第33話 アルノスの決定打
柚良の『アフターケア』により天業党に疑われることはなかった。
それどころか映像の確認は飲食街での爆発事件を調査しに来ていた天業党の構成員が行なったので、日を改めて党首自らお礼をさせてほしいと言われたくらいだ。
残党の心配はないとはいえ確認作業に忙しいだろう。
取り仕切っている地区での騒動のため、飲食街の被害等の対応も同時進行しているかもしれない。
それ故に「今は忙しいでしょうから日を改めて是非!」と柚良は答えたが、アルノスは生きた心地がしないといった顔だった。
日も暮れ始めたため一旦帰ろうということになり、姉妹を見送った柚良とアルノスは飲食街へと戻る。
予定外のことが起きてアルノスのスケジュールはもはやボロボロだ。
しかもメタリーナに指示されたことを果たせていない。
まだ手がないこともないが、ここから挽回できることなどたかが知れているだろう。柚良相手なら特に。
ヒステリーを起こすメタリーナの顔を思い浮かべ、週明けが嫌だなと思いながら歩いていると、そんなアルノスの袖を柚良が引っ張った。
「おっと、ごめんごめん、ちょっとボーッとして……うお!」
作り笑いと共に振り返ったアルノスは目の前に差し出されたホカホカの焼き芋に目を瞬かせる。甘い香りが鼻腔をくすぐった。
焼き芋の向こうには柚良の嬉しそうな顔がある。
「ここの人たちは逞しいですね、もう営業再開してるお店がありましたよ!」
「やー、そこで即買い物する柚良ちゃんも逞しいというかなんというか……」
「あはは、食欲に負けまして。……! でもすみません、安全な店か訊ねる前に買っちゃって……!」
本当に食欲に負けたんだな、と納得しながらアルノスはどの店か柚良から聞き、あそこなら大丈夫だよとOKを出す。
三ヶ月前に店長が暗渠街の金持ちを狙って強盗を繰り返して捕まっているが、その後に店長が交代したことで一周回ってクリーンになった店なので問題はないだろう。
「良かった……ではアルノスさんも、はい、焼き芋をどうぞ!」
「どーも。それにしてもシメが焼き芋になるなんてなぁ……」
あそこで騒動に巻き込まれず、上手くホテルに入れていれば今頃は焼き芋を齧っていることはなかっただろう。
(……ただ、この顔も見れなかったってことかな)
口いっぱいに焼き芋を頬張り、色気のいの字もない様子の柚良を眺めながらアルノスは思う。
それは無意識のことだったが、思った直後に我に返って眉間を押さえた。
嬉しそうに焼き芋を咀嚼していた柚良は「そういえば」と眉を下げる。
「今日は最後まで遊べなくて残念でしたね。折角誘ってもらったのに……」
「不可抗力だよ、暗渠街じゃままあることだ。まぁ解決方法は規格外だったけども」
遠い目をするアルノスに柚良は笑いかけた。
じつに表情がころころと変わる。
「でも今日はアルノスさんにも楽しんでもらえて良かったです」
「……。それはどういう――」
「私、講師になってからワクワクの他に不安もあったんですよ。先生たちと仲良くなれてるかな、学校にちゃんと馴染めてるかなって」
そう言いながら視線を落とした柚良はすぐに表情を明るくさせると言葉を続けた。
「だから遊びに誘ってもらえて嬉しかったですし、色々あったけど楽しかったですし、アルノスさんにも楽しんでもらえて良かったなと!」
見る目ないなぁ。
そうアルノスは正直な感想を抱いた。
こんな一から十まで悪意から誘った男になにをきらきらした目を向けてるんだろうと呆れてしまう。
しかし、これは柚良が人間の良し悪しを見極められる目を養ってこれなかったからではないだろうか。どんな環境で育ったのかはわからないが、随分と限定的なプライベートだったのだろう。
そう考えるとアルノスの中に地下で感じた気持ちが再び湧き上がり、なんとなく放っておけない気分になった。
(やっぱりメタリーナに怒られそうだ……)
そこへ柚良の明るい声がかかる。
「そこでご提案なのですが」
「提案?」
「アルノスさん、その~……私のお友達になってくれませんか!」
決定打だった。
決定打すぎた。
この有象無象の悪がのさばる暗渠街で会って間もない男の誘いに乗り。
ひとりでホイホイついてきて飲み食いをし。
危険なことを危険なこととも思わず行ない、善意で人を助け。
そして最後まで男の真意に気づけないどころか。
(よりにもよってお友達!? お友達って、お前……子供か!?)
アルノスは小学校など通ったことがないが、経験があったなら「小学生か!?」と言っていただろう。
純真無垢さは時として武器になるが、基本的には本人が危険に晒される。
しかもその本人に自覚がないなら尚更だ。万化亭の翼下に収まっているようだがどこまで守ってもらえるのか怪しい。
なにせこうしてひとりでここへ来たのだから。
アルノスに兄弟はいないが、幼い妹が悪漢ひしめく路地へ突っ込むように駆け込んで折り紙の花をプレゼントしているのを見てしまったような異様な焦燥感があった。
人はそれを庇護欲と呼ぶが、自覚しきる前にアルノスは口を開く。
柚良は危なっかしいが、それを眩しくも感じていた。嫌いではない。アルノスの女性の好みからも性格は逸脱していたが、それでもなお好ましく感じている。
ならば、と。
「柚良ちゃん、俺は君のお友達より彼氏になりたいなぁ」
傍で庇護するならこれが一番だろう。
好意を持っているなら余計に。
そう自分に理由を解き、アルノスが口にした言葉に柚良はきょとんとすると――ごく自然な様子で答えた。
「すみません、えっと、私……婚約者がいるので!」
衝撃的だった。
そんな衝撃的な答えに気を取られ、アルノスがなにもないところで躓いてスッ転んだのは致し方のないことである。




