第30話 蜻蛉の邪神
魔法という特異な力が跳梁跋扈するこの世界で、筋肉というある意味純粋無垢な力で組織を纏め上げてきた者の代表格が天業党である。
初代党首は筋力だけで家を持ち上げ、鉄の塊を曲げ、ドラゴンを全身骨折させたとまことしやかに囁かれていた。
その他数多の逸話を思い返しながら柚良は下水道を進む。
メタリーナに天業党のことを訊き、勉強不足を指摘されてから自分なりに情報収集をしてきた。この逸話もそのひとつである。
眉唾ものも混ざっているだろうが、もし本当なら完全無欠に見えていくつかの制約はあったのだろうなと柚良は思った。
一日に一人で十合の飯を食べた、という話もそうだ。
力はあるが燃費は悪かった可能性がある。
――が。
実際はそんなことなかったんじゃないだろうか、と思わせる万能な怪力ぶりで突き進む仄を見て、推察はもう少し慎重にしようかなと柚良は思い直す。
組織は相当警戒心が強いのだろう。
あれから同じような鉄格子の扉が三つ続いたが、仄はそのどれもを綺麗に曲げた。
しかも何回にも分けて力を込めたのではなく、一度「ふんっ」と力を込めただけで。途中からアルノスは完全に無言になっていた。
(本当に凄い力。こんなに素晴らしい才能を伸び伸びと使うことができなかったなんて……)
柚良もかつては魔法の才能を持て余したことがある。
そんな柚良に道を示してくれたのが魔導師としての先生、つまり師匠だ。
今度は自分が道を示してあげたいと柚良は心から願う。
仄が怪力を嫌っているなら無理強いはしないが、活かしたいと本心では思っているなら猶更だった。
「……っと、ストップ。あの曲がり角の先から人の気配がする」
制止したアルノスは道の先を親指で指して言う。
そして柚良にライト代わりの魔法を消すよう指示した。
「慌てた様子じゃないからまだバレてないみたいだ。気配を消して近づこう」
「そうですね」
三人で頷き合い、光を消す前に距離だけ覚えて真っ暗な中を壁伝いに進んでいく。
しばらくすると壁が無くなり、曲がり角の向こうに小さな明かりが漏れているのが見えた。
突き当りの壁には鉄格子とは異なる普通のドアがある。
ドアには外の様子を窺うための小窓が付いており、漏れている明かりはそこからのものだった。
「見るからに怪しいですね~……よしっ、行きましょうか、仄さん、アルノスさん」
そっと音を立てないよう身を低くして足を進めた三人はドアの手前まで来ると小窓から中の様子を窺った。
地面を大きくくり抜いたような広間だ。
どうやら黒緋蜂の頭蓋会が密かに改築したらしい。
蜂っていうより蟻だな、と呟くアルノスの声が聞こえる。
机やイスや棚も見えたがどれもその辺から拾ってきましたといった雰囲気であり、すべてデザインがバラバラだった。
壁には黒緋蜂の頭蓋会のマークが描かれた布がかかっており、その布だけぼろぼろなのに丈夫で高価な生地だと一目でわかる。
恐らく潰れた組織から持ち出したものなのだろう。
息を潜めていた仄が思わず口を押さえて出そうになった声を止める。
広間の中央に作られた祭壇。
そこに手足を拘束された幽が寝かされていた。
未だに煙の影響が残っているのか意識がないように見える。
祭壇には巨大な魔法陣が赤々とした色で描かれており、その周りを老若男女様々な人間が取り囲んでいた。
その中でも一番派手なローブを着た男が一歩前へと出る。
手に物々しい短剣が握られているのを見たアルノスが緊張した声で言った。
「どういうことだ? てっきり娘を人質に党首を脅すつもりだと思ったんだけど」
「失礼な言い方になりますけど……それなら天業党の価値観を知っているなら仄さんのほうを攫うと思うんですよ」
しかし小柄な幽を攫った。
敵対していたなら天業党のことを知らないはずがない。なら彼らの目的は初めから攫いやすい幽を狙い、人質にすることではなかったのだ。
魔法陣をまじまじと見た柚良は「ああ」と納得したように頷く。
「蜻蛉の邪神を召喚する魔法陣ですね。あれは稀少な血に価値を見出すんで、幽さんを生贄にしようと考えてるんでしょう」
「お姉ちゃんを……!?」
蜻蛉の邪神は四十二種いる邪神のひとつで、常にものを食べられない苦しみを背負っている。
ただしそう望んだのは蜻蛉の邪神自身であり、外から不純物を得ず己を構成するものだけを尊ぶ性質から、閉じた世界や限られた血筋――特に珍しい上に身内という枠から脱しない濃い血筋を好むという。
「蜂か蟻か蜻蛉かホントはっきりしろよ……!」
「虫って大きな括りで頼れそうな邪神を選んだのかもですね、蜂の邪神は召喚難度が高いので。しかし、うーん……」
これは一刻を争う。
自分の顎をさすった柚良は仄とアルノスを見ると両手を合わせて言った。
「あの様子だと儀式も終盤です。途中で止めると厄災が溢れるかもしれないので――私に任せてもらえますか?」
これはつまり、幽の命を任せてもらえるか問い掛けているのだ。
しかし仄の決断は早かった。お願いします、と頷くと柚良をしっかりと見つめる。
柚良は「では決まりですね」と微笑むとドアを指して言った。
「ではこれからド派手に暴れてください。みんながびっくりして、ふたりのことしか見えなくなるくらい、ですよ!」
よろしくお願いしますね、と柚良は指していた指を引っ込めると親指を立てた。




