第52話 焦榕は壊れてる 【★】
「生徒の家族まで行方不明、しかも武器付きか〜……これって蒼蓉くんが受けたお仕事と同じ案件かなぁ」
学校の帰り道、保健室でトールから聞いた話を反芻しながら柚良は呟いた。
蒼蓉ならすでに把握済みだろうが報告はしておくべきだろう。
学校であったことは日々伝えているが、これについては帰り次第いの一番に口に出そうと決める。
(蒼蓉くんも学校が終わってすぐだろうから疲れてるかもしれないけど……)
蒼蓉は柚良のことばかり心配するが、柚良も蒼蓉を心配していた。
とにかく彼は激務すぎるのだ。
ボクは慣れているからね、としょっちゅう言うが柚良から見ても「いつか倒れるんじゃ? 若さで耐えれてるだけじゃ?」と思わずにはいられない。
斯く言う柚良も相当のものである。
本人は「毎日特製の栄養ドリンクと薬草サプリを一気飲みしてるから大丈夫!」と正当化していた。実際によく効くので完全な嘘というわけではない。
「……! そうだ、ササッと帰って蒼蓉くんの分のドリンクも作ろうかな!」
普段は暗渠街のことを覚えるために徒歩だが、柚良は自分が把握している場所なら転移魔法で飛ぶことができる。
魔力消費は激しいが、指輪の魔力蓄積能力があるためすぐに回復するだろう。
更に高価すぎて普段使いせずに部屋にしまってあるペンダントにも魔力を溜めてあるため、後から補充することも可能だ。
恐らくどこかに潜んでいるイェルハルドが困らないように一言かけていこう――と柚良が思った時だった。
キンッと空気が張り詰める。
まるで密閉された部屋に放り込まれたような感覚だ。
薄汚い路地をきょろきょろと見回した柚良は物珍しそうな顔をした。
「わお……質の良い空間断絶型の結界ですね。この独特の癖は魔法スクロールでの発動かな……?」
「我が身の心配より解析優先なんてエグい性格してんなァ」
しかも当たってるし、と眉を下げつつも口元に笑みを浮かべて近づいてきたのは蒼蓉の従兄である焦榕だった。
柚良は目をぱちくりさせる。
「あなたでしたか! どうも、先日ぶりです」
「これ使ってビビらねぇ女は久しぶりだ」
「あはは、破ろうと思えば破れるので」
怖くないですよ、とアピールしながら柚良は焦榕を覗き込んだ。
「蒼蓉くんにあなたには気をつけるよう言われているんですが……私だけ隔離して接触してきたってことはあれですか? 寝取り目的?」
「ちげぇよ、ちょっとした頼み事」
焦榕は懐から畳んだメモ用紙を取り出すと柚良に差し出し、摘まんだ片手だけで器用に開いてみせた。
「俺な、蒼蓉に嫌われてるんだわ」
「ですよね」
「こないだは久しぶりだったから入れたが、多分対策してると思うんだよな。正規の方法で訪ねてもいいが時間がねェ。この情報は柚良が持って帰ってくれねェか?」
「これは……」
焦榕はメモ用紙を指す。
紙面には物騒な言葉が所狭しと並んでいた。
筆跡は蒼蓉に似ているが、恐らく焦榕本人が書いたものなのだろう。
「イザヴェル地区で『九つの会』のボスが殺された。箝口令が敷かれてるが俺の部下が直接目撃したらしくてな、万化亭が掴むより一日早いネタのはずだ」
「なんでそれを蒼蓉くんに……? 貴重な情報ですよね?」
「アイツに花持たせるためじゃねェぞ。たぶん万化亭が探ってる事柄に関係あるからな、その恩を売っておくためなのと――俺が依頼中の案件があるだろ、それとも絡んでる気がするからだ」
要するに俺のため、と焦榕は薄暗い笑みを浮かべた。
柚良は肩を揺らして笑う。
「その前提でも良い人ですね」
「そうか? 俺ァ蒼蓉が好きだが、嫌いでもあるんだぞ」
焦榕は柚良の頬をさらりと撫で、髪に長い指を差し込んで耳元を撫でる。
近づいても嫌なにおいひとつせず、さり気ない良い香りがするのは蒼蓉に似ていた。焦榕は柚良の片方だけの瞳を見つめながら低い声で言う。
「俺の異名、知ってるだろ? 従兄弟の婚約者でも関係ねェ。どうだ、俺の女にならないか。必要なモンはなんでも手に入れてやるぜ」
「いやぁ、ドキドキしないのでご遠慮します」
即答だった。
しかもあまりにも朗らかな笑みで言われたため、焦榕はしばし目を瞬かせると破顔し、笑い声を絞り出しながら柚良の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「いやァ〜、惜しいなぁ! お前との子供がどんな奴になるか見たかったぜ、柚良」
「すこぶる個性的な誉め言葉! ……焦榕さんはどうしてそんなに子供をたくさん作ってるんですか? 組織を身内で固めたい的な……?」
嫌いな相手への攻撃手段として寝取るのにここまでする必要があるのだろうか。
寝取っただけでなく必ず子供を産ませ、そして養育費等の面倒は欠かさず見ている。それがひとりやふたりではない。
なにか別の意図があるのでは、と柚良は考えていた。
「蒼蓉くんへの嫌がらせです? 分家筋をめちゃくちゃ増やしてやろ〜っていう」
「あァ、無作法に無作為に無造作に万化亭の血をばら撒いてるのも本家への八つ当たりさ。見ものだぜ、俺の子が成人する頃にゃ蒼蓉に面倒な案件が数多と降り掛かるだろうさ」
後継者問題や親族関係の問題など厄介ごとのオンパレードだろう。
柚良はいつもの部屋で蒼蓉が眉間を揉んでいる姿を相談した。思い浮かべるのが容易すぎる。
ただ、と焦榕は言葉を継ぐ。
「それもあるが、一番の理由は……」
彼は白い毛先を指でくるくると動かしながら言った。
「この世に自分みたいなのを増やせばこの孤独感も薄まる。でも俺は優しいから見限られた子を金で助けてやるんだ」
父親に見限られた自分。
誰にも助けられなかった自分。
そんな自分に似た子供を自ら増やすことで孤独を癒し、しかし『優しい』から完全には見限らない。
その行為を通じて過去の自分を助けているのだと焦榕は言う。
「でもな、そいつらは完全に幸せになっちゃいけない」
「なんでです?」
「だってせっかく増えたのに減っちゃうだろ、俺みたいなのが」
これが焦榕が寝取って必ず子供を産ませる理由と、そして籍は入れないが独断で養育費は渡す理由だった。
暗渠街に養育に関する法律はない。
だというのに金を渡す人間は珍しく、そこだけ見ればたしかに焦榕は子供を救っているのだろうが、同時に元凶でもあった。
柚良は蒼蓉が焦榕を指して『壊れている』と言った理由をやっと的確に察する。
「俺が過去の俺を救ってやってるんだ。けど、あいつらが完全に救われたとしても俺はずっとこのまんまだから――」
「ずっと一緒に地獄の中にいてもらう、と。ちょっとした無理心中みたいですね」
「言い得て妙だな!」
柚良は考え込み「まぁ子供は産んであげられませんけど……」と口を開く。
「蒼蓉くんがご家族なのは変わらない。だから嫌いだけど好きなんですね? 私も婚約者なので半分だけですけど、家族にはなれますよ!」
「家族に?」
「はい、差し支えなければ――」
柚良はにっこりと笑って焦榕を見上げた。
寝取りに来たんじゃないと言った舌の根が乾きもしないうちに口説いてきた、そんな男を前にして浮かべる表情ではなかったが、演技でもないと察せるほど自然だ。
そんな表情のまま柚良はとんでもないことを口にする。
「――焦榕お兄ちゃんと呼ばせてください!」
「おに、……」
目を真ん丸にした焦榕はじっと柚良を凝視した。
そして、声音に心の奥底から滲み出た疑いを含ませて問う。
「話を聞いたのに? こんな俺と家族になりてぇのか?」
本当に? と疑心がありありと出た目で見つめながら焦榕は言い重ねた。
ただのお遊びのような軽い気持ちで口にしたのならここで殺す、そんな威圧感が溢れ出ている。
柚良はその目を自ら覗き込んで答えた。
「今なお自分で自分を卑下してちゃ救われませんよ」
「おいおい、知った口を聞くな。うっかり殺しちまったらどうすんだ」
「あなたに私は殺せません。実力差もありますけど、まずそちらにとって損になることばかりでしょう?」
「……」
据わった目を向ける焦榕に柚良は微笑みかける。
「まあ蒼蓉くんとは婚約した段階ですし、今後本当の家族になれるかはわかりませんけど、もしよかったら考えててください!」
「お前――」
焦榕が口にする前に柚良は結界を内側から吹き飛ばした。
まさに一瞬である。
それと同時に焦榕の持っていた魔法スクロールが燃え上がって消えてしまった。
ただの黒い燃えカスになったスクロールは風にのって暗渠街の薄暗い空へと舞い飛び、ものの数秒で見えなくなる。
「強力な結界を展開できる魔法スクロールですよね。ただ、以前に何度か見たことがあるんで弱点も知ってまして」
「売人に高い金渡した時にゃ、弱点についてなんも言ってなかったが?」
「試せる人がいなかったんじゃないです? これ、普通の結界より内側からの力に弱いんですよ。なので私からも結界を均一に展開して広げて割りました」
要するに柚良は結界の中で結界を展開し、それを魔法スクロールの結界より大きく広げて割ったわけだ。
ただしほんの少しでも均一でなければ通用しない、小さな小さな綻びだった。
「今使った結界は建物などに使う設置型の結界じゃなくて、一時的なものなので下準備なしで使用可能でして、これをバリア魔法と同時展開もオススメなんですが魔力のコスパが悪――ぉわっと!」
結界が破れ、即座に柚良と焦榕の間に割って入ったのはイェルハルドだった。
抜いた小刀を焦榕に向けたまま無言で睨みつけている。いつものように筆談する気すらないらしい。
おお怖、と呟いた焦榕はくるりと背を向けた。
「柚良ァ、さっきの言葉忘れんなよ。ただ期待もすんな。一応は考えといてやる」
「はい、宜しくお願いします! ……っとと、イェルハルドさん。大丈夫ですよ、お使いを頼まれただけなので」
柚良は今にも飛び掛かりそうなイェルハルドを制止する。
その隙に焦榕は路地の闇に消え、あっという間に人の気配がなくなった。
それを確認したイェルハルドは眉根を思い切り寄せる。
『どれだけ平和思考なんだ。蒼蓉様に負担をかけるな』
「あぁ……そっか。イェルハルドさん、蒼蓉くんのことが大好きだから私の行動にずっとイライラしてたんですね」
『当たり前だろう』
「私も心配ですけど向こうから来られるとなんともはや……。ひとまずこれを蒼蓉くんに届けましょうか、手助けになる速報らしいですよ」
焦榕に貰ったメモを見せた柚良はイェルハルドが表に出てきているなら一緒に転移魔法を使おうと考え――発動させる前に、ふと思いついた質問を彼に投げかけた。
「そうだ、イェルハルドさん」
『なんだ』
「イェルハルドさんは蒼蓉くんにドキドキってします?」
これだけ大好きならするかも。
そして『ドキドキ』の先輩なら色々聞けるかも。
柚良はそんな期待を込めて訊ねたのだが――
『は?』
――返ってきたのは、メモ用紙いっぱいにでかでかと書かれた二文字だけだった。
焦榕(絵:縁代まと)
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