第32話 アフターケアもばっちりです!
幸いにも幽に大きな被害はなく、怪我といえば倒れた際にぶつけた部位の打撲と柚良が血を拝借した肘くらいのものだった。
それでも仄は涙で顔をぐしゃぐしゃにし、柚良の手当てで幽が目覚めるなり抱き締めた。
致命傷が今まさに出来ましたと言わんばかりの音が響いたが、幽は慣れているのかどうにかこうにか呻いただけで済んだものの、さすがの柚良でさえ肝を冷やした瞬間である。
事情を聞いた幽は「そうですか……」と呟くと両手で顔を覆った。
「私のほうが足を引っ張っていたなんて最悪だわ」
「お姉ちゃん……」
「……私がお母さんに魔法専門学校に入学しろって言われた時、それを快諾したのは私は私なりにあなたを守れる力を得られると思ったからなの」
組織のためじゃない、と幽は小さな声で言う。
目を瞬かせた仄はたっぷり数秒かけて息を吸い込むと「うそ!?」と声を上げた。
「だ、だってそんな素振り全然――」
「そんな素振りを見せてたらカッコ悪いじゃない。あと恥ずかしい」
すぱっと言った幽は眼鏡を押し上げる。
ああこれは恥ずかしがっている時の仕草だと仄はすぐに察した。
「それに、筋肉の力を――自分の力を活かそうとしないあなたにヤキモキしてたのは事実だから。……でも私を助けるために使ってくれたのね」
幽は派手に破壊された出入口を見遣る。
一見すると魔法で破壊されたように見えるが、仄のふるう力を間近で見てきた幽には妹の手によるものだと理解できた。
仄の活躍は柚良から聞いたが、こうして目に見える証拠があるとやはり視線でなぞってしまうようだ。
幽は自身の組んだ指を見下ろす。
「憧れたけど得られなかった力よ。けど、そういう力を持っているからこその悩みがあるって私は理解してあげられなかった。……ごめんね、仄」
「お、お姉ちゃん……こっちこそずっとうじうじしててごめんなさい……! 恐れていることがあるなら素直にお姉ちゃんに相談すればよかったのに……っ」
ぐすぐすと泣き続ける仄の頭を撫で、幽は改めて柚良とアルノスに頭を下げた。
「先生、助けてくれてありがとうございます。すぐに母たちに連絡して、念のためこの周辺を探ってもらいます。ただ……」
「気になることでも?」
「……犯人が全員邪神の領域に連れて行かれたとすると、その、証拠が……」
物的証拠だけでも信じてくれると思いますけど、と幽はもごもごと言う。
ああ、と納得した柚良は温かな笑みを浮かべた。
「犯人が誰も残ってないなんて対応に困りますよね。下手すると天業党の報復が及ばないよう私たちが逃がしたと思われちゃいますし」
「うわ、俺はそんなの御免だよ」
天業党は組織としては大きな部類に入る。
そんなものに目を付けられたら今後この地区をリラックスして歩くことなどできなくなるだろう。
幽は「絶対にそうならないよう私たちがしっかり説得します!」と前のめりになって言ったが、柚良は「まあまあ」とそれを宥めながらポケットから小さな水晶玉を取り出した。
アルノス、幽、仄の三人は唐突に現れたその水晶玉を疑問符を浮かべながら覗き込む。人工物かと思うほど透き通った透明度だ。
「こないだペルテネオン通りで買った便利アイテムのひとつ、記録水晶です!」
「き、記録水晶?」
「私の左目とリンクさせたもので、この目で見たものを水晶で見ることができるんですよ。音声は入らないのが短所ですけれど……映像だけでも証拠になるはずです」
だから大丈夫ですよ、と言う柚良に記録水晶の使いにくさを知っているアルノスは眩暈でもしたような顔をした。
これは本来、記録係となる者が静止した状態で集中して使うものだ。
それを柚良はあれだけ動き回り、会話までしながら使ったわけである。
そんなこととは知らない姉妹は安堵した表情を浮かべた。
「ありがとうございます、糀寺先生!」
「ふふ、サポートするって言ったでしょう、仄さん」
柚良は人差し指と親指で丸を作ってウインクする。
「サポートは私たちへの強化魔法だけにあらず、です!」
アフターケアもばっちりですよと笑う柚良に姉妹も笑みを返した。
そしてひとまず外へ出ようと立ち上がりかけたところで、幽が打撲の痛みに眉根を寄せる。
「あっ……お姉ちゃん、ちょっと待って」
仄はごそごそとカバンを漁ると塗り薬を取り出し、それを幽の痣に塗った。
痛々しい色をしていた痣に乳白色のベールがかかったかのようだ。
清涼感のある香りに目を瞬かせる幽に仄は笑みを向ける。
「ガーゼも包帯もないからこのままになっちゃうけれど……私が調薬したものなの」
「仄が?」
「うん、あとで水を手に入れたら痛み止めもあげるね」
「……」
幽はじっと仄を見つめると眼鏡の向こうで柔らかく笑う。
それは嫉妬もなにも混ざっていない、妹の成長を見つめる姉の顔だった。
「……仄、今度私に薬草について教えてもらえる?」
「! も、もちろん」
「私も魔法について教えるわ。一緒に勉強すれば解決することもあると思うの。伸び悩んでたんでしょ?」
魔法の悩みを把握するほど、幽は自分にできる範囲で妹のことを見ていたということだ。
仄はほんの一瞬きょとんとした後、鼻を啜りながら「うん!」と頷いた。




