第36話 蒼蓉はやる気満々である
週明けは生憎の雨だった。
それでも蒼蓉は学校に顔を出すのを撤回するつもりはないらしく、朝からてきぱきと普段の倍近くのスピードで注文と在庫のチェック、それに基づいた凄まじい量の指示を飛ばしている。
「ナユタ地区の山茶花教皇会から重火器の注文がお任せで入ってたろ、あそこは二回目の注文だから代金よりやや上のグレードで見積もっておいてくれ」
「はい」
「ルーディス・グループってところも同じ条件だけど、あっちはバックにいる組織がキナ臭いから通常通りのグレードで様子見。個人の客の注文は発注先別に分けておいたからそれぞれ纏めて処理してくれ」
「はい」
「あとは情報関連の仕入れか、これは戻ってきたら直に処理するけど急ぎならボクの名前を出していい。……ああ、ただココとココとココからの場合は父さんの名前の方がいい」
父さんの昔馴染みだから、と言う蒼蓉に璃花が頷く。
まだ注文が入っていないのに指示するということは「そろそろこの手の情報の注文がここから入りそうだ」と予想しているということになる。
ははあ、と柚良が感心しながら眺めていると、そんな彼女に気がついた蒼蓉が笑みを浮かべた。
「おや、糀寺さん。まだ出発してなかったのか」
「今から学校に向かうんで挨拶しておこうかと思って……でもお仕事の邪魔しちゃってすみません」
「いいや、むしろ呼びつけたいと持ってたくらいだからいいんだよ」
冗談めかしつつ、しかしちっとも冗談ではない様子でそう言い、その間も手は止めずに蒼蓉は続ける。
「これを終わらせてから出るから、君は先に行っておいてくれ。抜き打ち視察みたいなものでもあるからボクが行くことを言っちゃ駄目だよ」
「えっ、まさかまたアポを蔑ろに!?」
「ボクの学校だぞ? まぁ安心してくれ、代理校長とマユズミには伝えてある」
なんとなくマユズミに貧乏くじを引かせた気分になった柚良は心の中で彼女に謝った。マユズミも胃が痛いことだろう。
蒼蓉も授業が始まる時間までに学校へ向かうらしい。
柚良は「じゃあ先に行ってますね!」と手を振ると万化亭を出ていった。
――しばらく後、魔法専門学校にて。
職員室へ足を踏み入れた柚良は恐る恐るマユズミの姿を探した。見れば窓際で代理校長と話をしている。
代理校長は白い髭をたくわえた、如何にも「校長!」といった雰囲気の男性で、名前をバーニアル・榊原といった。生徒の一部は彼が本当の校長だと思っているという。
普段は他の仕事も担っているのか学校を不在にしているこが多いが、今日は蒼蓉が言った通り事前に連絡が入ったのか朝から学校にいたようだ。
マユズミとバーニアルとの会話がひと段落ついたタイミングで柚良は「おはようございます〜!」と話しかけた。
「……! おはよう、糀寺さん。ごめんなさいね、今日は少しバタバタしそうなの」
マユズミはそう申し訳なさそうに言う。
当事者に対するセリフにしてはおかしな言動だ。思わずきょとんとした柚良は直後にその理由に思い当たってハッとした。
(もしかして蒼蓉くん、マユズミ先生にまで来訪の理由を言わなかったんじゃ!?)
「今日はここの校長――万化亭の若旦那が来るそうなのよ。多分抜き打ちの視察かも。あ、でもあなたならもう知ってるかしら?」
(ビンゴじゃないですか!)
バーニアルはどうなのだろう。
そう柚良が視線を向けると、どうやら彼は理由を知っているらしく目を泳がせた後人差し指を口の前で立てていた。
どうやら口止めをされているらしい。
抜き打ち、と蒼蓉は言っていたが油断しているところに凄まじい牽制を突っ込んでやろうという気概が柚良にさえ感じられた。
(蒼蓉くん、やる気満々だなぁ……)
それだけ柚良に対して本気だということだ。
本気なほどやり方が少々歪になるのはもはや直せない癖のようなものなのだろう。
ひとまず知らないふりをしてその場を後にした柚良は自分の机に向かった。
イスに座り、授業に使う書類を整理しているとフッと日が翳るように頭上から影が落ちる。――それは気さくな笑みを浮かべたアルノスだった。
今日は金のリングと青い石の付いた小さなピアスをしている。
「や、おはよう柚良ちゃん」
「おはようございます、アルノスさん!」
「今日の急な訪問予定に助けられたよ、あのおばさ……メタリーナの機嫌が朝から最高に悪かったんだけど、ほら」
アルノスはこちらに背を向けて化粧を直しているメタリーナを指す。
背後からでもわかる気合いの入りようだ。もはや化粧直しではなく一からやり直しているに等しい。
「若旦那が来るって聞いて、俺への八つ当たりは後回しにしてくれたみたいだ」
「八つ当たり?」
メタリーナの心境と嫌がらせにまったく気づいていない柚良は首を傾げた。
さすがに少しくらいは感じ取っていただろう、と思っていたアルノスは「真実をそのまま出さずともなんとなくわかるはず」と思い話題に出したのだが、見当違いだったと思い至って慌ててフォローを考える。
しかしその前に柚良が納得した様子で手を叩いた。
「私とアルノスさんだけで遊びに行ったからでしょうか。やっぱりひとりだと寂しかったんですね! 今度遊びに行く時は三人で行きましょう!」
「うーん……最高にお勧めできないなそれ……」
眉間を押さえたアルノスは「とりあえず今はやめときなよ」と念押ししてから自分の席へと戻っていった。
――それから二十分ほど経った頃だろうか。
来客を察知したバーニアルが「迎えに行ってくる」と一言残して職員室を出る。
(なるほど、代理校長が校舎内に居る時は結界経由で来客を知れるように紐づけされてるのかぁ……)
バーニアルの挙動から結界魔法の構造を予測しながら柚良は時計を見た。
予想より少し早い。蒼蓉は相当急いで午前の仕事を済ませたのだろう。
ならばペルテネオン通りに泊まりで出ていった時は目に見えていた以上にてんやわんやだったに違いない。
蒼蓉くんってばホントにやる気満々だな、と柚良は再び思うしかなかった。
(……ここまでやる気だと私も少し緊張してきたかも)
帝国に属する民族の代表たちが集まる広間に突然呼ばれた時を思い出す。
あの時は皇帝によるただの自慢だった。
うちのお抱え魔導師はこんなに凄いんだぞという意図の込められた余興で魔法を披露することになったのである。
あの時のように魔法を使うだけならいいが、もしかして話す内容をしっかりと用意しておいたほうが良かったんじゃ? 突然の報告だし詫びの品とか用意しとくべきだった? 暗渠街の文化を事前にサーチしとけばよかった! ――と、柚良は見当違いなことまで考え始める。
しかし。
(まあ、ここまで来ちゃったものは仕方ないし、それに蒼蓉くんのことだから……なるようになるか!)
柚良はあっという間に平静を取り戻した。
持ち前の胆力故か蒼蓉への信頼故か判断に迷うものだったが、この場でそれを目撃した者はいなかった。
蒼蓉が職員室にバーニアルを従えて入ってきたのである。
職員室にいる全員の視線がそちらに向かっていた。
いつものものとは異なる黒曜石と金色のリングで出来た大きな耳飾り。
チャイナ調の黒いスーツは胸元が丸く開いた水滴領で、その上から濃紺のロングコートを羽織っている。
そんな濃紺のロングコートは単色ではなく、裾に向かうほど黄色みを帯びており、まるで夜明けの空のようだった。
靴は柚良が見ても『良いものだ』とわかるほどの高級感を漂わせている。
普段から黒く塗ってある爪もわざわざ綺麗に塗り直されていた。朝と艶が違う。
極めつけはそのすべてに圧倒されないほど蒼蓉の存在感があることだ。
仁王立ちなどしていないというのに、まるで目の前に立ちはだかられたような圧が職員たちにかかっている。
職員室に入った瞬間、彼はすべてを呑み込むような目でその場にいる全員を見た。
蛇に睨まれた蛙どころではない。
ここはすでに蛇の胃袋の中と化したのだ。
そう全員に一瞬で刷り込んでしまう。――ひとりを除いて。
「蒼蓉くん、着替えるのはっや……」
それは柚良が一番初めに抱いた、とても素直な感想だった。




