悩める第一王子殿下は、一刻もはやく弟に太子を譲りたい
「ノエル兄上……! あなたの王族籍および王位継承権を今、このときより剥奪させていただく!!」
「! なっ、何? なぜだ、ユーリ」
まだ声変わりもしていない少年がビシッと人差し指を突きつけ、叩きつけるように宣言する。
つややかな前髪は流れるように額から眉下を飾り、短い襟足は年相応な爽やかさ。現王妃にそっくりの金髪は華やかで、エメラルドの瞳は内面の激情を映して燃えるようだ。
ノエルは戸惑いつつ、安堵が込み上げるのを必死に押し隠した。
苦節三年。
ずっと願い続けた。このときを待ちわびていたのだ。
(まさか、弟本人の口から直接言われるとは思いもしなかったが…………って、いやいやあいつ、仮にも王族だし体面ってもんがあるよな。いちおう、このまま驚いとくか)
ホールは、しん、と静まり返り、楽人たちによる演奏も止んでしまった。
彼ら同様きらびやかに着飾った若い紳士淑女らも凍ったように固まり、そろって壇上を見上げている。
ここは王立中央学園。
つい先程までは、賑やかな卒業パーティーが催されていた。
◇◆◇
学園は人材育成機関とも呼ばれている。コースは官吏科、騎士科、魔法士科、執事・侍女科の計四つ。初等部は十二歳から。高等部は十五歳から十七、八歳まで。
春のダンスパーティーは両方の卒業式に付随する特別なイベントとあって、皆、気合いが入っている。
参加できるのは卒業生と両生徒会役員。加えて純正なる抽選制で招待状が送られた数十名のみ。ホールの収容人数ぎりぎりの約三百名に絞られる。
この日は卒業生を祝うという名目のため、どの生徒も制服ではなく夜会服。色とりどりのドレスと紳士服の裾が音楽に合わせてくるくると踊り、ホール中央を彩っていた。
なお、初等部の生徒――第二王子ユーリも――が、いることを鑑み、配られる飲み物にアルコールは一切入っていない。
いわば実際の夜会を模した健全なる『夜会の真似事』は、どこか芝居じみてもいて、なおかつここは一段高く設えられた王族専用席。
場もあたたまった頃合いで突如立ち上がった弟の一挙手一投足に、自分を含めた面々は釘付けになっている。
ノエルは、シャンデリアの光を受けて蜜色に輝く髪に縁取られた、気の強そうなまなざしと幼さの残る端正な顔を見入った。
ユーリは、ぷるぷると震えながらいっそう激高した。
「その、娘!!!」
「ん?」
「えっ、あ、はい」
気がつくと、挨拶のための礼を終えて、あろうことか壇上にのぼり、嬉々と表情をほころばせて長椅子の空いた部分に腰を下ろしてしまった一人の令嬢を娘呼ばわりで叱責している。
やれ、身分を弁えぬ振る舞いがどうこう、兄の寛容さにつけ込んでの図々しさに煮え湯を飲まされていたなど、この一年で相当鬱憤が溜まっているようだった。
しかし、娘――フィーダ男爵令嬢アニエスは動じなかった。ふわふわとした仔鹿色の髪を揺らし、小首を傾げて無邪気に問いかける。
「でも、おかしいですわ。今宵は無礼講と伺いました」
「限度というものを知れ!」
「そもそも、この学園は身分の垣根なく生徒に平等であると」
「学園の大義と貴様の暴挙をいっしょくたにするな! 慎みを持て、愚か者!!!」
「まあぁ」
アニエス嬢は大きな瞳がこぼれんばかりにおっとりと驚き、片頬に手を当てた。
彼女は卒業生ではない。そのため、正式な淑女として髪を結い上げてはいない。ハーフアップで垂らしたそれは上半分が露わとなった白い胸元にかかり、豊かな存在感を否応もなく主張している。
つまり、はっきりとした『そういう系統のドレス』で、しどけなく異性である自分に寄りかかっている。
これではたしかに慎みがないと罵られても否定できない状況にあった。
怒れる弟の矛先は、やがてこちらにも向けられた。
「兄上も兄上です! 学生のうちから、そんな女を堂々と侍らすような真似を」
「待て、誤解だ。彼女は昨年、諸事情あって平民層の母君とともに男爵家に入った。いわば雛のようなものだろう。早々に我々の流儀に慣れろと言うのは酷だ」
「兄上の目は節穴なんですか…………? デレッッデレ、鼻の下伸ばしてんじゃないですよッ!?」
「失敬な。伸ばしてなんかいない。それよりもユーリ、俺の王族籍の剥奪は父上が? 陛下の採決あってのことか」
「……ええ、そうです」
途端に気炎を鎮めてユーリが呟く。
懐から一通の書状を取り出し、丸められていたそれを、ざっと広げた。
そのタイミングで壇の下手からは弟の取り巻きでもある大臣子息や神官長子息が読めない表情で現れた。槍を携えた衛兵まで数名引き連れている。
場は、にわかに緊張を帯びた。
「汝、第一王子ノエル。先の妃の唯一の子として長らくそなたを王太子候補と定めてきたが、先だっての上申書と諸侯の意見を併せ、明日よりそなたを国境の砦に送ることとする。アカデミー騎士科卒業生として正騎士の位は授ける。戦功を祈る。その間、希望どおり王族の身分は剥奪する」
「…………ん? ちょっと待て。なんかおかしいぞ、それ」
「おかしくはないです。貴方の、たっての願いでしょう。『騎士になって最前線で武勲をあげる』という。困った兄上です」
ふう、と、やたら大人っぽく溜息をついたユーリが目を伏せ、頭を振る。なぜか下手の連中もうんうん頷き始めた。
けれど、ノエルだけは納得できない。
そうではないのだ、と、心持ち声を低めて早口に言い募る。
「いやいや、ちゃんとひとの話聞けよ。いいか? 俺は、たまたま順番が上なだけで王妃だった母はもういない。母の実家だったホルス公爵家も零落のいっぽうだ。後ろ盾のない王なんざ、国には何の益も齎さない。幸いお前はすこぶる優秀だし、妃殿下の実家はカリディア大公家。さっさと俺を戦地にやったほうがいいだろう。そのためにわざわざ、アカデミーじゃ騎士科を選んだってのに――」
「わざわざ? それは聞き捨てならないな。ノエル」
「! アドモス」
一際低い声。ごつい高身長に見るからに俊敏そうな体躯の騎士団長子息が上手から現れ、ノエルは慌てて振り向いた。
アドモスとは騎士科で苦楽を共にした。親友と言っていい。
めずらしく今朝から姿が見えず、式典も欠席していた。心配していたのだが、無事そうな姿にホッとする。
もはや空気のアニエス嬢は、果てなく疑問符を浮かべていた。
ちらりと彼女に流し目をくれたアドモスはつかつかと壇に近付き、「失礼」と断った上でノエルの二の腕を掴んだ。わりと、ぞんざいな仕草だった。
「おら。降りろ。王族じゃないんだろ、もう。ほら、アニエス嬢も」
「きゃっ!」
「待て、女性に手荒な真似は」
「……………………ちっ」
(エッ!? 何コイツ。いま、舌打ちした!?!?)
急展開について行けないのは残念ながらノエルも同じだった。強引にされるがまま、アドモスに従って壇を降りる。
アドモスは適当なところで、ぽいっとアニエス嬢を放し、代わりにノエルの耳元に顔を寄せた。
「(女性ってタマかよ。黙って見とけ、本性出すから)」
「?」
精悍な顔立ちに暗い赤毛を無造作にうなじで束ねるアドモスは女生徒からの人気が高い。
現に、今の振る舞いだけで人だかりから「きゃあああ」と複数の奇声――もとい、令嬢がたの歓声があがるのだから大したものだ。
ノエルは、ぱち、と瞬いたあと、ふと駆け寄ってきたアニエスを不思議そうに眺めた。
この一年、妙に懐かれていた。
たいていは小動物を思わせる態度が多かった。
が、このときは自然に眉をひそめるほど、記憶のどれとも印象が違っていて……――
アニエスは可愛らしい顔を歪めていた。歯噛みしかねない勢いだった。ボディガードよろしく壁になるアドモスに阻まれ、いっそう不機嫌顔となる。やや距離をあけて食い下がった。
「ノエル様! 嘘ですよね? 廃太子なんて」
「廃太子」
「厳密には、兄上は立太子していない。慣例としてそうなるだろうという空気はあったが」
やり手の弟は壇上から冴え冴えと声を降らせる。
その佇まいが惚れ惚れするほど王位にふさわしく思えて、ノエルは知らず、ほほえんだ。
「ほうら。やっぱり、ユーリのほうが王っぽい」
「――……兄上は黙ってて。アニエス嬢。きみについても調べはついている」
「なっ、何のことでしょうか」
さすがに娘呼ばわりは改めたようだが、ユーリの表情や声音は固い。しどろもどろと目を泳がせるアニエスは、それでも果敢にユーリと相対した。
本日二度目の大仰な嘆息をこぼしたユーリは、哀れみすら向けて話す。
「きみの母、アッサンドラは十七年前、とある貴人を呪い殺した疑いがかけられている。依頼だろうと何だろうと、外法のわざで人を害するのは我が国では、最も忌むべき行為の一つとされている。――きみたちの母国では、違うのかな?」
「!!! それは……っ」
さあぁ、と途端に青ざめたアニエスがぶるぶると震え始めた。同時に「連れて行け」と幼い声が告げ、下手側の衛兵たちがきびきびと動く。
しばらくは嫌がり、暴れていたアニエスも両側から取り押さえられてはひとたまりもない、引きずられるようにホールから連れ出されてゆく。
生徒たちは目の前で繰り広げられた一部始終に唖然としていたが、ざわめきはそこかしこで生まれつつあった。そこで。
――――ダンッ
(((!!)))
壇上から厳しい打音。
腰から鞘ごと剣を外したユーリが逆手に剣を構え、鞘の先をまっすぐに落とし、床を打ち鳴らしたのだ。
始まりとはちがう静寂が場を支配した。その一瞬を、ユーリは逃さなかった。
「これにてパーティーは終了する。王家の内輪もめ……という程ではないが、今夜はどうしても『彼女たち』を捕らえる必要があった。
清聴および協力に感謝する。各々、気をつけて帰られよ」
◇◆◇
その夜更け。
王宮の一室では着々と旅支度を進める元・第一王子殿下の姿があった。
「楽しそうですね、兄上」
「そうか? そうかもなぁ」
「ずるいですよ。自分ばっかり」
「うーん……。世の中には、適材適所ってものがあるからな。俺は、腹の探り合いは向かない」
「そうでしょうけど」
旅支度。荷造りと言ってもせいぜいが身軽な衣類一式に路銀。(※支度金と称されて王宮に戻った途端、継母である現王妃から託された。けっこうな額だった)
愛用の剣に手入れの道具。ちょっとした筆記具。
食料なんかは道中で――と、意識を具体的な「明日」に向けたとき、ふと視線に気づいた。窓からは月の光が差している。
毛織の敷物の上に散らかしたものをあらかた鞄に詰め、すぐ側でしゃがみ込んでこちらを覗き込むユーリと目が合った。泣きそうな顔をしていた。
つられて、つん、と涙腺を刺激されそうになって、誤魔化すためににこりと笑う。
「立派だったぞ。偉かった。がんばったな」
「……ひとのっ、気も……知らないでっ」
「!! おっと」
感極まったような声をもらし、小柄な体が飛び込んでくる。ノエルは倒されることなく受け止めた。
まだ十四歳の細い肩。華奢な腰。震える背。
世間には『王子』と公表されている現王妃のたった一人の子――ユーリは、じつは、れっきとした少女だった。
ユーリの母、現王妃グレイスはカリディア大公家の姫で寡婦だった。若くして夫に先立たれてしまい、実家に帰ってすぐにロアーヌ国王に嫁すことが決まったのだ。
そのとき、グレイスと一緒にやってきたユーリは一歳。ノエルは五歳だった。
ユーリは、何の問題もなくあたらしい父の養子となった。
この辺は諸王侯の血縁マジックとしか言いようがないのだが、カリディア大公家にはロアーヌ国王の叔父にあたる王子が婿入りしており、その娘である現王妃と連れ子のユーリにもロアーヌの王位継承権が認められている。
よって、ユーリが王位を継ぐのには、父も吝かではないはずだった。
ノエルは月を眺めながらユーリを抱きしめ、ぽんぽん、とその背を叩く。
「なんで、お前、男ってことになってんのかね……」
「母上が悪い。僕が女ってことがバレたら、カリディアに置いていかなきゃいけなかったからって。あのひと、超絶我儘なんだ」
「そっか」
くぐもった声に根深い怒りを感じ、これはしばらく離してもらえないな……と悟ったノエルは、くしゃくしゃと金の髪を撫でた。
「待ってろ。お前が成人するころには必ず、国境地帯を掌握する。講和もさっさとこぎつける。アドモスも一緒に赴任らしいから。心強いぞ」
「……うん」
すっかり乱してしまった髪を撫でつけ、指に絡めて直してゆく。腕の中の体から力が抜けたことに、ほっと息をついた。
――――――――
いまはまだ『兄弟』だけれど。
ひとまずは自分が王室から離れること。
ユーリの立場を盤石にすること。
さいわい。国務大臣の息子と神官長の息子は、そろってユーリに膝を折ってくれている。
側近候補に心配はないだろう。今日の采配や立ち回りもみごとだった。
当面の目標は、彼女が性別を偽らずとも『ロアーヌの次期王位継承者』と見なされること。
この際、隣国を叩きのめすのは手段でしかない。
ノエルはゆっくりと息を吸った。
わずかな、わずかな緊張の糸を悟られないように。
「成人したら、お前がびっくりするようなこと言うかもしれない。ごめんな」
「いいよ。今言ってよ」
「え」
「いいから」
至近距離で、伏せられていた顔がもたげられる。ぐいぐいと迫られる。
夜の藍色に沈むエメラルドの瞳もきれいだな、と、やくたいもないことを考えた。
ふっと笑って、頬に口づける。
たちまち赤面した血のつながらない『妹』に、まだ早いからと答えて。
ユーリは、たちまちそっぽを向いてしまった。それで、再び腕の中に閉じ込めるのも良し。
――十七年前。
呪殺対象だったのは母だけではなかった。自分もだった。
なのに生き残ってしまった。代わりに母方の伯父が死んだ。
調べによるとアニエス嬢は、あの手この手で自分を篭絡しようとしていたらしい。外法の魅了呪はもちろん、妖しげな催淫剤だの香まで用いて。
なのに、効かなかった。いわゆる“無効魔法”。
そんな体質なのだと判明したのが三年前、アカデミーの騎士科を選択した際のこと。最低限の魔法特性を調べたときだ。逆に言えば特性はそれしかなく、あとは腕力と胆力頼みの剣術・戦術コースへとまっしぐらだったわけだが(※遠い目)
やがて、すうすうと寝息が聞こえはじめた。
体を離すと長い睫毛が見えた。
――……寝顔の威力は、危険そのものだった。
しょうがないな、と抱き上げて自室を出る。通路の衛兵らの何とも言えない視線を浴びながら『彼女』の私室まで送り、恐縮する部屋仕えの侍女に謝られながらそっと寝台に横たえた。
「俺、夜明けには出立だから。寝かせてやって」
「畏まりました」
パタン。
扉を閉める。
心では次なる扉を開けにゆく。
たぶん、一筋縄ではいかないのだけど。
(待ってろよ。絶対に。必ず、一介の騎士からひとかどの英雄くらいまで底上げして戻ってくるから)
目を閉じれば、どんなユーリでも思い出せる。瑞々しさに満ちている。
真摯な緑のまなざしは、何よりの守りで、宝に思えた。
◇◆◇
有言実行な元・第一王子殿下とその親友の活躍で、前線は瞬く間に立て直され、じりじりと隣国の勢いを削いでいった。
それは、こちらの将ばかりを狙い討ちにされていた呪殺の効力を弱められたことが大きい。
やがて、満を持して正しい性別を公表することになった『彼女』の卒業パーティーに颯爽と現れ、入場いちばんに騎士服のままで膝をついて求婚してのけたことなど。
のちの世に伝えられる『ノエル王子』の逸話は華やかで、いつも彩りに事欠かない。
女王として即位したユーリは男装王女だったことも含め、ロアーヌの民からは常ににこにこと語り継がれる、愛されるべき名君となった。
ただ一つ、幼子に「ねえどうして? どうして兄王子は“ついほう”されちゃったの? どうして弟王子はお姫様になっちゃったの?」――――などという純粋無垢な質問に関しては、親はかなりの苦心をしてロアーヌ王家とカリディア大公家、双方の系図を正確に教える羽目になったという……
そのひと手間もまた、幸せに満ちて。
fin.