副団長はギルバート
「エラちゃん、大変だ……っ」
息を切らしたシルバだった。彼が息を整えながら続ける。
「アルが町を歩いているのを目視で確認した」
その表情は珍しく焦っているように見えた。
「え? コーリングバードはどうしたんです?」
私は耳を疑った。ギルの元にコーリングバードが飛んできた形跡が一切無いのだ。それなのに、アルが町に入っているというのはどういうことなのだろうか。
「アルの安全のためにコーリングバード系の伝達魔法は奴の騎士団によってすべて燃やされ、阻止された」
為す術なし、という感じでシルバが言う。さすが警備が厳しい、といったところだろうか。
「中身は知られていないのでしょうか?」
「それについては暗号を使っていたから大丈夫だろう。だが、町長が無駄なことをして、この店をアルに紹介しやがったんだ。奴ら、この店に来るぞ」
——町長の馬鹿ぁああ!
シルバの言葉を聞いて、思わず叫びたくなったけれど、ここは冷静に切り抜ける必要がある。
「俺はこの角に座ってるから、普段通りに上手くやり過ごしてくれ」
そう言って、シルバはカウンターからも近い、角のテーブルに常連さんたちに混ざって座った。
「上手くやり過ごせ、と言われましても……」
カウンターの中に戻りながら、呟く。
分かってはいるけれど、冷静にと思っていても、やっぱり、めちゃくちゃ緊張してしまう。
「マーカス、イマリア、ちょっと良いですか? 実は……——」
二人をカウンター越しに呼んで、私はアルの来訪のことを手短に説明した。そして、二人にはいつも通りでいるように伝えた。まあ、それでも私と同じように緊張しているだろうけれど……。
アルが来る前に私はキャベツをみじん切りにして、塩を入れたお湯で軽く茹で、ガーゼのような布で水気が出なくなるまできっちり絞った。これが何になるかは後で分かる。
「……!」
突然、騒がしかった店から一瞬で音が消え、私はハッとなって作業台から顔を上げた。
ついに、その時が来てしまったのだ。
アルジャーノン第一王子のご来店である。
「い、いらっしゃいませ」
従者の開けた扉から店に入ってきたアルに対して、そう挨拶をするイマリアの顔には、いつも通りでいようという頑張りが見えた。
そんな中、シーンと静まり返った店内で次々とお客さんが黙ったままお金だけを置いて、立ち去っていく。裏口から逃げるように出て行ったお客さんも居た。
残ったのは常連のお爺さん一人とシルバ、マーカスにイマリア、そして、私と犬になっているギルだけだった。
代わってアルは、アッシュヘアのがっしりとした男性の従者一人と屈強な赤い騎士服の騎士を三人従えている。
「嬢ちゃん、そこ、早く拭きな」
「え、ええ」
常連のお爺さんに言われて、イマリアが慌ててカウンターを片付け始めた。けれど、
「あ、ごめんなさい」
あまりにも慌てていて、アルの目の前で白い薄いお皿を一枚落として割ってしまった。
「ごめんなさい」
イマリアは怯えたように何度も謝罪の言葉を口にしながら床に散らばったお皿の破片に手を伸ばす。それを見て、私とマーカスは彼女のもとに行こうとした。けれど、私たちよりも先に動いた人物がいた。
「あ……」
声を漏したイマリアの視線の先、そこにはアルがいた。
「怖がらせてすまないね。慌てなくても大丈夫だ。怪我はないかな?」
アルが自らイマリアのもとに近付き、床に片膝をついて、お皿の破片をすべて拾い上げたのだ。そして、彼はそれを持って立ち上がり、カウンターの一段上に上がっている台にそれを置いて「私のために割ってしまったようだ。どうか叱らず、許してあげてくれないか」と言った。
「は、はい、もちろんです」
私はアルの瞳を見つめながら頷いた。もとからイマリアを怒る気などさらさら無い。だけれど、この優しい顔に誰もが騙される理由が分かってしまったような気がした。私も、本当にこの人がギルを……? と一瞬、思ってしまった。
「ありがとうございます」
「いいや、気を付けて」
頭を下げてカウンターを拭き始めたイマリアは確実にアルの虜になりかけている。予想はしていたけれど、彼は思っていたよりも、ずっと強敵だ。
「アルジャーノン様、本当にこのような場所でお食事をなさるおつもりですか?」
カウンターが空くまでの間、その後ろでアルの従者が彼に尋ねたのが聞こえた。その言葉は店の端に立ったマーカスにも、もちろん聞こえていて、彼の口がぎゅっと結ばったのが見えた。
本当は何か文句を言いたい。そんな顔だった。けれど、彼が文句を言う必要はなかった。
「ジェイク、失礼だぞ? なにも心配はいらない。この店は町長から直々に紹介された店だ。それに……」
アルが代わりに従者を叱り、そして、角に向かって歩き出したのだ。
「シルバがいる」
とある席に向かい、アルは立ち止まって言った。シルバは店の一番角の席で顔を伏せ気味にしていたというのに、彼の存在はアルに気付かれていたのである。
「これはアルジャーノン殿下、気付いておられましたか」
席から立ち上がり、シルバは礼儀正しくアルに挨拶をした。丁寧な言葉を使うシルバを初めて見た気がする。
「気を遣って気配を消してくれていたのだろう? そんなことはしなくていい」
「は、失礼いたしました」
優しい笑みを浮かべるアルの前で、シルバは真顔で淡々と言った。
「それより、この町に新しく騎士団が出来たらしいな。それに町長から団長はお前だと聞いた。出世したな」
「はい、光栄です」
アルはまるで自分のことのように喜んでいるふうに見えたが、またシルバは淡々としている。内心、どうでも良いと思っているのだろう。
「しかし、団長一人では仕事が多くて大変だろう? 補佐の副団長はいるのか?」
なぜだろう、そう問うアルの声が少しだけ私には怖く思えた。けれど
「——ギルバート様です」
——え?
あまりにもさらっと答えたシルバの返答のほうが怖かった。




