笑顔の意味
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光の魔石の入ったランプを持ちながら、マーカスは慣れた足取りで夜の森を進んで行き、十分ほどで私たちの前にはそこそこ大きな町が現れた。
「ほとんど毎日、仕事が終わってから森に入ってるから慣れてんだ」
マーカスはそう言ったけれど、それにしても早くて安全だった。私とギルだけでは、こんなに早く夜の森を抜けることは出来なかっただろう。そもそも道が不確かだった。
「頼みがあるんだ」
町に入ってから少し歩いて、マーカスは言った。
私たちがつれてこられたのは、どうやら町の一角にある食堂のようだった。前から不思議に思っていたのだけれど、私はこの国の文字を読むことが出来る。看板を読んでみると『魔法の食堂』と書いてあった。
「ここは俺が、死んだ両親から引き継いだ食堂なんだ。魔法みたいに美味いっていう意味で名前がついているんだが、俺はそこまで料理が上手くない。でも、続けてる。妹に頼まれて」
看板を見上げながらマーカスは言った。その顔には笑みが貼り付けられているけれど、なんとなく……
「だけど、この店を君に頼みたい」
さっきの笑顔とは違うような気がした。
「どういうことですか?」
結論だけ言われても、疑問しか生まれない。私は頭の上にはてなマークを浮かべながら彼の顔を見て、瞬きを何度もしてしまった。ギルはこちらの様子を伺っているのか、眉間に皺を寄せて黙ったまま私とマーカスの後ろに立っている。
「妹は病気なんだ。今は何も口に出来ないくらい弱ってる。液体もむせてしまって少ししか飲めない。妹の看病に専念したいから、暫く、この店を君に任せたい。俺は店を閉めることを考えたんだが、両親から受け継いだ店を潰さないでくれと妹に言われてしまって、君のような人を探してた」
真正面から私の両手を握り直して、マーカスが真剣な表情で言った。
——マーカス、妹さんのために毎日この食堂をやってから森に薬草を取りに行ってたんだ……。
「私なんかで良いんですか?」
町での拠点も欲しかったし、仕事も必要だと思っていたから、私としては良いのだけれど、そんなに安易に決めて良いのだろうか? 今日会ったばかりの、よく正体の分からない私なんかに。
「いや、君が良いんだ。美味い料理を作るやつはたくさんいる。でも、美味いだけじゃダメなんだ。君の料理には言葉で表せないほどの愛情がこもっていた。お願いするなら、ああいう愛のこもった料理を作れる人が良いと思っていたんだ」
「愛……」
マーカスに言われた言葉を自分でも口にしてみたら、なんだか気恥ずかしくなった。人にこんなにも必要とされたことがない。ギルもだったけれど、私なんかが、こんなにも頼られて良いのだろうか? と思ってしまう。
「頼むよ、エラ」
本当は「やります」と即答したい。もう答えは出ているはずなのに、弱い自分が止めている。けれど、私がうじうじしていたら、救世主が現れた。
「その頼み、引き受けよう。だが、いつまで俺の婚約者の手を握っているつもりだ?」
ギルだ。
本当の婚約者ではないのだから、別にそこまでする必要はないのに、彼は私とマーカスの間にわざわざ入ってきて両手を引き剥がし、勝手に話に了承した。
「あ、すまない。婚約者だったのか」
「言ってなかったですもんね、こちらもすみません」
苦笑いを浮かべながらお互いに謝り合う私とマーカス。でも、私たちはやっぱり婚約者同士には見えないらしい。
ギルも何かを言ってあげれば良いのに、何も言わない。私の斜め前に仁王立ちしちゃって、まるで番犬みたい。
「じゃあ、今夜から泊まってもらう部屋を案内するよ」
マーカスの良いところは、我が道を行くところかもしれない。ギルが威圧的な空気を纏って立っているのに、全然気にした様子もなく、店の扉を開けて中に入っていく。
「こっちだ。下は店で、上は従業員の寝泊まりする部屋になってる。ま、今は誰もいないけどな」
木の階段をトントンと上っていくと、私たちの目の前には部屋の扉が四つほど,
左右に分かれて現れた。見たところ、どの部屋も同じ造りのようで、すべて空いているなら一人一部屋使えそうだと思った。そんな私の考えが甘かったのだろうか?
「それぞれにバスルームがついてるけど、婚約してるんなら一緒の部屋が良いよな?」
ニコニコしながらマーカスがさらっと言った。
「はい?」
思わず、私の口から疑問符がこぼれる。
——マーカスよ、変に気を遣いすぎなの、そうじゃないの、そうじゃ……ない!
「心遣いに感謝する。この部屋を借りよう」
部屋を別々にするために私がちょうど良い理由を考えていると、いつの間にかギルがまた勝手に淡々と答えていた。そして、自然な動きで右手前の部屋の扉を開け、私の肩を抱いて中に入ろうとする。
「え? ちょっ、ギル?」
あまりにも展開が早すぎでは? と私は小声で慌てながら彼の手を掴んで制止した。すると、彼は「怪しまれても面倒だ。どの部屋も空いているのだから、後で分ければ良いだろう?」と静かに私の耳に吹き込んだ。
「決まりだな。それじゃあ、様子は毎日少しだけ見に来るから、店を宜しく頼む。やり方は全部エラに任せるから」
マーカスはまた何も気にしていない様子で嬉しそうに言った。
「そんな感じで良いんですか?」
——そんな適当な感じで本当に良いんですか?
「良いの良いの、君を信じてる。じゃあな」
ニコニコと笑いながら、マーカスは階段を下りて店から出ていった。私の掛けた「ありがとうございます」という言葉は彼に届いただろうか?
部屋には私とギルだけが残され、ちょっと気まずくなった。そう感じているのは私だけだろうか? というか、この場合、私が早く他の部屋に移動した方が良いのだろうか? それとも何か話した方が良い? 黙って部屋から出て行くって変だよね?
思わず、一人用サイズのベッドに視線が向かう。
「そもそも、このサイズのベッドに二人で寝るのは無理ですよね」
悩みに悩んで、あはは、と私が笑うとギルは「そうだな」と冷めた様子で言った。
「ちょっとくらい笑ってもらえません?」
「どうして笑う必要がある?」
ダメだ、この人にこの会話はダメだ。無愛想な顔が私のことをジッと見つめただけだった。
「マーカスは強いですよね。大変なのに、明るくいられるなんて」
気まずさをどうにかしたくて、私はそんなことを口にした。マーカスはすごい。私なら、暗くなってしまう。実際、そうなったことがある。どうして、あんなに明るくいられるのだろう?
言ってみたは良いけれど、ギルがマーカスのことで何かを答えることはないだろう、と思った。でも、それは間違いだった。
「——笑顔でいないと自分の感情に負けそうになるんだろう」
真っ直ぐな金の瞳……、彼の言っていることは正しい気がした。マーカスは上手く隠しているだけなのだ、と。
私は、妹さんの病気をなんとかして治せないだろうか、と思った。