ロドリゲス
「あなた……、家に帰ってこない?」
——やっぱり、そう来たか……。
元からそれが目的だったのか、私の料理を食べて気が変わってしまったのか分からないけれど、とても良くない。とてもとても良くない。
「いえ、私は……」
「今までのことは謝るわ、どうか帰ってきてちょうだい。あなたの好きな生き方もして良いから」
私の言葉にかぶせるようにお義母様が続ける。〝も〟とは、あなた方の世話も含まれているのでは?
「これが私の好きな生き方です」
大変だけど、あなたたちの居ない、優しさに囲まれた自由な生き方。
「エラ、あなた、自分でお店なんかやっちゃって、ちゃんと養ってもらってるの? そこに座っている婚約者は何をしてるの?」
「そうよ、その方は何をしている方なの?」
まくし立てるようにお姉様二人も口々に言う。勢いが増してきて、なんだか嫌な予感がする。
「彼にはやることがあるんです」
ギルが立ち上がろうとしていたので、私は彼の動きを手で制止しながら言った。まだ、彼の正体は告げるべきではない。シルバも「おい」と文句を言おうとしていたけれど、我慢してくれたようだった。
「やること、ね。——それに美味しかったけど、この味、庶民って感じね。薄味だし……お客さんは来てるのかしら?」
「あ……」
姑に言われた言葉と同じことをお義母様に言われて、私は何も返すことが出来なかった。上手く言葉にならなかった。頭の中に言葉が溢れて、どれを選べばこの人たちは諦めてくれるのだろう、と考えて、でも、見つからなくて、頭が真っ白に……
「ここは町の食堂なんだよ」
そんなとき、突然、声が聞こえた。
「マーカス……、イマリア……」
ハッとなって顔を上げると私の視界にはマーカスとイマリアの姿が映り込んだ。
「町のみんなが気軽に食べられなきゃ意味がないのよ、おばさま」
そんなことも分からないの? というふうにイマリアが言う。
「どうして……」
——二人はもう今日の仕事を終えて、お家に帰ったはず……。
「やっぱりエラ一人でキッチンの掃除とか、明日の仕込みをやるのは大変なんじゃないかなと思って、休憩してから戻ってきたんだ。俺たちに出来ることはないか?」
「エラさん、掃除まだだったでしょ? やってあげるわ。この私が居るんだから、短時間で綺麗にならないわけないんだから」
お義母様は「なんですって? なんて生意気なのかしら、まったくこれだから教養のない方々は……」とか文句を言っていたけれど、マーカスとイマリアはそんなことは無視して、私の疑問に答えてくれた。
——わざわざ私のために戻ってきてくれたんだ……。今度は私がお返ししなくちゃ。しっかりしなくちゃ。
「お義母様、これが答えです。私は今、ここでみんなと頑張っているんです。邪魔をしないでください」
私は今、良い人たちに恵まれている。これが私の好きな生き方なのだ。誰にも邪魔されたくない。たとえ、これからどんな困難があったとしても。
「エラ!」
怒ったようにお義母様は私の名を呼んだ。でも、もう私は折れたりしない。
「お代は結構です。お帰りください」
頭を下げながら、冷たい口調で言ってやった。もう二度と来ないでほしい。そう思ったのに……
「ロドリゲス! どうぞ入って!」
お義母様は声高らかに誰かを店の中に呼んだ。
すると、すぐに店の扉を開けて、一人の人物が入ってきた。黒い髪をしっかり整え、きっちりと正装をした男性だった。見た目はどこかの役人っぽい。まさか、役人だろうか?
「失礼いたします。私、公証人のロドリゲスと申します」
そのまさかだった。ロドリゲスはお義母様の斜め後ろに立ち、ぺこっと軽く会釈した。
「公証人……」
公証人といえば、依頼を受けて公正証書を作成する人たちのことだ。彼らの作る書類には法的な効力がある。
「あなたがエラですか?」
ロドリゲスは私をジッと見つめて言った。視線も口調も冷たい。
「はい」
別に名前を偽る必要はない。私は正直に返事をした。
「あなたに借用書があることをご存知ですか?」
淡々とロドリゲスは話を進めていく。そして、手に持っていた革の鞄から何か羊皮紙を取り出し、パッと広げる。
「借用書?」
手渡してくれないので、ジッと羊皮紙をその場から見つめながら、一体何の借用書だろうか、と思う。私にはもともとのエラの記憶はないけれど、何か借りていたのだろうか?
「あなたはもともと奴隷であり、このスカーレット婦人に買われたのです。その価格分の仕事をあなたはする必要があった。しかし、婚約し、逃亡。現在、あなたは婦人からお金を借りている状態です」
私が目をこらして、羊皮紙の文字を読もうとしているとロドリゲスが内容を要約して私に告げた。
「そんなまさか……」
衝撃的過ぎて私は言葉を失った。
——私が奴隷で、しかも借金もしてるって? 嘘よ、そんなの。
「嘘、エラさんが、そんな……」
イマリアも言葉を失っている。
「あなたが家に戻り、仕事を続けると言うのならば、婦人は強制的に借金返済を求めないと仰っています。もし、あなたが戻らないと言うのならば、500万ジゼルの支払いが発生します」
ロドリゲスは分かりやすいように片手をパーにして私に見せてきた。
——ご、500万ジゼル!?
驚いて、視線を前に向けると、そこに座る三人は得意げな表情をしていた。今までのことは謝る、という言葉はどこに消えてしまったのだろうか。
「お義母様、嘘ですよね?」
こんな話、今までにお義母様たちから聞いたことがない。
「公証人が言っているのよ? 嘘なわけがないわ」
余裕綽々で高笑いをしながら、お義母様は言った。
「どうするのかしら、エラ?」
「戻ってくるのかしら、エラ?」
お姉様二人が母親似の高笑いを上げながら、私を見つめる。
——私……、戻らないといけないのかな……。だって、500万ジゼルなんて、払えっこない。ギルだって……
バンッ!!
突然、物凄い音がした。見ると、ギルがテーブルに両手をついて、ゆらりと立ち上がるところだった。
「その金、俺が払おう」
こちらを見たギルの声音は落ち着いているように感じられたけれど、金色の瞳に宿った光は怒りに満ちているように見えた。
「ギル、でも……」
私はギルを止めようとした。お金が払えてしまうと、ただ者ではないと目を付けられてしまうかもしれない。でも、ギルは止まらずに私の隣まで歩いてきた。
「500万ジゼルよ? あなたに払えると言うの?」
お義母様が、ふふっと馬鹿にするように笑いながらギルに向かって言った。
「ああ。——だが、条件がある」
私の隣に立つギルは怒りのこもった瞳でお義母様を見つめている。気付くと、シルバも威圧的な雰囲気を纏って四人の後ろに立っていた。
「条件? 何なのかしら? そちらは言える立場ではないのだけれど、一応聞いてあげるわ」
本当は公証人を挟まずに話すべきではないはずなのに、お義母様は勝利を確信しているのか、自らペラペラと話してくる。
「金を払ったら、証拠として、その借用書を渡してもらおう。何度も請求されては〝困るだろう〟?」
なんだかギルの言葉に違和感を感じたのだけれど、話は進んでいく。
「まあ、良いでしょう。借用書くらい。——そ・れ・で? お金はどうするのかしら? どこかで借りてくるのかしら?」
お義母様が嫌みったらしく言うとお姉様二人がクスクスと笑った。




