第二の人生
◆ ◆ ◆
トントンという音がする。
私が包丁で長ネギを斜め切りにしている音だ。
『チャンス? 一体、何をするつもりなの?』
『どこかキッチンを貸してください。この手で美味しいものが作れると証明してみせます。美味しいものが作れれば、このフルーツティーも怪しくないと分かるはずです。材料を用意するところも、料理を作るところも近くで見ていてもらって構いません。私はすべてを見せます』
『分かったわ、やってみなさい』
サラとそういう会話をして、私は町に材料を買いに出掛けた。付き添い、というか見張り役に、あのクールな案内嬢、マチルダがずっと付いていたので何も悪いことはしていないのに、とても緊張した。
私たちがギルドに戻ってくると、「ここの食堂のキッチンを使いなさい」とサラは言い、自分は食堂のテーブルに着いた。その場所からキッチンにいる私の動きが十分に見える。まあ、私の隣にはマチルダがずっと付いているのだけれど。
そして、人数が増えると正しく判定が出来ない、というのでイマリアとマーカスは食堂の端の椅子に座ってもらっている。
「何を作っているのですか?」
私が長ネギを切り終わるのと同時に隣に立つマチルダが尋ねてきた。
「黄金の親子丼です」
「黄金……、そうですか」
自分から尋ねてきたのにマチルダは「この人は一体何を言っているのだろう、まあなんだって良いか……」という感じの反応だった。
でも、私はこの人の考え方も変えたい。食べたいと思わせる料理を作りたい。
「マチルダさん」
「はい」
「ずっと、目を離さずに見ていてくださいね」
私が真っ直ぐに見つめて言うと、マチルダはハッとしたような顔をした。けれど、彼女の返事は待たずに調理に戻る。
マチルダに説明した通り、今回作るのは親子丼だ。
作り方は簡単だけれど、色々と気を付けることでワンステップ上の美味しい親子丼を作ることが出来る。
用意した材料は鶏肉、長ネギ、そして、町の市場に三つ葉が無く、かいわれ大根ならあったので、それを使っていく。茶色が多く目立つ料理なので緑色は大事だ。
和風だし、みりん、醤油、料理酒、塩などの調味料は、もしすぐに帰れないことがあった場合のことなどを考えて持ってきていたため、使う度に味見をして何も悪いものが入っていないことを証明する。
さて、材料はすべて切り終えた。鶏肉には塩と酒で下味をつけてある。
次はコンロに置いたフライパンに鶏肉と長ネギ、だしとみりんを入れ、中火にかける。
沸騰したら、弱火にして鶏肉をひっくり返し、醤油を投入。
弱火で優しく火を通していく。
卵をほぐし過ぎないように、黄身を割って、一回、二回、と混ぜる。
それを二回に分けてフライパンに回し入れる。二回目はそんなに火は入れない。
かいわれ大根を上に添える。
本当はご飯の上に海苔があればもっと美味しく出来るけれど、ここには無いので、そのままほかほかご飯の上に流し、出来上がり。
「黄金……」
隣でマチルダが呟いた気がした。でも、ここからは時間との闘いだ。
「会長、どうぞ、熱いうちに召し上がってください」
私はマチルダと共にキッチンから出て、底の深い茶色の器に盛った親子丼をサラの前に置いた。どうぞ、食べてください、卵に余熱が入ってしまう前に。
「マチルダ、何もおかしなことはなかったわね?」
「はい、会長」
サラに尋ねられ、マチルダは冷静な口調と表情で答えた。そして、スプーンを持ったサラの手が動き出す。
「これは……!」
一口食べた瞬間にサラは口元を押さえ、驚いたような声を出した。そして、
「どうしてかしら、食べたことがない料理なのに、なんだかとても懐かしい味がするのよ」
私を見て微笑み、サラは言った。
——どうしてでしょうね……。
そう思いながら、私は心の中で泣いていた。このレシピは母が教えてくれたもので、これは母との思い出の親子丼なのだ。二人での生活は貧しかったけれど、私は母の親子丼が好きだった。母のことも好きだった。
「愛情がこもっていますので」
彼女の疑問への答えにはなっていないかもしれない。でも、これを声に出して伝えたかった。
「愛情……、大事ね。この料理にはたしかに愛情がこもっている。鶏肉はとても柔らかいし、卵もとろっとしていて、美味しい。なによりこの味、どうしたら、こんなに綺麗に味が入るのか知りたいわ」
うんうんと頷きながら、サラが言う。興味を持ってくれて嬉しい。
「調味料を入れる順番が大事なんです。だしで先に煮るのがミソです」
これも母が教えてくれたことだけれど。母から子へ、子から母へ。
「そうなのね、今度料理をするときには考えて入れてみるわ」
鋭い目つきは一体どこにいったのだろう、と思えるくらいサラがニコッと笑ったときだった。
「会長、私にも食べさせてください」
クールビューティー、マチルダがずいっとサラに寄り、両手を差し出した。
「ええ、あなたも食べてみなさい」
ニコニコとしたまま、スプーンと器をマチルダに手渡すサラ。そして、マチルダは待っていました、というかのようにすぐに親子丼をスプーンですくい、口に入れた。
「——んー!! 美味しい!! 黄金、最高!!」
「ちょっと、マチルダ、どこに持っていくの?」
一口食べた瞬間、マチルダは親子丼を持ったまま食堂から逃走、どこかに消えてしまった。
「美味しい料理を独り占めしたかったみたいね」
サラは困ったような顔をしながらもクスクスと笑っている。
カルロスといい、私の料理を食べた人は外に駆け出しがちだけれど、なんだ、マチルダさんも普通の女の子なんだ、と思った。
「疑ってしまって、悪かったわね。あなたの料理が美味しかったこと、認めるわ。あなたの誠実さも分かった。せっかくだから、あれもいただきましょう」
「フルーツティーですか? ありがとうございます」
私がお礼を言っている間に、サラの言葉を聞いて、すでに動いている人物がいた。マーカスだ。
「会長、こちらを」
いつもは誰にでも野球少年のような接し方なのに、瓶からコップにフルーツティーを注ぐマーカスはとても丁寧で、まるでどこかの執事のような所作だった。
「いただくわ」
サラがコップを手に取ると、私はマーカスと視線が合った。「俺だって、これくらい出来るんだぜ?」というふうにウインクされて、思わず笑顔になってしまいそうになる。けれど、今は黙って真剣な表情で頷いた。彼もそれを分かっているみたいに真面目な表情でイマリアの隣に戻っていく。
それを待っていたのか、否か、サラはそのタイミングでフルーツティーを一口飲んだ。
「——美味しい……。見た目は地味なのにさっぱりしていて、それでいて、果実の風味もちゃんと感じられる。素晴らしいわ」
ほぅ、っと息を吐いて、サラはコップから視線を離し、私に笑い掛けた。
たしかにサラが言うとおり、フレッシュではなく、ドライのフルーツを使っているために見た目は地味なのだが、その分、果実の旨味がギュッと濃縮されているので、ドライでも美味しいのだ。
「あら?」
そして、彼女は何かに気が付いたように声を漏した。
「私、いつの間にか、呼吸が苦しくないわ。変な汗も引いた。これは一体……、あなた、何かしたのね?」
不思議なことをすれば、また鋭い視線を向けられると私は覚悟していた。でも、もうサラの瞳には私を疑うような色はない。何か悪戯をした子供を甘く叱るような、そんな雰囲気しかないのだ。
「はい。黙っていて、すみません。他の方には秘密にしていただきたいのですが、実は私の料理には回復効果があるんです……」
言いづらくて、思わずもじもじとしてしまう。また一人、私の秘密を知ってしまった。
「まさか、私の病を治してくれたの? ありがとう。もう先は永くないと言われていたのよ。何をしてもダメだった」
まるで、信じられない、というように会長の瞳は潤んでいた。私も泣きそうになる。そして、
「あの……」
そう口にしてから、言っても良いのだろうか、と一瞬悩む。それでも、私のわがままだけれど、この人に聞いてもらえれば、少し救われるような気がした。
「あの、こんなことを言っては失礼かもしれませんが、会長は亡くなった私の母にとても似ているんです。容姿も性格も……。私は母を救えなかったことをずっと後悔していました。だから、救わせていただきありがとうございました」
泣きそうになりながら、私は深々と頭を下げた。
「そう、だったのね。嬉しいわ。第二の人生を貰ったみたい」
サラは椅子から立ち上がり、私の両手を強く握った。母と同じ手だ。
「……っ」
ハッとなって顔を上げると、私の瞳から一筋の涙がこぼれた。サラもニコッと笑って泣いていた。
「エラさん、あなたを認めるわ。このギルドから瓶を仕入れることを許可します」
「え?」
サラに突然言われて、私はポカンとした顔をしてしまった。
「瓶の仕入れの交渉に来たのでしょう?」
彼女も「私、何か間違ったことを言っているかしら?」というような顔をしている。
「あ、そうでした」
しまった、サラを救うことに集中していて、本来の目的を忘れていた。
「やだ、忘れていたの? ほんと、びっくりするほど真っ直ぐな人なのね」
クスクスと笑う顔が私を見ている。
「すみません」
思わず、肩をすくめて照れ笑いをしてしまう。
「これからよろしくね、エラさん」
「はい、よろしくお願いします」
そう言って、私たちは笑い合った。とてもとても温かく、懐かしい笑顔で。




