第68話 ボクが安心できるように 【★】
ただの空き地というわけではない。
いくつもの廃倉庫に囲まれており、ここへ繋がる路地は一本。
こうなるように管理された場所だ。劉乾は四白眼を細めると柚良たちを見遣る。
「万化亭がリンチにでも使ってる場所か?」
「それは室内でやるよ。ここは室内でやるには臭いが気になる作業や処理用かな」
「は、は、は……表じゃ早々聞かねぇセリフだ。ならその処理場、今日はオレが活用してやるよ!」
蒼蓉にそう笑った劉乾は見知らぬ場所へ転移させられた動揺を欠片も見せず走り出した。
手には細く鋭い刃の暗器が握られている。
蒼蓉の胸元に迫ったそれを剛腕で弾き飛ばしたのは朱だった。
勢いよく跳ね上がった劉乾の手首を掴み、腕一本で軽々と投げ飛ばす。地面に叩きつけられた劉乾はひょいと起き上がると朱の追撃を瞬時に躱した。
柚良が前のめりになる。
「わあ、見えました? 地面に当たる瞬間に風魔法のクッションで衝撃を緩和しましたよ! 事前に展開していたものじゃないので瞬間的に判断して発動させたものですね、いやぁ動体視力の良い人の戦闘は見ていて面白いです!」
「糀寺さん、それ観戦者の振る舞いだよ」
至極冷静にそう言いながら蒼蓉は劉乾の動きを見た。
質のいい強化魔法を複数かけているのだろう、表の世界というよりも裏の世界の暗殺者じみた動きをしている。
普通の人間ならいくら強化魔法が優れていてもそれに振り回されてしまうものだ。
一方、劉乾はそれを完全に制御下に置き、勢い余って倒れることも転ぶこともない。加えて柚良の言ったように適切なタイミングで他の魔法も併用してくる。
劉乾は朱が拳を振りきったのを見計らって死角へ入り込むと暗器を振り上げた。
しかし怒号じみた大声を発した朱は踏み込んだ足にそのまま力を込め、先ほど突き出したのとは逆側の腕で裏拳を繰り出す。
暗器を弾き飛ばさせた劉乾は人間離れした動きで飛び退きながら笑った。
「なんて体幹だ、あんな角度からの攻撃が魔法無しでこの威力か」
「卑怯者の相手は慣れっこなんでね、そういうトレーニングも積んでるのさ」
体勢を整えた朱はパァンッと手の平と拳を突き合せた。
「暗器ってのは不意打ち用だ、アタシとやり合うなら役者不足ってもんだよ」
「たしかにな、……」
劉乾はほんの少し迷う素振りを見せると、突然短く息を吐き出してケープの鈴を揺らした。
音は鳴らない。
しかし突然劉乾の集中力が今までにないほど高まったのを感じ取り、柚良が一歩前へ出たのと――空き地に頭蓋より大きな角を持つ黒い体躯の雄牛が現れたのは同時だった。
朱は突進する雄牛を素手で止めようとする。
その間へ割って入るように柚良の作り出した氷の壁が現れ、すぐ後にガラスの軋むような嫌な音をさせてヒビが走った。
雄牛が氷の壁で止まっていたのはほんの二秒ほどだ。
しかし氷の壁を破壊する前にどこからともなくスルスルと伸びてきたモスグリーンの蔦が雄牛の体や角に巻きついて動きを制する。
柚良は両手をメガホン代わりにして朱に言った。
「朱さん、多分それ召喚獣のディープマッドっていう雄牛です! 角の毒に触れると悪夢を見ながら死ぬのでお気をつけて!」
「おやまァ、おっかないね!」
朱が雄牛から距離を取ったその時、空き地の周囲から老婆の笑い声が響き渡った。
心底楽しそうな笑い声だというのに抑揚がなく平坦で気味が悪い。
刹那、様々な方角から叫び声が聞こえた。
「あれは……」
柚良は目を細める。
倉庫の屋根の上に現れたのは老婆の顔を持つ大きなカラスだった。
それが合わせて三羽いる。どれも口元と爪を新鮮な血液で赤く染めていた。
「ドロスの三姉妹って呼ばれてる大カラスですね、……で」
「あの空中を旋回してる半透明のサメは?」
「多分グラスシャークでしょうか。けど通常よりおっきいです」
柚良は次々と不穏分子の正体を言い当てたが、普通は相当の知識がなくては断定できない。
それでも今回の召喚獣たちは蒼蓉にも聞き覚えがあった。
「殺された『九つの会』のレイラー・エリヴァイの召喚獣……?」
レイラーには組織名の由来となった九柱の名をつけられた九種の召喚獣がいた。
召喚魔法を得意とする彼は特殊な契約を結び、それらを自分の肉体に宿らせて瞬時に呼び出すという特技を持っていたが――それを披露する間もなく殺され、頭以外を持ち去られた被害者でもある。
蒼蓉からそんな話を聞いた柚良は唸った。
「なんらかの方法でその人から召喚獣を奪ったのかもしれません。……うぅん、でもなんで主じゃない者の言うことを聞いてるのか不思議です」
「普通は主の死と同時に契約解消されるらしいね」
「ですです。その~……蒼蓉くん、レイラーさんがじつはまだ生きてるっていうことは……」
蒼蓉は首を横に振る。
死を捏造し雲隠れする者もいるため、一報の際に調べさせていた。
レイラー・エリヴァイは確実に死んでいる。
もし首だけで生き残るすべがあったとしても、残された頭はその可能性が潰えるような保存状態だった。もちろん本人確認も済ませてある。
それを聞きながら柚良は周囲に視線を走らせた。
「ドロスの三姉妹は三羽でワンセットとして劉乾さんが一度に召喚できるのは魔力的に三体まででしょうが、ステルス能力に関する情報もまだ少ない中でこれは厄介ですね。さっきの悲鳴は影の方々でしょうか」
「そうだね」
刺客を転移魔法でひと気のない場所へ連れ込むことだけが作戦ではない。
必要ならある程度消耗させてから油断したところで他者の魔法使用を制限する魔法を発動させる予定だった。この消耗させる役がターゲット本人の朱である。
制限魔法は事前に地面に魔法陣を用意しておく必要がある上、ほんの五秒から十秒ほどの効果しかないが、その隙に周囲に潜んでいた万化亭の影たちと共に捕縛することになっていたのだ。
殺すことだけが目的なら取れる選択肢は多いが、情報を吐かせるために生け捕りともなると難度が上がる。
影たちはそれを遂行すべく待機していたが、劉乾はなにか潜んでいると予測して召喚獣に襲わせたのだろう。
ドロスの三姉妹は人間の十倍の視力を持ち、紫外線や温度の差までも見ることができるという。
嗅覚にも優れ、あの奇怪な笑い声は対象を緊張させて体臭の変化を感じ取るためのものだとされていた。実際に楽しい感情で発されたものではなく、理由はどこまでも野生動物的だ。
毒の角を持つ雄牛。
索敵能力に優れる三羽の大カラス。
正体を予想はできるが、実力のはっきりとしていない空飛ぶサメ。
それらを視線で撫でるように見てから柚良は蒼蓉に向き直る。
「蒼蓉くん、私も出ていいです?」
「一応訊ねる気遣いはしてくれるんだね」
「後から怒られそうですもん」
柚良はわざとらしくオホンッと咳払いをした。
「取り急ぎ説明しますけど、仄さんたちはまだ実戦不足ですから戦力には加えません。で、朱さんもこの召喚獣に一斉に狙われたらマズいです。影の方々は被害状況不明、イェルハルドさんは蒼蓉くんの護衛として動けませんよね?」
『そうだ』
イェルハルドの書きつけたメモを見て柚良は頷く。
「というわけで私が行きます!」
「……、……まあこの作戦を実行した時点で予想はしてたよ。嫌すぎて敢えて言及していなかったボクの責だ、許可しよう。ただ」
蒼蓉は柚良の手を取ると手の甲に口づける仕草をした。
本当に口づけたわけではない。そういうふりだ。しかし先ほどまで固まっていた仄と幽が自分たちの目元を隠しつつもきゃーきゃー言いながら指の隙間から見ている。
「ボクが安心できるように怪我は控えめにね」
「善処します!」
まったく安心できない返事を口にし、柚良は三つ編みを揺らして劉乾へと向かっていった。
劉乾(絵:縁代まと)
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