私はギルを追いかけるべきだった?
「どうした、とは……?」
この状況でシルバやギルのほうを見るのはまずい。私は第一王子相手に少し抗ってみた。
「誰からもらったのかな、と思ってね」
雰囲気は優しいのに、アルの目は笑っていない。完全に私のことを疑っている。でも、リボンの刺繍は見えていないはずだ。ということは、彼は鎌を掛けているだけで……
「ああ、これは……」
母からもらったんです、と言おうと思ったけれど、あとから調べられても面倒なことになる。
——どうする? 私……っ!
「ゴホンっ、失礼しました。これは」
一瞬止まってしまったのを咳で誤魔化して、その間に答えを探しているときだった。
「私が彼女にプレゼントしたんです。婚約者でして」
聞き覚えのある声が店の中に入ってきて、私の隣まで颯爽と歩いてきた。
「待たせて悪かったね、エラ」
レオリオだった。
「アルジャーノン様、宿の準備が整いましたので、お食事がお済みになられましたら、どうぞ、お休みになってください」
礼儀正しい言葉遣いでレオリオは言った。やはり彼はアルのために動いていて今夜は店に来られなかったらしい。
「ああ、感謝する。無理難題ばかり押し付けてすまなかったね」
アルはそう言いながらレオリオに優しい笑みを向けた。
「いえ、アルジャーノン様のためなら」
自分の胸に右手を当て、レオリオは軽く会釈した。
「それにしても、婚約者がいたのか。素敵なお嬢さんだから一度お茶でも、と思ったのだが……、これは失礼したね。——それで、シルバ? お前は城には戻って来ないのか? 私の騎士団に入れてやっても良いんだぞ?」
もうアルの瞳に疑いの色はない。代わりに会話の標的がシルバになった。
「いえ、あの戦いで私は足を悪くしてしまったものですから、町の警備くらいがちょうど良いのです」
右足をさすりながら、そう嘘を吐くシルバ。絶妙に非力さを見せるのが上手い。
「そうか、残念だ」
納得したようにアルは席を立った。そして、彼は去り際「ごちそうさま、婚約者を大事にな」と私にニコッと笑い掛けた。
◆ ◆ ◆
「レオリオ、ありがとうございました。どうして私が困っていると分かったんですか?」
アルが去ったあと、常連のお爺さんも居なくなり、私は隣に立つレオリオに尋ねた。
「顔を見れば分かる。君に何もなくて良かった」
本当に私の身を案じていたような表情で彼が私の両手を取った。その誠実さに、どうしたら良いのか分からなくなる。あのまま、最初に出会ったときのまま、ずっと女タラシで遊び人なレオリオで居てくれたら良かったのに。そうしたら、この両手をパッとすぐに離せたのに。今の彼は無碍に出来ない。
カツカツッ
私が困っていると、階段の上からそんな音が聞こえてきた。犬になっているギルが階段を下りてきた音だった。見知った人間しか残っていない店内にカツカツという鋭い爪が床に当たる音が響く。
ギルの姿を見て、レオリオは怖い顔をした。
「……エラが困っていたというのに、君は一体何をしていたんだい?」
静かにレオリオがギルに向かって問い掛ける。彼の声にこもっているのは怒りだった。
店の真ん中から動かず、ギルは黙ったままジッとこちらを見つめる。
「もしかして、その姿では喋れないのかい? ——こんなことを言ってはエラに恩着せがましいと思われるかもしれないが」
犬のままではギルのほうが不利だ。それでも、レオリオの言葉は止まらない。
「今夜、彼女を救ったのは僕だ。僕にも彼女と二人で過ごすチャンスがあるはずだ」
バチバチと金色の視線と碧色の視線がぶつかる。その威圧感にシルバもマーカスもイマリアも私も誰も口を挟めなかった。ただ見ていることしか出来なくて……。
結局、ギルはレオリオを威嚇するように一度グルルッと唸り、「勝手にしろ」というふうにフイッとそっぽを向いて、器用に自分で裏口の扉を開き、外に出て行ってしまった。
「おい、ギル」
シルバが言うのと、ほとんど同時に私の身体も反射的にギルを追おうとした。でも、「行かないで」とレオリオに手を引かれて、足が止まってしまった。
「暫く、二人で話をさせてくれないか? もし客が来れば僕が手伝うから」
碧い瞳がシルバやマーカス、イマリアに向けられる。レオリオは「客が来れば」と言うけれど、アルの来店が噂になっていれば、今夜はもう誰も店には来ないだろう。
マーカスとイマリアは二人で顔を見合わせて、静かに頷いて店から出て行った。レオリオがあまりにも真剣な表情をしていたからだろう。でも、正義感と責任感の強いシルバは出ていく最後まで「あんた、エラちゃんに変なことすんなよ?」と言ってくれていた。
二人だけになって、店の中が、なんだか空っぽになった気がする。
「分かっているんだ。こんなわがままを言っては君に嫌われるって」
レオリオはとても悲しそうな顔をした。彼はいつも言う。「君に嫌われたくない」「君に好かれるにはどうしたら良いか分からない」と。
「いえ。……何か、作りますね。どうぞ、席に」
そんな顔をされては、どう返しようもない。ひとまず、レオリオが私を助けてくれたことは確かだし、お礼をしなければならないと思った。だから、彼に引き留められて、大人しく店に残った。
——それとも、私はギルを追いかけるべきだった……?
冷蔵庫から赤ラベルのエールとこれから使う食材を取り出しながら、私は悩んだ。
「何を作ってくれるんだい?」
私がキッチンに戻るとレオリオは自分でカウンター席を片付けて、そこに座っていた。良かった、もう悲しそうな顔はしていない。
「魅惑のフライドポテトと大根のベーコン巻きです」
一時でも、今はレオリオと出会ったときのように普通に会話がしたい。こんな複雑な気持ちだからこそ料理をして心を落ち着かせたい。だから、私は普段通りに明るく答えた。
「名前からして美味しそうだね」
レオリオは私を見てニコッと笑った。
「まず、エールをどうぞ。今日は赤ラベルです」
瓶の栓を外し、グラスと一緒にレオリオの前に出す。
「君は?」
「私は良いんです」
グラスにエールを注ぐレオリオに言って、私はおつまみを作り始めた。まずは二品目で使う大根を輪切りにして、酒、塩、コンソメ、水で煮ておく。
そして、フライドポテトだ。
油を火に掛け、温度を上げておく。
じゃがいもは細長く切り、水に少し浸ける。長時間浸けたほうが良いと言う人もいるけれど、今回はすぐに揚げたいので短時間で。
水気を切り、小麦粉、片栗粉をまぶし、少し塩もまぶす。
まんべんなくまぶしたら、油で揚げていく。
あまり火を強くすると表面だけが焦げるので、中火で色がついて、いもが軽くなったら油から上げる。
味付けがポイントで、私は塩ではなくコンソメをまぶす。これは揚げパスタを作るときにも使える。塩だと塩っぱすぎてしまうのを防ぐことが出来るのだ。
「出来ました。熱いので気を付けて」
そう言いながら、私はケチャップとマヨネーズも一応小皿に出して、レオリオの前に置いた。
「いただこう」
レオリオは笑顔を絶やすことなく、ポテトを摘まんで口に入れた。
「熱っ」
——言ったのに、またやってる。
口に入れたポテトの熱さに悶えるレオリオを見て、私は少しクスリと笑ってしまいそうになった。難しいかもしれないけれど、やっぱり彼には変わってほしくない。
「美味しい! この甘いような塩っぱいような絶妙な味! 僕はこの味がとても好きだ!」
彼の今回の食レポは結構直球なんだな、と思った。
「エールが進むでしょう?」
「ああ、とても進む! エールのおかわりを頼めるかい?」
私が微笑むとレオリオは上機嫌でエールのおかわりを求めてきた。
「はい、すぐに出しますね」
言葉通りすぐに隣の倉庫に行って、冷蔵庫を開ける。そこには紺と赤ラベルのエールが一本ずつあって、私は一瞬考えた。
これは前に紺色のエールが出たときに取っておいたものだ。特別ですよ? と言って、お礼のためにレオリオにあげるか、それとも……。
「エールのおかわり持ってきました」
いつもどおり瓶の栓を抜いて、私はレオリオの前に置いた。
それは




