第69話 なにせ好きな子の前なので
アルノスは地面に突っ伏していた。
劉乾に攻撃されたわけでも彼の召喚獣にやられたわけでもない。
ここへ転移した時からこの状態である。端的に言うなら転移酔いだった。
過去の仕事柄、アルノスも何度か転移魔法の対象になった経験があるが、しかし今回は大人数ということもあり転移時の衝撃の大きさが異なっていたのだ。感じ方は人それぞれだがアルノスは存外ダメージを受けるタイプだったらしい。
例えるなら普段は自転車程度、今回は何回転もするジェットコースターである。
起き上がろうとするたび三半規管を掻き混ぜられているような感覚が襲い、戻しそうになったが――さすがにこの場でそこまでの痴態は見せたくない、とアルノスは必死で堪えた。
なにせ好きな子の前である。
その好きな子はまったくこちらを気にしていないが。
(さっき完全に頭数に入れられてなかったもんな~……さすがに情けなさすぎる……)
転移酔いは基本的に十数分程度で回復するとされている。もちろん人によっては数日間めまいに襲われることがあるが、立っていられないほどではない。
だからこそ柚良はアルノスの様子を一度確かめただけで「今はこのままにしてるのが一番!」と判断したのだろう。介抱している余裕のある場所ではない。
わかっている。
わかってはいるが、やはりアルノスは羞恥心でいっぱいだった。
そんな彼の視線の先では氷の壁で劉乾の魔法を防いだ柚良がスルスルと生やしたツタで雄牛を絡め取っていた。
毒の角にもツタが絡みつく。
その様子を見た劉乾が片眉を上げた。
「そのツタ……」
「はい、そうです! 雄牛の角の毒を予想して同種の毒を持つツタを使ってみました。十種ほど思いついたんで総当たりするつもりでしたが……一発で当たりましたね!」
ラッキーですと喜びながら柚良は氷柱を二本作り出し、それを天に向かって放つ。
二本の氷柱はそれぞれ空を泳ぐサメと三姉妹のうちの一羽に向かったが、三姉妹には命中したもののサメは目に見えない壁に阻まれた。バリア魔法である。
飛んでいるだけのサメにわざわざそんなものを? と目を細めた柚良はクイズに正解したような顔をした。
「あのサメって召喚獣含む味方全体に強化魔法をかけてますね、軽いものですけど」
「反撃に攻撃に解析までするのか、やっぱりお前は化け物だ。しかも女子高生気分で楽しんでるときやがる」
化け物だな、と言い重ねた劉乾は身動きの取れなくなったディープマッドを送還すると青黒く巨大なエイを召喚する。
エイの体には黒い刺青で何かが刻まれており、それをすべて晒す前に土の中へと潜っていった。
まるで水面のように波紋を広げて姿を消した様子に柚良は目を輝かせる。
「異界の湿地帯に住むソイルレイですか!? わぁ~っ珍しい、レイラーさんはそんなものまで使役してたんですね!」
「今はオレのだ」
にやりと笑った劉乾はドロスの三姉妹を柚良にけしかけた。
軽いステップでそれを避けた柚良は靴越しでもわかるほどの熱を足の裏に感じ、体勢が崩れるのも気にせず飛び退く。すると一瞬前まで立っていた場所が赤く変色し、かと思えば土を突き破って火柱が上がった。
まるで水のように土へと潜れる召喚獣、ソイルレイは隠密行動には向いているが攻撃手段が少ない。
雄牛のディープマッドのような毒も持たず、ドロスの三姉妹のような鋭い爪も持っていなかった。出来ることといえば隙を突いた体当たりくらいだろう。
柚良もそちらにばかり警戒していたが、土中から噴き出したのはどう見ても魔法によるものだった。
「あの体の刺青……かなりアレンジされてましたけど、もしかして火属性魔法の魔法陣――」
「当たりだ、ご褒美に後で直接味わわせてやるよ」
劉乾の声が間近からする。
柚良が体勢を崩している間に自ら打って出たのだ。
右手に針のような暗器が握られているのを見た柚良は瞬時に結界を張ったが、劉乾は織り込み済みだったのか瞬間的に全力で風の刃を放つ。その威力はやはり柚良が記憶しているものより大分高く、劉乾の研鑽を垣間見せた。
そして、これだけの攻撃を出来るというのに柚良を狙うのはあくまで武器だ。
直接自分の手に感触が伝わるもので悲願を成したい、そんな感情も垣間見えたものの一つだった。
結界の一部を剥ぎ取られた柚良の足元が再び赤く変色する。
場違いなほど目を輝かせた柚良は自ら倒れ込むように暗器の一撃を避け、あろうことか赤くなった地面に手をつくと――用意してあった対象の魔法使用を制限する魔法を発動させた。
隠蔽されていた巨大な魔法陣が光り輝き、風の刃と火柱の魔法が掻き消える。
効果は数秒だが、柚良にとっては十分な時間だった。
「ナイス連携です! やっぱり噂通りそういう戦い方が上手いですね、劉乾さん!」
「……!」
柚良の周囲に冷気が渦巻く。
瞬く間に現れた氷の礫に目を瞠った劉乾は盾代わりにドロスの三姉妹を突っ込ませようと指示を飛ばしたが、サメの強化魔法すら封じられているため想定よりも動きが鈍い。
そして強化魔法が封じられているのは劉乾も同じである。
自前の運動能力で回避は不可能。
そう瞬時に判断した劉乾が長い袖をひるがえしたところで氷の礫が豪速で繰り出された。
劉乾が倉庫の一つへ突っ込んだところで制限魔法が消え去る。袖により射線がぶれ、致命傷にはならなかったが劉乾は頭から血を流していた。
柚良は軽い足取りでそちらへ向かいながら自分の手の平を見下ろす。
「うーん……? 事前に除外した対象の魔法は制限しないよう処理してたはずなんですけど、ちょっと私にも影響出てましたね。ソイルレイの移動で魔法陣が乱されたかな……」
「は、ははは! 本当にこれ以外は言えないな、この化け物め!」
「いやいや、劉乾さんも凄いですって! あと召喚獣も凄いですね、制限で送還されない辺りレイラーさんが対策してたんでしょうか、……改めてお訊ねしますけど、それ、どうやって引き継いだんです?」
そろそろ教えてくださいよ、と言う柚良に劉乾は視線を外さないまま再び笑うと、倉庫内の荷物に背を預けながら立ち上がった。
柚良の背後からドロスの三姉妹の二羽が襲い掛かろうとしたが、柚良の導線に被っていないと確認した朱が飛び出すと二羽の首根っこを両腕でホールドする。
「わっ、ありがとうございます朱さん!」
「まったく、アンタの動きがエグすぎて下手に助太刀もできなかったよ!」
からから笑いながら朱は暴れるドロスの三姉妹を表情一つ変えずに締め上げた。
二羽の老婆の顔が見る見るうちに色を変えていく。
それを確認したほんの一瞬の間に劉乾の姿が消えた。
おや、という顔をした柚良は倉庫内を見回す。
人影や足音どころか息遣いすら聞こえてこない。
「蒼蓉くんと朱さんを襲った時と同じ魔法……?」
柚良もここまでの隠密系魔法は知らないが、劉乾が新たに身につけたものだということはわかっていた。
あの時あの瞬間、柚良だけでなくイェルハルドも攻撃の瞬間まで存在を認識できなかったが、今もまったく同じ状況になっている。そう理解した柚良は全神経を集中させた。
聞こえもしない。
見えもしない。
気配すらせず、空気が劉乾を避けるどころか受け入れて透過しているかのようだった。
恐らく劉乾はまた暗器を使う。
しかし結界や強化魔法では先ほどのように引き剥がされる可能性があった。
柚良は呼吸を止めると目を瞑る。その状態のまま二分、三分と経ったところで――死角に現れた劉乾が肋骨の隙間から心臓を狙い暗器を突き出した。
それを阻止したのは氷でも炎でもない。
強化魔法で最大限まで高められた聴覚である。
防ぐことができないなら回避を、と柚良が短い間に重ねがけたものだった。
劉乾の気配は完全に遮断されていたが、襲撃時もそうであったように攻撃の瞬間だけは姿を現す必要があった。恐らく物理的に干渉する場合に必須の条件なのだろう。
人間だけでなく扉に対してもそうだったため、タイミングから考えて店員が入ってきた際に劉乾も室内へ侵入したのだ。
だからこそ耳をそばだてて現れる瞬間を探ることは有効だった。
不意打ちではなく「来る」とわかっていれば対策もできる。
「……!」
しかし暗器の一撃を避けた柚良は再び劉乾の執念を見せつけられることになった。
劉乾は恐らく毒を塗り込んでいるであろう針を口に咥えていたのである。一部が青黒く変色した唇で柚良に向かって毒針を吹きつける。
強化魔法は一点に集中させていた場合、他の場所へかけ直す際に普段より一秒か二秒ほどの遅れが生じる。それが今は命取りだった。
結界の発動も間に合わない。針だけ狙っている間もない。
これは自分も巻き込まれる自爆じみた範囲攻撃魔法を使うしかないか、と柚良が瞬時に覚悟を決めたところで――倉庫外から飛んできた一陣の風が毒針を跳ね上げた。
仄の肩を借りて立ち上がったアルノスによる一撃である。
「アルノスさん!」
「あはは……さすがにこのままは情けなさすぎたからさ、間に合ってよかった」
青い顔をしたままアルノスは弱々しく笑った。
しかし柚良が満面の笑みを返すと少しばかり元気が出た様子で安堵する。
柚良は倉庫の床を突き破る形で黒く艶やかなツタを生やし、劉乾の手首に巻きつけた。まるで頑丈なロープのようだ。
隙を突かれた劉乾は腕を引っ張られ大きく体勢を崩したが、指先から炎を作り出しツタを焼き切ろうとする。しかしツタはびくともしない。
そのまま足元を掬われた劉乾は腕ごと胴体を縛りつけられ、最後に首元にツタが緩く一巡した。
「はいはい、ストップ! 変な動きを見せたら首のツタの内側から一斉にトゲが出て死にますよ。召喚獣も送還してください」
さすがに復讐しないまま死ぬのは嫌ですよね、と。
柚良は倉庫外からのほのかな光源に照らされながら、そう言って劉乾に微笑みかけた。




