第56話 信用問題なんですよ
夜遅く、しかもアポなしの訪問だというのにオーギスは文句ひとつ言わずに蒼蓉を屋敷の中へと招き入れた。
そのままいつもの部屋へ通したオーギスは「さて」と両手の指を組んでソファに腰掛ける。
「本日はどのようなご用件で?」
「スムーズで助かるよ」
「寝るところだったのを老体に鞭打って出てきたんです、早く済ませたいんですよ」
オーギスの切実な様子に肩を揺らし、蒼蓉はボクも早く済ませたいんだと話を切り出した。
「オーギス、前にウチに毒の種の仕入れを頼んだろう」
「ええ、婚約者のお嬢さんに届けてもらったものですね」
「その際に少し調べさせてもらったが、以前にも似た依頼を受けて他の店から同じ種を仕入れているね?」
その時は奇跡的に仕入れることが出来たが、稀少な種だ。
二度目は簡単には手に入れられず、万化亭に取り寄せを依頼したわけである。
毒の仕入れや毒殺用と思しきアクセサリーを作ることはオーギスにとっては珍しいことではない。それを蒼蓉も知っている。
知った上でここへ来たということは――と、オーギスは皺の刻まれた瞼を持ち上げて言った。
「なにかを疑われているのかと思いましたけど、若旦那、もしかして聞き込みに来ただけですか」
「おや、怯えさせたならごめんよ。君とは古い付き合いだから信頼してるさ、護衛もひとりしか付けてないしね」
ただ早く知りたいことがあって訪問させてもらった。
そう言う蒼蓉にオーギスは眉を下げた。
「こちらの寿命を縮めるような真似はよしてくれませんか。まだあの世観光は未来の楽しみにしときたいんです」
「すまないね、今度その寿命が延びるようなオイシイ取り引きを持ってくるよ」
「で、なにを知りたいんですか」
蒼蓉はソファへ腰を下ろし、じっとオーギスを見つめてから口を開く。
「皇子の殺害事件に使われたのはベルアドンナの種の毒だった」
「な――」
「まだ口外無用だよ。まァそちらからすれば言いたくもないだろうが」
オーギスが扱っていた稀少な毒の種。
それこそがベルアドンナの種である。
稀少故に扱っているところは限られており、その毒が殺害に使われたとなればオーギスも皇子殺しの片棒を担いだ可能性があるということだ。
殺しの片棒くらいなら何本も担いできたオーギスだが、皇帝に睨まれるのはじつにやりにくい。
オーギスは動揺をすぐさま抑え込むと蒼蓉を見た。
「よくそのような情報を仕入れましたね、……いや、万化亭にこんな言葉は侮辱になりますか」
「はは、ボクも少し手間取ったから素直に褒めてくれてもいいよ」
そこでね、と蒼蓉はオーギスの姿勢を真似て手の指を組み、テーブル越しに視線を投げかけた。
獲物を狙うような粘度のある視線だ。
しかし獲物は自分ではないとオーギスは感じ取る。
蒼蓉がオーギス越しに見ているのは別の誰かだろう。
蒼蓉は獲物に噛みつくためではなく、問うために口を開く。
「初めの注文は一体どこから入ったのか教えてくれないか」
「顧客情報を第三者に開示することは信用問題に関わります。若旦那もお分かりでしょうに」
「もちろんだとも。その上で訊ねてるんだ」
相手のリスクは承知の上。
しかし蒼蓉にとってオーギスは敵ではない。
ならばリスクがリスクにならないよう配慮すると暗に言っているのだと、今までの彼との付き合いからオーギスは察した。
だが彼もプロである。
いくら太客でもほいほいと情報を渡すことはできない。
――と、そこでオーギスはぴったりと閉じていた目を開けた。
「きっと今の心情もお分かりなのでしょう」
「ボクなら胃を痛めてるかな」
「ご冗談を。……ならここで必要な最低限の振る舞いもご存じですね?」
「決して表に出ないだろうに、形にこだわるなんて強情というか古風というか……まぁいい」
蒼蓉はオーギスの首元に指を滑り込ませると、ごく緩く喉仏を掴むように指先に力を込めて微笑む。
プロが顧客情報を話すならそれ相応の理由が必要だ。
オーギスはその振りだけでは納得できない。
信用問題は客に対してだけではなく、自分自身に対しても起こるのだ。
だからこそ、ああこれは話しても致し方のないことだと納得できる経緯が必要になる。痛みを伴うか情報で潰されるかは蒼蓉次第だが、どんなものでも真正面から受けようとオーギスは覚悟を決めていた。
万化亭の若旦那に問われ、このような仕事ながら『答えたい』と自身が思ったのなら当たり前のことだというように。
蒼蓉はオーギスが信用問題について口にする直前まで戻ったかのような口振りで言った。
「褒めるついでだ、いいじゃないか」
教えてくれたって、と。
そう囁きながら黒い爪が皺だらけの喉元に食い込んだ。
***
オーギスの屋敷のあるヴァルハラ地区は職人街の様相を呈しており、夜間でもなにかを打つ音、細工をする音、焼く音、擦る音がどこかしらの家屋から響いている。
繁華街とはまた違った意味で静かな夜とは程遠い土地だったが、その夜のオーギスの屋敷は水を打ったような静けさに包まれていた。
玄関に靴は家主のものしか並んでおらず、足跡ひとつ残っていない。
まるで今夜は誰の訪問も無かったかのような様子だった。
そんな屋敷の応接室で、ソファに全身を預けるようにして座っている老人がいた。
彼の知己なら一目でオーギスだとわかっただろう。
しかしその座り方は彼らしくなく、まるで居眠りをしてずり落ちている真っ最中のようだった。
着衣に乱れはなく、ただただ静かなだけだが、その首にはくっきりと爪痕が残っている。
――が、それ以外に外傷はない。
オーギスはのろのろとした動きでソファの肘置きを掴むと、つい先ほどまでの嵐のような出来事を思い返した。
夜遅くに訪ねてきた万化亭の若旦那、蒼蓉が顧客情報を訊ね、それを渡すためにはオーギス自身が納得できる『過程』が必要だと話し、そして蒼蓉はそれを正しく理解したのだ。
そう、理解した。
だというのに彼はオーギスの喉仏に手をかけたまま脅すでも痛めつけるでもなく、よりにもよってオーギスと亡き妻の初々しいエピソードを羅列し始めたのである。
オーギスが一目惚れして三日三晩妻のもとへ口説きに行ったこと。
初デートで野盗に絡まれてボコボコにされたこと。
カッコつけて付け焼刃で披露した古代語が間違っていたこと。
娘が生まれた際に妻と子をテーマにしたオリジナル曲を作ったこと。
それを十数年後に息子に聞かれて彼は反抗期に突入、妻には笑われたこと。
他にも親戚すら知らないであろうエピソードをつまびらかに話され、オーギスは暗渠街でここまで顔を赤くしたことはないと断言できるほど真っ赤にならざるをえなかった。新手の拷問である。
蒼蓉が「まだあるよ」と微笑んだところでオーギスはギブアップした。
羞恥心に耐えかねたのもあるが、これだけ詳しく知ることができるということは『いつでも家族に手を出せる』ということであり、そして隠しておきたい他の情報も熟知していることを暗に示しているからだ。
ここでオーギスがギブアップしなければ蒼蓉は次なる段階に手をかけただろう。
喉仏などでは済まない、体の奥底の血管を鷲掴むように。
「しかし、それでも……」
オーギスはしわがれた声で言う。
「今代の若旦那はお優しいことだ」
たしかになんでも暴力や死が伴えば楽に片付くが、有利に進むかといえばそれは異なる。生かしたままのほうが利益を得られることも多いのだ。
暗渠街は無法地帯だが、有力者の損得勘定で治安が保たれている面もある。
しかし自惚れるならウチの店がお気に入りだからか、とオーギスは座り直したソファの上で足を組んだ。
オーギスにとっても蒼蓉は彼が幼い頃から知る人物だ。
相応の感情はある。
(……皇子殺害事件なんて追ってなにする気なんだ)
知る限りの情報は渡した。蒼蓉ならそれを上手く使うだろう。
しかし深入りすべき問題じゃないように思いますがね、とオーギスはもう誰も座っていない席に向かって呟いた。




