第55話 今夜の夢見は悪そう
隠世堂でメタリーナに与えられた部屋は豪奢なもので、まるで一国の姫君の部屋のようだった。
だというのに心がちっとも浮つかない。
適当に服を脱ぎ散らかし、インナーのままベッドに腰を下ろしたメタリーナは昨日見せられたものの記憶を反芻する。
まず、浩然に招き入れられた広間には情報交換を行なう老若男女の姿があった。
一部が扉が開いたのに気づいて視線をやり、ああ新入りか、とすぐに納得した表情を覗かせる。
その中の数人が近寄り、メタリーナたちに自己紹介するかと思いきや――各自で受け持っている任務があるらしく、その報告を浩然にした。
メタリーナへの自己紹介はその後だ。
何人かはその自己紹介すらせずさっさと退室した。
しかしメタリーナは陰鬱な気持ちにはならなかった。
というよりも、驚きの方が勝ったのだ。
(あそこにいたのはユスティンス・ベイトだった。挨拶はされなかったけど劉乾もいたわ)
ユスティンスはメタリーナも前に仕事用の資料で軽く目にしたことがある。
かつて帝国の騎士団を率いていた前騎士団長だ。
年は資料で見た年齢に経過年数を足したなら今年で六十ぴったり。
元は銀色だった髪からは更に色素が抜け、今は綺麗な白髪になっている。反対に瞳は燃えるような赤色をしていた。
現在の騎士団長に失脚させられたという噂があるが、実力は折り紙付きである。
劉乾は天才の部類に入る魔導師だ。
どこぞの天才的な新星がいなければ帝国お抱えの魔導師は彼であっただろうと言われている。三種の属性の魔法を使いこなし、自己強化魔法を得意としていた。
一昨年の西の大国との戦争中に行方不明になったと聞いていたが、もしかすると彼も浩然にスカウトされたのかもしれない。
他にもメタリーナが知っている顔はどれも有名どころばかり。
今は浩然がスカウトマンの役目を受け持っているが、最初期はボスが人材を集めていたのだとすると、それはもう上質なカリスマ性を持っているのだろう。
そして今現在のように簡単にはボスに会えなくなり、ひとまず浩然の話に乗ってここまで来た者がいたとすれば――その大半は、この広間の面子を見て心から「この組織に入ろう」と決めたに違いない。
ここにはそれだけのインパクトがある。
そして『スカウトされたからには自分も同格に見られている』と感じられることにより承認欲求をくすぐられて嬉しくなってしまう。
(私がそうだった、……)
初期からいるなら浩然もボスのカリスマに惹かれたクチなのだろうか。
そんなことを考えながら、広間を後にしたメタリーナは宣言通り隠世堂のボスの右腕と左腕と称される人物ふたりに会うことになった。
そこで待っていた『右腕』は切り揃えた艶やかな黒髪を無造作に縛った紫色の目をした若い女性で、名前をクメスフォリカといった。
彼女の右手には蛇の刺青が入っており、黒を基調とした露出の多い服も目立つ。
しかしクメスフォリカの一番目立つ特徴を挙げろと言われたならば、真っ先に口にするのは黒髪や服装ではなく、両目が白と黒の反転したような状態になっていることだろう。
端的に言うと白目が黒いのだ。
そんな異様な雰囲気に呑まれている間に浩然から紹介された『左腕』はくすんだ緑髪と眼鏡の男性で、名前をジェジ・アイルカーサーといった。
かつて六体の邪神を一度に召喚して使役したと言われている天才魔導師アルベン・アイルカーサーの孫だという。
彼は血統だけでなく実力も折り紙付きだと浩然は説明したが、そもそもアルベン自身が表舞台に出てくることがなかったため情報は少ない。
ただ、水色の目は祖父から受け継いだもののようだった。
彼の左手の甲にも蛇の刺青が入っている。
両名ともメタリーナに活躍を期待している旨を各々の言葉で口にしたが――初めから最後まで一切合切目が笑っていなかった。
異質な人物の集まる組織だ。
今後ここで必要に応じてなんらかの任務をこなすことになるが、気に入らなければ断ってもいいという。ただしそれを続ければ組織内での地位は下がり続け、最後には居場所にすらならなくなることだろう。
メタリーナが万化亭の前に所属していた組織もそうだった。
だが経験があるからこそ馴染む自信がある。
そう自負しながら最後に案内された研究施設の光景こそが、部屋でひとりになってもメタリーナの脳裏に焼き付いているものだ。
「暗渠街では倫理観なんて役に立たないと思ってたけれど……本当にイカレた奴らの巣窟ね、ここは」
老若男女様々な奴隷を使った実験場である。
魔法薬の実験、魔法による負荷実験、人体への強化実験、未知の召喚獣と人間を接触させる実験、治癒力の高い種族への移植実験、特定の魔法の影響に晒された人間の解剖、邪神の遺伝子の研究とそれを応用した実験――浩然はひとつひとつ丁寧に説明していったが、メタリーナは途中からそれを聞き流していた。
目から入ってくる情報のインパクトが大きすぎる。
嬉々として実験している人物の中にも見覚えや聞き覚えのある者がおり、きっと表の世界では衝動の赴くままに行動できなかったのだろうと一目でわかるほどいきいきとしていた。
彼らに扱われている側は死んだ目をしているというのに。
(ある程度は覚悟していたけれどなかなかだったわ、……けど難度の高い技術も多く使われていた。組織としての地力はある。これならもしかすると)
夢物語のような、暗渠街をたったひとつの組織が纏めるという目標も達成できるのではないだろうか。
メタリーナは見慣れない天井に目をやりながらそう考える。
ただ、今夜の夢見は悪そうだった。
***
イザヴェル地区の『九つの会』のレイラー・エリヴァイはたしかに殺されていた。
九つの会はイザヴェル地区を牛耳る大型組織で、九柱の神を崇める宗教を主軸に置いている。そのボスであるレイラーは壮年の男性で、召喚魔法を得意とする魔導師でもあった。
彼の肉体には九柱の名を冠する召喚獣が宿っており、必要に応じて好きな召喚獣を瞬時に呼び出せることが強みだった。
「その肉体が頭を残して丸ごと奪われた、か。現場は?」
「レイラーの自宅前です」
「そりゃあ派手に行ったね。目撃者は」
問われた璃花はびっしりと文字の書かれた二枚分の紙を蒼蓉に差し出す。
「護衛が九名、通行人が二名、そして焦榕様の部下だという男性が一名です。各人の詳細はこちらに」
「焦榕のところのはたまたまって形だったけど、多分各要人に付けてる密偵だな。――護衛はわりと良い手駒ばかりじゃないか、誰も気づかなかったのか」
レイラーの護衛は腕の立つ者ばかりが揃えられていた。
万化亭で言うならば蒼蓉が店を出た瞬間に狙撃され、イェルハルドが間に合わないほど迅速に首を切って体を持ち去られたようなものだ。
「それどころか犯人の姿すら確認できていないそうです」
「ステルス系のなにかかな……厄介だ」
イェルハルドもステルス技術に長けている。
そういった者は稀少だが、しかし他にいないわけではない。
蒼蓉は顎をさすると「痕跡調査に向いた奴を五名派遣、そこに護衛も付けろ」と指示した。
そして璃花に退室を伝えかけ――ああそうだ、と呼び止める。
「例の件についての進捗も聞いておこうか」
「ご学友からの情報を元にした調査ですね。現段階での結果ですが宜しいですか?」
頷いた蒼蓉に璃花は別の紙を持ってきた。
書かれている文字数は先ほどよりも少なく、加えて断片的だ。
要調査と書かれた文字も散見される。まだ信憑性が薄く、様々な確認作業中の雑多な情報の塊だった。
その中の一文に目を止めた蒼蓉は一瞬だけ眉根を寄せる。
「毒は植物由来か」
「はい。王族に関わる事柄のため詳細が厳重に伏せられていましたが、ようやくわかりました。ここからもう一段階上の調査を予定しています」
「なるほど、ならボクも気になることがあるから動こうかな」
すっくと立ち上がった蒼蓉が外套を羽織るのを見て璃花が口を開く。
「お出掛けですか?」
「夜も遅いが確認は早いほうが良い。――これからオーギスの屋敷に向かう」
蒼蓉が一度だけ手を鳴らすと暗闇からイェルハルドが現れた。
彼を引き連れて蒼蓉は部屋から出る。
(まったく……糀寺さんに心配してもらったところなのに仕事が多いな)
どうせなら事態が動くのは高校が夏休みに入ってからにしてくれ。
そんな日常と非日常を混ぜ合わせた思考をしながら外に出ると、春先の少しぬるい夜風が蒼蓉の頬を撫でた。




