事件は次の日に起こる
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ムムとロロはレオリオにとても懐いて帰ってきた。手には二人とも色違いの船のおもちゃを持ち、特注なのか色違いのちっちゃな騎士のような服を着て、おじちゃんと言えないのか、わざと言っているのか、レオリオのことを「おいちゃん、おいちゃん」と言っていた。
そのおいちゃんは「また来るよ、天使たち」と言って、ご機嫌に帰っていき、何事もなく平和に一日は過ぎていった。争いのない、とても良い一日だった。
しかし、事件は次の日に起こる。
普通にお昼の営業をしているときだった。
急に扉が開き、一人の無精ひげの男性がミシェルの手を引いて店の中に入ってきた。その雰囲気が怖くて、店の中にお客さんは五人ほどだったけれど、一瞬、辺りが静まり返る。
今日は朝からギルとシルバは町の警備で出ており、ムムとロロは階段の上で船のおもちゃで遊んでいた。店にはマーカスとイマリアと私だけだ。休憩中の騎士もいない。
「いらっしゃいませ」
取り敢えず、いつもと変わらない表情と口調で私は男性に声を掛けた。
「昨日」
男性が低い声でぼそりと呟く。
「はい?」
あまりにも聞き取りづらくて、私は聞き返してしまった。マーカスは私たちを守ってくれるつもりなのか、男性のとても近くに立っているし、イマリアは怖がって、トレーを持ったまま店の角に立っている。
「俺はこいつの父親なんだが、昨日、こいつには酒を買ってくるように金を持たせた。だが、こいつは菓子なんてもんを買ってきやがった」
黒くて長い重たそうなコートを着たその男性は、とても怒っているように見えた。
——もしかして、ミシェル、魔石ゼリーを持って帰って、お父さんに怒られてしまったの?
ミシェルのほうに視線を向けるも、彼女は父親に怯えているのか何も言わない。
「甘いもんなんて俺は必要としてなかった」
ドンッと空いているテーブルを手で叩くミシェルの父親。その音にミシェルの身体もビクッと跳ねる。
この人はここに苦情を言いに来たのだろうか? 苦情を言って、満足するだろうか?
「だから、俺はこいつを叱った。泣くまで怒鳴りつけた」
ミシェルの手を握ったまま、父親は私のほうを真っ直ぐ見て言った。
「なんてことを……」
お客さんの中の誰かがそう言ったのが聞こえた。哀れみの声だ。
しまったな、と思う。このままここで苦情を言って満足したとしても、家に戻ってミシェルがまた怒鳴られる可能性がある。
「俺は——、怒鳴っちまった……」
——え?
急にミシェルの父親がガタンと崩れるように床に両膝をついてしまって、私は驚いてしまった。いや、ほとんど全員が驚いていた。
「こいつが自分の部屋に逃げ込んでから、むしゃくしゃしながらこいつが持ってきた菓子を食ったんだ。それが、びっくりするほど美味かった。それだけじゃない、食った数分後に漁で失った右腕が生えてきたんだよ。この手が……」
それはミシェルの手を握っているほうの手だった。お客さんたちは、この人は一体何を言っているんだ? と思っていることだろう。しかし、私たちにはその意味が理解出来た。
この人は、第二の人生を手に入れたのだ。
「ミシェル……、今まで、すまなかった……。父ちゃん、また漁に出るから……、真面目に働くから、許してくれ……っ」
ミシェルをギュッと抱きしめて、彼女の父親は涙を流していた。
「その子はお父さんにただ真面目に働いてほしいわけじゃないと思うぞ?」
そう言ったのは、にこやかに笑うマーカスだった。
「お父様に笑っていてもらいたいし、彼女は愛情が欲しいだけなのよ、きっと。もちろん真面目なのも大事だけれど」
イマリアも角から出てきて言う。本当に二人は人にアドバイスするのが上手だ。特にマーカスは〝よく気付く〟。
「そうか……。ミシェル、父ちゃんはもう酒は飲まない。お前のために精一杯生きるよ」
「……っ」
抱擁を受けていただけだったミシェルが、両目から大粒の涙を流しながら父親をギュッと抱きしめ返した。
「お騒がせしてすまなかった。代金を払いに来ただけなんだ。あと礼を……、ありがとう」
そう言って、ミシェルの父親は小銭の入った袋をカウンターに置いた。ガシャンという音がする。
「いただき過ぎです。お菓子ですので300ジゼルで十分です」
見た目から入り過ぎているのは分かっていた。私は銀貨を三枚だけ袋から取り出して、その他を父親に返した。
「ありがとう。本当にすまなかった」
こちらにぺこりと頭を下げ、ミシェルと手を繋いで彼は扉のほうに向かっていく。
これから二人は大丈夫だろうか? という心配がないわけではない。だから……
「ミシェル、また来てちょうだいね」
私が言うよりも先にイマリアがそう言いながらミシェルに手を振った。彼女もミシェルのもしものときの逃げ場所になろうと考えてくれていたのだ。
「はいっ」
去っていくミシェルは笑顔だった。
その表情にほっとして、店の中がいつも通りの雰囲気に戻り始める。
「失礼いたします。こちらにエラ様はいらっしゃいますか?」
ほっとしたのも束の間、今度は見知らぬ燕尾服を着た男性が店に入ってきた。その話し方からイギリスのバトラーのようだ。
「はい、私ですが」
何か分からないので、恐る恐るという感じで手を上げる。瞬間、男性のグレーの瞳が私を捉えた。
「エラ様、アルジャーノン殿下より、エルヘンツ王城への招待状が届いております」
彼が差し出したのは、王城のマークの入った封蝋をされた綺麗な手紙だった。
「へ?」




