上げて落とすのよ、エラ
◆ ◆ ◆
「エールで良いですか? 他のお酒もお出し出来ますけど」
私は夜、改めて店にやって来たレオリオに尋ねた。後ろの席には様子を伺うギルとシルバが居る。
実は昼間のメニューも営業も安定してきたし、マーカスとイマリアに相談して、夜も店を開けようと考えていたところだった。だから、今回はプレオープンということで、「夜の店に来てみませんか?」とレオリオに提案させてもらったのだ。まあ、これには別の目的があるのだけれど。
「ああ、エールをもらおう」
ニコニコとすでに上機嫌なレオリオである。そんな彼の前に銀色のタンブラーと冷蔵庫から出してきたエールの瓶を置く。このタンブラーは、また武器防具屋さんに頼んで作ってもらったものだ。前世の技術ではなく、小さな氷の魔石を底にはめ込むことによって、お酒がぬるくなりにくくなっている。今回も快く楽しそうに作ってくれた。
「いただこう」
まずはエールの味見をしてみるらしい、つまみを出す前にレオリオは瓶からタンブラーに注いだエールをグイッと飲んだ。
「……っ! このエール、美味いな!」
目を輝かせてレオリオはもう一口エールを飲む。
「日によってお出し出来るエールが違うみたいです」
冷蔵庫にエールが欲しいと願うと、中から出てきたのは青いラベルの瓶に入ったものだった。ちょっと苦みの強いエールだ。この前、試しに出してみたエールはオレンジ色のラベルのもので少し果物の風味がするものだったから、日によって違うらしい。毎日、少しずつストックをとっておけば、一日に何種類も提供することは出来そうだけど、それはまだ先の話。
「みたい、とは?」
「し、仕入れの都合の話です」
レオリオから尋ねられて、私は思わず誤魔化した。冷蔵庫のことはあまり人には言わないほうが良い。盗まれたら困る。
「レオリオ、最初のおつまみをどうぞ」
私はガラスの小さな器を彼の前に差し出した。これは
「生ハムユッケです」
やみつきになる中毒性のあるおつまみだ。
作り方はやっぱり簡単。
生ハムときゅうりを細切りにして、ごま油、コチュジャン、塩を一緒に混ぜるだけ。
お皿に盛り付けたら、真ん中に卵黄を置いて、上から白ごまを振る。
普通はここで終わりだけど、私はここにもうワン食材プラスする。
それは韓国のりだ。千切って周りに散らす。
確実に塩分過多だけど、お酒が進む魔法のおつまみなんです。
甘しょっぱ辛い、まろやかな味がやみつきになるはず。
「うん、これもいただこう」
そう言って、レオリオはすぐにフォークで生ハムユッケを口に運んだ。そして、数回噛んだあと、グイッとエールを飲み干し
「——これはダメだ……!」
と言った。
「え?」
——ダメ、だった?
「うーむ」と唸るレオリオを見て焦り、目が泳ぐ私。
「ダメでした?」
レオリオの顔を覗き込むようにして恐る恐る尋ねてみる。
一体、何がそんなにダメだったのだろうか? もしかして、冷蔵庫から出した何かが腐ってたとか? いや、でも臭いとかカビが生えてるとかはなかったのだけれど。
「ダメだ、こんなのはダメだ」
レオリオはついに頭まで抱えてしまって、これは相当ダメだったのだと私は覚悟した。
——どうしよう、お客様にクレームをつけられたときの対処法とか考えてなかった。謝る? 土下座? 土下座する!?
私の身体はもうカウンターから出る方向で進んでいた。それなのに
「エールと合い過ぎる! 美味し過ぎる! こんなに美味しいものがこの世にあって良いのか!」
ガバッと顔を上げて、急にレオリオが大声で叫んだ。後ろに座っていたギルとシルバがビクッと驚くくらいだ。突然過ぎて、びっくりしたのだろう。私もびっくりした。
「僕はこんなに絶妙な辛さのものを食べたことがない。辛い料理というものはすべて激辛なのかと思っていたくらいだ。それに塩味も強くてエールが進んで、進んでしょうがない! 止まらない! これは悪魔の食べ物だ! 気に入った!」
とても丁寧にレオリオは生ハムユッケの感想を述べてくれた。まさか、喜んでくれているとは思わなかった。
「ありがとうございます。喜んでいただけて嬉しいです」
思わずニコッと笑ってしまった。こんなに大袈裟に喜んでくれるなんて、本当にとても嬉しかった。
「よし、エールと一緒におかわりをいただこう」
空になったエールの瓶とガラスのお皿を前に出して、レオリオは言った。でも、ちょっと待ってほしい。今日のおつまみはこれだけではないのだ。
「あの、レオリオ、実はおつまみはもう一つあるんです。出しても良いですか?」
空になった瓶とお皿を片しながら私は彼に尋ねた。
「なんだって……!?」
そんなに衝撃を受けたような表情をしなくても良いのに、とレオリオの顔を見て思う。
「是非、お願いしよう。楽しみだ」
自分の表情に気が付いたのか、ハッとなり、こほんっと軽く咳払いして、レオリオは少しだけ冷静に言った。
「熱いので気を付けてくださいね」
二つ目のおつまみは熱々おでんだ。コンロに掛けていたちょっと大きめの両手鍋から私はおでんの具を全種類、小さな土鍋風のお皿に盛り付けてレオリオの前に出す。
「こんなにあるとは、思っていなかったよ」
彼は驚いたような顔でおでんを見つめて言った。たしかに、私は「もう一つ」と言ったから、こんなに種類があるとは予想出来なかっただろう。
「ちょっと張り切って色々なものを入れてしまいました」
具材は、大根、じゃがいも、玉子、こんにゃく、はんぺん、焼きちくわ、ちくわぶ、がんも、しらたき、さつま揚げ、結びこんぶ、などだ。自分でも、もう何を入れたか曖昧なほど具材を入れてしまった。今日は特別だけれど、照れ笑いを超えて苦笑いである。
本当に美味しいおでんを作るには下処理が結構大変で、大根に十字に包丁を入れてだしで先に煮たり、こんにゃくに塩を塗って臭みを抜いたり、厚揚げの油抜きをしなければならない。前世、姑がうるさかったから、私の下処理も本格的だ。
つゆは本来は醤油、みりん、塩などで作るのだけれど、今回は濃すぎないように白だし一本で調節し、ゆず胡椒で食べてもらう。他にも、前世ではかぼす胡椒や他の胡椒も見たことがあった。
「これをつけて、どうぞ」
小皿にちょこんと盛ったゆず胡椒をレオリオに差し出した。エールのおかわりも忘れずに。
「いただこう」
おでんにフォークという違和感ありありな状態で、まずはじゃがいもから行くようだ。結構な時間煮込んでいたから中までちゃんと柔らかくなっているはずだ。
「……熱っ! 熱いけど、ホクホクで美味しい! このピリッとした緑色のものもアクセントになって、最高に美味しい! 優しい味なのに、強さもあるって、どういうことなんだ! この熱々にエールを流し込む! なんて至福の時!」
またレオリオは衝撃を受けたような顔をした。そして、思い出したかのようにエールを飲む。
「美味しい、これも美味しい、全部美味しい!」
あれよあれよ、とお皿の中からおでんが無くなっていき
「おかわりをいただこう!」
また、空になったエールの瓶とお皿が私の前に出された。
「レオリオ、その前にお話があります」
それらを片付け、私は気合いを入れてレオリオを見つめた。ここが正念場だ。これが今回、レオリオを夜に呼んだ本当の目的なのだから。
「なんだろうか?」
不思議そうな顔でレオリオは私のことを見た。まさか、このタイミングで私から話があるとは思わなかったのだろう。気分良く飲んでいるところ、ちょっとすみません。
「私の作るおつまみ、気に入ってもらえましたか?」
「ああ、気に入った。また別の日にもエールを飲みながら食べたいよ」
レオリオの言い方は心から切望しているようだった。これは上手くいくかもしれない。
——強かに生きるのよ、エラ。
「私、今はお昼しかお店を開けていないんですけど、夜もお店を開けようと考えているんです。お酒とおつまみを提供して」
「それは良い! 僕も毎日通いたい!」
私からの吉報にレオリオは「やった!」というふうに椅子から勢いよく立ち上がった。
——食いついた。上げて落とすのよ、エラ。
自分に言い聞かせる。
「ですが……、今のままでは無理なんです」
私の料理を本当に気に入ってくれたのだろう、その言葉がレオリオをどん底に突き落とした。
「なんでだい……」
いつの間にか、目の前でカウンターとお友達になっているレオリオ。顔を伏せてしまって、表情が見えない。
「夜はお酒に酔ったお客さんが暴れるのが怖いので、この町の治安を守ってくれる組織がなければお酒を提供しながらの夜間の営業が出来ません。とても怖いんです」
か弱い女性感を出して、私はレオリオに説明した。
今、イマリアが居ないのはそれが理由だ。彼女はとても美人で可愛らしいから、男たちに変に絡まれても困る。女タラシのレオリオにも絡まれそうだし、私は地味だから大丈夫だろうけれど、彼女を大切にしているから、今夜はお休みにしてもらった。そして、彼女だけお休みというのもマーカスに不公平なので、彼もお休みにしてもらった。
「騎士団が出来れば、この店をオープン出来ると?」
ゆっくりと顔を上げてレオリオは私を見た。
「はい。レオリオ、騎士団が出来れば娯楽が増えます」
そして、お店で客が暴れたらギルたちの活躍の場が増える。それにギルたちになかなか会えなくなっても、そのときに会える、かも……。
「君は強く聡明な女性なんだね、気に入った。騎士団を認めよう」
暫く自分の中で悩んでから、艶のある溜息を吐き、最終的にレオリオはそう言った——。




