第67話 色とりどりな無色のトンネルを抜けて
イェルハルドが動いたのは刃が煌めいた瞬間だったが、普段の彼からすれば遅すぎるほどだった。
それほど直前まで何の予兆もなかったのだ。
まだ幽霊の方が気配がある、そうとまで思わせる完璧な隠密である。
二つの首を同時に取る。
その何者かがそんな大胆な行動に出たのは攻撃の瞬間だけどうしても殺気が漏れ出るからだろう。
磨き抜かれた刀身は確実に蒼蓉と朱の首筋を捉えたが――しかし、刃は弾かれ思わぬ反動に手から落ちた。
「――強化魔法か」
二巨頭を狙った犯人はぽつりとそう呟く。
しかも最上位の強度を誇り、そしてそんな魔法がかかっていると気取られないよう首周りの必要最低限な部分にのみ限定したものだった。
こんな繊細且つ頑強なものをかけられる魔導師は世界でも限られている。
魔法をかけたのは糀寺柚良、その人だ。
「やっぱり出ましたね! ふふふ、朱さんには内緒話の時に、蒼蓉くんには手を握った時に強化魔法をかけさせてもらいました。さあ、姿を現したからにはもう見失わな――」
「魔導師ユリア!」
吠えるような声で名を呼ばれた柚良は目をぱちくりとさせた。
ユリアは国のお抱え魔導師だった時の偽名だ。しかし柚良にとってそれなりに長く名乗ってきた名前であり、召し上げられる前から本名を隠したい時に名乗っていた。いわば第二の名前である。
そんな名前を暗渠街で呼ばれるとは思っていなかったのだ。
「……どなたですか?」
柚良は思わず訊ねる。
隠密の魔法は未だ尾を引くように残っており、部分的に認識ができない。
今はっきりわかるのは目だ。金色の双眸がじっと見つめている。まるで常時瞳孔が開いているような目つきだった。
そこから吹いてもいない風に靡くようにもやが取り払われ、犯人の姿があらわになる。
赤黒い髪を肩辺りまで伸ばした青年だった。
直毛だが癖の付いた長い房が見える。ステッチの入ったケープを身に纏っており、そのふちには鈴が縫い付けられていたが、一度も音の鳴る様子がないため中に何も入っていないのだろう。
両目の下に一つずつ並ぶ泣きぼくろを見て、柚良はようやく彼に見覚えがあることに気がついた。
「あなたはたしか……劉……劉乾さん?」
「覚えてたか、そうかそうか覚えてたか。ここで記憶にも残ってなかったなら順番を違えてでもお前を殺してやるところだったのになぁ」
残念だなぁと劉乾は本心からの言葉を漏らしながらイェルハルドの死角からの一撃を躱した。
そのまま床にへたり込んだ店員たちを見遣る。
「おっと、あんまり近寄るなよ万化亭の影。こいつらを店丸ごと吹っ飛ばすくらいすぐにでも出来るんだからな」
そう言う劉乾に答えず、イェルハルドは蒼蓉の隣に移動すると怪我の有無を確認するように素早く視線を動かした。
蒼蓉は直前まで命を狙われていたと思えないほどあっけらかんと言う。
「心配ない。糀寺さんの強化魔法はじつに的確だった」
まあそれでもお前は確認するか、と肩を竦めた蒼蓉は柚良を見た。
「いや、しかしウチの縄張りの稼ぎ頭を失うわけにはいかない。糀寺さんもそう思うだろう?」
「お前ら何をくっちゃべってんだ。万化亭の若旦那、天業党の党首、その首取りゃぁ魔導師ユリアとやり合っていいって許可もらってるんだ。早く、早く、早く死ね、なぁ――」
「何があったかはわかりませんが、随分危なそうな人になりましたね劉乾さん! ……蒼蓉くんの言う通りです、稼ぎ頭とかは関係ないですけど……」
お店に迷惑はかけられませんよね、と微笑むと柚良はぱちんっと指を鳴らした。刹那、部屋を覆うほどの巨大な魔法陣が発動し浮かび上がる。
目を見開いた劉乾に柚良は八重歯を覗かせて言った。
「危ないので場所を移しましょう、ご一緒してくれますね?」
返事をもらう時間はないんですが。
そう柚良がはにかんだのと、店員を除く全員が店の中から転移したのは同時だった。
***
色があるのに何色なのか脳が理解をしない。
青だと思えば赤に見え、赤だと思えば赤なのに緑としか思えず、透明なのに色があり、鮮やかな黒や薄汚い純白に見える。色とりどりで、そして無色。
そんな異様なトンネルを通されたような感覚はほんの一瞬だったが、慣れない者には何倍にも引き延ばされて感じられた。
柚良が普段使う転移魔法は柚良を起点とし許可した者を一緒に飛ばすものだ。
今回はそれを組み込んだ魔法陣を展開することで大人数を強制的に飛ばしたのである。
普通なら恐ろしく魔力を食うが、事前に魔法陣に魔力を籠めておいたこと、そして蒼蓉に贈られたペンダントと指輪の魔力を溜める機能により何のデメリットもなく発動することができた。――もちろん並みの魔導師なら転移が成功したところで到着した頃にはカラカラだ。
到着するなり倒れ込んだのは仄と幽の二人だけだった。
立場上、蒼蓉と朱は転移魔法を使う魔導師に転移を頼んだ経験があるのだろう。
「ここは……」
劉乾が訝しみながら周囲に視線を巡らせる。
ここは――暗渠街、两百龍の中にある開けた土地だった。
 




