第42話 三人の夕食会
アルノスを出迎えた柚良はイスから立ち上がるといそいそと彼へ近づき、さあこっちですよと手を引くと席へと案内した。
蒼蓉の前で接触は控えてほしいものの、そんなことを口にできないアルノスは天国と地獄を同時に味わいながら席へとつく。――が。
「なんでこんなに席が近いんだ……?」
楕円のテーブルに三人である。
普段使っているテーブルではなく客人用なのか傷もなく綺麗で、サイズも三人向けだったが席が等間隔ではなかった。
端的に言うと柚良、アルノス、蒼蓉の順に並んで片側に寄っている。向かいに誰も座っていない状態だ。
柚良はにこにこと笑いながら言った。
「蒼蓉くんからの発案なんですよ、食べながら芸でも見ないかって」
「でもこれは近すぎ――」
「顔を見て話すのもいいけど、隣り合わせのほうが食べながら話しやすいだろう?」
左手側から蒼蓉の声がし、やはり思っていた以上に近く感じたアルノスは鳥肌を立てた。体が無意識に命の危険を感じた時の反応だ。
それでも今よりもっと長いテーブルのほうが良かったのでは、とも思ったがツッコミを入れられる雰囲気ではない。
それに、とアルノスは冷や汗を垂らす。
(た、多分これは俺が嫌がるって見越してのことだ……細部は気にしちゃいない)
仮病を使ってでも断るべきだったかも。
そうアルノスが心の底から思っているとは露知らず、友達を招待できて上機嫌の柚良はテーブルの上の料理を指して説明する。
「この小籠包、餃子、麻婆豆腐、そしてワンタンスープは私が担当しました。麻婆豆腐はお肉たっぷりバージョンです!」
「お肉たっぷり……その、餃子もかなり大きいんだね」
「いやぁ、誰かに作るのが久しぶりで張りきったら凄まじい成長を遂げまして……」
見た目からしてずっしりとした餃子はおにぎりほどのサイズがあった。
そのため遠目に見ると焼いた肉まんに見えないこともない。まさに柚良のやる気ですくすくと育った成長期の餃子である。
(柚良ちゃん、本当に楽しみにしてたんだな……)
これば怯えてばかりでは申し訳ない。
アルノスは呼吸を整えながら「わざわざありがとう」と柚良に微笑みかける。左側に鎮座する気配が怖いが、礼は言いたかった。
しかし蒼蓉は存外機嫌良さげに「じゃあ冷める前に食べようか」とアルノスと柚良に声をかける。
「ボクは小籠包から貰うよ、糀寺さんが作ってくれるって約束したものだしね」
「あはは、一番乗りがいいんですね蒼蓉くん」
「まあそんな感じだ」
そんな会話をするふたりを見てアルノスはあの時――職員室で会話をした時の蒼蓉の表情を思い返し、なんとなく理由に思い当たった。
元から作る約束をしていたものを間男じみた男にまで食べさせるのが嫌だったのだろう。し
かし提案者は柚良であり、約束を破っているわけでもなく、更にはじつに楽しそうだったため否定の言葉を口にできなかったのかもしれない。
(だとすると思っているより万化亭の若旦那は人間らしいってことになるが……)
まだそう判断するのは早い。油断大敵だな、と思いながらアルノスは麻婆豆腐を口に運んだ。途端に冷や汗とは異なる汗がドッと噴き出す。
――辛い。じつに辛い。
粘膜という粘膜が焼けるようだ。
しかし旨みもしっかりとあるため、これは失敗ということではないらしい。
思わぬタイミングで『油断大敵』だということを再確認し、カチカチに固まったアルノスを挟む形で蒼蓉と柚良が言葉を交わす。
「おや、上出来な味だ。糀寺さんは料理上手だったか」
「ふふふ、見直しました? なーんて、作ってる時から蒼蓉くんは褒めてくれてましたもんね。味付けはどうですか?」
「肉汁までひっくるめて全て好きだ。毎日食べたいくらいだよ」
太りますよ〜、と笑う柚良が今度はアルノスを見た。
「アルノスさんはどうです?」
「美味いよ、うん、あー……少し辛いけどそれが舌を引き締めてくれるね!」
「おぉ、なんだか評論家みたい……あっ、麻婆豆腐、辛めにしたんでご飯が必要ならどうぞ! 卵を入れるのもアリですよ」
アルノスは褒めたものの、一瞬で汗をダラダラとかいていたため辛さのパンチがなかなかのものだったことは一目瞭然だった。
卵を試してみようかな、と提案に乗るアルノスの隣で蒼蓉も麻婆豆腐をつつく。
「……肉が多いからメイン料理みたいだ。しかし糀寺さんが辛いもの好きとは思わなかったな」
(涼しい顔して食ってる……)
「わりとなんでも食べますよ、ただこの地区だと辛い味付けが好まれてるって料理長から聞いたんで……蒼蓉くんは大丈夫です?」
「ははは、商品の味見が必要なこともあるからね、これくらいの辛さなら許容範囲内だ。美味しいよ」
(どんな商品なんだよ……!)
合間合間に心の中でツッコミを入れながらアルノスはようやく落ち着いた口に小さく切った餃子を入れる。
――美味しい。
そして先ほども辛かったものの味自体は良かった。
味はややバラつきがあり不安定だが、だからこそ手作りの料理の味だとわかる。
(……個人の手料理っていうのはこういうものなのか)
アルノスが貧民窟にいた頃は料理らしい料理はなかった。火を通すくらいだ。
デーベルナイト家に拾われてからはちゃんとした料理を食べていたが、雇われコックにより味を調整されたものばかり。
独り立ちした成人後は時間がないからと携帯食料か買ってきたものばかりを食べていた。それは美味かったが、とても平らに均された味だった。
アルノスは自分では調理ができない。
成長する過程でそんな経験を積める機会がなかった。
成長後はそんなことをする必要がなくても生きてこれた。
手料理という概念を理解していても、まあ市販品みたいなものでしょと思っていた節がある。
こんなに違うんだな、と考えていると箸が進んでいた。
「うん、餃子だけでなくスープも全部美味しいよ。ゆ……糀寺さん、わざわざありがとね」
アルノスはれんげでスープを口に運んで言う。
危うくいつものように呼びかけたが、蒼蓉は特に反応していなかったためバレていないようだ。
色々とプレッシャーの凄まじい状況だったが――普通なら得難いこの思い出を家に持って帰るのもやぶさかではない。
アルノスがそんなことを思っていると、蒼蓉が「じゃ、そろそろ芸をしてもらおうか」と手を叩いた。
出てきた璃花が剣技を披露し、ヘルとソルが炎を星のように部屋に散りばめ煌めかせ、アガフォンが強化魔法で瓦を棒の上で何枚も回したかと思えばすべてを重ねて瓦割りをしてみせる。
最後は柚良に男を選べと迫った際に呼びつけた屈強な男たちを歌わせていた。
なにかとんでもないものを見せられてる気がする、と思っていたアルノスの肩に突然蒼蓉が腕を置く。
「そういえばボクに対してはずっと敬語だね」
「あ、ええ、もちろん雇い主ですから」
「ウチにいる間だけは口調も楽にしなよ、アルノス」
「え!?」
柚良には崩しているが、万化亭の若旦那であり専門学校の校長である蒼蓉にタメ口を使う理由はアルノスにはなかった。
よって呼ぶ場合は『蒼蓉様』か『校長』もしくは『若旦那』であり、語尾も丁寧になる。それを蒼蓉は取り払えというのだ。
アルノスは戸惑った顔でれんげを置く。
「で、ですが蒼蓉様」
「ほら、呼び方も。糀寺さんと話すみたいにさ」
蒼蓉はアルノスの間近で笑みを浮かべながら言う。
「蒼蓉君でいいよ」
馴れ馴れしく柚良ちゃんと呼んでいることがバレている。
(まぁそりゃそうか……)
わざわざマウントを取りに来たくらいなのだから全て把握済みなのだろう。
アルノスは観念した顔で口を開いた。
「つ、つぁ、蒼蓉君」
「宜しい」
蒼蓉は軽く肩を叩くと腕をどかす。
触れられている間はまるで枷でも嵌められているかのようだったが、その感覚は蒼蓉が離れた後も続いていた。
(でも嫌がらせだけでここまでするか? 一体どういうつもりなんだ……)
アルノスは疑いながら咳払いをしたが、答えはすぐには出そうにもない。
――蒼蓉が自分を『柚良を裏切らない』守り人にようと考えているなど露知らず。
まあなんにせよ、とアルノスは柚良をちらりと見た。
柚良もアルノスたちを見て「ふたりが仲良しになって良かったです!」と嬉しそうにしている。
(この表情が曇らないなら、それでいいか)
――それはそれとして、伽羅の香りがトラウマになりそうだと思いながら。
***
柚良は暗渠街で初めて出来た友達が夕食を食べに来た上、蒼蓉と仲良くなってくれたことがとても嬉しかった。
(蒼蓉くん、表の高校では素の姿を出せてなかったわけだもんね。無理してない状態の蒼蓉くんにも友達が出来てよかった)
様々なことを偽っている状態で出来た友達は果たして本物なのか悩むこともあったかもしれない。
暗渠街では素の状態だが、立場上親しい友達はあまりいない様子だった。
だからこそアルノスが蒼蓉に歩み寄ってくれてよかったと、柚良はまるで自分のことのように嬉しくなる。
(あ、でも私が知らないだけで親しい人はいたかも……?)
万化亭に滞在するようになって今に至るまで一度もそれらしき人物は見かけなかったが、様々な理由で会えていないだけの可能性がある。
柚良がそう考えたところで突然現れたイェルハルドが蒼蓉にそっと耳打ち――もとい、小さなメモを見せた。
「……こんな時に?」
『はい』
「絶対見計って来たな。日を改めろと追い返せ」
『足止めはしていますが時間の問題です』
誰か来るらしい。
しかし先ほど考えていた親しい相手ではないのだろうか。蒼蓉のじつに嫌そうな顔を見ながら柚良は首を傾げる。
でもこんな取り繕っていない表情を引き出せる相手ならわからないぞ、と思っていた時だった。
ざわざわと廊下が騒がしくなり――木製の扉が勢い良く開かれたのである。




