また俺はお前を守ることが出来なかった
「は、はい」
「大丈夫、そんなに緊張しないで。庭を散歩するだけさ」
彼はそう言った通り、私を中庭に連れ出した。
「君の料理は本当に素晴らしい。味も見た目も」
歩きながら、アルがニコッと笑って言う。本当にギルとは正反対に明るい人。表面上だけでも。
「お褒めいただきありがとうございます」
私もニコッと微笑み返しておいた。
「それで昨日の話は考えてくれたかな?」
話題が急旋回する。やはり、それが本題か。
「殿下、私にはもったいないお誘いです。私には殿下のお側に居ることは出来ません」
もうどうにでもなれ、とハッキリと拒否の意を伝えた。打ち首とか、奴隷として売り飛ばされるとか、もちろん心配はある。でも、どちらにしても、いつかはきっと奴隷行きなのだ。ここでハッキリさせておくことを私は選んだ。
すると、彼は
「君は私を恐れているね」
と笑顔を引っ込めて、ジリジリと私に近付いてきた。
「殿下……」
そっと、冷たい大きな手が私の右頬に触れる。金色の瞳と必然的に視線が合った。
「私について、何か悪い噂でも聞いたのかな?」
「いえ、そのようなことは……」
悩ましげな瞳が私の答えを聞いて、さらに憂いに染まる。
「とても悲しいことだ。私が次の王になる可能性があると知って、悪い噂を流す者がいる。私の弟もそうだった。身内にそんな人間がいたら、君はどうする?」
嘘だ。ギルがそんなことをするはずがない。この人は私を試しているのだ。
そう思ったけれど、アルが奴隷制度を推している証拠も見ていない。実際には何も悪い面は見ていない。私と二人切りになっても、何一つ酷いことは言わない。
もしかして、本当にギルが……?
「私にはお答え出来かねます」
流されてはいけない、と私は明確な答えは言わない。
「君は優しいね。——王族というのは悲しい種族だ。時に家族をも手に掛けなくてはならない。私はそんな世界に存在していることが辛い。エラ、どうか、私の傍に居てくれないか? 私が君を守るから」
私の頬から手を離して、彼は私の両手を取ってきた。悲しそうで苦しそうな表情が、嘘なのか本当のなのか分からなくなる。
そんな時だった。
「……っ」
急に大きな黒い影が私とアルの間を疾風の如く通り抜けた。その勢いで私の手からアルの手が離れる。
——ギル……!
黒い影は犬になったギルだった。私に寄り添い、ジッとアルのことを見つめている。よく見てみると、彼は首元に小さな水筒のような銀色の筒を下げていた。
「狼……? いや、犬か? どこから入った?」
ここで兄弟が顔を合わせてしまうなんて予想外の事態だ。
「どうやら、普通の犬ではなさそうだが、人の言葉を喋ることは出来ないみたいだね」
恐らく、まだアルはこの犬がギルだと気が付いていないみたいだけれど、もうすでに彼は考察を始めている。
「私の猫……、エルがいればすぐに正体は暴ける。だが、生憎、今は他の仕事で外に出ていてね、だから、自ら正体を晒してもらおうか」
瞬時に考察を終えたアルは、今度は自らの腰から剣を抜いてギルに向けた。
これはまずい。ギルは剣を持っていないし、そもそも、犬の状態では魔法も使えないはずだ。このままだと首から下げているフルーツティーだと思われるものを飲んで、アルに正体を晒すことになるだろう。
「すみません、彼は私の……」
そこまで言って、私は必死に頭を回転させた。とにかく、私は城に住むことは出来ない。町に待っている人たちが居る。私は町に何の問題も起こさずに帰りたい。
「婚約者です」
私が必死に導き出した答えはこれだ。
「なんだって?」
アルは冷静ながらも、私にそう聞き返した。おかしなことを言っている、と思っていることだろう。男関係にだらしのない女だ、と思ったことだろう。
それで良い。これで良いのだ。
「今、婚約しました」
こうさらに付け足せば完璧である。緊張で心臓が爆発しそうだ。
「エラ?」
冷静な瞳は私に詳しい説明を求めている。ならば、お答えさせていただきます。
「私は殿下のお側に居ることは出来ません。この国には婚約の決まった二人を引き留めてはいけないという決まりがあるはずです。私には帰らなければならない場所があるのです。申し訳ありません」
王子様相手にこの作戦が効くのか分からなかったけれど、この決まりを作ったのは紛れもなく、王族であるあなた方だ。私はただ、今の生活に戻りたいだけ。
「君は、本当に……」
アルの視線が私に刺さる。もしかしたら、ダメかもしれないと思った。でも、
「……聡明だね。——良いよ。今回は見逃そう」
呆れると思ったのに、彼はふっと笑って、そう言った。作戦は成功したけれど、それと同時に失敗したようにも見えた。
「この度はお招きいただき、誠にありがとうございました。失礼いたします」
丁寧にお辞儀をして、私は犬のままのギルと一緒に中庭をあとにした。アルも誰も追いかけては来ず、セバスチャンでさえ私に「お送りします」と言わなかった。
婚約した二人は自由に城の敷地から出ていく。
暫く歩いて、城下町の人混みに混ざり、ギルと私は人の居ない裏路地に入り込んだ。そこで彼はフルーツティーを飲み、移動の魔法を使って、私たちの町グローリエスの近くの森に扉を開けた。
そこでやっと安心出来ると思ったのだろう。
「エラ」
ギルが珍しく、私を抱き寄せてきた。
「無事で良かった」
そう耳元で彼に低く囁かれてドキリとする。この言葉を言われるのは何度目だろうか。
「ギル……」
彼の背中に手を回そうか、悩んでしまう。
「また俺はお前を守ることが出来なかったな」
表情は見えないけれど、悔しそうな声がする。
「いえ、ギルが来てくれたから、私は無事にあの城を抜け出すことが出来たんですよ」
自分の機転が上手くいったなんて思っていない。一人では、きっとアルに引き留められていただろう。今もまだ、どうやって穏便に抜け出そうか考えていたはずだ。
「あの……、私、あなたに謝らなければならないことがあるんです。ごめんなさい、ギルから貰ったリボン、もう人前では着けることが出来なくなってしまったんです」
ちゃんと謝ろうと思って、私は自分から身体を離した。ギルはリボンのことをどう思うだろうか。
「あれは、もういい」
「え?」
どう思っているのか分からないまま、さらりと言われてしまって、私はどうしたら良いか分からなくなった。すると、彼は
「少し、失礼する」
と私のブラウスの首元に手を伸ばしてきた。それだけで、とてもドキドキする。
「これは……」
ギルの手が離れると、私の首元には紺色の綺麗なブローチがあった。光の加減で紫色にも見える。
「俺はお前をあいつに取られたくないと思った。誰にも奪われたくないと思った」
ギルはいつもそう言ってくれる。でも、もっとハッキリとしたことは言ってくれない。今回だって……
「好きだ。お前のことを心から大切に想っている」
——嘘、ギルが笑って……。
一番大事なときに一番素敵な表情をするなんてズルい。多分、今、私の顔は真っ赤だろう。でも、淑女たるものちゃんと答えなければ。
「……私も、あなたのことが好きです」
恥ずかしくて、ギルの顔を真っ直ぐに見られなくて、視線がわずかに横にずれる。でも、目を背けるなんて失礼だ、と思い直して、ギルのほうを見ると、すぐそこに彼の綺麗な金色の瞳があって……、私はそっと目を閉じた——。




