第41話 魔王城の方がマシ
柚良は朝から張り切っていた。
今日は『友達』のアルノスも交えての夕食である。
会食の経験はあるが友達と一緒に夕食を楽しむのは初めての経験だった。
しかも今回は柚良が手料理を振る舞うのだ。
蒼蓉に約束していた小籠包だけでなく一部のスープや肉料理も担当させてもらえることになり、帰ったらすぐに取り掛かるぞと柚良は気合を入れた。
(本当はソルさんたちにも振る舞いたかったんだけど……)
若旦那と同じ席で夕食なんてとんでもないです! と綺麗に断られてしまった。
今度差し入れを作る形で何か持っていこうかなと柚良は考える。
そうしている間にその日の授業が終わり、アルノスに「また後で!」と言い残して颯爽と万化亭に帰った柚良は手を洗ってからすぐに厨房へと足を踏み入れた。
なにやら恐縮している料理長に「お邪魔します!」と頭を下げつつ柚良はてきぱきと準備を進める。
そこへ蒼蓉が様子を見にきたのは三十分ほど経った頃だった。
「やあ、糀寺さん。君のエプロン姿を拝みにきたんだけれど――いやはや、まさか割烹着だとは」
「あはは、動きやすいんですよこれ。期待はずれでした?」
「これはこれで唆るね」
なにがどう唆るのか不思議だった柚良は首を傾げつつも鍋の水を炎の魔法で瞬く間に湯に変える。
その傍らで凍っていた肉が一瞬で解凍された。
「……熱で溶かしたのか?」
「それをやると傷みそうじゃないですか、なので氷魔法でいい感じに水分に戻るように指示しました。あれって氷が関わることなら作るだけでなく逆も可能なので」
「なるほど、すべての凍った部分が同時に水分に戻ったからドリップも出てないのか……さすがというかなんというか……」
ドリップとは冷凍された肉を解凍した際に出る液体のことだ。恐らく同時であること以外にも細かな調整がされている。
蒼蓉は目を細めて柚良の手元を見た。
魔法も然ることながら、包丁の使い方も上手い。目を瞑っていても芋の皮剥きができるのではないかと思うほどだ。
「糀寺さんって料理慣れしてるね」
「ふふふ、これでもほぼ一人暮らしでしたからね。それに調薬のために薬草をせっせと刻むこともありましたし!」
「なるほど、朝にこの音を聞きながら起きたいなぁ」
「変わった目覚まし音をご所望ですね……?」
やっぱり伝わらないか、と眉間に手をやる蒼蓉に柚良は「ところでお仕事はいいんですか?」と訊ねた。
蒼蓉は自室のある方角をちらりと見る。
「まだ余裕はあるけど、そうだね、夕食の時間を延ばしたいからもう少し頑張ろう」
「ふふ、アルノスさんもきっと喜びますよ」
「だといいね」
「でも蒼蓉くん」
柚良はトントンと音を鳴らしていた包丁を一旦止めて蒼蓉を見上げる。
視線を向けた先に立つ蒼蓉はいつも通りの様子だが、柚良には少し気掛かりなことがあった。
「最近特に忙しそうですし、あまり無理しちゃダメですよ?」
「はは、嬉しいな。誰かに心配してもらうなんて久しぶりだ」
蒼蓉は袖で口元を隠しながら言う。
声だけでなく顔も笑っているらしく、そのまま視線だけ柚良へと向けた。
「少し面倒な調べ物が多くてね。あと、ほら、そろそろ表の春休みが終わるから」
「! もうそんな時期ですか……」
表の世界で蒼蓉が通っており、かつては柚良も通っていた高校は私立だった。
帝国にある一般的な高校は元から他国と比べて春休みが長めだが、帝国の建国記念日が春にあるため、柚良が通っていた高校ではそれを理由にひと月ほど期間がある。
そんな春休みが終わると蒼蓉は学年がひとつ上がるのだ。
もう進級を経験することができない柚良はほんの少し寂しげな顔をしたが、すぐにそれを笑顔で覆い隠すと「なら沢山美味しいものを食べてもらわないとですね!」とやる気を漲らせる。
蒼蓉は「期待してるよ」と頷く。
「学校が始まると万化亭の仕事を帰宅後に処理することになるからね、その下準備を進めてるんだ。ボクがいなくても回るように整えておかないと後で泣きを見る」
「ほんっと大変ですね……」
「まあ慣れたさ」
そう言ってキッチンから離れようとした蒼蓉だったが、去り際に「ああそうだ」と柚良を振り返った。
「専門学校に大型の休暇はほぼ無いんだ。でも夏休みだけは確保してる。これはひと月半ほどあるから、まだ数ヶ月先のことだけど糀寺さんも生徒に課題を用意しておくといい」
「……! 出す側になるのって新鮮ですね!」
「採点作業が面倒らしいから、休み明けは覚悟しておきなよ」
「の、望むところです!」
そう言いながら再び高速でネギを刻み始めた柚良を眺め、蒼蓉は「言いそびれてたけど、割烹着似合ってるよ」と言い残して厨房を後にした。
***
アルノスが万化亭の前に立ったのは約束の時間の十分前だった。
実際にはそれより前から近場をうろうろしていたのだが、店構えをちらりと見ては路地に引っ込むという不審者スタイルを強いられていたのだ。
豪邸というわけではないが雰囲気が凄まじい。
アジアンな作りの門とその奥に構える建物はずしりと重く、薄暗くなった周囲を照らす灯りは妖しく見える。
帝国最古の魔導師が住んでますよと説明されれば信じてしまいそうだった。
(多分重々しさはプレッシャーと……がっつりかけられた結界魔法のせいか。毛穴をひとつひとつ精査されてるみたいで落ち着かないぞこれ)
よくこんな所で寝起きできるな柚良ちゃん、とアルノスは口をへの字にした。
しかしそろそろ出向かなくてはならない。そう覚悟を決めて門前に立ったのがまさに今である。
呼び鈴もなにも見当たらないが、どう声をかければいいのだろうかと迷っていると、突然門が開いてアルノスは仰天した。
目の前には誰もいない。
そう思った瞬間、足元から声がした。
「ようこそお越しくださいました。案内役のヘルです」
切り揃えられた長い黒髪を持つ小さな少女だった。
どこか機械的な声音のせいで「万化亭は精巧な絡繰り人形を店員にしてるのか?」と思わず考えてしまったが、どうやら血の通った人間らしい。
ヘルはぺこりと頭を下げて「奥へどうぞ」とアルノスを誘う。
門をくぐるとそれが後ろでひとりでに閉まった。
――否、陰で待機していたオレンジ色の髪をした青年と白髪の老人が閉じたのだ。
見たところ後者は強化魔法を使っている様子だった。
(魔王城にでも招かれた気分だなぁ、というか)
魔王城のほうがマシかもしれない、と思いながらアルノスはヘルの背についていき、促されるままに店の更に奥にある住居スペースへと足を踏み入れる。
普通の客は早々入れない場所だ。
しばらく進むと波模様が透かし彫りされた木製の扉が現れ、ヘルはそれを開くと横へと避けて待機した。
「あっ、いらっしゃいませアルノスさん!」
「やあ、いらっしゃい」
華やかな金の刺繡が施された赤いテーブルクロス。
その上に並べられた料理からは湯気が立ち上り、室内の雰囲気も心なしか温かい。
魔王城の中に天国があったなとアルノスは思ったものの、その真ん中に鎮座しているのは魔王の如き男だ。魔王の隣では柚良がにこにこと笑っている。
アルノスは眩しそうに目を細めると会釈した。
「……ど、どうもお邪魔します」
普通の挨拶であるはずのそれは、喉から絞り出すような声になってしまった。




