第101話 正直ナメてた
クメスフォリカと兄のクメスレツカは四歳離れている。
一族から出奔する前のクメスレツカは自由を愛し、自由を求めていた。
彼の指す自由とはとても自己中心的なものも含んでいたが、規律に縛られず自分の意見を踏みにじられない場所へ行きたいという気持ちも多かっただろうとクメスフォリカは感じている。
なにかを発言したとしよう。
一族の掟に沿った意見ならスムーズに受け入れられるが、ひとたびそこから外れれば糾弾されて酷く罵られる。人格ごと否定され、矯正が完了するまで食事すら満足に与えられない。
生まれた時からそんな環境で育ってきたクメスフォリカにとってはそのすべてが当たり前のことだった。当たり前なのだから不自由だと思うこともない。
しかし兄を追って各地を渡り歩き、最後に暗渠街へと辿り着いた頃には――窮屈な空間だったんだな、とうっすらと理解できるようになっていた。
外で覚えた酒も、目的を達成して故郷へ戻れば好き勝手には飲めなくなるだろう。
だからこそクメスフォリカは毎日浴びるように飲んでいる。
人生での飲み納めだとでも言うように。
これでもしアルコール依存症になろうが故郷に帰ればどんな手段を使ってでもやめさせられると確信していた。
酒以外にも外の世界は面白いことばかりだ。
暗渠街は表の世界よりも不自由な場所だというが、どちらも見てきたクメスフォリカからすれば様々なものが溢れて違法もまかり通る暗渠街のほうが暮らしやすい。
それを理解したからこそ、兄の考えをおもんぱかることができる。
しかしクメスフォリカは仕事を終えれば帰るつもりでいた。
これは洗脳であり、そして発祥がどれだけ不自由で碌でもないものでもクメスフォリカの中にたしかに存在するヘルパーニュとしてのプライドだった。
兄は殺した。
クメスレツカはクズでも追っ手を何人も躱してきた猛者である。
その障壁が大きすぎるからこそ隠世堂のスカウトに応じ、縛り付けるかのような蛇の刺青まで証として彫った。そうしてやっと見つけ出して手を下したのだ。
あとはヘルを手順通り殺して帰るだけ。
だというのに邪魔が入る。
結局、また逃げるだけで精一杯だった。
クメスフォリカは幻覚魔法に秀でているが、多勢に無勢で魔法の打ち合いにもつれ込む状況は得意ではない。どうしても物理攻撃に依存するため、魔法とやり合うには火力不足なのである。
一族の猛者ならもっと上手くやるだろう。
しかしクメスフォリカはまだその領域に足を踏み入れていない。
悔しい、と感じたのは久しぶりのことだった。そんな懐かしささえ感じる感情に包まれながら目を開く。
すると見慣れているが自室ではない部屋の天井がクメスフォリカの視界に入った。
「人に治療させといてベッド占領して爆睡なんて、ホント良いご身分ね」
ずっしりとした重そうな魔導書を読んでいたメタリーナが顔を上げる。
――クメスフォリカは隠世堂の本拠地に帰還後、メタリーナの部屋へ豪快に転がり込んで「手当て頼むわ」と言うなり眠り込んだのである。
それは睡眠というより気絶に近かったが、世話をするはめになったメタリーナの面倒臭さはどちらでも変わらない。
クメスフォリカはベッドから上半身を起こすと寝癖の酷い頭をがしがしと掻いた。
「まァお前よりは身分が上だからな」
「ふてぶてしいわね。とりあえず火傷が酷かったから縫わずに蓋だけしたわよ、あとは回復魔法を使える人が帰ってきたら頼めばいいわ」
回復魔法も万能ではない上、使い手の良し悪しが強く出る。
さほど上手くない者に任せるのは手術下手な医者に腹を開かれるのも同然なため、クメスフォリカはあまり回復魔法を好んでいない。薬のほうが信用できるくらいだ。
しかし今は早い回復が必要である。
クメスフォリカが最後に放った幻覚魔法はいわゆるヤケクソであり、調整もなにもしていないが上手くいけば万化亭の戦力にヒビを入れられたかもしれない。
再び体勢を整えられる前に今度こそヘルを攫おうとクメスフォリカは考えていた。
そのためには傷を癒さなくてはならない。
このままではただでさえ難のある攻撃が更に切れの悪いものになってしまう。
「メタリーナァ、お前が回復魔法を使えりゃ楽だったのになぁ」
「あなたが回復魔法を使えればもっと楽だったでしょうね」
「ははは! そいつぁ言い返せねェわ」
そう笑った声が傷に響いたのか、クメスフォリカは「イテテ」と包帯の上から腹を押さえた。
その姿をメタリーナが横目で見る。
「でもあなたがそんな傷を負わされるなんて、一体何に首を突っ込んだの?」
「万化亭とちょっとな」
万化亭、という単語にメタリーナの目つきが変わった。
古巣に対してまだ鮮烈な感情が残ってるんだなとクメスフォリカは心の中で笑う。
「どうしても殺したい奴があっちにいてな、けど普通にやられたわ」
「それをやったのって、もしかして……糀寺柚良?」
「いや、姪」
姪!? と予想していなかった答えだったのか、メタリーナは先ほどまでの不穏な表情とは打って変わって素で驚いた。
クメスフォリカは「そこまで驚くことねェだろ」とベッドから下ろした足を組む。
黒い髪に青い目の小さな少女。
弱々しく見えて魔法の才能は光るものがあった。
ヘルパーニュは幻覚魔法を得意とするが、そちらを受け継いでいないところを見るに母方からの才能か突然変異なのだろうとクメスフォリカは予想している。
その才能を開花させたのは十中八九メタリーナが名前を出した糀寺柚良である。
そう考えるとこの傷の遠因には柚良も含まれているが、メタリーナが面倒臭い雰囲気になりそうだと察知して口には出さなかった。
「正直ナメてた。小さいっつってもアタシと同じ一族だもんなァ……だから」
次は出し惜しみしねェ、と。
クメスフォリカはヘルの代わりだとでもいうように、寝癖の付いた黒髪をグッと握って言った。




