第64話 第一報、第二報、第三報
「天業党から食事のお誘いですか?」
土曜の朝、蒼蓉に呼び出された柚良は思わぬ一報にぱちくりと目を瞬かせた。
てっきり協力した依頼の続報かと思っていたのだが、思わぬ話についそんな顔をしてしまう。
天業党といえば柚良の授業に参加している幽と仄姉妹の母親が党首を務める組織だ。そんな姉妹が巻き込まれた百年の路での事件を柚良はアルノスと共に解決している。
蒼蓉は机の上で頬杖をついたまま言った。
「お礼の食事会だね。ほら、事件解決後に言ってたろ?」
「そういえば落ち着いてからお礼をしたいって話だったような……」
事件の後始末に時間を要するため、正式な礼は後日改めてという話になっていたのだ。
すっかり忘れてましたと恩人側であるはずの柚良は肩を揺らして笑う。
「あっ、ってことはアルノスさんも同じお誘いを……?」
「受けてるだろうね、聞いた瞬間にどんな顔したか見られなくて残念だよ。ちなみに君の婚約者としてボクもお呼ばれしてるからね?」
どこか愉快げに笑いながら蒼蓉は「次の土曜日だ」と口にした。
「場所はウチの縄張りにある高級料理店。呼びつけるんじゃなくてわざわざボクのお膝元に出向いて、しかも安くない金を落としてる。これは本心から礼を言うつもりみたいだ」
「そんな無理しなくていいのに……」
「君は次期党首を救った上に魔法の才能を飛躍的に伸ばして、姉妹仲も修繕して向上心を持たせたんだよ?」
ボクでも礼を言いに行くね、と蒼蓉は肩を竦める。
仄たちは柚良の授業を繰り返し受けるうちにそれぞれに合った分野の魔法を伸ばすことに成功していた。
仄は自己強化魔法、それに加えて薬草学の知識と調薬技術の更なる向上。
幽は他者を含む防御方面の強化魔法。
二人ともあの事件で思うところがあったらしい。
その二人も来ると聞き、柚良は「わかりました」と頷いた。
「なんだか三者面談みたいですね、楽しみにしてます!」
「そう言う受け止め方をしたか……まァいい。ボクもこの機会を上手く使わせてもらおう」
なにせ組織のトップが私的に会うなんてなかなかないからね、と蒼蓉は口角を緩く持ち上げる。
コンロン地区の两百龍とキサラギ地区のタカマガハラのトップ同士だ。それがこんな平和的な理由で会うなど早々ある機会ではない。
「ただ」
「ただ?」
「この情報は恐らく外に漏れてる。天業党はウチほど情報を統率できていない」
蒼蓉は宙を舞う香の煙を目で追いながら言った。
「糀寺さんのおかげで気になる情報が手に入ってね」
「……! もしかして依頼に進展がありました?」
そう大きなものではないけれど、と付け加えてから蒼蓉は卓上に暗渠街の簡易的な地図を広げる。
そして黒い爪に光を反射させながら指先でトンッと一ヵ所を示した。
「まずベンスの第一報。ここはコンロン地区の酒馬鹿……もとい酒の愛好家が集まる地域でね、そこかしこで色んな酒類が作られているんだ」
「密造酒の宝庫ですね~……」
「元の名は南雷路だが、今じゃ通称の酗酒路の方が伝わるくらいさ。で、ここで奇妙な二人組が引っ掛かった。なんでも高度な幻覚魔法を使っていたそうだ」
「おお、幻覚魔法ですか!」
身を乗り出した柚良はわくわくとした表情を見せる。
幻覚魔法は人の目ではなく脳を騙す魔法で、まず使用する才能が無くてはどうにも出来ない。そしてその才能の八割は遺伝である。
更には精度が高くなければ使い物にならないため、使い手そのものがごく少数だった。
柚良も霧や光の屈折で近いことは出来るが根本から異なる魔法だ。実際にこの目で見てみたいですと興奮しながら言う柚良に蒼蓉は片眉を上げる。
「それだけ稀少な魔法か。使い手が誰かは知らないが絞ることはできそうだね」
「それなら帝国外にある南東の国関連の情報から集めるのがいいと思いますよ。行ったことはないんですけど、たしか……カトナメルクって国に隠れ住んでる優秀な魔導師一族が居て、そこの血筋に幻覚魔法の使い手が多かったと思うので」
「……ウチで把握してない情報だな」
「ふふふ、遠征の際に色々な国の人に聞いて回りましたから」
柚良は魔法に関しては万化亭の情報網を上回ることがある。それを再認識しながら蒼蓉は両方の手の平を見せた。
「これじゃ万化亭も形無しだな。挽回のために次の報告をしようか」
「そういや第一報って言ってましたね」
「ああ。その第一報にはもう一つ収穫があったんだ。恐らくその二人組の上にハオランという人間が居る」
部下や何らかの近しい者という可能性もあったが、蒼蓉は勘から二人より目上の者だと予想している。
そして暗渠街のハオランについて情報を掻き集めた結果、いくつか気になる点が浮上したのだ。
「まず暗渠街で同じ名前を持つ者をピックアップした。偽名も含めて人数は三桁あるけど意外と少ないね」
「す、少ないですかね……」
「そこから不審な動きがない者を除外。更に精査を重ねて五名に絞ったが……どうにもピンと来ない。まあコードネームの線もあるからそれは別途追わせてるが」
蒼蓉は他の紙を取り出すと柚良に見せる。
漢字は異なるが様々なハオランの名を持つ人間の詳細が書き連ねられていた。マフィアの構成員から密売人までじつに怪しい。
だが怪しいからこそピンと来ない、と蒼蓉は続けた。
「以前からマークしてた奴や組織なんだよ、監視下で変なことしてたらわかるはずなんだけど」
「疑う側がアリバイを証明しちゃってる感じですか」
「万化亭のお墨付きって言ったら相当なものだろう? と、ここまでが二日前に来た第二報」
次に第三報だと蒼蓉は言う。
「こうなると暗渠街に古くから居る奴らじゃない。新興組織や新入りを中心に掘り直した」
「ふむふむ」
「するとね、ちょっと前にしょっぴいた新手のプッシャーを一時保管……おっと、一時的に勾留していたんで再度取り調べを行なったんだが――」
プッシャーとは薬物を広める役割りを持つ人間の総称だ。要するに売人もしくは中毒者増産役である。そのプッシャーがバックにいる人物を吐いたという。
一度は沈黙を貫き通し、その後処遇が決まり気が緩んでいたところに万化亭から「ハオランという人物について吐け」とカマをかけられ、すべて見通されていると思ったのかすぐに話したらしい。
「精神力は良い質をしていたよ、一通りの拷問をしても「たまたま流れ着いて商売してただけ」としか言わなかったからね。けど頑張り抜いたことが実は無駄だったと示されるのには弱かったようだ、おかげで手間が省けた」
「わ〜、蒼蓉くん悪い顔!」
「ははは、君が何度となくスルーしてきた顔だぞ」
柚良に顔を向けてそう言いつつ、しかし機嫌を損ねた様子はなく蒼蓉は仕切り直す。
「組織名はプッシャーにもわからなかったらしい。ただ資金援助するから暗渠街のルールを無視して薬を売り捌けと言われたようだね」
「カマかけて引っ掛かったってことは、そのハオランって人にですね?」
「そういうことだ。そこで外見特徴をいくつか入手した。人相描きはこれだ」
蒼蓉は三枚目の紙を差し出し、受け取った柚良は売人の証言をもとに作成された似顔絵に視線を落とした。
茶色の短髪にネズミの尻尾のような細い一本縛り。笑みの瞬間を描くはずがないので目が細いのだろう。胡散臭い雰囲気を纏っており、スーツを着ているが真面目に見えず更に胡散臭さを加速させている。
年は二十代中頃から後半に見えた。
「糀寺さん、この男に見覚えは?」
「私に訊くってことは魔導師なんですか?」
「売人曰くそう名乗っていたそうだ。嘘という可能性もあるが訊いておきたい」
柚良はもう一度人相書きをじっと見る。
人の顔を覚えるのは上手いとは言えない。しかしこれだけ特徴的ならある程度は記憶に残っているはず。
だというのにまったく見覚えがないです、と柚良は正直に答えた。
「お役に立てず申し訳ないです。今後もし何か思い出したら教えますね」
「ああ、期待しているよ。……まだ何か?」
見覚えはない。
そう答えを出したというのに、柚良は人相書きを凝視したままだった。何か重要な理由でもあるのだろうかと蒼蓉は問い掛けたが――
「いえ、魔導師ならこの人はどんな魔法を使うのか気になりまして!」
――きらきらした瞳でそう答えられ、無意味な質問だったなと苦笑した。
「ま、兎にも角にもこの男が関わっているらしい組織がキナ臭い。売人がスカウトされた時期と照らし合わせると暗渠街の各所で不審な動きが増えたのと重なるんだ」
「失踪事件にも関わっている可能性有りってことですか……」
「まだ微かな可能性だけれどね。これで確信持ってたら普通なら馬鹿にされる。が」
「今まで暗渠街の情報の流れを見てきた万化亭の蒼蓉くんなら違和感を感じ取れる、と」
言葉を継ぐ前にそう言い放った柚良を見て蒼蓉は僅かに目を丸くする。
そしてすぐに破顔してみせた。
「糀寺さんもウチがどんなところかよくわかってきたじゃないか」
「毎日色んなお仕事をこなしてる蒼蓉くんを見てますからね、実力は信用してますよ」
ほとんどが水面下で行なわれるため地味な仕事だ。戦に駆り出された魔導師のような派手さはない。
しかし情報戦で大敗した魔導師を何人も知っている柚良としては、純粋な力だけでは捻じ伏せられないフィールドに陣取って長年戦い続けている蒼蓉はとても素晴らしい仕事人に見えていた。
どことなく気を良くした様子を隠しもせず蒼蓉は続ける。
「不審の動きの中に暗渠街の有力者を暗殺もしくは連れ去っているというものがある。ハオランの仕業かどうかはわからないが――ボク、糀寺さん、天業党の党首とその跡取りが一堂に会する場っていうのはなかなかに魅力的だろう?」
「有力者に私も入ってるんですね……うぅん、でもそれなら罠、張っちゃいます?」
「礼に来ている天業党の心証が悪くなるぞ」
「ですから」
柚良は眩しいほどの笑みを浮かべて言った。
「一緒に罠を張りませんか、って仄さんたちのお母様にお願いしましょう!」




