第62話 達成感のない日々
劉乾の魔導師ユリアに対する執着は異常なものだった。
しかし元はそれなりの地位に登り詰めた者であった影響か、はたまた元からの性質か。人にものを教えるのは上手く、メタリーナも隠世堂へ来て一週間も経つ頃には一通りのことを覚えていた。
いつの間にかメタリーナの指導役になっていたことに劉乾は毎日文句を言っていたが、それが日課となる前にメタリーナにひとりで依頼をこなすように浩然からお達しが出たため、今日はのびのびと自室にこもって魔法の研究をしているようだった。
部屋にこもって研究は魔導師の平均点な気質である。
一方、メタリーナは再び浩然に呼び出されていた。
「ありがとうございます、魔導師集めは順調に進んでおります。今回はその報酬と活動資金をお渡ししようと思いまして」
「前者はともかく後者は依頼前に貰ってるけど?」
「依頼以外にもご入用でしょう、皆さまは我が隠世堂にそれぞれ個々の目的があって来ておりますしね」
それに活かして頂くためのボーナスみたいなものです、と笑いながら浩然は金の詰まった袋と封筒を差し出した。
メタリーナは金に強く執着しているわけではないが、貰えるなら貰っておくのがベストだと考えている。
そのふたつを受け取りながらメタリーナは浩然を見た。
「目的といえば……あれ、いいの?」
「あれとは?」
「劉乾よ。魔導師ユリアを殺す気満々でしょ、でも無事に済むとは思えないわ」
メタリーナはユリアを直接見たことはないが、耳を疑うような逸話はいくつも聞いている。暗渠街にさえ話が流布するほど規格外な魔導師なのだ。
そんな人物に挑んで五体満足でいられるか怪しいところである。
隠世堂の戦力を充実させたいらしい浩然には頭の痛い問題なのではないか、とメタリーナは興味本位で訊ねたのだが――ああ、と納得した様子で浩然は背筋を伸ばす。
「そうでしょう、そうでしょう。きっとただでは済みません。しかしあの方は……劉乾様はユリア様と戦えればそれでいいとのことでして」
「? それってつまり」
「あけすけに言いますと、わたくしとしては『魔導師ユリア』も勧誘対象なのです。しかしそう簡単には話を聞いて頂けないでしょう」
そこでまず初めに戦力をぶつけて話を聞かざるを得ない状況に持っていくのが目的なのだと浩然は語った。
つまり劉乾はユリアと戦えればそれでいい。
浩然は劉乾が最終的には負けると考えている。
ユリアも恐らく万全の状態ではなくなる。そこへ勧誘をかける算段というわけだ。
そして仲間になった際の障害になる劉乾はその時はすでに負けているため、想像できるような諸々の問題は回避できる。
メタリーナは僅かに眉を上げて睨むような目をした。
「酷い上司ね」
「合意の上でございます」
その評価を否定はしませんが、と浩然は肩を揺らして笑う。
「で? その魔導師ユリアって本当に暗渠街なんかにいるの?」
「ええ、居場所も把握しておりますよ」
大変厄介な場所です。
そう浩然が付け加えたところで壁時計が鳴る。
「おっと、もうこんな時間ですか。メタリーナ様、わたくしはそろそろ研究施設へ行かなくてはならないので――」
「わかったわ、この辺で退散するわよ。次の依頼が出来たら呼んでちょうだい」
「話が早くて助かります」
そう頭を下げた浩然より先にメタリーナは部屋を出た。
どうにもここに長く留まっていたくない。
(報酬と活動資金ね……)
ずっしりと重い金は物理的に手に入った『成功の証』のはず。
これが意味を成さなくなるのは国が潰れるなどして紙幣価値がなくなった時くらいのものだ。
だというのに達成感がまるで無い。
(やり甲斐を感じる仕事でなきゃ嫌だ、なんて贅沢を言うつもりはないけれど……なんなのかしら、この感覚は)
今日は自分も部屋にこもって好きなことをしようか。
そう考えながら早足で廊下を歩いていると誰かにぶつかった。相手の体幹が凄まじいのかメタリーナだけが弾かれる。
慌てて視線を上げると、そこに居たのはクメスフォリカだった。
自室から出てきたところなのか寝起きといった風体で、下着一枚のまま芸術的な寝ぐせを披露している。
思わずぽかんとしたメタリーナにクメスフォリカは眠そうな目で言った。
「ごきげんよう、良い朝だな」
「……昼よ」
「似たようなモンだって。けどお前、丁度いいところに通りかかったな」
クメスフォリカは白目の黒い目をにいっと細めて顔を近づける。
「酒が切れたんだ。これから買いに行くから荷物持ちヨロ」
「なんで私が!?」
「さっき言っただろ」
先に玄関へ向かいながら、メタリーナを振り返りもせずクメスフォリカは言う。
その声音は笑っていた。
「丁度いいところに通りかかったからだよ」
***
浩然は白い紙にびっしりと書き連ねられた文字を上から下へするりと読むと腕を組んだ。
「探し物をするにはうってつけの生き物だというのに――『反魂楽土』を見つけるにはまだまだ力及びませんね」
「申し訳ありません、あれだけ材料を頂いておきながら……」
「いえいえ、概ね予想通りですよ。ただわたくし、停滞してしまうスランプを乗り越えるのは荒療治が好きでして」
は、と研究員の男は浩然の言わんとしていることを汲み取れず、返事にもならない中途半端な音を口から零した。
続けて問おうと視線を向けた先、浩然の隣にいつの間にかボスの左腕と称されるジェジがぼうっと立っているのに気がついて思わず肩を跳ねさせる。
ジェジは一言で言えば覇気のない男性だ。
眠そうなわけでも虚ろなわけでもない目だが、いつも瞼を重たげにしている。
どこか野暮ったい眼鏡がそれに拍車をかけていた。
ただし身長が高く、それだけで存在感がある。元々すらりと長身な浩然と並んでも頭ひとつ分大きいほどだ。
なにを考えているかわからない目で高い位置から見下ろされる威圧感。
それを全身で感じながら研究員の男は冷や汗を流した。
浩然はジェジを見上げて言う。
「この方と、あと研究員を二十名ほど選出して宜しくお願いします。効率化を図るならメジェアドルド式早煙の図と夢路イラズでしょうか」
「わかった」
――研究員も魔導師の端くれである。
浩然の示した図式が肉体のダメージを度外視した『速度上昇強化』と『睡眠除去』の効果を持つ刺青に使われるものだと知っていた。
ジェジは魔法のインクを用いた彫り師なのである。
意図を理解した研究員の男は歯を鳴らしながら後退した。
「お、お許しください、お許しください……」
「おや、そう怯えなくても大丈夫ですよ。天才的な彫り師の手による刺青なら肉体への影響も抑えられますので」
影響を抑えられる。
それは負荷をすべて取り除けるのではなく、肉体が『長持ちする』と言っているように研究員の男には感じられた。
まるで自分が散々扱ってきた実験体になったかのようだ。
「恐怖を薄める精神安定の刺青も追加致しましょうか。ジェジ様、宜しくお願いしますね」
「ああ。……彫れるならなんでもいい」
ジェジは人差し指の腹から青く小さな刃を作り出して近寄る。
それはカミソリ程度の切れ味しか持たないささやかなもので、どうやら専用のスクロールを用いて作ったもののようだった。戦闘なら武器にもならない刃だが今は彼の作業に必要不可欠らしい。
そしてレンズの向こうから無機質な視線を寄越しながらジェジは言った。
「まずは剃毛と消毒だ」
存外手順がしっかりとしている。
しかしそんなツッコミは入れられず、研究員の男は一目散に出入り口へと逃げ出したが――彼の二歩がジェジの一歩であったことを本人が確認する頃には、首根っこをしっかりと掴まれていた。
抵抗の音が部屋に響く中、浩然は緩く顎をさする。
「しかし、ひとり辺りの機動力を力ずくで上げるしかないとは……未だに人手不足が否めませんねぇ」
魔導師ユリアが手に入ればもっと楽に事は進むだろう。
随分と早い段階から狙っていた人材だったが、接触するのが今一歩遅かった。
「暗渠街での基盤もまだ出来ていない状況だったので致し方ありませんが」
まだ安定しきっていないものの、今なら迎え入れる準備は整っている。
だが肝心の魔導師ユリア、つまり糀寺柚良は万化亭の腕の中にあった。この土地でもっとも堅牢でもっとも厭らしい場所である。
なかなか上手くいかないものだ。
「まあ仕方ありません。反魂楽土のためにも勧誘は諦めず進みましょう」
なら劉乾をどこでぶつけようか。
研究員の情けなくも悲痛な悲鳴を聞きながら、浩然は腕を組んでゆっくりと考えを巡らせた。




