速く重い。
対して浩然は劉乾を抱えた状態である。
回避は難しいと思えたが、しかし浩然はスーツの裾が僅かに揺れる程度の動きで回避した。
朱の拳は鉄球の如き重さで床に突き刺さり、浩然に向かって数多の破片が吹き飛んでいく。そのひとつひとつが常人なら骨にひびでも入りそうな勢いだった。
それらを氷の壁で防ぎながら浩然は笑う。
「おや、シンプルなのに避けても厄介な攻撃ですね」
「よく言われる!」
朱は床に拳がめり込んだまま腕の力だけで下半身を持ち上げると、長いリーチの脚を使って蹴りを繰り出した。氷の壁が砕け散り、きらきらと光を反射しながら飛び散ったかと思えば空気中に消えていく。
あっという間の出来事に仄と幽がぽかんと口を開けていると、柚良が仄に支えられたアルノス含む三人の前に躍り出た。
「三人とも、私の後ろにしっかり隠れててくださいね!」
「こ、糀寺先生!?」
ふたりが慌てて身を屈めたのと同時に浩然が全方向に向かって氷の礫を放つ。
柚良が展開した障壁に守られた仄と幽は無傷だったが、足元から這い上がるような寒気にゾッとした。
見れば礫が触れた部分から床や壁が氷結し、さながら氷の家のようになっている。
そこへ柚良の明るい拍手が響いた。
「氷属性って使える人が少ないんです、それだけでも親近感が湧くのにこの精度! 威力! 素晴らしいですね!」
「わたくしが最も苦手とする属性だったので、ならば最も得意になってやろうという対抗意識の賜物でございます」
「心意気も素敵です!」
「糀寺さん、変な相手の好感度を上げちゃだめだよ」
蒼蓉が浩然をじっと見ながら言う。
そんな蒼蓉も柚良の障壁の範囲内に入っていたが、僅かに届いた礫はイェルハルドがすべて防いだようだった。
目を輝かせていた柚良は「好感度?」と首を傾げてしばらく思案を巡らせたが、再びその口を開く前に浩然が氷の礫を竜巻に乗せて回転させ始める。
しかし狙ったのは柚良たちではなく天井だ。
暴風と共に打ち上げられた氷の礫が激しい音を響かせ屋根の一部を吹っ飛ばす。
二種類の魔法の発動、しかも凄まじく調和の取れた複合魔法だった。
転移魔法の軌跡を目で見れることといい、繊細で大胆な魔法の使い方といい、今まで柚良の周りにいた魔導師の中でも最高位だと短い邂逅でもわかる。
会話を交わして魔法談議に花を咲かせれば大層楽しいことだろう。
相手のことも含めて自分の知らないことを知れるに違いない。
目を見開いた柚良は赤紫色の瞳に空から降り注ぐ氷の破片を映し、何度か瞬いてから胸の高鳴りに気がついてハッとした。
ドキドキする心臓。
体温上昇。
見惚れてしまったという自覚。
起点はなんであれ、もっと相手を知りたいという気持ち。
「蒼蓉くん! 大変です!!」
「見ればわかるよ。高威力の魔法だ、さすがの君でも厄介――」
「あの人を見るとドキドキします! これって『好き』なのでは!?」
蒼蓉がむせた。
隙のない万化亭の若旦那ではなく、柚良を好いているひとりの高校生として突然のことに動揺してむせた。
その様子に万化亭の若旦那としての蒼蓉しか知らない朱たちは一瞬だけ状況も忘れて視線をそちらに向ける。それは浩然も同じだったが、見ているのは柚良だった。
「おやおや、変わった趣味の方ですね。ならば隠世堂に来てくださるならわたくしを差し出しましょうか? なんでも望まれるままにご奉仕致しますよ」
「……」
柚良がそちらを見る。
つい先ほどまで魔法に目を輝かせていた目だ。
「番うことも歓迎致しますし、魔法も好きなだけお見せしましょう。如何ですか?」
「なんだろう……」
そして、かどわかそうとしている相手を見るにはあまりにも真っすぐな、しかし言葉の内容をさほど聞いていないような目だった。
柚良はそのまま頭を傾けて浩然を凝視する。
そこに恐怖や不安はなく、あるのは純粋な疑問だけだった。
「あなたに見覚えがあるような、ないような……」
提供された似顔絵を見た時はなにもわからなかった。
しかし気がついていないだけという可能性は残されていたのだ。
今もはっきりとはしないが、しかし目の前で生身で動いている様子を見ると引っ掛かるものがあった。
しかも引っ掛かるのは見た目だけではない、と直感的に感じ取れる。
そうやって柚良は浩然を見続けていた。
ただそれだけだ。魔法を使って威嚇することも威圧することもしていない。
だというのに――隠している部分まで見透かされそうなその目に、浩然は無意識に一歩後ろへと下がった。直後にそれを自覚して笑みを浮かべ直す。
「時間ですね。この場で色好い返事を頂けず、名残惜しさも糅てて加えて湧いてくるというものですが……本日はこの辺りでお暇させて頂きましょう。糀寺様、またお伺い致します」
待て、と朱が言う前に浩然は劉乾を抱えたまま天井の穴まで跳び上がった。
その後を追って朱が魔法の補助なしに床を蹴って屋根へと上がったが――着地する頃には浩然たちの姿はすでに無くなっていた。
舌打ちしたのと同時に下から柚良の声が届く。
「恐らく転移魔法を使われました。インターバルも短くて相当の熟練者ですね、ますます気になっ……」
「糀寺さん、それは恋心じゃないよ」
「そうですか? でも勉強したことと不思議と似た点が多くて――」
「そうであってたまるもんか」
「おいおい、万化亭の若旦那が随分焦った顔してるところ悪いけどね、敵を逃がしたからには次の手を考えなきゃいけないよ」
ずどん! と爆音をさせて床へと着地した朱が服から埃を払いながら言う。
手傷は負わせたが由々しき事態であることに変わりはない。
色恋に動揺するのもいいが、早く万化亭の人間としての役割りを果たせ、ということだ。
しかし蒼蓉は朱に答える前に柚良の手を握って言った。
「いいかい、早とちりだけはしないでくれ」
「いや~、ホント必死ですね蒼蓉くん……」
「君の性格をわかっているからこそだよ」
まあきちんと精査はしますよ、と返した柚良に些か信用ならないなという視線を送りつつ、蒼蓉はイェルハルドに指示をする。
「全滅はしてないだろう、各隊を回収して被害を纏めておけ。他は後で指示する」
『はい』
そして影へと溶けるように消えたイェルハルドを見送り、蒼蓉は朱に向き直った。
「逃げられはしたが得た情報は多い。敵の名前や容姿、使う魔法、目的、組織名の確定だ。ただすべて鵜呑みには出来ないから下調べはこちらに任せてもらうよ」
「願ってもないことだね。……ったく、もう少し暴れられそうだったのにスルスル逃げて蛇みたいな奴だ。次に会ったら絶対にクソ痛い一撃を入れてやる」
だからこっちでも浩然について調べさせてもらうと言うと朱は娘たちを振り返る。
そして「今日は帰るよ!」と逞しい片腕を上げて倉庫から出ていった。
仄はアルノスを下ろし、去っていく母と柚良たちを交互に見て頭を下げる。
「あ、あまりお役に立てなくてすみません、先生!」
「いえいえ、地下の時と同じで下手に手を出すほうが危なかったですから。ちゃんとした実戦は授業でしましょうか。また学校で待ってますね、仄さん、幽さん!」
そうにっこりと笑った柚良にふたり揃って再び頭を下げ、仄と幽も母の背を追って出ていった。
なんとか自力で立てるまで回復していたアルノスだったが、完全に緊張の糸が切れたのか、その場でもう一度尻もちをつくと天を仰ぐ。
「もー……俺ここで一番場違いな奴じゃんか! しかも驚くほど情けない! 転移酔いもつらい!」
「アルノスさん、そこ床が凍ってるんで凍傷になっちゃいますよ」
「そして追い打ち!」
「……アルノス・テーベルナイト。君はそれなりに良い働きをしたよ。格好良いものではなかったけれどね、すでにそれだけ後悔があるなら今更気にならないだろう」
ゆっくりとした足取りでアルノスに近づいた蒼蓉が言う。
褒められているのか、未だに先ほどのことを若干引きずっている感情が煩わしくて八つ当たりをされているのか判断がつかず、アルノスは反応に困りながら苦笑いをした。その手になにかが触れる。
丸く小さく固いものだ。
氷の礫が残っていたのかとアルノスはぞくりとしたが、視線を落としてすぐにそれが礫とは違うものだと気づく。
床に転がっていたのは、銀色をした音の鳴らない鈴だった。
年賀状に描いた柚良と蒼蓉(絵:縁代まと)
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